道の辺の 

2006年03月10日(金) 23時26分
道の辺の木槿は馬に喰はれけり

馬に揺られながら道端の垣根の花が咲いているなと何気なくみていると、それが突然ぱくりと小間に喰われ、気がついた時には花はもう影も形もまくなったよ


瞬時の出来事をあるがままに捉え、無作為のうとにおかしみとはかなさの交錯する微妙な境地を言い止めた、新味ある俳味

猿を聞人 

2006年03月09日(木) 21時39分
猿を聞人捨子に秋の風いかに

猿の声を聞いて断腸の思いを詩った詩人達よ。富士川の急流の河原で冷たい秋風に吹かれながら泣く、この捨て子の声をなんと聞くか

風流韻事「とは比較にならぬ深刻な現実

野ざらしを 

2006年03月08日(水) 20時03分
野ざらしを心に風しむ身哉

旅の途中で行き倒れて野晒しの白骨となる覚悟で、いざ出立しようとすると、たださえ肌寒く物悲しい秋風が、いっそう深く心にしみるわが身だ

貞亭元年 41歳

野ざらし紀行の出立吟、命がけの旅を思う悲壮歌

馬ばくばく 

2006年03月07日(火) 21時07分
馬ばくばくわれを絵に見る夏野哉

自分の乗った馬が、草深く日盛りの夏野をもろのろと行く。その遅々として動くともないさまはまさに一幅の絵であり、われとわが身を画中に見る思いだ。

天和三年 芭蕉40才

自分の馬上姿を客観的「に眺め、夏野の旅の趣を良くとらえている。
「ぼくぼく」は、のろのろ歩くさま。俳諧的俗語

論点
「ばくばく」はどう捉えるべきか。
(和辻説、山本説)それは。滑稽化されたものであり、馬の愚かさは、自分自身の愚かさの反映、「ばくばく」は、馬上の苦吟の苦しみを表したもので、愚かさへの鬱憤を表現
(潁原説)「自分を離れて自分を眺めるこころの静けさ」を表現

さあ、どっちなんだろうね。

漸く落ち着いてきたのかな 

2006年03月07日(火) 2時38分
昨日初めて、ブログ開始なのに全然つながらず、家のコンピュータートラブルかと焦ったけど、落ち着いたみたいだね。
しょこたんのブログも落ち着いたみたい。
よかったあ。でもこの後またトラブルがあるようだと、困るね。
やって来て、いきなりトラブル連続は初心者には辛かったね

何か不安定だな 

2006年03月06日(月) 19時17分
このブログ著しく不安定でなかなか、自分の記事を書く画面に入れないのだけど、
これが普通なのかな
もし普通なら、自分には扱うができないかも
それと、Okamotoさんコメント有り難うございます

世にふるも 

2006年03月06日(月) 17時02分
世にふるもさらに宗祇のやどり哉

この世に生きるのも、宗祇が「時雨の宿り」と嘆いたように束の間のことで、まことに無常だ。

世にふるは苦しきものを槇の屋に安くも過ぐる初時雨かな」二条院讃岐の作を宗祇は、「あづまにくだりし時庵室にて、世にふるもさらに時雨のやどり哉」とした、そしてそれをふまえて一語を替えた換骨奪胎の技巧により、宗祇への共感を示した

天和二年 芭蕉39才

宗祇の句は。応仁の乱のころ信濃の仮寓で詠まれたもので、戦乱の世にふる者の諸行無常的な感慨が託されている。

宗祇の句では、人生を時雨れのようなはかない仮の宿りとみて、「時雨の宿り」と言っているのである。

櫓の声 

2006年03月05日(日) 21時35分
櫓の声波を打って腸氷る夜や涙

寒夜の隅田川を漕ぎゆく舟の櫓の、波を打つ音が川面にさむざむと響き、腸の底まで氷りつくような寂しさに、覚えず涙する自分だ。

天和元年芭蕉三七才

十・七・五の破調 漢詩町。ともに当時の流行調だが、孤独貧寒の感情を主体的に詠んで個性的

芭蕉の俳諧は世俗的な生活への断念の上に成立したものではあるが、風流隠士の高踏的な塵外の境へのあこがれはない。むしろ社会外へ追い込まれた者の。おのずからの抵抗の姿勢のなかに築き上げられた精神的支えとしての風雅の理念である。

蜘蛛何と 

2006年03月05日(日) 4時57分
蜘蛛何と音をなにと鳴く秋の風

蜘蛛よ、お前は何と鳴く。寂しい秋風の中でお前も鳴かずにいられまいに、なぜ黙っている。

延宝八年 芭蕉37才
鳴かぬ蜘蛛に鳴くことを求めるのが談林の寓言
「枕の草子」に蓑虫が秋風吹くころ「ちちよ、ちちよ」と「鳴くとある故事を裏に隠した「抜け」の手法

反語的に自分の心を覗こうとする。激しく訴えたいものを持ちながら、言葉を発する機会もない、孤独な自分の心。その点発想に寓意的なものを存し、談林風の与えた表現を取りながら、方向としては寓意的二重性を離れて、メタファーとしての意味と形象との重層化を打ち出そうとしている。



枯枝に烏のとまりたるや秋の暮れ

ああ、葉のおち尽くした枯木の枝に烏がとまっている。この秋の暮れの何と物寂しいことか

古来の画題「寒鴉枯木」の顴骨奪胎。
談林的発想だが、閑寂枯淡の境地を意図

延宝八年 芭蕉37才

談林的な高笑いの空虚さを意識、笑いの裏面としての人生の寂寥相に浸透しようとする気構えが、次第に生まれつつあった。
これまで和歌・連歌的な境地へのパロディといして成立していた俳諧の世界が。漢詩の情趣を奪取することによって、その境地を深め、新たにすることができた。




芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉

野分の風が庭の芭蕉葉を烈しく吹き荒らす心細い夜中、草庵に独座して盥に漏れおちる雨の音に耳を傾けつつ、じっと寂しさに堪える

嵐の夜の孤独寂寥感。初句の字余りが強く響き、暴風の烈しさを語感で出す。
漢詩の伝統的詩情「聴雨」を、「盥」の通俗味で俳諧化

天和元年 芭蕉三八才

芭蕉は深川の杉山杉風の下屋敷に移り、この歳の春、門下李下が贈った芭蕉を植え、これからは門下たちは、芭蕉の翁、芭蕉庵とよび、みずから芭蕉と称した。

此梅に 

2006年03月05日(日) 4時41分
此梅に牛も初音と鳴きつべし

天満宮の梅のすばらしさには、「梅に鶯」といわれる鶯はもちろん、社前に祀られた臥像の牛までも初音を鳴いて、神徳を讃えることだろう。

芭蕉33才 延宝四年
 
芭蕉 山本健吉 新潮文庫
この山本健吉の本にそって、芭蕉を年代順に取り上げていきたいと思います。

当時江戸では、談林派全盛
談林風創始者西山宗因の別号「梅翁」にかけて、芭蕉が談林派に参加する意志を示したもの。
牛に乗った菅公(菅原道真)を天満宮は祀るところ
梅に鶯が和歌的情趣なら,牛に梅の取り合わせが俳諧の世俗情趣を表している。
メタファとして、梅翁と愚鈍ね牛のような自分も暗に示している。
俳諧にそのような道を示したのが、談林俳諧だった。
貞門時代の言葉の洒落や古歌の裁ち入れに止まっていたものを、寓意的な二重の世界を導き入れることによって、短詩の本質の自覚の上に立った真の俳諧的方法をうちたてることができた。
ここに至って、はじめて俳諧は連歌に至る段階としてではなく、独立したものとして、固有の方法に目指めた。



夏の月御油より出でて赤坂や

夏の月は御油の宿場を出て、ほんの目と鼻の先の赤坂宿に入ったのだろうよ。道理で出たと思ったら、すぐに見えなくなったわい

月が御油・赤坂の間を歩いたと擬人化して夏の短夜を寓した談林的寓言 
両駅間は1.7キロと五十三次中最短距離区間

この句を芥川龍之助は
「これは夏の月を写すために、「御油」「赤坂」等の地名の与へる色彩の感じを用ひたものである。この手段は少しも珍しいとは言われぬ。寧ろ多少陳套の識りを招きかねぬ技巧であろう。しかし耳に与える効果は如何にも旅人の心らしい、悠々とした美しさに溢れている。」(芭蕉雑記)

芥川はこの句を近代的な感覚だとして評価したが、国文学者たちは、芭蕉の談林的発想契機を持ち出し、談林派の普通の句だとした。

しかし、作者が意図したもの以上に、作品が内包するものが拡がることがある。作者が作品を創り出したら、作品は作者を離れて独り立ちするのである。ゆえに、芭蕉自身後年まで、愛着をもっていたのではないか
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