難聴改善プログラムで自宅で簡単に難聴を改善する!

May 01 [Fri], 2009, 0:56




難聴を改善しストレスのない幸せな人生を送り始めるあなたへ・・・

こんにちは。難聴改善プログラムコーチ兼、保険のトップセールスレディーをしております南輪明希と申します。

     突然ですがあなたは今、家族の声が聞き取れず大きなストレスを抱えていますか?

     もしくはテレビの音が大きくなってしまったり、電話の声が聞きとりにくくなり悩んでいますか?


多分“難聴”に悩んでいるあなたは、今までに一度くらいは難聴を改善しようと試みた経験があると思います。

でも多くの場合、間違った改善方法を実施したり、また高額な補聴器を買い、耳鳴りや偏頭痛に悩まされているというのが現状だと思うのです。

私自身も昔はあなたと全く同じ状況だったのでこのことは胸が痛むほど本当によく解るのです。

ですがもしここに、

1日たった9分の簡単なトレーニングを自宅で自分ひとりで行い、わずか28日で大幅に改善した難聴改善プログラムがあるとしたら、あなたも試してみたいと思いませんか?


それも

重度の難聴だった私自身が実際に克服し、保険のセールスレディーとしてお客様と「耳を主に使う仕事」をしながら22年間トップを維持し続ける事ができたとしたら、

あなたも試してみたいと思いませんか?

今からこの手紙を通して、あなたに私の人生を救った難聴改善プログラムのすべてをお話させていただきます。

私の人生を救ってくれたこの難聴改善プログラムが、難聴に悩む一人でも多くの方に活用していただき、幸せな人生を歩み始めてくれれば、私にとってそれ以上の幸せはありません。

早速、あなたに難聴改善プログラムのお話をしていきたいのですがその話をする前に、まずは私が難聴を克服するまでに至った経緯を少しだけあなたにお話させていただければと思います。







正直に言えば、私の幼い頃のお話はあまりしたくはありませんでした。

それは片方の耳が全く聞こえず、もう片方の耳も難聴だった私の幼少時代が、「辛かったか」「辛くなかったか」と言ったら、やはり「辛かった」という記憶が鮮明に残っているからです。

それを思い出すということ自体が私自身、辛い気持ちになってしまうため、本当ならもう二度と思いだしたくはなかったのですが、私の辛い過去をあなたにお話することで、過去の難聴に悩む私と同じ体験をしている現在のあなたが、少しでも勇気付けられればと思い、今回辛い気持ちを我慢して書く決意をしました。

それではお話していきますね。
私は昭和21年、2人姉妹の長女として生まれました。
生後はいつも泣いてばかりいるとっても甘えん坊だったと母親は言っていました。

しかしそんな私の人生を変える出来事が生後わずか10ヶ月目に訪れてしまいました。

それが“はしか”です。

生後10ヶ月目の小さな体に“はしか”が内攻し、高熱が治まらなくなってしまったのです。
私の両親はなんとか助けたいと、終戦後の物のまったく無い時にも関わらず、高額なペニシリンを医者にお願いし打ってもらったのです。

それでも医者からは、
「これで治まらなければ諦めてください」と言われたのです。

実際には1本のペニシリンでは全く治まりませんでした。

20日間以上も高熱は続き、それでも両親は諦めず何度もペニシリンを打ってくれました。

「死ぬな!明希!」

両親は寝ずに私の側からずっと離れなかったと聞きました。
そんな両親の必死の気持ちが伝わったのか、私は重度のはしかから奇跡的に命を救われたのです。

医者からは「奇跡だ」と言われたそうです。

この両親の絶対に助ける、絶対に諦めないという強い意志により、私「南輪明希」は命を助けられました。

しかし、命は助けられた私ですが、“はしか”は私の大切なものを奪いさってしまいました。
それは、私の左耳の聴力を奪いかけ、右耳の聴力のすべてを奪ってしまったのです・・・







私は小学校の入学式の時、担任の先生から信じられないような侮辱的な言葉を言われました。

それは・・・

「この子は知恵遅れなのでは?」

と本人の私を目の前に、私の母へ言うのです。

どうも母とのやりとりを詳しく聞いていると、先生が私を呼んでいるのに返事をしないと言うのです。
私はひねくれた性格でも無かったですし、こうして先生と母との会話もきちんと聞けています。

「私は返事をしなかった事なんて一度も無いです」とそのとき訴えても、相手は大人です。子供の私の話なんて誰も信じようとしませんでした。

そして私は大阪大学病院で検査を受けることになったのです。
すると驚くような検査結果が出てしまったのです。

まず右耳の神経が完全に壊れ、まったく聞こえない状態だと言われました。そして左耳は聴力が極端に弱まっていると言われました。
私は生まれて間もなくこの状態になっていたので、これが“普通”だと思っていたのですが、両親の反応はとても深刻なものとなっていました。

両親はこの事を学校へ伝えると、教室の席はいつも一番前にしてもらえるようになりました。
それでも一生懸命聞かなければ聞こえない、そんな毎日を過ごしていました。

そんな耳が極端に悪い私にとって、とても感動する授業がありました。

それは「音楽」です。

多分あなたは意外に思うかもしれませんが、一年生の音楽の授業でベートーベンの「運命」を聞いたとき、私は本当に心から感動したんです。

小さな心に大きな勇気をもらったような気がしました。







ベートーベンは私のあこがれでした。
耳が悪くてもこんなに人を感動させる事ができるのだと、強く心を打たれました。

ベートーベンは20代後半頃から持病の難聴が徐々に悪化し、1802年(当時32歳)の時、自殺を考えたのですが『ハイリゲンシュタットの遺書』を書くことによって強い精神力で苦悩に打勝ち、生きる気持ちを新しい作曲への道へと突き進んでいきました。

1802年6月29日付けで、ベートーベンがヴェーゲラーにあてた手紙には、

「話し相手が小声で話すと、ほとんど聞こえないことがよくあります。音はたしかに聞こえるのですが、言葉としては聞こえないのです。それでいて誰かが大声でしゃべるやいなや、僕には耐えられなくなってしまいます。」

と書かれていたそうです。本当にその通りですよね。

私は当時、小声で話している声はまったく聞き取ることができませんでした。
ましてや通常の声でも私の右側で話しているときにはまったく聞こえませんでした。

でも、逆に誰かが大声が話している声を聞くことは、声が聞き取れない以上に私は耐えられませんでした。

そんな小学生の小さな心にベートーベンの勇気は、大きな力を与えてくれました。
この頃から私は前に向かって突き進む、負けない女になったのだと思います。

小学校の学年が上がる度に病弱だった私がとっても元気になり、耳も耳鼻科通いは欠かすことができませんでしたが、日常それほど苦痛を感じることがなくなりました。

しかし、







大阪の本町に日本で唯一の手術をする名医がいると父がその情報を聞き、早速私をその名医のいる病院へ連れていってくれました。

行くと、凄く高齢な先生が出てきました。いや高齢なんてものじゃないかもしれません。
それは、病院の階段を上る際にも看護婦さんに手を貸してもらわなければ上れないのです。

私はそんな高齢な先生にとても大きな不安を抱えていましたが、噂では名医と言われ、高齢であるからこそ技術が優れていると思い込み、手術を受けることにしました。

結果、

ひどい手術でした・・・

手術後の夜は耳が張り裂けそうになるほど痛みを発し、泣きながら父の胸の中で眠れない夜を過ごしました。小学生の小さな心ながら、本当に自分は死ぬんだと思うほどでした。

それでも泣き疲れ、うたた寝をした私の枕は血で真っ赤に染まっていました。それは緊急で輸血をしなければいけないほどでした。

私の左耳は手術前よりも益々悪くなってしまいました。

通院でビル街の交通量の激しい道を通るのときに、大きなトラックに轢かれそうになったのは一度ではありません。

そんな生まれて初めて経験した手術でしたが、不思議と手術を悔やむことなく、生きていることに感謝をしていました。
両親にも、結果ひどい手術となってしまいましたが、あんなに一生懸命私の耳を思ってくれたこと、また苦しい家計ながらに手術をしてくれた事に心から「ありがとうございます」と思いながら、危険な通院を心あったかく通いました。







私は無事中学生にもなる事ができ、色々な耳鼻科に通うようになったのですが、ある日耳鼻科の先生がレントゲンを見て、
「これは蓄膿症です。今のうちに手術をしなければ、耳がさらに悪くなりますよ」

と言われ、すぐに手術をし、1ヶ月の入院生活を送りました。
退院後、何か変化はあったのかと言われれば特に何もなく、どれほど手術が必要であったのかは解りません。
後から聞いた話によれば、この先生は蓄膿症の手術が大好きな先生だったようです。
術後は切った鼻の下の部分が時々痛みます。

高校受験の夏休みでした。







「この手術を受けなければ耳が完全に聞こえなくなるかもしれません」

この言葉が本当に怖いという事です。

幼い頃から聞こえが悪い状態で生活する事には、さほど不自由を感じたことはないのですが、やはり「まったく聞こえなくなる」という言葉にはとても恐怖を感じるんです。

「音のある世界から無音の世界になる」

この事に、私の心は強く締め付けられました。

その為、手術をしなければ耳が聞こえなくなりますよと言われたら「よろしくお願いします」というしかないのです。

私は強く生きてきましたが、この「聞こえなくなる」という言葉にだけは“もろい”自分に気づきました。


そんな私も無事高校生となり、勉強も頑張り、バトミントン部にも入ったりと平凡な3年間を過ごすことができました。

そして3年生も終わりに近づき、私には就職活動が始まりました。

しかし、そんな就職活動も耳の悪い私にとっては辛い経験の一つとなりました。







私は耳が悪いという事で、まともに受入れてくれる会社が極端に少なかったのです。

それでも私は働かなければいけなかったので、学校が指定する会社へ面接試験を受けに行きました。

しかしそこでの面接はひどいものでした。

私以外の面接時間はとても長い事しているにも関わらず、私の面接時間はほんの数分。
面接官の方は、学校の手前しょうがなく面接をしてあげているといった雰囲気を全面に出していました。

それでも面接をしてくれるだけとてもありがたいと思い、一生懸命耳をこじらして面接官の質問内容を聞き、一生懸命に答えました。

しかし、不合格の通知を頂きました。

そこで落ち込んでいてもしょうがありません。
耳の悪い私が悪いんですから、他の仲間以上に私は頑張らなければいけないんです。

そして何度も面接を受けた結果、私は始めて耳の手術をした近くの紳士服製造販売会社へ就職させて頂けることになりました。

とても小さな会社でしたが、私は経理の仕入台帳を任させていただきました。

私の高校は普通科でしたので、簿記は全く解りませんでした。
それでも40歳台の女性の先輩に教えてもらいながら、もう必死に覚えました。3ヶ月が経った頃には一人で出来るようになっていました。

この女性は耳の悪い私に、とても優しく丁寧に教えてくれました。
しかしとても小さな会社でしたので残業が多く、日曜日の休みは頂けませんでした。

私としては日曜日に仕事をする事は決して苦ではなかったのですが、塩干魚小売店をしている両親に日曜日は店番を任されており、平日も一番忙しい17時から18時のお手伝いもできないため、辞めるように言われたのです。

父からは「お前は店番さえしてくれていればそれでいいから」と何度も言われたのですが、それでも私はやはりOLがしたいと、今度は自分自身で就職活動を始めました。
学校からは耳が悪いからダメだと言われた会社も、耳の事は黙って受けました。

そして就職活動を開始してから約1ヶ月後、今の私が働く生命保険会社に見事就職する事ができたのです。

勤務時間は9時15分から16時15分まで、片道30分の通勤時間、日曜日はお休みのため、父の店番まで出来てしまう最高の就職先となりました。

しかし、

また私にさらなる試練が襲い掛かってきました・・・







OLとなり、ご縁があり結婚もし、二人の子供にも恵まれ、とても幸せな人生を送っていました。
そんなある日、私に頭がきしむほどの偏頭痛が襲ってきたのです。

医者には「風邪でしょう」と軽く言われたのですが2歳と5歳になる子供のお世話もできないほどにひどい頭痛でした。
私は布団から起きれず数日寝たきりの状態だったのですが、そんな枕元で主人と姑の会話が聞こえました。


「私は子供の世話なんてできないわよ」「俺だってできないよ」

物凄いショックでした。

姑が帰った後、私はすぐに実家の母に電話をし、子供の世話を頼みました。
出来る限り母には心配をかけたくなかったので黙っていたのですが、この時私自身限界を感じ、電話をしてしまいました。

母は飛んできてくれて、子供のお世話からすべてをしてくれました。
今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

私はそれからもしばらく寝たきりは続いたのですが、私の偏頭痛は私から「音」を完全に奪ってしまったのです。

そうです。今まで難聴ながら聞こえていた左耳の音まで奪ってしまったのです。
耳が聞こえない。一番怖れていたことが現実となってしまったのです。

先生からは「左耳の鼓膜が破れている。もうどうしようもない。」と紙に書かれました。

この瞬間が私の人生の中で一番にして最大のショックでした。

しかし、そんな私に小さな光が差す出来事があったのです。
それはたまたま担当の先生がお休みのときに、労災病院から来てくれた先生が私を見てくれたのです。

するとその先生は、「1ヶ月間入院してください。私が治してあげますよ。必ず治ります。」と書いてくれたのです。

私はその言葉を信じて、この先生に託すことにしました。

手術は局部麻酔で、先生と会話をしながら、鼓膜の破れたところを修繕するという手術でした。本当にかすかにですが音は聞こえていたので、その音を頼りに手術は進んでいきました。

手術が終わり、入院して1週間ぐらいしたときに、私から完全に音が消えてしまいました。

暗い暗ーい海の底にいる感じです。
涙が止まりませんでした。

しかし先生は、

「手術は成功したから大丈夫、心配しなくてもいいよ。今は一時的に鼓膜の振動が悪いだけだから。」

と、紙に書いてくれました。


そして1ヵ月後の退院するときには難聴ではありますが、しっかりと音が聞こえるようになっていたのです。







手術が成功し、私の耳は再び音を取り戻すことができました。

しかしあくまでも「聞こえるようになった」というだけで、まだ人の話を満足に聞けるという状況ではありませんでした。

そんな私に、耳を治してくれた主治医は、あるアドバイスをしてくれたのです。

その主治医は過去にも私のように一度耳が聞こえなくなった人を手術で治し、さらに通常の会話が満足に聞こえるくらい回復させた経験があると言うのです。

その方法を一つ一つ丁寧に私に教えてくれました。

話す内容一つ一つがどれも私に衝撃と期待を与えたのです。


私はこの先生のいう方法を信じてみることにしました。

私に音を再び取り戻してくれた先生の言う事です。
私はそれを信じて、そのトレーニングを素直に実行することにしたのです。

驚いたのが、このトレーニングというのは本当に簡単なものばかりだったのです。







そうです。1日たった9分なのです。

今まで失敗した手術を2度も経験し、生まれてきたときからずっと苦しめられてきた私にとっては衝撃的でした。


正直に言えば、

「ほんとにこんなことで、今まで苦しめられてきた難聴が治るの?」

と、半信半疑だったことは正直に言っておきます。
しかし私は、私に音を再び聞かせてくれた先生が言ったことであることと、またその方法が、過去にも難聴を改善させた事があるということから、私は素直に実行したのです。

1日9分ほどなので、ダメもとでやってみようという気持ちもあったのかもしれません。

しかしプログラムを開始して2週間くらいが経った頃でしょうか。

私に直接向けられて話している言葉であれば、はっきりとその声が聞こえてくるようになったのです。


それが28日目、たまたま病院に行く日で聴力の検査をしたのです。

すると、私の左耳は「43bd」までに聴力が回復していたのです。

この結果には私はもちろんのこと、先生もとても驚いていました。

それからというもの、私はこのトレーニングを毎日かかさず行い、私の聴力は日に日に回復していったのです。

そして・・・







一度、耳が全く聞こえなくなった人間が保険のセールスレディーをしているなんていうのは、もしかしたら誰も信じないかもしれませんね。

それも22年間、トップセールスを維持していると言ったら尚更かもしれません。


私はもちろん補聴器は使用していませんが、やはり右耳だけは今までで一度も音を聞いたことがありません。これは一生治らないことだと私も解っています。

しかし左耳は補聴器無しで、しっかりと相手の話を聞けるまでに回復することができました。

私はその左耳を精一杯使い、本当に数多くのお客様と会話を楽しみ、そしてビジネスを楽しんできました。

多分多くのお客様は私が以前難聴だったなんてまったく思わないでしょう。

それも一度はまったく聞こえなくなったと言ったら、誰も信じないと思います。


でも、私のやったことと言えば、1日たった9分の簡単なトレーニングだけ。
後は何もやっていないのです。それにも関わらず今ではストレス無く、人の話をきちんと聞けるようになったのです。

つまり・・・







通常、難聴となると、高額な補聴器を付けなければいけないというイメージが強いと思います。

自分を苦しめている難聴ですから、そう易々と改善はできないと思うのが普通ですよね。

しかしよく考えてみてください。

高額な補聴器を付けたところで、難聴自体は改善することはまずありえません。
むしろ難聴は悪化していく一方です。


本当に不思議に思うのは、視力を改善させようと思い色々なものを試す人は多いのですが、難聴を改善させようと思う人は本当に少ないのです。

その理由は明らかです。

「難聴は絶対に改善できない」

という間違った思い込みが世の中では常識となっているからです。



最近聞いた話なのですが、世の中の「成功者」と呼ばれる世の中の1%の方達は、その他99%の方達が共有している“成功法則”と呼ばれる情報とは全く違う情報を共有しているということを聞きました。

確かにその他の99%の方達が共有している成功法則が“正しい”のであれば、世の中全ての人が「成功者」になってしまいますよね。

ですが現実には全体の1%の方達が成功者と呼ばれているのです。

つまり成功者と呼ばれる1%の人たちの間には、一般の成功法則とはまったく違う情報が共有されているということだと思いませんか?

私はこの話を聞いた瞬間、

「あっ、これって私の難聴改善プログラムと一緒だ」

って思ったんですね。

一般的に難聴は「高額な補聴器を付けなければ聞こえない」というイメージがほとんどだと思うのです。これが99%の方達の考えです。

しかし私のプログラムは、
「自宅で簡単にできる」「自分ひとりでできる」「1日9分でできる」「高額なお金なんて必要ない」
という、一般のイメージとはまったく逆の方法なのです。

そしてどちらが効果があるのかと言えば、私の経験結果やこの方法を実際に実践した方達の結果から言えば、明らかに後者の私のプログラムを実践した方が効果が高いのです。

その証拠として、すでにこのプログラムを実践し、「難聴が治った!」という方々から山のようにうれしい声が届けられています。

ここで全部をご紹介したいのですが、あまりにも沢山の声がありますので、ここではそのほんの一部をご紹介させていただければと思います。



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