June 19 [Sun], 2005, 23:55
曇り
とうとうヤプログの不具合がひどくなってきたので、本日記を別ブログに移行しました。
新「無門日記」をよろしく。 ←←←
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九時過ぎまで寝ていた。いやな夢。
昼、外出。ひさしぶりに近所の国道の古本屋へ。昨日も街の古本屋で本を買っているので今日はひかえておこうと思いながら、前に来た時とあまり変りばえしない書棚の中から次の二冊を買ってしまった。
山本健吉編『葛西善蔵集』(新潮文庫)と、池田弥三郎の『わが幻の歌びとたち−折口信夫とその周辺』(角川選書)である。
すぐに近くのコーヒー店にいつものようにもぐりこみ、今買ってきた本を少し読む。特に葛西善蔵の年譜は入念に読んだ。
句を二十句ほど作ってから帰る。あまりぱっとしない。よその家の庭の藤の花などをのぞきこみながらブラブラと歩くにはちょうど良い陽気であった。
俤と庇の翳り穴子飯 秀彦
June 18 [Sat], 2005, 23:38
曇り
七月のシンポジウムの事前打ち合せに呼ばれる。実行委員として七人が集まったが、こんな人がいたんだと思うほど互いに知らない同士で奇妙な実行委員会であった。
その場で事務的なことを色々と決めたあとで、テーマの話になり、「今どき一人称ってのはどうなんでしょうね」という意見も出てきて、オヤ?と思った。俳句の一人称は既に議論されていて「非人称」ということで落ち着いているというようなことを言うのである。
ほら出た、とぼくは思いましたね。ここに俳句の問題があり、俳人の文学論の限界がある。俳人は写生派も前衛派もえてして脱「一人称」脱「主観」の傾向があり、それが「非人称」などというありもしない言葉を作り、なにかを片付けた気になっている。ぼくが俳句の私性をうるさく言うのはそういう傾向への反発からでもある。ひとことで言えば「バカコクデナイ!」なのだ。俳句が「私」を捨ててなにが文学だ、なにが俳句だ。捨てられると思っている人はなんと仕合せな人だろう。「私」ということのおそろしさ、言い換えれば「嘘」のおそろしさにまみれたことのない人なのかもしれない。
それにしても「非人称」などという言葉を持ち出す「現代俳句」などクソックラエだ。
帰り道に古本屋に寄る。円地文子の『妖・花食い姥』(講談社文芸文庫)と、ジャック・ケルアックの『地下街の人びと』(新潮文庫)を買う。
句ができず、やや苦しい日々。
崖墜つる揚羽よ夕日は近い 秀彦
June 17 [Fri], 2005, 23:58
快晴
蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな 虚子
澄みわたり遠くの山までくっきりと見える青天が続いている。
今日は、研修会、会議、懇親会と日程が混んでいてなんとも疲れた。それでもこれで一週間乗り切ったと思うとホッともしている。
『俳句研究』7月号を読んでいると、詩人建畠皙氏の「俳句とわたし−詩の発現」がとてもいい文章で感心した。
《あらゆる詩の可能性はすべて言葉の空間の中にあらかじめ宿っている。詩人は詩を書くことによって、その可能性の一つを”発見する”のであって、”創造する”のではない。》
《言い換えれば、無限の宇宙の中に言葉の摂理として宿っている詩の発現に手を貸すのが詩人という存在なのである。》
これはそのとおりだろう。石垣りんの「詩人は太鼓」という発言にも通ずるところがあり、俳句は特に十七音という、ある意味瞬間的な詩型ゆえなおのことだと思った。
灼けながら白はまなすのままでをり 秀彦
June 16 [Thu], 2005, 23:20
快晴
十日に倉橋由美子さんが亡くなっていた。
えっ、と驚いた。耳を疑った。69歳だったそうだ。早すぎる。ぼくの青春時代をリードしてくれていた人たちがつぎつぎと世を去ってゆく。人生の短さを思い知らされている。
仕事帰りに本屋に寄り、『新潮』7月号を買った。今月も車谷長吉の作品が載っていた。エッセー「慰みと必死」である。短いエッセーではあるが、車谷氏のいつもの持論が、折り重なるように詰め込まれている。
《人は「必死」になるのが恐いのである。自分の命と引き替えにしてもいい、とは思えないのである。だから面白半分、真面目半分に書くのである。「真面目一途」にはなれないのである。「真面目一途」「必死」になれば、小説のために「人生を棒に振る覚悟」が必要であり、時と場合によっては「命を落とす」こともあるのである。その覚悟がないところで、いくら俳句を作っても小説を書いても、駄目なのである。》
なんということだろう。ぼくが昨日の日記に書いたことは実に甘かったのだ。まさに匕首をつきつけられた気持だ。そうだ、確かに命を削るつもりがなければ何を書いてもむなしいのだ。
ところで車谷氏の血を吐くような文章の次のページに、あの辻○成さんのエッセイが載っている。この作家のファンには申し訳ないが、車谷氏にくらべこの人の言っていることは小説家として浅薄にすぎると思った。実に皮肉なことである。
大揚羽囮のごとくあらはれて 秀彦
June 15 [Wed], 2005, 23:16
晴れ
ブログもいろいろあって、たまたまヤプログを使ってしまったが、どうもトラブルや不具合が多いようだ。大文字の指定をするとエラーになるようになって数日がたっている。替えちゃおうかなとも思うが、ほかが使いやすいかどうかわからないので、ちょっと迷っている。誰かオススメのブログがあったら教えてくださいナ。
自分は神経質なのか大雑把なのか、いまだにわからずにいる。あれこれ気にするわりには詰めは大いに甘いし、他人が血相を変えるようなことにはほとんど無関心。反面、人がどうでもいいと思っているようなことに異常に敏感になったりもする。自分のことは自分が一番わからないものなのかもしれないが、いつも不安定な思いでいるのはこどものころからだったことはわかっている。とにかく可愛げのない子であった。小学生のころに画用紙に鉛筆でダリやマグリットの絵を一心不乱に描き写したり、中学生時代の愛読書が永井荷風だったりしたのは、当時は自覚がなかったが今思い返すとやや異常であったように思う。しかしそれは早熟であったということではない。そういうこと以外はむしろ年齢より幼く、それゆえ同輩からはバカにされていた。そんな性格のせいなのか学業は極端に波があり、乱高低をくりかえしていた。そんなことをしているうちに、まともに生きることがとても遠いことのように思えた時期さえあった。私の同居人はそんな頃のぼくを知っている人なものだから、今もときどきしみじみと「アンタはよく更生した」などと失礼なことを言う。
たしかに言われてみれば「更生」したというのは当っているかもしれない。同時に自分を偽って生きているという思いも常にある。仮面の人生をおくっているのである。そのことをときどき恐ろしいと思うが、なんとかバランスをとることができるのは、俳句があるからのようでもある。さかのぼれば俳句以前も、文学というものがなければ自分のバランスをとることは難しかっただろう。俳句にしてもなんにしても、文学というのはぼくにとってそういうものなのである。
文学をすばらしいもののように言う人がいるが、とんでもない。生きていくためにしかたがないことなのだ。
にぎりたるこころのごときなすびかな 秀彦
June 13 [Mon], 2005, 23:12
曇り
色々と予定に追われる日々で落ち着かぬ。俳句を作ろうと思っても集中するのに手間取るようになった。気がかりなことが少なくないからだろう。まあ忙しいうちが華だよなんて自分に言い聞かせている。
《たしか寺田寅彦氏の随筆に、猫のしっぽのことを書いていたものがあって、猫にああ云うしっぽがあるのは何の用をなすのか分からない、全くあれは無用の長物のように見える、人間の体にあんな邪魔物が附いていないのは仕合せだ、と云うようなことが書いてあるのを読んだことがあるが、私はそれと反対で、自分もああ云う便利なものがあったならば、と思うことがしばしばである。》
これは谷崎潤一郎の随筆「客ぎらい」からの一節である。大谷崎がどうしてそんなことを思ったかというと、猫は飼主に名前を呼ばれた時、億劫であると尻尾を振って返事をするという器用なことができるからだそうである。はたして猫がそんなことをするのかどうか、ぼくにはわからないけれど、自分にも尻尾がありさえすればと思う谷崎が実によいなぁ。腹立たしいことがあった時には、自分を猫だと思えばいいのかもしれない。
あ〜うるさい、と尻尾をひとふり、というわけだ。
ほつと散る夕になほも藤の花 秀彦
June 12 [Sun], 2005, 22:59
曇り
大通公園で地下鉄を降りると、よさこいソーラン祭の最終日とあって人波と大音響で埋め尽くされていた。歩道沿いに4丁目から8丁目まで見物しながら古本屋に向かう。けれどお目当の店は休みだったため、近くの別の店に向かう。街の中心から離れたやや不便なところにある店だけれど、整理のゆきとどいた棚が気持がよい。と言ってもこの手のキチンとした店の通例で、値段的な掘り出し物というのはまず無い。売値もキチンと整理がゆきとどいているわけね。
『日野草城句集 昨日の花』(邑書林句集文庫)
『日本の名随筆3 猫』(作品社)
この二冊を購入。草城の句集『昨日の花』といえば、あの「ミヤコホテル」連作十句の収載句集である。この十句は有名すぎてよく目にする作品だが、過去も今もいちどもいいと思ったことがない。
うららかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく 日野草城
なんて、こっちのほうが恥かしくなってしまう。まあ、思えばそんなところが画期的であったのかもしれない。
そうは言っても「ミヤコホテル」はともかくとして、現代俳句を「モダン」という言葉で表現すれば草城ほど「モダン」な俳句を書いた人もいない。「現代」というゴツゴツした感じではなく、美術でいえばバウハウス派のような、そんな「モダン」だ。
とぶことのゆるくて大き揚羽蝶 日野草城
『猫』は阿部昭の編で32篇の猫にまつわる作品が集められている。このシリーズはどの本も収録作家の名前をながめているだけでうれしくなるのはなぜだろう。この『猫』も、こんな塩梅になっている。
寺山修司/内田百閨^大佛次郎/伊丹十三/加藤楸邨/金子兜太/柳田國男/谷崎潤一郎/室生朝子/金井美恵子/麿赤児 などなど。
どうですか、読みたくなるでしょ。
街薄暑大音響の旗が立つ 秀彦
June 11 [Sat], 2005, 22:28
曇り
昨日のことだが、仕事帰りに大通公園あたりに出ると、今年もよさこいソーラン祭が始まっていた。
年々参加チームが増えているのだろう。街のあちこちが発表会場となっていて、一見婆沙羅の風体の人々が群となって会場の間を徒歩や地下鉄で移動している。それがこの時期の札幌の奇怪な風景となるのである。
今日は植物園に行く。思えば昨年の大嵐の被害で植物園が閉園となって以来、足が遠のいていた。植物園の中のライラック並木は満開で美しく、園のヌシであるムラサキセイヨウブナの巨木も無事であったが、薔薇園に抜ける途中の深い森だったところの被害が大きく、すっかり見通しがよくなって森ではなくなっていたのはショックであった。
植物園で今年もミヤマオオヤマレンゲの花に出会う。すこしうれしかった。
橡の花流民の顔をもてあまし 秀彦
June 10 [Fri], 2005, 20:53
曇り
さくらなどこの世のほかに何ならむわれは心中に歌を弑せり
塚本邦雄
不死身なのかと思っていた。
塚本邦雄さんが亡くなった。歌人ではあったが、ぼくはこの人に大きな影響を受けてきた。はっきり言うと、ぼくはこの人のものまねを俳句でやってきたのではないかと思うほどに。塚本邦雄の世界に1センチでも近づきたかった。寺山は死んだが、塚本は死なないと思っていた。
不死身なんだと思っていた。
クレヨンの青だけが無い大西日 秀彦
June 09 [Thu], 2005, 23:06
曇り
暑の極み濡るるごとしよ木も石も 高橋睦郎
『俳句』6月号を購入。いつも真っ先に読む千野帽子氏の「先生、ここがわかりません!」のページを開くと、おや残念、今回が最終回とのこと。最後ということもあってか、いつも以上に思い切ったことを言っている。
《雑誌や句集が近代において持っていた権威は、要するに印刷技術と配本能力という資本主義社会の下部構造によって保証されていたものだ。個人では印刷・配本ができなかったという事情が「印刷物」の権威を高めていたわけである。選者に選ばれて活字化されるという「ご褒美」は印刷・配本を資本が独占していたインターネット以前の「近代」の遺制にすぎない。》
これは全く同感。このことについては評論ページにあるぼくの「インターネット時代の俳句」に書いたことと同様だ。
《俳句人口がやたらと多いのは結社や入門書や国語の先生が「人はだれでも俳句で『表現』ができますよ」と煽るせいだ。ド素人から見れば大嘘もいいところである。俳句がだれにでもできてたまるものか。》
これも激しすぎる発言ではあるが、真をついてもいる。もっとすごいことも言っているので興味あるかたはぜひご一読を。
同誌「俳壇ニュース」に、7月31日札幌で開催される現俳協青年部シンポジウムの案内が載っていた。パネリストのところにぼくの名がある不意打ちに、かすかにのけぞる。
小出刃手になにか毀るる夕暑かな 秀彦