「肥後人の理屈好き」 

August 19 [Sun], 2007, 21:36
「 ・・・ ・・・ ・・・
 『肥後人の理屈好き』というのは天下に知られた通癖で、肥後人が十人集まれば十人とも意見が違うといわれ、それぞれが他人の意見との小さな差を重大なものとし、その小差に固執する。そのために大事をなすときに決断が遅れ、行動が時機を失し、とくに集団として行動することが困難であった。 

 ・・・ ・・・ ・・・

 肥後は、難国とされた。

 一人一党の気分がつよく、他との妥協を好まず、日本ではめずらしいといえるほどに我を徹すことをむしろ美とする風がありつづけている。このため戦国の一国統一の流行期にもここは統一大名をださず、中央で豊臣政権が成立して秀吉が佐々成政を大名として送り込んだときも、肥後の地侍たちはこれをよろこばず猛烈な一揆を起して成政を追い出してしまった。
 そのあと、清正がきた。清正は他国人であったが、その人柄は肥後人に好まれた。
肥後好みの武者ぶりのよさということもあり、さらに土木の天才的な技術者であったかれは、大いに農業土木をおこして地元の士民の利益を図った。
 ながい日本歴史のなかで、一人の人間が、地元のあらゆる階層から神人的な個人崇拝をうけたという例は、加藤清正と西郷隆盛以外にはちょっと考えられない。

 ・・・ ・・・ ・・・

(司馬遼太郎『翔ぶが如く』より)」


いま、肥後人の理屈好きは、やはりそのとおりだろうか。

多くの熊本人と付き合いがあるわけではないが、知人や熊本出身の芸能人を見ると、それは「理屈好き」というよりもある種のこだわり(しかも専ら好意的な類の)があり、好感が持てる人物が多い気がする。

熊本と辛亥革命 

July 27 [Fri], 2007, 8:53
この6月の半ばに、体調の不調から静養を要すると診断受け、
約ひとつき半、病休をとって(とる羽目になり?)、療養しておりました。

ブログもずいぶん間が空きましたが、間歇的に続けます(笑)。



突然ですが、今回は九州は熊本宮崎滔天(みやざきとうてん)についてです。
熊本出身の革命運動家にこんな人がいたんですね。

熊本県の荒尾市は有明海に面した場所ですね。

明治3年(1871)にその荒尾村で生まれた宮崎滔天は、
徳富蘇峰の大江義塾、東京専門学校に学んで、
明治20年(1887)キリスト教に入信するも、2年でそれを棄ててしまい、
以後アジア革命の実践を目指したそうです。

明治30年(1897)に、孫文と知り合い、それ以降、その革命運動の重要な支援者となったそうな。
明治33年(1900)の「恵州」蜂起の失敗ののち、
しばらくの間、「浪花節語り」となって、孫文の革命精神を国内に紹介していったことがある。

明治38年(1905)孫文らと東京で中国同盟会を結成、終生中国の革命派を支援したとのことである。


明治30年ごろに、このころまだ草深い熊本の荒尾村を亡命してきた孫文が訪れたらしい。

孫文の日本での拠点造りや資金援助をおこなった人物が宮崎滔天であり、
そして、中国の辛亥革命の拠点は日本にあったのだ、してそのルーツは熊本にあったのだ。

滔天が生家から近い有明海に何を見て育ったか、
熊本という土地の深さを感じる。


●参照URL
「宮崎滔天」
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/339.html?c=0


「辛亥革命」(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E4%BA%A5%E9%9D%A9%E5%91%BD


「孫文」(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87

「孫文記念館」(日本語ページ)
http://www.sonbun.or.jp/japanese/index.htm



e.t.c.
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog043.html

脊振山2 

April 27 [Fri], 2007, 22:12
脊振の山を北側に下ると、
細い林間の道を抜けてやがて板屋の辻(三叉路)に出る。


ここからは脊振ダムがすぐ近くである。

脊振ダムによって、ダム湖ができている。
利水容量は、約4百万立方メートル。
(一言で4百万立方メートルといっても見当がつかないが、
昨日でてきた曲渕ダムの1.6倍であり、
先に紹介した長谷ダムの8割ほどである)

さて、板屋の三叉路を右折し那珂川に沿って山を下っていく。
3〜4kmほど行くと国道385号線に出る。
(国道385号線を南下、東脊振トンネルをぬけてさらにいくと東脊振インター、
その先に吉野ヶ里にいたる)

脊振の復路は国道385号線を北に向かい那珂川に沿いひた走る。
福岡市街に戻るとする。

途中、南畑ダム、鮎返の滝を傍らに見ながら行く。

脊振頂から福岡市街までは、往路よりも時間がかかった。
距離も長いようである。

○関連情報サイト
福岡市関連8ダム(福岡市水道局)

脊振山 

April 26 [Thu], 2007, 22:15
脊振山は標高1055mあり、福岡市内でもっとも高い場所のようである。
(佐賀との県境だが)

頂上までクルマで行けると知り訪れる。


夜景と星をみるのがセットなので、やはり夜である。


福岡市街からの経路は、

早良街道(国道263号線)をひた走り、

途中、曲渕ダムのわきをぬけ、三瀬トンネル(か、もしくは三瀬峠越え)で佐賀県に入り、三瀬郵便局で左折、佐賀県道46号線に。県道305号線で左に折れ、山道をしばらく行くと背振の山頂につく。

走行距離は、片道45kmほど。約1時間半の道のりである。


航空自衛隊基地、アメリカ軍のレーダー基地(脊振山分屯基地)があり、夜間も煌々ととにかく明るい。


脊振からの夜景は、油山からのきらきらした夜景とは違い、
はるかに下、遠望で、遠くたゆたうようなゆったりした夜景であった。

やはり標高が1000メートル超えると距離感が違うものである。

好みとしては、やはりこちらの方である。


基地があるおかげ?で、一晩中煌々としており、
空があかるく星はさほどには見えない。

油山 

April 25 [Wed], 2007, 22:40
この山を開山した僧(清賀上人)が、この地で椿の実から油を搾り日本で初めて燈火に使用したことが、「油山」の名の由来。(「椿山」にはならなかった?)

福岡市の繁華街天神から直線距離でわずか8キロと近い。


油山の片江展望台 は「夜景100選(!?)」の登録地であり、福岡市で最も名の知れた夜景スポット。

昨年10月、深夜にクルマで訪れた。

さすがに夜景はきれいである。


空を見上げると、街明かりで星はたくさんは見えない。
しかし幸いなことに雲がほとんどない。


街明かりの暗い方向(南の方角)の空を眺めていると、明るく輝くおおいぬ座のシリウスの真下、稜線に程近くこれまた非常に明るい星が見えた。

(見える位置からして間違いない)カノープス。全天で2番目に明るい星。

この「老人星」は見ることができると長生きができる、おめでたい星なんだそうである。

見えたのは夜半すぎのこと(3時か4時か定かな時間は忘れてしまった)。

参考サイト:
☆カノープスを探そう

箱崎宮 

April 24 [Tue], 2007, 22:09
箱崎宮の参道を海のほうへ向かう。
国道3号線を渡っても少しいくと、海。 お汐井とりの浜である。


今は、博多湾からみるとずいぶん陸地の奥まったところになってしまったが、
昔は、ここが普通の海岸線の位置だったのかと想像される。

近代化のための殖産興業、そして港湾都市工業都市としての発展のために、
この半世紀の間に大規模な埋め立てが進められたとどこかで読んだ。

博多湾奥から昔の海岸線があらかた消え、その名残がわずかにここにあるのかな、と思うと少し感慨深い。

(現在は、あきらかに砂浜ではないので、いまのお汐井とりの浜の砂は、きっとどこかから持ってきているに違いない。。。)

◆参考サイト

○福岡県立図書館 >> 近代福岡市街地図

○博多の地理図今昔

潮見公園 

April 23 [Mon], 2007, 22:22

きれいな夜景と夜空が眺めたい気持ちが半分、
昔昔中学か高校のころ、社会の教科書で金印が見つかったとされた場所がどんな島なのか訪れてみたい好奇心が半分。

でたどり着いた。

なるほど、海の中道を辿り辿って行き突く先なのね。

潮見公園は、志賀島の中央部の山頂にある公園。
眼下には海の中道、遠くにアイランドシティのコンテナや百道、マリノアシティ福岡などの夜景。
間近に飛行機も見える。

夕日のながめもよいそうだが、方角的には、島の東側なので、日の出を見に行くのもよいのかもしれない。
夜景きれいで福岡のデートスポットのひとつとしてメジャーなところ。夜訪れたときもカップルらしき人たちがちらほらいた。

→潮見公園(walkerplus.com)

◆万葉歌碑歌
志賀の浦に
漁する海人
明けければ
浦み漕ぐらし
かじの音をきこゆ

志賀島には、国民休暇村も国民宿舎もどちらもあるんですね。

博多ポートタワー 

April 12 [Thu], 2007, 22:34
博多ポートタワーは、1964年に立てられた展望タワー。

タワー全体の高さ約100メートルで、展望室の床面の地上からの高さが70メートルある。
展望室からは、玄界灘に浮かぶ島々や博多港を行き交う船などが見渡せる。
(結構高いと思うが、シーサイドももちにある福岡タワー(全高234m)からすると、
こじんまりとして、その鉄骨骨組剥き出しの無骨さはやや哀愁を感じ、逆にかわいらしく思える)

先日、たそがれ時にブラリと訪れたが、平日だったこともあり誰もいなかった。
明るい周囲がだんだんと暗くなり、やがて一面が夜景へと変貌していく様子は、ロマンチックである。

このタワーは開設当初、回転式だったそうである。
(展望フロアが回転し一箇所に佇むだけで360度の眺めが楽しめたようす)


参考(引用元): 博多ポートタワーTowerFantasia

三日月山 

April 11 [Wed], 2007, 22:03
三日月山へは立花山から縦走路(!)を20〜30分たどると着く。
お隣の山である。

標高差にして約100メートル立花山より低いが、三日月山山頂からの景色はほぼ360度のパノラマである。

こんもりした山々の間からは、長谷(ながたに)ダムにより出来上がった人造ダム湖である「三日月湖(みかづきのうみ)」の一部が顔をのぞかせる。
(注:地理や地形学で使われる用語の「三日月湖」とは異なる。)。

香椎や博多湾を見下ろす立花山からの眺めとはまた一味違ったパノラマの開放感が楽しめる。



昨年の秋に、訪れたときにはまずこの三日月山に先に登りその後、立花山を上った。
昼過ぎに出発し夕方に下山(げざん)。

地図に表記されていた「三日月温泉」をアテにしたが、リハビリ病院はあったものの、日帰温泉や立寄湯らしきものはない。

立花山 

April 10 [Tue], 2007, 22:03
立花山は福岡市街から玄界灘や宗像市街まで一望でき山頂からの見晴らしはバツグンである。
標高はわずか367mとこじんまりしているが、
南北朝時代の山城・立花城跡の石垣や、日本で最北限といわれるのクスノキの原生林もあり、

福岡市街からブラリと足を運ぶだけで、
お手軽なハイキングコースとして半日程度で十分に楽しめるだけでなく、
景色、自然、歴史に触れられる価値ある山だ。

山腹になんということはなさそうに普通に生えているクスノキが、
さりげないたたずまいながらも立派である。

麓にある天台宗開祖の寺と伝えられる独鈷寺には、最澄が唐から持ち帰ったとされる独鈷と鏡が祀られている。

西暦804年、最澄は遣唐使として唐に渡り翌年に帰国(当時40才)、そのとき古賀の浜に着いたのだそう。

そこで天台密教の霊力を用いて霊地を求め、唐より持参して帰った独鈷と鏡を空高く放り投げると、
その鏡は空に輝いて、独鈷とともに立花山の方へ飛び去ったのだという(伝承)。
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