21さいカウントダウン 

2007年06月26日(火) 17時00分
十年前のあの日と
一年まえのあの日と
何が違ってなにが変わらないのかなんて
そんな事どうでもよくて ただこの瞬間
またひとつ、私の中で何かが死んでいくような
そんな感覚
何度も始まりが終わり
たくさんの結果や結末を通過しながら
まだ世界の神秘の半分も知らないくせに
すました顔で余裕のフリをして
だけど
すっとわからなかった事
いまだにわからない事
口を閉ざして、ずっと探っている
ただこの瞬間
またひとつ、私の中で何かが死んでいくような
そんな感覚
今と昔が交差して
また一歩、後ろへ前へ
どちらへ進むのか
少し立ち止まって眺めてみた外の景色は
意外と清く、澄んでいて
ああもしかしたら あのままでよかったのかもしれないなんて
思っちゃいけないのだけど
ただそんな瞬間
またひとつ、私の中で何かが死んだ

あの時わたしの目に映っていた
あの時私の中で眠っていた
果たしてまだ見ぬこの先に
今私の思うこの気持ちが
あるのかないのかわからない

進んでいくしかないこの道に
もう一回印をつけよう
戻れなくなったときに
きっと役立つはずだから

まったくわからないその先で
私がいつか感じるのは
今も昔も変わらない
なにかかけがえのないものなのか




旅最後の日記3(続きの続き) 

2007年01月31日(水) 17時48分
キムさんたちはその後ピザ屋に立ち寄りピザをおごってくれ、今度はサウナとマッサージに行かないか、と誘う。
なんだか飛行機に乗り遅れたおかげですごくエンジョイできてるんですけど。まーいいか。
そんなわけでやたらでっかいジムみたいな場所に連れてかれる。キムさんは自分たちがここのメンバーであるということを得意げに
話してくれた。
ジムにはプールやテニスコートもありなんていうかマッチョな金持ちっぽい人ばかりいた。
キムさんの奥さんとサウナはいったりジャグジーはいったりして最後にはマッサージまで体験。
いやー満足満足。にしてもリッチな生活してんなあ。

すっかりリラックスした私。
暗くなるころにキムさん宅に戻った。
彼らのマンションは小奇麗で広くでっかいテレビがあって最新のオーディオ機器も揃っている。
居間には息子夫婦の写真が飾られていて(上の息子さんの奥さんは吉川ひなの似)、キムさんは嬉しそうに、孫の写真を指差してまだ5ヶ月なんだと微笑む。
みんなテキサスから離れたところに住んでいて、一流企業で働いているという。写真の感じからしてエリートなんだろうな。
奥さんが夕飯をつくっている間キムさんがいろいろと話をしてくれた。
なにしろまじでカタコトなもんでほとんどわからなかったけどわかったのは、キムさんの亡くなったお母さんが日本人であったということ。
金さんたち夫婦は今から35年前に韓国で結婚し、渡米。もう15年近くダラス空港で働いているという。
キムさんのお母さんがどうやって韓国に渡りくらしていたのかも知りたかったが、これ以上込み入った話は英語じゃ無理だという。

私の心を打ったのはこういったキムさんの一言。
「韓国では今も日本を憎んでいる人達がたくさんいる。日本人も韓国人のことを嫌っていたりする。だけど僕の母親は
すごく立派な人だったから、僕は日本が大好きだ」

果たして、もし日本の道端で困っている韓国人がいたら、一体何人の人が優しく声をかけることができるだろうか。
隣国の、同じ顔をした韓国人。私たちを隔てるもの、それは言葉だけでなく、歴史上の問題とかもあるんだと思う。
そう思うとこの日の出来事は、私になにかのメッセージを与えてくれるようでもあった。
今までこんなこと考えたことなかったから。

私が本場キムチを食べたい、というリクエストを出したことから、出された夕飯は3種類のキムチ+豆の入ったご飯。魚のスープ。
むちゃくちゃ旨かった。キムチはどれも似たような味だったがすこしづつ違うんだという。
もっと食え、もっと食え、とどんどんよそる。
たらふく食べると私はなんだかもう眠くなってしまった。
一応皿洗いだけは手伝い、しばらくキムさんのビデオ鑑賞につきあうと、もうウトウトしてきてしまう。
奥さんが下の息子の部屋に案内してくれ、そこに布団を敷いてくれる。
奥さんに何度もサンキュー、サンキューといいながら、すぐ近くにある国でありがとう、をなんていうのかさえ知らない
自分に恥を感じた。
キムさんが、明日は早朝から仕事だからみんなで早くに空港にいくよ、と言いオヤスミと手を振る。


朝キムさんが起こしてくれて朝食後暗いうちにすぐに空港へ出発。途中で流れていたのは昨日のヘンな韓国音楽。
ダラス空港は朝から混んでいた。
駐車場に車を停めて、またキムさんが同じように荷物を運んでくれる。奥さんはこれから空港内のトイレ清掃。
キムさんのおかげで空港のチェックとかはスムーズに済んだ。自分の飛行機のゲート付近までキムさんがついてきてくれ、わたしにお菓子や飲み物、弁当まで手渡してくれる。
じゃあもう仕事があるからお別れだ、キムさんはそういうと私に手を差し伸べた。本当にどうもありがとう、とまたも涙目の私に、キムさんは握手をかわしながら、ダラスに来たときはいつでも来なさい。毎日ここで働いているんだから、と言った。
じゃあ、have a good trip!

そういって行ってしまったキムさんの背中はピンとしていて、すごくかっこよく見えた。

無事飛行機に乗り、成田までの長い道のりの間に、胸のうちにはやっぱりいろんな思いが溢れ出した。
わたしはこの一年いつもいろんな人に助けてもらいっぱなしだったな。よく考えてみると。
そして出会った人達すべてと、なにか不思議な縁で結ばれていたのだろう。

出会えたことに、そしてそのすべての人達に感謝。
単純だけど、そんな気持ちでいっぱいだった。


こうして2006年12月、旅は終わった。


そして思うけど最後のキムさんとの出会いは、ぶっちゃけいままでで一番エキサイトだったなw










































旅最後の日記2 (続き) 

2007年01月31日(水) 17時37分
さてさて最初にやってきたのが恰幅のいいおじさん。次にメキシコ人の女性もやってきた。
みんな空港で働いている人でとても優しい。
おじさんに限っては、こういうときはギヴアンドテイクだよ。
と言って私に50$札を手渡そうとまでしてくれた。
なんだかかなりの大事になってしまったみたいで申し訳ない気持ちになる。
いい人はいるもんだ・・・。
そんな感じでああだこうだ言っていたら、突然一人の男性が大声で、何か話しかけてきた。
モロ異国語。
またもや東洋人。風貌からしてどうやら韓国人のようだ。
さっきの東洋人女性と聞きなれない言葉で話している。

初老で、手首に蓮の花の刺青をしたそのおじさんは私をまじまじと見ると、ニカっと笑ってこういった。

うちに来なさい。わたしは昼過ぎまでここで働いているから、それまでロビーで待っているんだよ。
終わったら私の妻と一緒に迎えにくるから、ここに座って待ってなさい。
大丈夫、今日は泊めてやるから。明日の朝にはここまでつれてきてやるよ。

おじさんの超カタコト英語を聞き取るのに苦労したが、どうやら私は史上最高のラッキーガール
のようだ。
そこにいたみんなが、you are so lucky,といって笑った。
どうやらこの親切なおじさんは韓国人のキムさんといい、(いままでキムさん以外の名前をもった韓国人
に出会った事がない)奥さんと二人でこのダラス空港で働いているらしい。
キムさんはまだきょとん、とした状態でいる私を促すようにロビーまで案内してくれ、ノーハングリー?
と聞くと何も言わないのにジュースとバナナを買ってくれた。

いいかい、ここにいるんだよ。もう直ぐ終わるから。

そういってさっさと仕事に戻ってしまった。
事態は良いほうに向かっている。そこでまた、なぜか泣きそうになっている自分がいた。
ただでさえ感情的になってるのにこのハプニング。一年間で強くなったかと思ったらそうでも
ないようだ。
でもその時思ったのは、いつだって旅をしているとドラマがある。なにもかもがスムーズに
いかないから、頼っていけるもの、それはやっぱり運ってやつなんだろう。
そうか。私はラッキーなのだ。

しばらくするとキムさんが戻ってきて今度はコーラとオレンジを手渡してくれた。
早くあがったからもう行こう、と言う。
キムさんは私の荷物を運びながら、少しだけ日本語がわかる、といった。
「オカアチャン、コンニチワ」
それと、「ハイ、センセイ!」
昔はもっと話せたがもう知らん、といって大声で笑った。
キムさんの車はいかしたかんじのBMWであった。助手席に座っているのがどうやら奥さん。
軽く会釈をするとすぐ目をそらしてしまった。
キムさんはライド、ライドといって私を車におしこんだ。

旅最後のにっき。 

2007年01月31日(水) 17時28分
メキシコシティ六時AM。太陽の国メキシコでの最後の朝。
飛行機の窓から外をみるとあたりはすでに明るくなってきている。

メキシコ四ヶ月、パラグアイ約半年の滞在。一年はあっという間だった。

これから日が昇り、この国でまた繰り返される人々の日常の事を思う。
10バーロ、10バーロ!!チアンギースで、客を呼ぼうと必死になってる売り子の呼び声
街角のタコス屋さん。そこで働くおじさんの陽気な笑顔。そこから漂うトルティージャの香ばしい香り。
バスの中で流れてるマリアッチのリズムとか
道端で寝そべっているぼろ雑巾みたいな犬
どこにでもある、メキシコの平凡な風景。
新しい人々と、そこに存在する異文化。
たくさんの出会いがあった。

あと十分で離陸・・・・なんとなーく切ない気持ちになりながら、MANUCHAOのvienvenidos a tijuana
を口ずさむ。
もうこの曲が頭の中で鳴りっぱなし。2006年のマイテーマみたくなってる。
まー今はアディオス、メキシコ。
なわけなんだが。
ますます悲しい。

そんな感じでいろんな思いをぐるぐる抱きながら涙目になっていると、突然機内アナウンス。

どうやら酷い霧のため飛行機が2時間遅れるそうだ。

っておいおい二時間てw 冗談とちゃうか!!!!!!

思わず冷や汗。航空会社のお姉さんが笑顔で言ってた一言、
テキサスでの乗り換えには2時間ありますがいったん荷物を降ろしたとしても余裕ですよ。

・・・・完全アウトじゃないですか。
周りの人を見てみるといたって冷静。何人か同じ機内に日本人観光客を見つけたが、
アナウンス内容もわかってない様子。
隣の席のアメリカ人に聞いてみると、こんな事はしょちゅうあるとの事。
万が一乗り遅れたとしても今日中に違う便にのれるらしい。

まーいいや。なんとかなるだろ。
ここはラテンノリであんまり考えないことにしとこう。
シティからテキサスはダラスまで約二時間ちょっと。
疲れてたし寝てしまった。

さてさてあっという間について、とりあえず飛行機から降りると共にダッシュ。これがまた広いんだダラス空港って。
超走って走って誰よりも先に荷物引き上げ場所についてイライラしながら自分のトランクが出てくるのを待つ。
ウイーンガタン、ウイーンガタン。と他の人のトランクは次々と出てくるのだが一向に私のモンは
現れない。
そこで初めて自分の不運を悟る。
旅をしているとわかるのだが、うまくいくときといかない時はすべてが私の敵。
なにをやってもうまくいかないのだ。
あの日本人観光客でさえも自分の荷物をピックアップしてさっさと行ってしまう。
さーてやばいぞ。
何分たったかわからないがかなり最後の方になってやっとこさマイトランクをゲット。
それが重くて運びにくいのにまた自分を呪う。
走る。走ってアメリカンエアラインのカウンターにたどり着く。
私の前にいた日本人二人がちょうど走ってゲートに向かっていく所だった。
間に合ったーーーーーー!

・・・・と思ったところで言い捨てられた一言。

your flight is gone

・・・・泣!!!!!

おいおいまじっすか、と必死になって抗議。
しかもたったひとり私だけアウトなんだという。
私よりちょっと先にいた奴らみんなはいけたのに。
やっぱりテキサスだからジャップなんかは差別されてるのか。
それともこんなだらしない身なりなもんだからどっかの移民だとおもわれたのか。

次の成田行きは、明日の午後。今からかぞえて24時間以上ある。
横にいたスペイン語の話せるおばさんが60$でホテルをとってくれるという。
いやいや、ノーマネーですから。だいたい飛行機が遅れたのはわたしのせいじゃないし、航空会社側がホテル代くらい
だしてくれてもいいんじゃないか?!
とりあえず荷物全部ひっくりがえして有り金すべてをかき集める。
成田からのバス代3000円ほど。50ペソ札一枚。2000グアラニー札2枚。
これ私の全財産。40ドルにもならない。
不親切なアメリカンエアラインのおばさんは、いかにも欧米人らしく、おおげさに肩をすくめてみせ
こういった。
Im sorry for that
フガイないことに泣きそうになっている自分。
情けない。
どうしようっておもう気持ちよりも旅の終わりをこんな風に迎えているという結末に涙。
まるでこの先の運命を占われてるようだ。
もーいいです。と、空港で一夜を明かす決心でいたところ、一人の東洋人女性がカタコトの英語で声をかけてきた。
感じのいい人っぽい。
半泣き状態で事の一部始終を話すと(ほんとに、このとき英語が話せてよかったと思う。)
彼女は心配しないで、と言って私に微笑みかけ、誰かを呼んでくるから、といって行ってしまった。

少し冷静になる。おやおや思わぬ展開。どうやらなんとかなりそうだ。
(つづく)

未来は俺らの手の中 

2007年01月29日(月) 11時06分
何度もおわりを見たが
おわりよりも始まりに疑問を感じてる日々
どう思われのかだけが気になって
自分の価値さえ疑う

これが終りの始まりならば
少しは楽だったはずさ

今日も明日も未来も信じられない
相当遠くにおいてきてしまった野心というやつを取り戻すには
まだ時間がかかるのか

疲れた果てたのではなく尽し果てた

最初から運命が決まっているのなら
少しは楽だったはずさ

俺にはやることがある、と立ち上がった日々が懐かしい


いつからおわり始めてまたいつか何かが繰り返されるのかわかっていたなら
少しは楽だったはずさ

適当が最終手段
全力投球するだけの勇気を売ってくれ

あの時感じた感動を
ただ闇の中の灯にして
迷いこんだふり
だけどまだ探してる
やめてしまうならまた始めればいい
そう思えるのなら
少しは楽だったはずさ

時の奴隷になるのは嫌だ
流されて辿りつけなくなってしまう前に

俺は小さな何かを変える
未来がもう見えてるのなら
きっと楽だったはずさ

そう未来

掴むのではなく守りたい。

私的「未来は俺らの手の中」









「世界は俺らの手の中」これはブルーハーツではなくてブルーハーブの曲のタイトルです。
本物の詩ではかなり衝撃を受けた。

こころ 

2007年01月15日(月) 23時06分
寂しいときやつらいとき、どうしても人にすがりたくなってしまう。
人の温もりや優しさに飢えているのだろうか。

それにしても、この国には愛がなさすぎる。

なんていうんだろう、ホントに冷たい。
南米帰りの私におそいかかる、凍るようなこの世界の酷い仕打ち。
ホカホカだったこころがあっという間に氷のようになった。
正直かなりのダメージを受けている。

立ち向かうつもりだった。
だけど厳しい。

パラグアイの人達を想う。
去年再会を果たした人々。そして去年新しく出会った人達。
なんていうかあれだ、ほんとあんまり向こうでは意識してなかったけど、
みんな優しかった。
彼らの優しさの中にあったのは、多分、そう。愛だ。今それをつくづく実感する。
でも優しさってどこから生まれてくるのだろう。
つくろうとしてもつくれないものだからな。
でもなんていうか彼らの、自然にしてる中にやさしさがあったな、と思う。
それはまるで湧き出てきて、しみこむもののようだ。
しみこんでゆき、刻まれる。
そのすべてが自然な心から生まれてくるんだろう。

心に余裕がなければ、優しさもうまれない。
多分この環境が悪いのだと思う。
自分にあった場所で、自分の好きな人たちと、楽しくいきてみたら
どんなに楽しいだろう。
南米の人達が非常に楽天的なのも、きっとみんなが楽しく生きる方法を知ってるからだとおもう。

今ここにいると、私には楽しい事を最後まで楽しく終わらせることさえできない。

やっぱり、環境は選ぶべきだと思う。このごろ。

合う、合わないって、やっぱりあるじゃない。

だから我慢だ!と思っていても、もういたたまれないのです。

楽しく生きたい。
今それができるかどうかわからないけど、まだ心の中には、あの太陽が照っている。
よかった。
でもその光が消えてしまわないうちに、やれることだけやろう。そう、でも楽しみながら。




リニューアルします 

2007年01月14日(日) 21時14分
帰ってきて一ヶ月になるんだな。

バイトも始めた。友達とも会っている。街にも出るし、電車にも乗る。
自転車で見慣れた道を通って、見慣れた景色を走る。
私はこの場所すべてをを知っている。
単純な言い方だけど、
帰ってきたのだ、という実感。帰ってきた、というより帰ってきてしまった。

前回と同じように、時の流れの違いを感じる。
そしていろんなことを思う。この気持ちは、初めてパラグアイへ行き、そして帰ってきたあのときと全く同じもの

ただ違うのは、一つ(いや二つか?)歳をとったということ。世間的には、私はもう子供じゃなくて、社会人っていう枠の中に入るらしい。

つーかなんだ社会人って。

帰ってきていきなり成人式がどうのとか、そんなんばっかりだからな。それってどうやら一大イベントらしい。しょうがない、行くか。
なんにもしていない人をニートと言うらしい。えっ私の事ですか?  バイトしないとやばいかな。。
と、帰ってきて早々振り回されている。
もー嫌なんですよ、私がどの部類にはいろうと、どういう地位にいようと、私は私なのだ!!!
でもほんとに、今まで意識してなかった事とかを気にするようになった。

人との差とか、位とか今までどうでもよかった。
でもさ、私たちはみんな同じ場所にいたのに、今じゃああっっと言う間に遠く天まで昇っていってしまったような人を眺めて、自分との格差をかんじたりしてる。


そうか、これが社会に入るって事なのかもな

でもなんだろう。社会っていうのは一つの枠。作られた枠でしかないのだ。


私たちは人間なのだ。所詮人間。
本当はひとの上下も、善悪もないのではないか?



非常に複雑な中にいるから分別の仕方も細かくなる。
小さな国の、こんなに小さな枠の中でお互いの小さな違いを気にしてるなんて。
そんなんめんどくさいじゃん。
だったらやっぱり、一人一人が社会を創っていくしかない。

そのベースになるのって、そうだ、私は私だ。そう思って生きていく心なんじゃないか?

これからどのくらいここにいるのかわからない。
帰ってきてしまったからにはやる事はやらなくては。
筆ブショウ気味ですが、ちょくちょく書きます・・・。




mas que palabras... 

2006年03月21日(火) 7時11分
A veces me desprendo como hojas….
Hojas de un árbol secreto, uno de esos que viven en el bosque…
En un bosque hecho de palabras…
Palabras que son como hojas…
De esas que no sales de la raíz, ni del tronco de mi árbol…
Caen de las ramas de mi vida…
De imágenes mentales, de cosas abstractas…
Pero a veces…
Cuando uso mi voz…
Y un sonido que parece como de viento, como de silencio, como de grito…
A veces cuando la voz de la raíz, de mi alma….
Algunas veces mi silencio se une a la voz del todo…
Y el oído se vuelve inútil…
Y las palabras de la mente,… callan!!!
A veces le digo a mi amada que le amo con locura…
Que mis las palabras son absurdas,…
Y que no hay en ellas…
Espacio alguno para expresar todo lo que somos…
De lo que es el todo, el pasado, el presente y el futuro,….
Absurdo es todo esto…
El árbol de vida, sabio y de apariencia silenciosa…
Se convierte en el grito más tenue de mi vida.
Y de esta historia escrita… donde mis labios no se abren…Ahí mueren las verdaderas voces de mi ser….



N.Josuè Villalobos Ruiz

宇宙のさきっぽ 

2006年01月26日(木) 12時47分
人は宇宙
この世に存在する全ての人がそれぞれ違った宇宙を持ってると考えてみる
なんて神秘的なんだろう。永遠に広く、無限の可能性を持っている。

誰も予想できない、隣にいるあなたの宇宙 
私は少しでもそれを覗いてみたくて、あなたに触れようとしているんだ

宇宙を作るのはたくさんの星、たくさんの愛を含み、うまれてくる星達
星は人を作る成分、私達は体内でそれを育みながら生きている。
人はいつだってお互いにその星を共有しようとしている。
お互いに与え合う事、そこから愛が生まれるからだ。

私はあなたから少しでも多くの星を得ようとして、時々与える事を忘れてしまう。

こんなに近くにいるのに、決してその全てを把握する事はできない
知っているはずだ
私は、わたし あなたは、あなた
同じにはなれない。たとえどんなに多くの星を共有したとしても。

だけどその深い宇宙の中にも、何かつながる物があるんじゃないかと
私達はいつだってそれを探し続けていく
人を愛するために

奪う事、そして与えること。どちらもあまり変わりないのではないかと思った
自分を輝かせるためにだれかの宇宙を汚してはいけない
そして造り変えてもいけない
利益のために侵略してはいけない


全ての宇宙は、みな同じように美しくかけがえのない、大切な財産になると
生まれてきたその瞬間から約束されている
たとえどんな環境でどんな思想を持って広がっていったとしても

宇宙がまだ命を授かるずっと昔、闇の中で種になろうとしていたあの頃から
その魂ひとつひとつがみな平等に愛されると
すべてを創った神さまが、おっしゃったにちがいない。


今きみと知り合い、私はまた、君という宇宙の果てしなさを知った












 



一年前、バスの中 

2005年12月29日(木) 20時41分
私達は歩いている。
どこまでもまっすぐに続く石畳の道。誰もいない。一匹の毛の抜けた野良犬だけが私達の後をついてくる。
ときおり吹く乾いた風に赤土が舞う。頭上にあるぎらぎらの太陽はオレンジ色。
バスストップまではまだ遠い。汗を拭いながら、日影を選んで歩き続ける。
12月のおわり。夏はとっくに始まっている。
私にとってこの暑さは、苦ではない。

KOKEは相変わらず黒づくめ、それも厚手のパーカーなんて着てる。彼は絶対に外に肌をさらさない。
パラグアイの太陽は毒だ、なんて言う。KOKEはパラグアイ人じゃないみたいに真っ白な少年だ。小さくて、痩せている。
一見病弱そうな、15歳の少年。彼は私の親友。
イパカライ行きのバスが停まる大通りまで来ると私達は注意深く道路を横断し、バスが来るのをひたすら待つ。
KOKEとイパカライまでのちょっとしたトリップをするのはこれで何度目だろうか。バスに乗るのはちょっとしたエキサイティング。
パラグアイのバスに乗ってみると、そのバスドライバーのセンスやらなんやらがわかってしまう。
例えば大抵のバスが、音楽をかけて走っている。車内に好きなサッカーチームのステッカーやら旗を貼り付けてる運転手もいれば、パラグアイの国旗をばっちりかかげてる愛国心溢れる運転手もいたり。ほんと一台一台が個性的なのだ。
水色のバスが見えてきた。KOKEがバスを停める。(パラグアイでバスに乗るときは、ヒッチハイクする時みたいに、バスにむかって合図するのだ。そうしないと停まってくれない。)運転手にお金を渡し、乗り込む。イパカライ行きのバスは昔のスクールバスみたいな形をしていて、小さい。車内の床は木でできてて、アンティークな感じ。そんなところも魅力的だ。
エンジンのごごごーっていう大げさなほどでかい音。馬鹿みたいに揺れる車内。そんなバスの窓から外を眺めるが、私は大好きだ。
KOKEはすごくおしゃべりで、イパカライまでのドライブ中もずっと喋ってる。
バスが停まるたび乗り込んでくる物売りを観察するのも楽しい。彼らは、おじさんだったり、おばさんだったり、時には小さな男の子だったり様々だ。
売ってるものもいろいろ。ガムやジュースが一般的。他にはアイスクリームやバナナにリンゴ、砂糖、ケーキ。時々、帽子や靴下、サッカーボールなんかも売りにきたりする。

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