エンジェルフォール紀行ー5 

2012年06月01日(金) 13時21分


「吉田さん、眠りにつく前に教えてもらいたいことがある」と、またしても知りたがりの湯ノ街ネヲンは、話しの腰を折った。

「ところで吉田さんは、未開のジャングルみたいな所へ踏み入ったわけだよね。で、現地には、蚊や虻、ヒルなどの毒虫がいっぱいいたんじゃないの。そいつらに刺されたり食いつかれたりはしなかったの?」 

「それからさ、大きな滝の裏側をくぐり抜けたり、滝つぼではウォータースライダーみたいなことをやって遊んだんでしょう。一日中そんなことをやっていたら大量の水をあびて、服や靴はもちろん、シャツやパンツまでグチョグチョになってしまったでしょう。熱帯のジャングルは湿気も多そうだし気持ち悪くなかったの…?。」と、湯ノ街ネヲンは、現地での様子に興味津々であった。

「あ、ゴメンネ!、ネヲンさん。」
なにしろ話すことが一杯あって、ついついはしょってしまった。で、疑問があったらその都度なんでも聞いてと、吉田さんは快く応じながら話しを続けてくれた。

現地では、ガイドさんから特別な防虫予防の指示があったわけでもないし、また、僕自身もこれといった虫除け対策に気を使ったことは一度もなかった。なのに、日本の夏ように蚊やハエなどに悩まされたという記憶は全くない。今思うと、とっても不思議な気がします。

熱帯のジャングルというと日本人は、うだるような蒸し暑い日々と蚊に悩まされる日本の夏を思い浮かべ、それ以上に苛酷な世界だろうと想像するだろうが、旅行中の現地では、そんなことをちっとも感じさせない日々だった。

虫の心配よりも、多くの観光客は日焼けに悩まされていた。日本人の僕はへっちゃらだったが、白人なんかすぐに真っ赤になってとても痛々しかったよ。

そして、服と履き物の件だけど…
と、話し始めて吉田さんは、その前にネヲンさん、僕が体験したこの旅行は、日本のツァー会社が募集する安直なインスタントのツァーとは、まったく趣が違うものだから、しっかり頭を切り換えて聞いてね、とことわりを入れた。

まず履き物ですが…、
水遊びといえばビーチサンダルですよね。だからといってネヲンさん、ひと夏限りの安物のスポンジ製のビーチサンダルを想像してはダメですよ。あんなものは大自然のなかでは使い物になりません。

クロックスのゴム草履ですよ!。
ただ僕が履いていたのはイタリア製で、底が頑丈で足首とつま先が固定できたのでとても便利でした。

また履き物といえば、ここのホテルでは、日本の旅館・ホテルのように館内ではスリッパ、外出時は下駄というように、いちいち履き替える必要がないのでとても快適だった。だって、床が汚れていても気にならず、シャワーを浴びるのもサンダル履きのままでOKなんだもの…。

それと、旅行中に身につけていたのは、おもにTシャツと海水パンツでした。なにしろ熱帯ですからね。あっ、もちろん、海水パンツはロングのヤツでしたよ。

若いということは素晴らしい。
ベッドにもぐり込んだと思ったら、あっという間に朝が来た。

いよいよエンジェルフォールにむかう日が来た。

出発の際にガイドから指示があった。
帰りは明日になるが、最終的にはまたここへ戻るので、貴重品と余分な荷物の類は、すべてフロントに預けて置くようにと…。そんな訳で、身なりは相変わらずTシャツにロングの海パンという気軽なスタイルでした。

いくら熱帯のジャングルの旅とはいえ、そこはそれ一泊のツァーなので、夜の備えを怠ってはいけないので、長ズボンと長そでシャツ、それと、防寒用のジャンパーなどをザックに詰め込み背負った。身の回りの手荷物はこれだけであった。

やがて、まるでオランウータンかチンパンジーの集団かとみまちがうような我々ツァー客たちは、旅の第一歩を踏み出した。エンジェルフォール行きの舟(船ではない)に乗るために、きのう遊んだ滝のところにある船着場へむかった。道のりは20分ほどである。

ホテルを出るとすぐにガイドは、これから皆さんをパラダイスにご案内しますといった。


それを聞いた僕は、極彩色の蝶や小鳥が飛び交い原色の花々が咲き乱れる熱帯のジャングル園を想像した。

しかし、案内されたところは、僕がきのう泊まったホテルのすぐ裏手にあったごく普通の小屋でした。僕は投宿以来、ホテルの裏手には現地人の住む小屋が幾つか建ち並んでいるぞ…、と思って見ていたうちの一軒でした。

外見はただの小屋でしたが、実は、そこは売店だったのです。ガイドに案内されるままに屋内に立ち入ると、目の前はとても薄暗かったが、ややして目が慣れると、そこにはさまざまな生活雑貨や食料品が無造作に並べられていた。

僕は、なんでここがパラダイスなんだ!、といぶかしんだ。
ネヲンさんだってそう思うでしょう。だって、この建物ですよと写真を指差した。

しばらくして僕は、パラダイスだと言ったガイドの言葉の意味がようやく解った。

実は、ここは国立公園内なので、法律により、ホテルの館内以外でのアルコール類の販売は一切禁じられていたのです。だから僕は、エンジェルホールツァー中の二日間は禁酒を覚悟していた。

が、ここで買えたのです。ビールが!!!。
嬉しさがこみあげてきて、さらに気分はウキウキとなりました。

ネヲンさん、僕はアル中ではないので心配は無用ですよ。

これに応じて湯ノ街ネヲンが聞いた。
「貴重品はすべてフロントに預けたのでは?」と

「その通りです!」と言って、吉田さんが話を続けた。
ガイドの指示があって、お金は、すべてホテルに預けました。だから僕は、本当に一銭も持っていませんでした。

が、店内に入るとガイドが言った。ここでの買い物の代金は、すべてガイドが立て替えますと…。勿論、僕だけでなく誰にでも貸してあげると言った。

狭い店内は、昨日のツァーで顔見知りになった人達で溢れかえった。それぞれが夢中になって買物しているとき僕は、店の片隅でなにやらひそひそ話をしている、身体の大きなメキシコ人の夫婦とガイドのことが気になった。なにやらコソコソと悪だくみをしている雰囲気だったからである。

声は聞こえてくるが、もちろん僕には、話の内容は全く解りません。その会話がスペイン語で交わされているからです。余談ですが、南米の国々の人達の日常生活は、スペイン語で成り立っています。そして、これらの国々の人達は、英語を理解しようという考えは全くないそうです。だから、このメキシコ人夫婦が喋っているは、間違いなくスペイン語なのです。

英語がやっとの僕には解らなくて当たり前です。

だけど僕には、密談という雰囲気が伝わってきたので、そしらぬ顔で様子を窺っていた。

そのうちガイドが、店の人に何かを告げた。

すると、なんと、なんと…!!!。いったん店の奥に消えた店主が、さりげなくウィスキーをぶら下げて再びあらわれたではないか。

これで商談成立かと思いきや、ウイスキーを目にまえにして、メキシコ人の態度がちょっとおかしかった。

その様子から察するに、ウィスキーの値段を聞いて買うかどうかで、迷っているようだった。

このとき、酒好きの僕のカンが働いた。その一角にそっと近寄った。そして、「オレもウィスキーが飲みたい!」と、単刀直入にガイドにせまった。

ガイドは、慌てる様子もなく、僕のこの要望を店主とメキシコ人とに通訳をした。するとそこへ、オランダ人も寄ってきて、オレも飲みたいと言って参加を求めてきた。

酒飲み同士、相通じるモノがあるらしい。

結局、3人の割勘でウィスキーを買うことにした。

お金をホテルに預けてしまった僕とオランダ人はそれぞれ持ち合わせがなかった。それを知ったメキシコ人は、なんと、リュックの中からごそっとキャッシュの束を取り出して、二人分を立替えて代表でウィスキーを買った。

その代金は、エンジェルフォールから戻ってから、それぞれが、メキシコ人に払うということで決着した。国際的な闇取引が成立した瞬間である。

ちなみに、この時の様子から、このメキシコ人夫婦は相当のお金持ちらしかった。もう一つおまけに、このウイスキーの値段は、日本円で千円ちょいだった。僕はこのとき、日本人はとっても凄いと思った。

エンジェルフォール紀行−4 

2012年05月25日(金) 13時08分


吉田さん、寄り道をさせちゃってゴメンネ!。
エンジェルフォール行きの続きを聞かせて・・・。
と、湯ノ街ネヲンは話の続きをせがんだ。

「ウン」と頷いて、吉田さんは、怪しげなホテルに投宿し不安に駆られてしまった、というところから旅の続きを話してくれた。

僕が怪しげなホテルにきてしまったのでは…、と握ったこぶしに力が入ったのは、そこが、あまりにも日本のホテルの様式とはかけ離れていたからだ。少したって解ったことだが、こちらのホテルは、どこもこれがごくあたりまえのスタイルのようだった。

僕たち日本人は、旅行とは、必ず添乗員さんが寄り添ってくれて、道みち手取り足取り面倒を見てくれるものだと思い込んでいる。さらに、旅行とは、添乗員さんやバスガイドさんの指示に従っていれば、気楽で安心安全な旅が保証されているものと信じ込んでいる。

僕は日本でのそんな旅行に慣れきっていたので、今回のように、すべてが自己責任という旅に面食らっていた。

道中幾つかの苦難に出会ったが、そのたびに歯をくいしばって頑張れたのは、目的地のホテルにたどり着きさえすれば…、という淡い期待があったからだ。
なのに、やっとこさカナイマにたどり着いたというのに、そこには、待っていてくれるはずの暖かさや安心感がまったくなかった。見ず知らずの土地に、たった一人で放り出されてしまったような気がして、余計に不安感に襲われたようだった。

異国でしみじみと思った。
日本の温泉旅館って、いいな〜、…って。

ホテルの前で、別れ際にガイドが言った。

「午後からは、カラオ川をボートで30分ぐらい下ったところにある、ユリの滝を見学に行くので、お昼なったら○○レストランに来い」と…。

神経が研ぎ澄まされてきた僕は、その言葉にすぐに反応して、腕時計の針の位置を確認した。そして、すかさず聞き返した。「その時刻まで、どこでなにをしてればいいのか?」と、

ガイドは、あっさりと答えた。
「その辺で、ぶらぶらしていろ」と、

異国に地でたった一人にされてしまった。多くの人々は口々に自由を求めるが、本当の自由とは恐ろしいものだとおもった。我々が求めている自由とは、しがらみだとか煩わしさの中での解放感であるとおもった。複雑な人間関係が急に懐かしくなった。

孤独な時間がゆるゆると過ぎて、やっと、指定されたレストランへ出向く時刻となった。レストランへ入って一人ポツンとしていると驚くことがおこった。一気に孤独から開放された。

どこにいたのか、色とりどりの格好をした大柄で陽気そうな南米人らしき一団と、白人らしき人が二人…、ざっと見渡したところ15〜6人の異国人がぞろぞろと入ってきた。

そのとき僕はナニを食べたのかは思い出せない。ただ、日本のレストランでとる食事とは大きくイメージが違っていたという記憶しかない。ボリュームはタップリであったが全体的な感じはごく質素だった気がする。

食事の内容の記憶がないのは、たぶんの周りの人達に気を取られていたからだろう。手と口は食事を摂ることに使い、目と脳はあたりの人達を観察するために動かしていたのだろう。ほとんどの人達がスペイン語で陽気に会話をしていた。もちろん、僕はこのときスペイン語が解っていたのではない。南米という土地柄と風体からそのように想像したのだ

このグループの人達と明らかに外見が違ったのは、僕とオランダ人とイスラエル人の男性の三人であった。もちろん、彼等がオランダ人とイスラエル人であるということを知ったのは、ツアーの途中でのことです。

僕はこの場の雰囲気からして、この人達と一緒にエンジェルフォールへ行くのでは…、ということを察した。

南米の人達のグループに入り込む余地はなかった。ならば…!、と僕は勇気を出して、二人の白人にカタコトの英語で話しかけた。同じ環境下に置かれていたせか二人はすぐにうちとけてくれた。

異国でたった一人というのは案外厳しいものがある。そんな時、話し相手が出来たということはラッキーであり本当に心強かった。助かった。緊張感がほぐれた。

レストランでの昼食時間が過ぎると、想像したとおり、ここに集まった人達が一団となってツアーが開始された。

この日は、この近くにある「ユリの滝」へ出かけました。

まずレストランの裏手から5分ほど歩いたところにあるという湖にむかった。湖の名称は解らないが、さすが南米だった、とほうもなく大きく感じた。そこで、我々の一行は二組みに分かれてボートに乗り対岸へ行きました。30分はゆうにかかった。

途中、大きな滝から大量の水が湖に流れ込んでいるのが見えた。


この湖、一目見たときは水面が真茶色であり、汚く濁っているのかと思った。しかし、手の届くところでみると、以外にもすっごく透明であった。まるで湖が、紅茶かアメリカンコーヒーで出来ているかのような印象でした。

ガイドの説明によると、生い茂るジャングルの木々からタンニンという物質がが溶け出して、このような茶色になるとのことでした。

ボートを降りるとしばらく平らな道を歩かされた。やがてその道は細くなり山道とになった。山道を登りきるとそこは薄暗く轟音に包まれたジメジメとした大空間だった。右手は断崖絶壁であり、左側は轟音と共に大量の水が落下していた。大きな大きな滝の裏側でした。

水のカーテンなどという生やさしいものではない。想像を絶する水しぶきを浴びながら黙々と歩いた。やっと滝の裏側を抜けだすと、そこには、かって見たこともない壮大で素晴らしい南米の景色が広がっていた。

大自然って、広大でとっても凄いと思った。日本では、大自然は美しいという表現をするが、それとは全く印象が違う。

帰路は、湖の岸辺にそって歩きであった。

先ほどの裏見の滝から眺めた広大な自然のなかに溶け込むかのように歩き続けると、また、別の滝のまえに出た。一行は、その滝のおおきな滝つぼで、子供のようにはしゃぎまわって遊んだ。大自然のなかで童心にかえることは、年齢や男女、人種を問わずみんな同じであった。

たっぷり遊んだあとの爽快な気分で一行は歩を進めた。
このツアーは驚きの連続である。
歩くことしばし、今度はなんと往路湖上から眺めた滝の上にでた。

湖上からの景色とは真逆である。今度は、滝の気持ちになって湖上をながめた。絶景かな!、絶景かな!、であった。

そして最後は、ツアー会社が用意したホテルで夕食をすませたあと、我々は解散した。みんながそれぞれ明日はいよいよエンジェルフォールだ、との想いを胸に秘めて各自の投宿先へ散っていった。

僕は、一日の締めくくりとして湖のほとりに建つとあるホテルのバー繰り出した。二人の若いバーテンを相手に一杯やってから、監獄のような部屋に戻り眠りにつきました。

そのホテルは、僕が泊まるホテルより数ランク上で、たぶんカナイマで一番であろうと思われた。でも、日本の民宿かコテージのレベルです。ホテルのバーテンの話だと、日本人のツアー客もよく来るとのことでした。

でも、僕のいまの心境は、観光での心地よい疲れとアルコールの入った気分のよさで、眠れさえすればそんなことはどうでもよいことであった。


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エンジェルフォール紀行ー3 

2012年05月18日(金) 12時09分


「チョ、チョット待ってよ、吉田さん…」
現地の怪しげなホテルにチェックインというところまで、話が一気に進んでしまったけど、面白そうな話なので、先へ進む前に、いくつか知っておきたいことがあるといって、湯ノ街ネヲンは、吉田さんの話しを遮った。

まず、先ほど吉田さんは、何処で、カメラを紛失したのかも解らない…、といったよね。このときの吉田さんの精神状態を想像すると、未知の世界へ旅立つということで、とほうもなくテンションが上がって「ポォーっと」していたのではないよね。そうではなく、失意の底に落ち込んでしまったのが原因で「ボォーっと」していたんだよね。

オレが疑問に思ったのは、そんな精神状態のときに、よくまあ、たった一人の冒険旅行に出掛ける気になったのだろうかということさ。まさか、夢遊病者のようにフラフラと出かけたわけではないよね。

その問いかけに、吉田さんが答えた。
たしかに当時、僕は、語学習得が思うようにいかなくて、意気消沈しモヤモヤとした気分で過ごしていたが、それは、何もかにもがイヤになって、日々、無気力な状態で、腑抜けのような生活をしていたと、いう話ではないんだ。

このときの僕の心のうちは、自分が注ぎ込んだ「努力」の量にたいし、その「結果」が、余りにも少なすぎたのでガックリしていただけで、生きる「気力」までもが、失せてしまった状態ではなかったです。

やる気満々、メチャクチャ努力する。けど、報われない。いわば、スランプ状態といった程度の話ですよ。

「ああ、そういうレベルの精神状態だったのか、よく解ったよ、吉田さん…。」と、湯ノ街ネヲンは、吉田さんの顔を見ながら相槌を打ち、言葉を継いだ。

そんな精神状態のときのことを、別の言葉でいうと、「壁にブチあたった」というんだ。

この「壁」、結構やっかいなやつなんだ。

スポーツなどでは、記録とか、対戦相手がいるので、この壁というやつを、肌身でジカに感じることができるけど、「勉強」とか「考え方」というやつの壁は目に見えない。だから、なかなかその正体がつかめない。だから、滅入ってしまうんだ。

しかし、このやっかいものの壁にブチあたるということは、「より上手くなる」、「より強くなる」、「より深く理解する」などというレベルアップのための、夢の入り口の扉を叩いたということでもあるんだ。だから、逆に喜ばしいことでもあるんだ。

ということは、壁→進歩→壁→進歩→壁→進歩、ということだから、これを、何回か繰り返えせば、ひとかどの人間になれるということさ。

吉田さんが目を輝かせていった。
「いい機会だから教えてください。その壁の乗り越え方を…」と、身を乗り出した。

吉田さんが期待をこめていった、その問いに、湯ノ街ネヲンは冷たく答えた。「壁の乗り越え方なんて無い!」と、

「ナイ?」、そんな…。

「本当だよ!」

オレは、今日よりは明日というタイプだから、過去に数多くの壁にぶち当たった。だが、今日まで、「オレはいま、壁をよじ登っている最中だ…」なんて、実感したことは、ただの一度もナイ!。

だから、壁の乗り越え方なんて「ナイ!」というより仕方がないのだ。それに、壁らしきものは、気がつくと、ある日、忽然となくなっているんだ。だから、説明のしようがないのだ。

ただいえることは、何らかの努力や挑戦を始めると、必ず、「壁」というやつが顔をだす。だから、壁にぶち当たりたくなければ、努力や挑戦をしなければいい。

それは冗談として、吉田さん、過去の体験を生かすために、明日を信じて英語の勉強を再開させてごらん。きっと、体得できるよ!。いつか、三日坊主なんて言葉が、死語になるよ!。努力って、不思議な力をもっているから…。

「解りました。再挑戦します。」と、吉田さんは、キッパリと元気よく言った。

そして、吉田さんは、話しを少し前に戻しますといって、話しの続きをしてくれた。

カナダからエンジェルフォールに行くには、まず、トロント・ピアソン国際空港から、ベネズエラの首都・カラカスのシモン・ボリバー空港へと飛行機で移動しなければならない。

予約した切符を見ると、カラカスへは夜中の到着となるのがわかったので、ホテルの予約はもちろんのこと、ホテルまでのピックアップも手配した。ピックアップまで予約したのは、話しによると、カラカスは世界でも名高い、危険な都市だからです。

噂話どうりというか、到着が真夜中であったというせいか、空港に降り立つと、そこには危険な匂が漂っていた。本能的に身がしまった。

でも、トロントからカラカスへの移動は、たったの5時間余りだったし、おまけに時差もなかったので、空の旅は、とっても快適でした。

デジカメの紛失に気が付いたのは、カラカスのホテルにチェックインして、荷物を開けた時の事でした。

ベットの上にすべて荷物をひろげ、思い違いであるようにと祈る気持ちで、一つ一つの入れ物を、すべてチェックした。どこで失くしたのかを思いめぐらしながら…。

そんなとき、ふと思い当たることが浮かんできました。
カナダのトロント・ピアソン国際空港での出来事である…。

それは、テロ騒動以来、液体類は機内に持ち込めないということを、すっかり忘れてしまい、カナダで買った、アイスワインのセットを機内に持ち込もうとしたときのことでした。

禁止事項に気が付いたときは、すでに、荷物を預けてしまった後なので、慌てふためいてしまった。たぶん真っ青な顔をしていたのだと思う。そのとき、それに気がついたのか、とても親切な係員がいて、特別に段ボールを用意して、ワインセットを預かってくれることになった。有難かった。まさに、地獄で仏であった。

その時、あせる気持ちがいっぱいで荷物の入れ替えをした。パスポートやチケットなどの大事なもののほうにばかり気がいって、カメラを置き忘れたことに気がつかなかったのだと思う。

ベットの上で暫く思いをめぐらしていたが、残念ながら諦めざるを得なかった。

明日は、ここから、ギアナ高地への拠点、カナイマまで、移動しなければならない。気持ちを切り替えてそうそうに寝た。

翌朝は、早々に迎えの車(ピックアップ)に乗って、シモン・ボリバー空港に行った。カナイマのプエルト・オルダス空港に向かうためである。空港までの移動中の車中から見たカラカスの街並みは、昨夜の印象とはまったく違って、とても、爽やかであった。


ネヲンさん、ここからは、当時僕が、ただ単に無気力なって、現実逃避の生活をしていたのではないということを証明する話しだから、よく聞いていてね。

シモン・ボリバー空港での出来事を話しはじめる前に、吉田さんが、ことわりを入れた。

僕が、シモン・ボリバー空港のカウンターで、チェックインをしようと並んでいたら、そのうち、何となく様子が変であることに気が付いた。

その場の空気の変化が何なのかは、会話を交わす人達の言語がスペイン語なので、全く理解出来ませんでした。が、僕は、異様なものの正体を探るべく、本能のアンテナを全開にしました。

そうこうしているうちに、僕の前に並んでいた数人の人達が、係員と話しながら、どこかへ移動しようとするそぶりを示した。それに気づいた僕は、とっさの行動に出た。移動を始めようとする人達のうちの一人、大柄な男性の袖を引っ張って、僕のチケットを見せた。

すると、その大柄の男性は、空港の係員にむかって、何やら大声でワアワアと喋った。僕には、なにがなにやらチンプンカンプンであった。そして、その大男は、僕にも付いてくるようにと身振りで示した。

事の顛末は、僕の予約していた便が欠航であったのだ。

親切な外国人(僕から見て)のお蔭で、僕は、同じ時間帯の他社の飛行機に乗ることが出来ました。幸運はそれだけではなかった。その飛行機の空席は、5人分だけであった。

これは、言葉が全く解らないという緊張感からか、五感が、異常に研ぎ澄まされていた結果だと思った。

本当にラッキーでした。

無気力って、五感が働かない状態だよね。
そうだよね、ネヲンさん!。


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エンジェルフォール紀行−2 

2012年05月11日(金) 12時24分


「ネェ!吉田さん」と、一瞬、くもった表情をした吉田さんの顔を覗き込むようにして、湯ノ街ネヲンが言った。

語学習得に対する、その不完全燃焼感が、今も、心のどこかにモヤモヤと残っているというのは解る。が、それを、いつまでもひきずっているのは、ダメだと思うよ。

もしかして吉田さんは、そんな過去のこと「失敗だった」と、決め付けてはいないかい?。

世の中には、「失敗という終着駅」は、ないんだよ。と言った湯ノ街ネヲンの言葉に、はじかれたように吉田さんは、ハッとしたような視線を返した。

「語学習得の道、未だ成功に至らず…」と、いうことじゃないのと言って、湯ノ街ネヲンは、ニヤリとした。

吉田さんの顔に輝きがもどった。

「よし!」と、元気を取り戻した吉田さんが、晴れ晴れとした顔で、カナダや南米で過ごした日々の体験談を話し始めた。

実は、僕…。当時は、だいぶ意気消沈していたんだろうな…、
だから、カナダから南米へと出国する際に、幾つかの大失敗…、いや、幾つかのチョンボをやらかしてしまった。

その一つが、カメラを紛失してしまったこと。
なにしろ異国での一人旅、ただもう無我夢中でした。たぶん、南米への出国時のどさくさのさなか、空港ででも紛失したのだろうと思う。その慌ただしさから解放され、ふと我にかえり、荷物を探ったときには、すでに、カメラはなかったのです。

「そんことは、どうでもいいから…」と、湯ノ街ネヲンは先をうながした。

吉田さんは、一枚の写真を見せながら話を進めた。


このエンジェルフォール、チョット見には、日光の華厳の滝か、勝浦の那智の滝のようにみえるでしょう。那智の滝は、関東からは簡単には行けないが、華厳の滝なら、浅草から電車に乗れば、日帰りが出来る。

このとき僕は、世界って、とてつもなく広いと思った。日本での滝見見物とは違って、このエンジェルフォールを見るには、それこそ、命がけで見に行かなければならなかった。

ギアナ高地の、979mの高さから流れ落ちる、世界一の滝・エンジェルフォールは、「見に行く」、というよりは、「探検に出掛ける」と言った方が適切であると思った。

それほど、日本人が持つ、旅のイメージとは異なった。

エンジェルフォールへの旅(探検)をするには、まず、その前衛基地となる、カナイマという村に行かなくてはならない。ここで、体勢を整えて、目的地へ向かうのである。

まず、ベネズエラの首都、カラカスの空港から四人乗りのセスナ機に乗った。セスナ機からの視界は、延々と広がった緑のジャングルと、真っ青な空だけだった。上空の青空と、眼下の緑の、たった二色の世界になってしまった。

日本の、白と黒の墨絵のような雪景色とおなじで、それは、口では言い表せない、緑と青の素晴らしいコントラストの世界でした。

乗客は、僕とイギリス人の新婚さんだった。だから、当然、僕は、パイロットの横の席であった。お蔭で、ベネズエラの国旗の様な、すてきな、コントラストの世界を堪能できました。

思い出は、それともう一つ、この新婚さんが、また、とても格好良かった。インディージョーンズみたいな、サファリスタイルのペアルックでさ・・・。

カナイマの空港に着陸して、ビックリした。なんと、そこの滑走路は、山奥の道路みたいに、ただ土をならしただけであった。

飛行機が止まると、現地の人達が数人集まってきた。尋ねられるままに、名前を言うと、僕とイギリス人の新婚さんには、なんと同じセスナ機で来たのに、二組(?)に分けられた。それを知ったのは、ガイドさんが、別々に歩きはじめたからである。この三人で、ずっと行動を共にするものと思っていた僕は、チョット違和感を感じた。

ガイドに、空港から歩いて5分位のところにあるホテルに連れて行かれた。ここでは、信じられないことの連続であった。

まず、部屋には窓がなかった。電気をつけないと真っ暗であった。ただ、コンクリートで囲っただけという感じであった。部屋というよりは、牢屋ではないかと思った。

そしたら、急に、不安が募ってきた。でも、シーツやタオルが清潔だったのを見て、ホッとした。その不安が、少し和らいだ。

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エンジェルフォール紀行−1 

2012年05月10日(木) 14時47分

昨年は、東日本大震災をはじめとして、多くの暗雲が日本全国をすっぽりと覆った。そのせいか、2012年は、年が明けても、かたい寒気につつまれたまま、ついに春がこないまま「GW」に突入した。多くの人達は、まるで閉じた心が開かないような、真冬の衣装で身を被ったままで「サクラ」をみた。

突然訪れた春には、喜びが少ない。
春とは、新しい芽吹きをそここに見つけるたびに暖かさを感じるのである。春とは、一枚、また一枚と、衣装を脱ぎ捨てていくたびに、心の軽やかさを感じ取るのである。


そんな晩春のある日…、
湯ノ街ネヲンの事務所に、旅行業者の吉田さんが遊びに来た。吉田さんは、40代の後半である。

人々が、酒やビールを飲まなくなったわけではない。
人々が、コーヒーやジュースを飲まなくなったわけではない。

なのに、街中から酒屋さんが消えてしまった。

今は、家食回帰だというが、人々は家の中に閉じこもったままではない。今は、旅行をする人々が、少なくなったわけではない。

なのに、街中からは個人の旅行業者のみならず、大手旅行会社の店舗もあいついで閉鎖をしている。

旅行業者、受難の時代である。
なのに、吉田さん、晴れ晴れとした顔をしている。

湯ノ街ネヲンが、「吉田さん、その元気はどこから…?」とたずねると、吉田さんは、涼しい顔で答えた。

「僕は、学生時代に、ある体験を通して、苦難の乗り越え方を学んだからさ」と、

「ねえ、ねえ、その体験談を聞かせて、そして、苦難の乗り越え方とやらを教えて」と、湯ノ街ネヲンは身を乗り出した。

吉田さんが言った。
「苦難の乗り越え方…、それは簡単なことさ、苦難のなかに希望の光を見つけだせばいいだけのことさ」と、

「そんなこと言ったって、簡単には…」と、湯ノ街ネヲンがモゴモゴと言っていると、

吉田さんは、まあ、口で言うほど簡単ではないが、自分のまわりにある数々の暗雲を、自らの手で一つ一つ取り除く努力をすれば、その先には、きっと希望の光が見えるということさ、と教えてくれた。

コイツ、若いのになかなかだと思いつつ、じゃあ、その学生時代の体験談をぜひ聞かせてと、湯ノ街ネヲンはせがんだ。

吉田さん、今となっては楽しい想い出だが、当時は、たった一人でもがき苦しみ続けたという、学生時代のにがい体験談を話してくれた。

実は僕、学生時代に、英語の勉強をしようと、カナダでホームステイをしたんだ。


「へぇー、それは初耳だね!」と、湯ノ街ネヲンが、あいずちを入れた。

カナダに渡って、はじめの3ヶ月は、それこそ寝る間も惜しんで勉強をした。朝は、5時に起きて予習をし、学校が終わると、もう一つの学校へ行って、そこで、さらに二時間も勉強をし、下宿先に帰ってからは復習と宿題、そして、就寝・・・。

そんな努力の甲斐があって、クラスでは、最優秀賞みたいなものを貰った。

そこまでは順調だったが、この後すぐに、どうしても乗り越えることの出来ない大きな壁にぶち当たってしまった。

話すこと(会話)が、全く進歩しないのだ。僕は、かなり落ち込んだ。

しかし、カナダまで来て弱気なっていても埒があかない。気を取り直し、二つ目の学校では先生を変えたりして、なお一層頑張ってみた。が、なかなか成果が現れない。

特に、月に一度受ける、トーイック(TOEIC)の点数も全く伸びないので、先生に相談してみた。しかし、先生も首をかしげるだけだった。※トーイックとは、国際コミュニケーション英語能力テストのことで、英語を母語としない人を対象とし、主催はETS(米国の民間の教育研究機関)です。

同じ時期にホームステイした、ほとんどの生徒たちが、長くても3ヶ月ぐらいで学校を変えたり、働きだしたりしていくの見ていて、僕も環境を変え、気分を一新し、再度やり直そうと考えた。

再挑戦のプランを練っていたら、相談した先生の、「頭を少し休めたら…」、とのアドバイスを思い出した。そうだ、まずはそれが正解かも…と僕は思った。そして、ここは一番、勉強以外のことに、おもいきり羽根を伸ばしてみようと決心した。タイミングも丁度よかった。カナダでは、夏になると、先生達も、皆、ひと月の休暇をとるからである。

そんな訳で、当初は思い切って、カナダ中を旅行するか、アメリカにでも、行ってみようかと考えた。

そんな時、以前クラスメートだった韓国人と街でバッタリと出会った。そこで、彼が、南米に行って来たという話をしてくれた。彼の話を聞くまでは、南米…なんて、全く頭になかった。南米が、急に興味の対象になった。

「そうだ!」、いっそうのこと南米へ行ってみようと思った。そのとき僕の頭に浮かんだ、南米のイメージは、本やテレビで見た、エンジェルフォール、ガラパゴス、マチュピチュの三ヵ所だけだった。今思うと、随分と乱暴な行動であったが、とにかく、行き当たりばったりで、出かけることにした。

頭を休めるのには、英語圏じゃない方がいいし、また、今後、こんなチャンスは、二度とないだろうから、と、自分で自分を納得させて、とにかく、行けるだけ行ってみようと決心し行動を開始した。

ところで、「英語は、ペラペラになったの!?」と、湯ノ街ネヲンは、話の腰を折るようなことを言った。

吉田さんは、苦々しそうな顔で、ゆっくりと首を左右に振った。


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ルールブック…その二十一(終) 

2012年04月27日(金) 16時14分

洗濯…。
発展途上国の女性達が、黄色くにごった水がゆったりと流れる川のほとりで、手ごろな小岩を利用して、ゴシゴシと洗濯をしている姿が、ときたまテレビに映し出される。

その光景が、湯ノ街ネヲンには、いつも、いとおしく懐かしいものとしてうつる。

湯ノ街ネヲンが子供の頃、母親が、これと同じスタイルで洗濯をしていたからである。

木製の大きなタライに少量の水をはり、斜めに置いた洗濯板の上で、シャツやズボンに固形石鹸をこすりつけながら、ゴシゴシと力をこめて、家族全員の洗濯物を洗っていた姿が、ダブルからである。

映像とチョット違うのは、母親が、全身をスッポリとおおいこむ、真っ白なエプロン姿だったことである。

そして、時代がすすみ、各家庭に洗濯機が普及し始めた。

手洗いの洗濯から、機械による洗濯の時代に入ったのである。

なのに…、その頃になると、湯ノ街ネヲンは、しばしば洗濯の手伝いをさせられた。

当時の洗濯機には、自動の脱水機能がなく、クランク状のハンドルを手でまわす、いわゆる、手動式の脱水機だったからである。

その脱水機のハンドル、シャツなどの薄手のものは、スムースに回転したが、ズボンなどの厚手のものを脱水するには、かなりの力を要した。

さらに、時代がすすみ、湯ノ街ネヲンも所帯をもった。この頃の洗濯機は、洗濯と脱水の二層式へと進化していた。

当時、家族そろってのお買い物の帰りがけに、ささやかではあるが、ほのかな喜びにひたったひと時があった。

それは、ヨチヨチと歩き始めた我が子と同じぐらいの大きさがあった、「ブルーダイヤ」という、合成洗剤の箱を、ぶら下げて歩く時であった。ハッキリとした理由は無い。

さて、近頃は、あちらこちらのスーパーで競うように、99円セールをおこなっている。

4〜5本のバナナが一パックになって、99円。
納豆が、三パックで、99円。
きゅうりが三本で、99円。
ジャガイモやタマネギだって一袋、99円。
お肉だって、100gあたり99円である。

1000円もあれば、買い物カゴが一杯になる。

しかし、不思議なことに、買い手にとって、そこには喜びが感じられない。

何でナンだ!。
たぶん、売る人も作る人も、喜びを感じてはいないからだと思う。

さて、本題に戻ろう。
かって、池田隼人さんの発言を、新聞が「貧乏人は麦を食え」と改ざんして報道したものが、話題となった。

この話にインパクトがあったのは、かって、湯ノ街ネヲンも経験したが、麦飯を主食にすることは、結構、きついものがあったからである。

しかし、池田隼人さんは、正確には、「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたい」という発言であったそうだ。

さて、以下は、例によって、湯ノ街ネヲンの独断的な話である。このあたりのことを、つべこべと論ずるつもりは毛頭ないので、なにかを感じた人だけが参考にしてください。

60数年前に、池田隼人さんは、将来的には、「…、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたい」と言った。当時は、お米などは配給制度であり、国民は食う事に困っていた。

そして、今日、やっと池田隼人さんが考えていたような時代が、到来したような気がする。

米を食うか、麦を食うかの話ではない。

所得に応じて、低所得者といえども、それなりに、快適な生活が出来る時代にしたいと言っていたのである。

現在は、ユニクロもあるし、99円セールもあるし、伊東園ホテルグレープもあるし、所得が低くても、案外、快適な生活が送れる。即ち、過去のように、低所得者が堪え難き耐えながら生きていく時代ではなくなったといえるだろう。

ここで、湯ノ街ネヲンが言いたいのは、現在、買い手は、所得に応じて上手に生活する時代になった。

ならば、売り手は、ある所得層をターゲットに商売をしても問題はなかろう…、と言いたいのである。むしろ、そのようにするべき時代になったのだ言いたいのである。

お客様を差別してはいけない、などということはクソくらえである。すなわち、8000円と20000円のお客様は、ハッキリと区別しなければいけないのである。

話は、飛躍するが、温泉旅館は適切な運営をすれば、とても儲かる商売である。なら、なんで今、温泉旅館業界は四苦八苦しているのか…、という反論があるかもしれない。その答えは、とても簡単である。苦境の原因は、経営者の能力を超えた経営をしているからである。

参考までに、一部屋しかなくても温泉旅館は、温泉旅館なのである。

話は戻るが、温泉旅館と、アリやハチのコロニーとは、類似点がたくさんある。たとえば、蜂の巣と温泉旅館の建物は、そっくりでしょう。

聞きかじっただけの組織論や経営論などに振り回されていないで、現実に、繁栄しているアリやハチの生態を研究して、多くのことを学ぼう。

高校野球の強豪校は、監督さんのルールブックの理解度によって決まるという。  

苦悩を取り除く薬はない。苦労をするしかないのである。いま、温泉旅館は、第三世代に突入した。チャンス到来である。いろいろと勉強をして、いまこそ、旅館独自のルールブックを作り上げよう。社員全員が、楽しく働ける職場を作り上げよう。

ルールブック…その二十 

2012年04月20日(金) 17時31分

時の流れのなかで、ときおり、すべての国民の話題をさらうような超人気者があらわれたり、すぐにでも食べてみたいような、美味そうな商品があらわれる。

すると、それを取り巻く、熱狂した人々の火花が四方八方に飛びちり、一大ブームが沸き起こる。

最近では、AKB48であったり、ティラミスや生キャラメルなどである。

ブームは、偶然または突然、発生するかのようにみえるが、実は、ブームは、必然の結果である。即ち、平素から爆発のためのエネルギーをタップリと溜め込んだ人達やモノだけが、その主役になれるのである。そのエネルギーが大きければ大きいほど、支持者が多くあつまり、長続きするのである。

話を温泉旅館に戻そう。

今日、温泉旅館に宿泊して、とてもいい気分だった、さすが日本の伝統文化だ!、と、我が温泉業界を褒めちぎってくれるお客さんが、はたして、どれくらい、いるのであろうか?。はなはだ、疑問である。

疑問といえば、なぜ、つい最近までの長い間、温泉旅館にお客さんが押し寄せたのだろうか?、というのがある。

言い換えれば、なぜ、飽きっぽい日本人が、これほど長い間、温泉旅館ブームを持続しつづけたのであろうか、ということである。

湯ノ街ネヲンは、アリさんの話にふれて、この疑問がスッキリと解明できた。

湯ノ街ネヲンは、温泉旅館業界に足を踏み入れて以来、すでに、50年近くなろうとしている。

思い起こせば、当時の温泉旅館は、温泉旅館街ともども、街ぐるみ、観光地ぐるみ最高の環境下にあったといえる。

いわば、長期的な温泉旅館ブームが、沸き起こるべき、確固たる下地(したじ)が、どこの温泉地にも完成していたのである。

即ち、温泉旅館がもっとも温泉旅館らしかった時代だったのだ。

だから、この当時、温泉旅館に泊まった人々の脳裏には、これぞ、日本の温泉文化であるという思いが、強烈にインプットされたのである。

それが、子や孫達に言い伝えら、DNAに刷り込まれ今日まで続いたのでらる。いわば、現在の温泉旅館は、先輩たちの偉業に支えられて成り立ってきたのである。

こんなことを言ってはナンですが、あなたは、現在の温泉旅館に宿泊して、これぞ、日本の伝統文化だと、胸を張っていえますか?。

むしろ、伝統文化ということに、疑問符がつきませんか?。

それでは、良き温泉旅館時代のシステムを思い起こしてみましょう。

アリさんの話を聞いて、ビックリしました。当時の温泉旅館の現場では、なんと、全従業員が、アリさんとまったく同じシステムで働いていたのです。

このシステムを解明し、現代風にアレンジすれば、温泉旅館はきっと復活します。

その相似性の例を挙げてみましょう。

アリの脳みそは小さすぎて、組織的行動は出来きないと言っていた。しかし、全体としてはキッチリと運営が出来ていて、しかも、繁栄している。

組織的行動が取れていない会社が、成果を出すなんて今日の常識では、まったく考えられない事である。

当時の温泉旅館の従業員たちの脳みそは、アリさんのように小さかった。

当時は、一つの仕事が続けられず、職を転々とするものは、はんぱモノと決め付けられていた。

そして、当時の温泉旅館は、その数人のはんぱモノと中学を卒業しただけの大勢の女中さんたちで構成されていた。いわば、脳みその小さな人達の集団であった。

頭が悪いヤツ等ばかりであったということではない。人間失格という意味でもない。組織のソの字も知らない人達の集まりであるということである。(誤解なきのように)

当時、女王アリのような、専業従事者は、板長とご飯炊きのオバサンだけであった。それ以外の人達は、先輩の動きを見よう見真似で動いていた。これは、組織を動かす特別な人がいなかったという証拠である。

伊豆弁は、きれいな言葉ではない。地元出身のうら若き女中さんたちは、普段、仲間内では、「・・・ズラ〜」、と初めての人にはワケのわからない言葉で、会話を交わしていた。

怠け者アリといえども、目の前に仕事がぶら下がると、自動的に、すぐに働き始めたという。

同じように、この女中さんたち、お客さんを目の前にすると、別人かと思うような敬語使って話をする。

同じように、はんぱモノとレッテルをはられた番頭さんも、自分が、お客さんに一番近い位置にいるとわかると、サッとお客さんの荷物を持って、行動を共にした。

このように、小さな脳みその従業員があつまって、勝手に動いていたようであったが、実は、当時の全従業員は、それぞれが、温泉旅館とは、ということを充分に理解していて、問題を一つ一つ丁寧に解決していたのである。

だだし、一人一人がスーパーマンであったわけでもない。

ルールブック…その十九 

2012年04月13日(金) 14時17分

アリさんのお話の続きです。

クルマの運転中にたまたま耳にした、NHKラジオ…、それは、アリさんの生態についてのお話でした。

とても面白かったので、必死に思いおこそうと頑張ったが、浮かぶのは、記憶に焼き付いたある一部分だけが、フラッシュのように表れては消えるだけでした。

そんな時、もしや…?、と思い、アマゾンをググった。ヤッパリ、あった!。

進化生物学者の長谷川英祐さんが書いた、「働かないアリに意義がある」という題名の、メディアファクトリー新書です。

中古品なので、送料ともで400円でした。ブックオフに行かなくとも、自宅にいながら読みたい本が手に入る…、スバラシイ時代です。

現在の職場で、いろいろと思い悩むことのある方は、ぜひ一度、目を通してみてください。想像だにしなかった解決法が見つかるかも知れません。

さて、前回、湯ノ街ネヲンは、あやふやな記憶をたどり、「なんと、アリさんの3割ぐらいは、大部分の時間を、ボ〜ッとしたまま一生を終えるそうである。」と書きましが、正確には、働きアリの7割はボーっとしており、その一割は、一生働かないそうです。

我々の、常識を覆す話である。

近頃の湯ノ街ネヲンは、足元のアリさんを極力踏み潰さないように、注意しながら歩いている。しかし、子供の頃は、アリの巣穴に水を注いだり、入り口を泥でふさいだり、エサを運ぶアリたちの行列を踏み潰したりと、アリに対し非業の限りをつくした。

そのかずかずの悪行の奥底には、休みもせず、サボりもせず、来る日も来る日も、全員で整然とせっせと働き続けるアリたちのことを、なんとなく不愉快に思っていたからである。

怠け者の湯ノ街ネヲンには、その勤勉さが、癪にさわったのかもしれない。

さて、皆さんは、組織的だとか、効率的だとか、勤勉だとか、ということを考えたとき、無意識のうちにアリさんの行列を思い浮かべてはいないでしょうか。

湯ノ街ネヲンは、アリどもには、組織的行動がとれるほどの脳みそがない。また、働きアリと呼ばれているのに、実に、その7割は、我々人間の目に触れないところで、ボーっとしているという話を聞きき、なぜか、にんまりとした。

小さな脳みそしか持たず、たいして働き者でもないアリたちは、今、この地球上で繁栄している。

ならば、勉強嫌いで、怠け者の部類に入るこのオレもまんざらではないのかと、屁理屈をこねたからである。

さてさて、湯ノ街ネヲンは、このアリさんのお話にふれて、温泉旅館は家業であるという持論に、ますます、自信が持てるようになった。

現在の、温泉旅館業の不振の一因は、業界の皆さんが、生半可な知識をかざし、温泉旅館業とは立派な企業である。だから、当然、我が社員たちは、分業し、組織的に仕事をかたずけている、という間違った認識を持ち続けているからである。

即ち、学者さんやコンサルタントの先生達が言うところの経営云々…という話は、早稲田・慶応大学レベル以上の頭脳を持った人達を対象にした内容なのである。

決して、万人に当てはまる理論ではないのである。温泉旅館人たちの小さな脳みそでは消化できない話なのである。誤解してはいけない。

目覚めよ、温泉旅館人たちよ!。

昨日、ある温泉旅館の営業マンが、自慢げに胸を張って言った。

この4月から、新卒の女子高生が、6人も入社したんだと…。そして、普段から先生たちにいい子を紹介してくださいと、お願いをしていたかいがあって、どの子も学業はトップクラスで、性格は真面目で、素直そうないい子達ばっかりだと言った。

その営業マン、彼女達の給料分を確保するんだと、今まで以上に集客に力を入れると張り切っていた。

その話を聞いて、湯ノ街ネヲンは、あぁ〜あ、可哀そうな新卒者たちよ…、という思いが、急にこみ上げてきて悲しくなった。

既に、入社して働き始めているというので、湯ノ街ネヲンは、その営業マンにむかって、つべこべとは言わなかったが、内心では、お前等、自分達の仕事を理解しているのか!、と怒鳴りつけたかった。

温泉旅館にとって、いい子とは、酔っ払ったオヤジに、尻を撫でられたぐらいで、やれセクハラだなんのかんのと、メソメソせずに、「このスケベジジイめ!」と、やり返せるぐらいの子が、いい子なのである。学業や性格は二の次の話である。

酔っ払いごときに、学業に打ち込み性格のいい子が、夢と希望を打ち砕かれて、失意のうちに退社せざるをえなくなった…、そんな、いい子たちの胸のうちを、想像してみろ!、と。

ルールブック…その十八 

2012年04月06日(金) 15時34分

前回は、「組織」というシステムを、キッチリと理解していますか、という疑問を呈した。特に、温泉旅館に元気がないのは、上から下までが、「組織とは」ということを、シッカリと認識していないからである。

その程度たるや、当館の事務室には、立派な組織図なるものが、バッチリと貼り付けられている。だから、我が社では、組織図にのっとり、全員が機能的に動いている、と思い込んでいるレベルの話である。実際には、組織なんて無いに等しい状況におかれているということが解っていないのである。

前回は、某国の軍事パレードのことにチョット触れたが、似たようなことが、わが国のテレビでも、最近、ちょくちょくと放映されてる。

「日体大の集団行動」という内容のものです。みなさんのなかにも、ご覧になった方が大勢いると思います。

日本体育大学といえば、それなりの素質がなければ入学できない大学です。

そこの女子大生が、ただ、組織的に歩く、という行動を完成させるために、来る日も来る日も、涙を流しながら訓練に励んでいる姿が放映されていた。

組織的行動…、いやはや大変なことである。

さて、話は変わるが…、
つい最近まで世の人々は、雑草だとか、昆虫などというものは、科学的ということの対極にあるもののように思ってきた。

しかし、喜ばしいことに、近頃では、自然界の生態をいろいろと研究をして、新しいモノを生み出すという思想が定着しつつあるようです。なかには、今までの10倍もの石油を生成する藻を発見し、すでに、車を走らせる実験が成功したという話も聞きます。

どうやら、人類は、地球を破壊しないですみそうです。

さてさて、
先日、営業中のクルマの中で、たまたま、NHKラジオのスイッチをいれたら、おもしろい話が聞こえてきた。

まず、世の中には、凄い研究をしている人がいるものだと驚かされた。

それは、外側から内部が観察できるような大きな巣箱のなかで蟻(アリ)を飼い、さらに、その一匹一匹に印をつけて、個体を判別しながら、その生態を研究しているというのである。

湯ノ街ネヲン、それを想像しただけで、気が狂いそうであった。が、その話は、とても面白かった。

残念ながら、湯ノ街ネヲンの記憶は曖昧である。ご容赦下さい。

その放送は、イソップ寓話のアリとキリギリスの話から、始まったような気がする。

すなわち、ラジオを聞いている皆さんが知っているイソップ寓話の内容と、我々(学者さん)が実際に研究した結果とが、はたして、同じ答えであっただろうか、というところから始まった。

我々は、キリギリスの研究はしていないので、ハッキリとした結論はいえないが、と前置きをしたうえで言った言葉に、湯ノ街ネヲンは、目を白黒とさせた。

なんと、アリさんの3割ぐらいは、大部分の時間を、ボ〜ッとしたまま一生を終えるそうである。

このとき、湯ノ街ネヲンは、アリとキリギリス、はたして、どちらが水商売向きであろうかと考えてしまった。だから、そのときの記憶が曖昧になってしまい、3割ぐらいというのは、正確かどうかは定かではない。

話が進むにつれて、もっと、ビックリすることを研究者は言った。

湯ノ街ネヲンのみならず、みなさんも、アリさんたちは、一糸乱れぬ組織的な行動をとる生き物の代表格だと位置づけていたことと思う。

研究者は、それをいとも簡単に否定した。

蟻(アリ)程度の脳ミソでは、組織的な行動はとれないと言うのである。さらに、組織が機能するように指令を出すには、とてつもない脳ミソの容量を必要とするのだと言った。

すべての蟻に標識をつけて観察したが、そんな蟻はいないと言った。湯ノ街ネヲンもそのことはなんとなく解った。子供の頃から数多くの蟻を見てきたが、ずば抜けた蟻といえば、女王蟻ぐらいしか見たことが無いからである。

ここで、誤解を生まないようにと、前置きをした前回の話を思い起こしてください。

誤解を恐れずに、あえて言えば、温泉旅館レベルの企業群では、トップが、組織的な訓練もほどこさず、また、社員たちも組織的な訓練を受けないまま、自然発生的に組織的行動が取れるということは、絶対にないのである。

即ち、社員たちにそれなりの訓練・教育をせずに、ただ、会社に組織図があるからといって、我が社の社員たちは、組織的行動が取れる者達の集まりであると思い込んではいけませんということである。

続きのアリさんの話…、
素直に受け入れられたら、あなたの旅館を救うかも知れません。次回を、お楽しみに!。

ルールブック…その十七 

2012年03月30日(金) 11時21分

湯ノ街ネヲン…
知ったふりをして、偉そうにズラズラ・ダラダラと書いているが、その底は、実に浅いものである。自分自身では、軽薄の部類に入っているのでは…、とさえ思っています。

そんな湯ノ街ネヲンが、「会社の組織とは」と、チョット難しい話をしようと頑張ってみた。

当然、湯ノ街ネヲンの頭では手に負えないので、フリー百科事典の『ウィキペディア』の、組織(社会科学)のページをお借りることにしました。

いい機会ですから、みなさんもぜひ一度、目を通してみてください。そして、湯ノ街ネヲンが、言いたいであろうことを想像して、その補完材料にして下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%84%E7%B9%94_%28%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6%29

さて、
社会科学とは、現代の制度や組織を研究する学問だそうです。

そして、
社会科学における組織(そしき)とは、共通の目標を有し、目標達成のために協働を行う、何らかの手段で統制された複数の人々の行為やコミュニケーションによって構成されるシステムのこと…、だそうである。


定義
社会科学において、組織という用語は様々な用いられ方をしており、唯一の定義が存在しないバズワードとなっている。学問領域や、組織を捉える視座によって、対象とする範囲や定義は様々である。…と、書かれています。

注意:下線の部分は、パスワードではありません。バズワードと書かれています。

湯ノ街ネヲンが、こんな小難しい話を、今回とりあげた理由。
それは、これからお話しようとする話題(次回)の途中で、「組織」ということを持ち出すと、今の湯ノ街ネヲンの文章力では、その真意を、とてもではないが、言い表せないと考えたからです。むしろ、馬鹿にするなと、不快感を与えてしまいかねないからです。

以下のことを、善意的に解釈してください。
多くの皆さんは、自分の属する会社等には、立派な組織が存在すると思い込んではいませんか?。

事務室の壁に貼られた、社長→専務→部長などという組織図をみやって、我が社には、このように立派な組織が存在すると思い込んではいませんか?。

もう一度、冒頭に戻ってください。
社会科学における組織(そしき)とは、共通の目標を有し、目標達成のために協働を行う、何らかの手段で統制された複数の人々の行為やコミュニケーションによって構成されるシステムのこと…、と書かれています。

くどいようですが、組織とは組織図を書けば、それで完了!。と、『ウィキペディア』には書いてありません。

組織とは…、ということを考えた時、重要なのは、「目標達成のための統制を取る人」がいて、また、「目標達成のために協働を行う人達」がいるという集合体が、出来上がっているか、否か、いということではないでしょうか。

あなたは、自ら進んで協働をしていますか?。
あなたの近くには、統制がとれるリーダーがいますか?。

さてさて、湯ノ街ネヲンが、ツラツラ考えることは…、組織として、ある目的に向かって協働するには、それなりの厳しさをともなった特別な訓練が不可欠ではないかということです。

あなたは、組織の一員として、形だけではなく、実質的な訓練や教育を受けたことがありますか?。

某国の、軍事パレードを見てください。
銃を持った歩兵は、ただ、足並みを揃えて行進しているだけです。

自衛隊に在籍した経験をもつ湯ノ街ネヲンからみれば、某国の兵隊さんの、ただ歩くだけという「協働」でも、最低一年以上の厳しい訓練を経ていると思う。

また、自らの頭で考えて、自らの意志で「協働」が出来る人は、そう多くはいないと思う。たぶん、たくさん勉強をし、多くの教養をいっぱいその頭に詰め込んだ、早稲田・慶應大学レベル以上の頭脳を持った人達だけではないでしょうか?。

即ち、人々が、組織的に行動するには、肉体的な訓練や頭脳的な訓練が不可欠である。

見方を変えれば、凡人であり、かつ、専門的な訓練を受けていない人達に、組織的な行動が取れているのだろうか?、ということである。

会社員である以上、当然、組織的な行動が取れている、と考えるのは早計ではないだろうか。

プロフィール
  • ニックネーム:孟嘗君&湯ノ街ネヲン&ムラサキカイジ
  • 性別:男性
  • 誕生日:1943年
  • 血液型:A型
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