和歌浦散策(7) 浪早崎

2012年04月25日(水) 5時59分
 4月21日、私としては珍しく、早朝9時台に和歌浦の浪早崎まで遊歩道を歩いてみた

 浪早崎へは40年くらい前、二十歳台の頃、一度だけ来たことがあるのだが、そのころは遊歩道などは無くて、崖の突端まで視界も開けていなかった

 ここははいり口付近に路線バスのバス停もあるのだが、主要道路から外れているし、岬近くにあった宿泊施設もたいてい廃業し、建物すら無くなってしまったものも多く、今では和歌浦に訪れた人も、地元の人たちも、ほとんど足を向けることもないようだ
 
 はるか以前は、バス停横の入り口の辺りに、小さな駐車場があり、清涼飲料水などを売る小屋のような店があった

 今駐車場入り口には鎖がかけられ、その店は、もう何十年も前から廃業してしまい、今日見ると、屋根も落ちて草むらの中でマヨヒガ状態になっていた

 中には50年ほど前によく使っていたマナスルというメーカー名の氷で冷やすブリキの冷蔵庫や、こんな場所にはたいてい残されている安価な湯飲み茶碗が例に漏れず、その冷蔵庫の中に数十個ほりっぱなしに残されていた

 コンクリートの階段や地道を歩いて御崎のほうにむかって行くと、輝く日の光に照らされた、見たことの無かった和歌浦の風景に出会えた

 遊歩道を案内の標識に沿って行くと、地元ではアセと言っている暖竹、うばめ樫、赤松などが道の周りを覆っていたが、時々視界が開ける場所があり、海縁に緑泥片岩の巨岩が見える自然海岸が残り、その向こうには、東洋のエーゲ海とも呼ばれる雑賀崎漁港の街並みや、雑賀崎の白灯台が見える

 岬の尾根の車では来ることができない細い道なので、今はウエブでもあまり詳細な画像もないようだが、出入り口まで往復30分ほどの、一人歩きも楽しい清々しい道だった 



















































 

和歌浦散策(6) 「カルパの月」

2012年02月13日(月) 23時02分
 今日あしべ通り沿い、玉津島神社近く、和歌浦中3丁目のハートブルーユニオンという複合店舗内にある「カルパの月」というカフェテラスにたまたま入った

 店内は、曼陀羅や、ヒンズー教の神の絵や像、シュールな感じのイラストなどがあり、雑多なギャラリー風だった

 野菜ソムリエの女性シェフに聞くと、食事は味付けまで、完全菜食とのこと

 今日のランチは、大豆のハンバーグとソイミート、玄米ご飯に玄米パン等々

 オール菜食だけど、味が濃いめでおいしかった

 健康志向の店のランチタイムなのに、入るなり「タバコ吸われますか」と聞かれたのと、ランチを出したあと、店内奥で彼女も食事している様子だったのが、とてもファミリーな感じがした
 








和歌浦散策(5) 妹背山養珠寺

2012年01月09日(月) 7時31分
  和歌山市和歌浦中の津屋地区にある養珠寺は正保4年(1647)紀州藩祖徳川頼宣が寺庵を建立し、京都鳴滝より、中正院日護を招き、住持させた事に始まる。

 日護は日蓮宗の信仰篤い養珠院(徳川家康の側室お万の方・紀州徳川家の藩祖、徳川頼宣の生母)の晩年の指導者で、ここに住まいしながら、妹背山を開き、徳川家康の冥福を祈ると共に、国内の滅悪生善、抜苦与楽を発願して題目石を藏する事業を指導した

  お万の方養珠院は文禄二年(1593)十七歳の頃より徳川家康に仕え、その美しい容姿と誠実な人がらから、晩年の家康に最も寵愛された女性と言われ、御三家のうちの二家、紀伊徳川家、水戸徳川家、の初代藩主の母であると共に、後の水戸光圀公の祖母、八代将軍吉宗公の曾祖母にあたる

 お万の方は、家康の亡くなった元和二年(1616)年、40歳の若さで剃髪し養珠院と号した

 承応2年(1653)に養珠婦人が七十七歳で逝去すると、藩主頼宣は、同承応3年、(1654)和歌浦の日護の寺庵に宝塔堂舎を建立し、母の院号から、妹背山養珠寺と号し200石を寄進、養珠婦人の遺骨を分収、位牌を安置して堂内に御霊屋を造営し菩提所とした

 また境内南西の現妙見山山上に、万治3年(1660)北辰大菩薩を祀る妙見堂を創建する

 この山上から養珠院の菩提を弔うために頼宣公により建てられた和歌浦湾内の小島、妹背山に建つ海禅院多宝塔は指呼の間である 

 南龍公と呼ばれ勇猛で名を馳せた紀州藩祖徳川頼宣の実母である養珠院は、日蓮宗に帰依した信仰篤い慎ましい女性という側面ばかりでは無かった

 養珠院は育ての親である義父の蔭山氏広等、蔭山家が代々信じていた日蓮宗の、日遠上人に帰依したが、家康は旗印に南無阿弥陀仏の六字名号を掲げるほどの浄土宗信者であり、日蓮宗側の論者を家臣に襲わせたりしており、不法な家康に抗議して日遠上人が身延山法主を辞し、家康が禁止していた浄土宗との宗教論争を上申した

 これに激怒した家康は、日遠を駿府の阿倍川原で磔に処そうとしたため、お万の方は日遠の助命嘆願するも家康は聞き入れなかったことから、「師の日遠が死ぬときは自らも死出の旅につく」と、日遠と自分の死装束を縫ってその決意を示し、これには家康も驚きあきれて日遠を放免した

 いわゆる信教の自由を命を賭して貫いたお万の勇気は当時朝廷でも話題となり、後陽成天皇も万の行動に感激し天皇が自ら「南無妙法蓮華経」と書いた御物を賜ったと言われる

 寛永十七年(1640)年には、それまで女人禁制であった見延の七面山に「女人成仏の法華経守護の七面天女の御山に、法華経を信ずる女人が登れぬはずはない」と、白糸の瀧で七日間の水垢離を取って、始めて女人として山頂をきわめ、七面山女人踏み分けの祖とされ、自ら納得できない不当と思われる女性差別に対しては果敢に因習を廃する行動を取っている

 また10歳の頃、小田原の陣では、実父上総勝浦城主正木左近大夫頼忠落城の際に、海に面した50m近い断崖絶壁に布を垂らして、それを伝って海上脱出に成功したのだという

 しかも弟や母を背負って、それは現代的に言えば15階位のマンションから布を伝って脱出するようなもの

 歴戦の強者である南龍公頼宣を生んだ母らしい強毅な彼女の一面を現す逸話だ  

 また養珠婦人は、関ヶ原で敗し、大阪夏の陣で破れた敵方、豊臣恩顧の多くの家臣たちの窮乏を察し、自分の資財を投じてその生活を支えたたとも伝わる

  承応二年(1653)三月二十八日、七十七歳の喜寿を親族一同で祝ったが、四月中旬頃から「オコリ」の気味で、体温の高下に悩まされる日々が続き、御典医の施薬治療で一時は小康を得ていたが、衰弱が加わり、ついに臨終の時を迎えられ、八月二一日江戸紀州邸にて七七歳にてその生涯を閉じられた

 藩祖頼宣の生母養珠婦人は、波瀾万丈の戦国の世から、家康以来徳川三百年の泰平の世を開くことに、少なからず貢献した、優しくもたくましい日本の大和撫子の一人だった



    養珠寺本堂



    養珠寺釈迦堂



    隣接する津屋公園 ここも嘗ては養珠寺境内だった



    同じく津屋公園内、



   頼宣公が養珠院の菩提を弔うために建てた海禅院多宝塔

和歌浦散策(4) 奥和歌浦

2011年11月26日(土) 23時44分
 今日、もう何ヶ月ぶりかに、晴天の午前中に和歌山市内に出た

 今年は暖冬の性か、和歌山城の楓は期待外れで、紅葉もせず葉が落ちて、銀杏も黄色に色づいてはいなかった

 でも今日は晴れていたので、海景色が見たくなり、いつものようにとりあえず和歌浦まで車で行ってみた

 風のない晴れた日に和歌浦に行けば、いつも当たりはずれなく南国の風光に出会える

 今日も萎えかけていた私の心を蘇生させてくれる、清々しい奥和歌浦の海景色が眼下に広がっていた


   「田の浦や雑賀の浦と超え行かば、光清しき青空と海」




 アロエ様の葉と雑賀崎漁港



 アロエの花と雑賀崎漁港



 既に廃業した旅館の青い屋根越しに雑賀崎漁港



 浪早崎辺り



 田ノ浦辺りから海を望む 
 

和歌浦散策(3)五百羅漢寺

2011年09月18日(日) 3時16分
 明和元年(1764年)に8代藩主重倫公により建立された、五百羅漢寺の山門の仁王さんは、仁王さんらしく、仕事がらいかつい、こわい表情はしているけれど、ほんとはどこか気の良い、やさしいおじさんのような、顔をしています 

 それによく見ると、おへその所も×ぽんと、めんどくさそうに線だけで彫られています

 堂内のおびただしい羅漢さんも、とても人間っぽい表情をした像が多いです

 ここの羅漢さんは、一体、一体、たいていは、徳川時代、西浜御殿のお女中さんたちが寄進したそうです 

 だから江戸時代中、後期の庶民的雰囲気が、なんとなく伝わってきます



和歌浦散策(2) 朝間邸

2011年07月07日(木) 1時23分
 朝間邸は、前記事の五百羅漢寺から国道42号線を約400メートル位和歌浦方面に南進した和歌浦口北交差南東角にあります

 私邸で、現住されているのであまり直近に近づくのははばかられますが、車で国道42号線を走っているとよく目立つ建物なので、和歌浦に向かう時は、いつも脇見してしまいます

 和歌浦明光通りに住まわれていた方が渡米して、財をなし、大正から昭和初期に帰国して6年かかりで普請されたとのこと

 敷地内に土蔵、洋館、日本建築が混在する、一風変わった私邸で最初見た頃は奇抜さがめだったのですが、見慣れてくるにつれ和洋の建物が落ち着いた不思議な調和保っていることに気づきます

 外観は洋館には那智黒石を、長い土塀には青石を主とした、小さな石が、精緻に埋め込まれています

 現在の所有者に至るまで、変遷があったそうですが、和歌浦入り口のランドマークのような昭和レトロの建物です











いかにして包み持ち行かむ

2011年02月26日(土) 23時47分
 玉津島 見れども飽かず いかにして 包み持ち行かむ 見ぬ人のため
                               作者未詳(万葉集巻七・一二二二)

 快晴の今朝、和歌浦に行き、そこから実家に帰った

 今日は、時間がなかったので妹背山に行き、海善院多宝塔を撮し、妹背山から鏡山を望み、次に鏡山から妹背山を撮し、その後、和歌山市内国道24号線嘉家作丁辺から実家に帰ったのだが、その道筋の桜並木で、なんともう一本の桜の木が満開になっていた

 玉津島 見れども飽かず いかにして 包み持ち行かむ

 「この歌の玉津島は、たぶん妹背山だろうな」と、鏡山の山頂から、その小さく愛らしく、丸みをおびた山容の妹背山を撮しながら、自分勝手にほぼ確信したのだが、その帰り道、この時期に咲く早咲きの桜の木にも「いかにして包み持ち行かむ、見ぬ人のため」といった万葉人と同じ感慨を持ち、思わず車を降りて、シャッターを切ったものだった



   妹背山、海善院多宝塔



   妹背山から見た鏡山



   鏡山から見た妹背山



   鏡山から見た和歌浦湾



   以下は24号線沿い嘉家丁辺りの早咲きの桜の木



祝 国指定名勝 和歌の浦

2010年11月28日(日) 0時31分




 「紀の万葉抄」表紙の裏絵に描かれた雑賀紀光氏の装画

 私がもっとも好きな雑賀紀光氏の風景画だが、現実に和歌浦の風景がこのように見える場所は無い

 遠近感を無視し、江戸期の諸国名所図絵等のように、和歌浦の名勝が、一望できるように描かれている

 この絵に最も近い風景を望めるのは、鏡山山頂あたりかと思うが、左上部に名草山、紀三井寺、右上部に藤代峠、名草の浜、浜の宮辺り、中程には妹背山、観海閣、海善院多宝塔、そこに渡る三段橋、手前には和歌浦の代表的な古橋梁不老橋が描かれている

 このブログでも、時々記事にしてきた和歌浦が今年8月5日正式に国の名勝として指定されました

 約3年ほど前の「和歌の浦三社」2006年12月08日の記事で、私は和歌浦について、

  「瀬戸内海国立公園の一部で、旧跡の多い和歌浦一帯は、昭和40年代頃までは、活況を呈していたが、今は観光旅館等の多くは取り壊されて、嘗ての賑わいは無い  ただ歴史を秘めた神社や仏閣が、今もひっそりとこの地のそこここに点在しており、地元の者には時の流れの中でも変わらぬ憩いの場であり、他所に誇らしい場所でもある」

 と書きましたが、世界遺産ほどでは無くとも、国の名勝に指定されたことは、地元の者にも誇らしいことであり、嘗てのように和歌山観光の一翼を担う地域として栄え、いつまでもこの景観を大切に守っていってほしいと願います



 不老橋



 奠供山から名草山、紀三井寺方向 



 奠供山から片男波、海南、下津方向



 三段橋から見た妹背山

雑賀崎の春

2010年04月20日(火) 2時25分
4月7日、雑賀崎付近の画像です

桜も少しのこってました











快晴、和歌の浦

2009年05月10日(日) 1時40分
 沖つ島 荒磯(ありそ)の玉藻 潮干(しおひ)満ちて 隠ろひゆかば 思ほえむかも

                                             山部赤人

 新和歌浦の遊歩道沿いに、神亀元年聖武帝の行幸に伴って和歌浦に来た赤人の万葉歌碑が建っている

 時代の流れの中で、旅館や、大きな観光施設は、ほとんど無くなってしまったが、、昨日午前中、昔の趣の残る快晴の和歌浦風景をとっておいた 









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