昨日文藝春秋の今月号を買った。ちょっとまじめに読みたくなったんだ。
そう。かつて新聞の社説は重厚で読むに値する論であった。そして、その社説を読む時間もあった。今はその役割が文藝春秋に移ってしまった。社説を読む時間もなければ、日々読むだけのクオリティもない。もう、新聞というものは時代に追い越され、現実の出来事を一定のクオリティでまとめてくれる以上の存在価値はない。月数千円のお金に合わないのだ。
NY Timesがネットで儲かるようになったと言っている。あれはWorld Issueを扱えポテンシャルとして世界中から見てもらえる英語の新聞であり、世界のリーダーである米国の新聞だからネットでも生きていけるのかもしれない。でも、ポテンシャルとなるユーザ層が少ない日本で同じことができるとは・・・なかなか難しいだろう。勿論シルバー層のためのメディアとして生き残れるのかもしれないが。。。
そう。日本語でしか読み書きができないということは、情報を仕入れるコストも、情報を発信するコストも、とっても高くつくということになる。コストが払える人間以外は、一時的にお金がかかっても英語が話せるほうが一生涯に費やすコストで考えると、安価かもしれない。
僕はその時機を逸したから、もう日本語と片言の英語でなんとかするしかない。幸いにして片言では読み書きできるから、何とかなるとは思う。英語だけだと苦労はするだろうけど。Optimisticだから気にしないのだ。
随分横道に逸れてしまった。文藝春秋の話に戻そう。
トップテーマは、橋下徹さんの話題である。
そう、彼しか既に政治の世界でネタに出来る人間はいない。一般にインテリと言われている人達からの彼の評価は散々である。小田嶋隆さんとか、香山リカさんとか・・・枚挙にいとまがない(笑)
でも、そういうインテリが答えを出せない時代が現代なのも、また1つの事実である。
御厨貴さんや湯浅誠さんが明快な定義を与えてくれる。そう。この世の中は利害調整があまりに複雑で、時間がかかることをインテリは論理的にも直感でもわかっている。だから、答えを出せないのだ。そして、答えが出せないことを私達のような一般人はもう許容できないのだ。言い訳しかない、サボっている、とね。
面白い喩え話がある。部分最適と全体最適というものなんだが。なんでも公務員には海外赴任手当など、手当というものが固定給とは別に払われるらしい。1つ1つには理がある。でも、全体としてコストを下げるということになったときに、手当を切るか固定給を落とすかしかない。そこでは1つ1つの理は捨てなければならないことも多い。
そう。そういうことを決断するのは政治であり、インテリではないのだ。今の問題はインテリは部分を正確に理解するが故に、全体最適を行うことができない、もしくは出来るための時間があまりにかかりすぎる、というものなんだ。
小田嶋さんも香山さんも、結局時間がかかってもいいじゃないか、と言っている。そこに現われる機会損失は無視している。ビジネスの世界では時間が一番大事なファクターだが、インテリといわれる人達にはそこはわからない。
そう、官僚と呼ばれる人達もインテリなんだ。最強のインテリだろう。すべてがわかる立場にいて、何かを行うと何かを犠牲にすることがあまりにわかるから、竦んで動けなくなっているようにすら感じる。
竦んでしまっている理由は簡単さ。この国が下り坂だからだ。国富が減っていく中で、全員にベネフィットをまわすことは出来ない。多分、セーフティ・ネットなんてなくなるさ。発展途上国のように。
そう。下り坂のこの国をまわすためには、今まであったいろんな保障(フリンジ)を捨てていくしかないんだ。そうして身軽になるしかない。身軽になり、海外で稼ぐ。それしかない。それもできるだけ早く。
そういうことができる人間として、橋下さんに僕は期待している。そう。それは明るい未来ではない。もう一度一旦持っていた福祉に暖かい(決して今でも十分だとは思えないけど)国という重い外套を外し、素っ裸になって野蛮人のように走り出すこと。先進国というこだわりを捨て去ってしまうこと。
それがこの国に求められているように僕には思える。