串本という街 (馬坂園地から)
2012年02月25日(土) 2時15分
「馬坂園地」は、串本街区から潮岬台地に至る長い坂道の途中にある
遊具などもなく、現在は、車を止めて串本の街を一望できる広場になっているが、昔からここは「馬坂 園地」と呼ばれている
ここから見れば、串本は半島の先端部と嘗ては島であった潮岬台地とが砂州でつながることによって出来た砂上楼閣のような街であることが容易に理解できる
串本節にある「わたしゃ串本両浜そだち、色の黒いはごめんなあれ」という歌詞の「両浜」とは、街の両側、東側にも西側にも海があり、浜があることからなのだが、それは東の海から上る太陽と西の海に沈む太陽のどちらも、この街では見られるということでもある
しかしそれは、東北大震災クラスの大津波が、この街を襲えば、甚大な被害をもたらすということでもある
津波に対する備えはどれだけしてもしすぎるということは無い地域である
けれどこの地は笠島遺跡などで知られるように、太古から人が住み、定着してきた地域である
海をなりわいの糧とし、海とともに生涯を終える海士部が住み続けて来た地でもある
海から昇る朝日と、海に沈む夕日の見られるこの街が世々続き栄えるよう、地元住民の防災意識の啓発と共に、この街がどんな自然の猛威にも耐えられるよう、関係官庁、行政機関は防災に対する備えを、喫緊の課題として、取り組んで欲しい




遊具などもなく、現在は、車を止めて串本の街を一望できる広場になっているが、昔からここは「馬坂 園地」と呼ばれている
ここから見れば、串本は半島の先端部と嘗ては島であった潮岬台地とが砂州でつながることによって出来た砂上楼閣のような街であることが容易に理解できる
串本節にある「わたしゃ串本両浜そだち、色の黒いはごめんなあれ」という歌詞の「両浜」とは、街の両側、東側にも西側にも海があり、浜があることからなのだが、それは東の海から上る太陽と西の海に沈む太陽のどちらも、この街では見られるということでもある
しかしそれは、東北大震災クラスの大津波が、この街を襲えば、甚大な被害をもたらすということでもある
津波に対する備えはどれだけしてもしすぎるということは無い地域である
けれどこの地は笠島遺跡などで知られるように、太古から人が住み、定着してきた地域である
海をなりわいの糧とし、海とともに生涯を終える海士部が住み続けて来た地でもある
海から昇る朝日と、海に沈む夕日の見られるこの街が世々続き栄えるよう、地元住民の防災意識の啓発と共に、この街がどんな自然の猛威にも耐えられるよう、関係官庁、行政機関は防災に対する備えを、喫緊の課題として、取り組んで欲しい































































