authorはがちゃぴんです! 

2005年10月21日(金) 15時49分
さて、今日から航空保安検査業務について
ブログでいろいろコメントしていこうとおもいまする。

ただし、悪用される恐れもあることから、
基準に関すること、読んで容易に想像できることは
書きませんし、お答えもいたしかねまする。
ご協力をお願いいたします。

「はじめのはじめ」では堅苦しい事を書きました
でも、あういう記事もちゃんと取り上げて、
いろいろと「空の安全」について考えて、
がちゃぴんの仕事の悩みにもつきあって、
読む人は大変だなぁ。。。なんて

ではこれからもこのブログ、よろしくお願いしますね

はじめのはじめ 

2005年10月21日(金) 15時39分
はじめのはじめです。
よろしくね。

さて、最初はこんな新聞記事から。

2005年8/12 朝日新聞「天声人語」より

あれから20年、本当に、いろいろなことがありました。
520人が死亡した日航ジャンボ機墜落事故から、
今日で20年になる。
それを機に出版された遺族の文集『茜雲 総集編』
(本の泉社)で、美谷島邦子さんは、9歳だった息子の
健君に語りかけるように文を綴っている。

「今も、君のノートや鉛筆がここにあります。夏休みの
ヘチマの観察日記は、「8月11日つるがのび、
小さいつぼみがみえた」という事故の前日に書いた
文字で終わっています。
お父さんは、この文字をいまだに見たがりません」

弟夫婦とめいを亡くした池田富士子さんは、
文に短歌を添えた。〈あまりにも 早きに逝きし弟の 
歳をおりてはまた胸あつくす〉。
弟夫婦の遺児ふたりは大勢の人に支えられ成長し、
今は結婚してそれぞれ幸せに暮らしていますとあり、
末尾には生存者のひとり川上慶子さんの伯母
と記されている。

事故の翌日、生存者発見の報が本社に
届いた時のことは、今もなお記憶に新しい。
あわただしく夕刊の記事を書いていた記者たちの
間にも、言葉にならない感動が走った。
絶望的な色合いの濃かった紙面を取り換える。
直後に社会部から原稿を受け取った
入力担当部員も、涙をこらえながらキーボードを
打ったという。

二度と繰り返してはならない巨大事故だった。
遺族の会「8・12連絡会」の事務局長を務めてきた
美谷島さんは、文をこうしめくくっている。
「29年間、健ありがとう。・・・・これからも
君と一緒に空の安全の鐘を鳴らし続けていきたい
と願っています。」


この記事は東京に来て初めて買った
新聞のものでした。
確かにハイジャック防止業務とは違い、
これは事故であった。
しかし、空の安全を守る仕事にとって、
命を考える大事な教訓である。

これをこのブログにはじめに持ってきたのは、
これから先、安全を守る仕事に就く上で
大切にしていこうと思ったからです。

「安全」は神話ではなく、「ひとつずつの積み重ね」です☆
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