心に響いた

February 20 [Mon], 2017, 8:49

神さま「どうしてお前は『役たたず』とののしられて、傷ついたと思う?

お前が、自分のことを『役たたず』と思っているからじゃ。

他人がお前を傷つけたんじゃない、お前がお前を傷つけているんじゃ」


みつろう「お、今回もいい話が聞けそうな予感ですね」


神さま「例えばワシがお前に、『このナリキン野郎!』って言ったら、どう思う?」


みつろう「全然、傷つきませんね。ナリキンじゃないから」


神さま「そうじゃ。今、ワシはお前を傷つけようと思って、お前に文句を言った。

でも、お前は傷つかなかった。

なぜなら、人間は絶対にほかの誰かを傷つけることなんてできないからじゃ。

誰かが悪意でもって他人を傷つけようと行動しても、『傷』をつけることは絶対にできない。

本人以外にはな」


みつろう「この教え・・・なんとなく、わかるかも。

自分がそう思っているから、自分で傷つくのか。

でも、他人を傷つけることはできるでしょ?

殴ったりして」


神さま「できない。絶対に人間は他人を傷つけることはできないんじゃ。

例えば、お前を傷つけようと、誰かが殴ってきても、お前がそれにポジティブな意味を与えれば、そのできごとはポジティブとなる。

事実、ムチで叩かれることに快感を覚える人たちもいるんじゃぞ?」


みつろう「そ、それは変態の話じゃないですか!」


神さま「ワシから見ると、お前のほうがよっぽど変態に見えるぞ。

意味なんてない中立な現象を、常にネガティブにとらえつづけておるのじゃからな。

起こるできごとには、本来的に持ち合わせている意味なんて絶対にないのに。

『それを、どう思うか?』ただ、それだけじゃ。

他人の口を使って、お前が、勝手に傷ついとるだけなんじゃ」


みつろう「たしかに。『役たたず!』と言われた時、ムカついたけど、そのあと「のろま!」と言われた時、なんとも思わなかったですもんね。

自分のことを『のろま』だとは思ってないから。

俺が自分自身を『役たたず』と思っているから、傷つくのか」


_______


神さまとのおしゃべり

さとう みつろう 著

WANIBOOKS


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言われて傷つくのは、自分自身がそう思っているから。


言われたことに対して何とも思わなければ、気にすることも傷つくこともない。


自分が仮に「バカ」と言われたとしても、自分自身が「バカ」に誇りを持っていて、「バカだな〜、お前」って言われたら嬉しくなる人もいる。


ビンタされたら「暴力だ!」って言う人もいれば、アントニオ猪木さんに、列まで作ってビンタされ、「ありがとうございます!」って感激する人たちもいる。


「ハゲ」と言われても、髪がフサフサの人は傷つかないし、ブルース・ウィリスにあこがれている人も傷つかないかもしれません。


他人に言われること自体が問題ではなく、他人からいわれた言葉に「栄養」まで与えて育ててしまう事が問題なのです。


その感情は、相手がつくり出したと思っているうちは、ず〜っと他人に振り回される人生になるでしょう。


それすらも、相手のせいではないけれど。


相手に言われたとしても、心当たりがあったり、自分も気にしていた事であったりするから、気にするし、傷つくということです。


だとしたら、改善して自信をつけて、言われても気にならない程やり切るか、


言われた事に対しての意味付けを、「おかげで頑張れる」とか、「やっぱり改善した方が良さそうだな、気付かせてくれて有り難い」とポジティブなものに変えるか、


もしくは気にしない。


アントニオ猪木さんの言葉が素晴らしいので、ご紹介させていただきます。


「一生懸命にやっている人を小馬鹿にするのは、自分がかなわないから笑うことで逃げているのだ。

そうすることによって、己のちっぽけな自尊心を満足させているに過ぎない。

俺の場合のみならず、この世の誰も、一生懸命に物事に打ち込んでいる人間を馬鹿にすることは許されざる行為だ。

格好をつけて、泥臭く頑張る人間を馬鹿にする奴もいるが、そんなことをする権利は誰にもない。

特にその経験をしていない奴、行動を起こす気もない奴が、無責任に勝手なことをいうのは言語道断だ。

結局、笑いたい奴には笑わせておけばいいのである。

いつか誰かが認めてくれるかもしれないし、もしそうならなくても、『俺はやり通した』という充実感がそこにあれば、それはそれでいいのだ」


世の中の誰が、認めてくれようが認めてくれまいが、自分自身は一生懸命やったことも、なまけて何もしなかったことも、知っています。


他人の言葉に傷つくって、そういうことです。

今を生きる

May 05 [Thu], 2016, 9:42

足で大地に接吻するかのように歩け。——ティク・ナット・ハン

ストレスに満ちた日々のカオスのただ中に、心の静けさと平穏を手にするには、どのようにしたらいいのだろう。

答えは簡単だ。だが実践するのは簡単とは限らない。それは「今を生きる」ことを学ぶことだ。

あなたの1日がどれだけコントロール不能でも、仕事がどれだけストレスに満ちていても、「今を生きる」ことがオアシスになる。それはあなたの人生を変えてしまうかもれしない。そして驚くほどシンプルだ。

どんなものに心の平穏を乱されるか、人々に訊ねてみたことがある。そのときの答えの一部だ。

仕事、インターネット、自分自身のトカゲ脳。
ソーシャルメディアやその他のデジタルな雑音。
私にとっては、あまりにも多くのものが一気に降りかかってくることです。ニュースでも何か判断が必要なことでもやらなければならない仕事でも。
自分の4人の子どもたちです。
食器洗い、洗濯物、子どもたち。
不要な中断。
コントロールの欠如。私はIT企業で働いていて、直ちに検討し対処すべき「緊急」案件がしばしば発生します(相手のとって緊急なのであり、私にとってではありません)。
私自身の猿なみの頭脳。

驚くべきことだが、ここにあげられた全ての問題点は、たったひとつの方法で解決することができる。「今を生きる」ことだ。



「今を生きる」ことが問題を解決する仕組み

ここにあげられた問題点をよく見てみると、全ては頭の中の問題だということがわかる。もちろん外的な圧力はあるだろう。コントロール不能の仕事、子どもたちや雑用や中断やデジタル雑音に起因するストレスなどだ。しかし、こうした外的な圧力を私たちの意識がどのように扱うかが問題なのだ。

あなたが完全に今という時間の中にいたら、外的な力はもはや問題ではなくなる。なぜなら今この瞬間に存在しているのは、あなたとその外的な力だけであり、他に気にしなければならない何百万もの心配事ではないからだ。

子どもがあなたのしていることを邪魔したとしよう。ただでさえ心配事を抱えている上に子どもが新たな心配事を追加した、あるいは心の平穏を乱したという理由でストレスを感じることもできる。あるいは「今を生きる」ことで、今ここにいるのはあなたと子どもだけだと考えることもできる。子どもがその子自身であることに感謝し、その瞬間をいっしょに過ごせることに感謝することもできる。

あなたの仕事が、緊急のタスクにフォーカスするように要求するとしよう。他に山ほどやるべきことがあるのにとても時間が足りないという理由でストレスに参ってしまうこともできる。あるいは「今を生きる」ことで、今ここに存在するのがあなた自身とその一つのタスクだけであるかのように、そのタスクに100%注力することもできる。終わったら次のタスクに移行すればいい。

ソーシャルメディアやその他のデジタル雑音は、それを閉じて、今していることに全力を集中することを学べば、私たちを邪魔することはない。メールやツイートをしたり、ブログを読んだりする必要があれば、他のことはすべて脇においてそのひとつのことをすればいいのだ。

こうして「今を生きる」ことは、あらゆる問題、あらゆる雑音、あらゆるストレスの源に対処するための方法になる。「今を生きる」ことで、他の全てがフェードアウトし、あなた自身と、あなたが今取り組んでいることだけが後に残る。



「今を生きる」ために

「今を生きる」ための方法は比較的単純だが、もっとも重要なのは練習することだ。

ほとんどの人に「今を生きる」ことが身につかないのは、練習しないからだ。「今を生きる」こと自体があまりにも困難だからではない。

何かを常に練習していれば、上達する。それはTo-Doリストや、やりたいことのリストに書き出すような「やるべきこと」ではなく、むしろ生き方そのもののようになってくる。

練習に練習を重ねれば、自然に「今を生きる」ことができるようになってくる。

これがそのやり方だ。どんなことであろうと、今やっているその一つのことに対して、完璧にフォーカスできるようにするのだ。今していることのあらゆる側面に、身体に、感覚に、思考に注意を向けるのだ。

自分の思考に注意していると、思考が他のことにジャンプすることに気づくだろう。それは構わない。他の思考を全て遮断しようとしているわけではない。ただ、思考があちこち飛び回ることに気づくことで、今やっていることに自分自身をそっと押し戻すためのツールを手にしたことになる。飛び回る思考を認めた上で、愛情を込めて戻ってこよう。

これを一度実行し、更にもう一度実行しよう。何回繰り返さなければならないかなど気にする必要はない。ただ実行しよう。

慣れないうちは疲れを感じるかもしれない。それも気にする必要はない。疲れたら休めばいい。しばらくしたら戻ってきてまた練習しよう。消耗するためにやっているわけではない。ただ、心配事が次第に消え、今していることをずっと楽しめるようになってくる様子に気づいて欲しい。

今していることが何であろうと、それを楽しもう。それができることに感謝しよう。そのことに関するどんな小さな動きも手触りもフルに感じるようにしよう。どんなことでも驚くような体験になり得ること、奇跡になり得ることがわかるだろう。

毎日、一日を通して練習しよう。ちょっとした「気持ちを込める合図」を決めておくと、自分自身を今の瞬間に引き戻す役に立つ。ティク・ナット・ハンはかつて赤信号を「気持ちを込める合図」にすることを推奨した。同じようなものはどこにでも見つかる。子どもの声、同僚に会ったとき、コンピューターで普段していること、道路の騒音。何でもいい。

瞑想も素晴らしい方法だ。世界の複雑さの多くを排除し、ただ自分の意識だけに注意し、今この瞬間に自分自身を引き戻してくれる。難しいことは何もない。瞑想はいつでもどこでも可能だ。見つけることができれば、先生につくのもいい。

練習しよう。小さく、単純な、そして美しいステップを繰り返そう。ひとつひとつのステップ自体が奇跡のようなものだ。練習を重ねるたびに、人生の交差点の真ん中で平穏を感じるための助けになる。



ゆっくりと、畏敬の念を持ってお茶を飲もう。ゆっくりと、ペースを崩さず、急がず回転を続ける地球がその周りを回っているかのように。今この瞬間を生きよう。この瞬間だけが人生なのだ。——ティク・ナット・ハン

超特急だよ

September 03 [Thu], 2015, 11:54
早すぎる、、、
速すぎる、、、

一生はつかの間かもしれない。

今だけしかないのかもしれない。

人生なんて幻想かもしれない。

ちっぽけな私には
何もわからないんだろう。

人それぞれ

October 21 [Tue], 2014, 9:54
人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ


うん・・・同感!

宝の友

October 10 [Fri], 2014, 8:30
いつもいつも
クラスで一番遠いところから通学してくるのに
わざわざ遠回りして
クラスで一番学校の近くに住んでいる
休みがちな息子を迎えに来てくれる
最高の友達。

ありがとう。

宝だよ、彼は。
息子よ、あなたは恵まれているよ。
すばらしい友達がいて。

ユタカさん

October 08 [Wed], 2014, 12:34
『失敗してもいいし、

間違いを犯してもいい・・

それらの繰り返しが、人生を作る。

悩み、苦しみ、自分の省みるその時間が多いほど、

これからの人生が輝くこととなる。

どんどん経験をしよう。』

気づき

October 07 [Tue], 2014, 10:19
いい事見つけた!



誰でも「嫌なこと」は起こる。それをいかに「いいこと」だと気づけるかが幸運への重要なポイント。

誰も自分を苦しめようとしたり、悲しませようとしたりしない。

 色即是空。
私たちが、起こっている出来事に「意味」を付けているだけ。

起こった出来事に嫌なことだと判断していると、損をする。
一見嫌なことに見えるけど、きっといいことだと捉えると得をする。

ネガティブに捉える人には、ネガティブなことが起こり、
ポジティブに捉える人には、ポジティブなことが起こる。

どんなときも今起こってる事はべストと考えるようにする。

ひすい こたろう

October 05 [Sun], 2014, 10:27
「さあ、クイズの時間だ!」

大学のある授業で、教授はそう言って大きな壺を取り出し、
教壇に置きました。そして、その壺に、一つ一つ石を詰めていきました。
壺がいっぱいになるまで石を詰めると、教授は聞きました。

「この壺はもう満杯か?」

教室中の学生が「はい」と答えました。
「本当に?」
教授はそう言いながら、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出し、
壺の中に流し込みました。石と石の間を砂利が埋めていきます。
そして、もう一度聞きました。

「この壺は満杯か?」

ひとりの学生が「たぶん違う」と答えました。
教授は、「そうだ!」と笑い、今度は教壇の下から、
砂利よりもっと細かい、砂の入ったバケツを取り出し、
それを石と砂利の隙間に流し込んだあと、3度目の質問をしました。

「この壺はこれで満杯になったか?」

学生は声をそろえて「いいえ」と答えると、教授は水差しを取り出し、
水を壺のふちまでなみなみと注ぎ、そのあとこう言いました。

「僕が何を言いたいか、わかるか?」
ひとりの学生が手を上げました。
「どんなにスケジュールが詰まっていて忙しいときでも、  
努力すれば予定を詰め込むことが可能だということですか?」

「それは違う」と教授。

「重要なポイントはそこではないんだよ。
 この例が私たちに示しているのは、先に大きな石を入れないと、
 それが入る余地は、そのあと二度とないということだ。
 この壺は人生そのものを示している。

 では、私たちの人生にとって、大きな石とは何だろうか?
 それは仕事であったり、志しであったり、愛する人であったり、
 家族であったり、自分の夢であったりする。
 つまり「大きな石」とは君たちにとって一番大切なものだ。
 
 それを、最初に壺の中に入れなさい。
 さもないと君たちは、それを永遠に失うことになる」

あなたの人生にとって、一番大きな石とは何でしょうか?
石、一番大きな意思をそこに…
一番大切なものを、毎日一番大切しながら生きるのです。


心にズドン!と響く運命の言葉
ひすい こたろう




   もし小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の
  低いものから自分の壺を満たしていけば、
   人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

   そして大きな石、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
  その結果、それ自体失うだろう。




   自分にとって一番大事なものとは?
   それを自分に問いかけ、真剣に考えてみる。
   大事なもののために時間を割いているか、
   つまらないことのために時間を浪費していないかと。

悪人ばかりだとケンカにならない

May 19 [Mon], 2014, 10:08
【悪人ばかりだとケンカにならない】

ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していた。

ケンカの絶えないA家の主人は、隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて懇願した。

「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。

お宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。

一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」

「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。

ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。

私の家は悪人ばかりがそろっていますので、

ケンカにはならないのです。ただそれだけのことです」

てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、

「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。

どうも皿かお茶碗でも割ったようである。

「お母さん、申し訳ありませんでした。

私が足元を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗をこわしてしまいました。

私が悪うございました。お許しください」

心から詫びている、お嫁さんの声がする。

「いやいや、おまえが悪かったのではありません。

先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、

そんなところに置いた私が悪かったのです。すまんことをいたしました」

と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。

「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。ケンカにならぬ理由がわかった」

A家の主人は感心して帰ったという。

謗るまじ たとえ咎ある 人なりと
我が過ちは それに勝れり

(高森顕徹先生著 光に向かって 100の花束より)

むなしい

March 01 [Sat], 2014, 10:02
疲れてる私

むなしくて・・

みんな自分勝手に生きてるって感じる。

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