二、三日前、喫茶店のマスターと話してたら、マスターの独演会になってしまった。と言ってもそれを密かに楽しみにしているところもあって、マスターの話をうんうんと一時間くらい聞いた。
マスターはテレビのドキュメンタリー番組でカーペンターズの特集をみたそうだ。そこでは、子供のころは大きなお家で育ち、楽器を買い与えられ、どんどんと才能を伸ばしていったカレンたち。やがてカーペンターズとして素晴らしいレコードを次々と発表していった。それを見てマスターは「環境あってこその才能なんだなあ」と感銘を受けたそう。
そこで僕の話。「毛利君、ああいう才能が今でもどんどん出てきてる。それに毛利くんは勝っていかなきゃならない。大変だなあ。わほほほ。」「はあ、そうですね」「毛利君、負けそうだね。いひひひ。」「はい、負けっぱなしです。」「毛利君、きみはおそらく、同じ発想のもとでぐるぐると生きている。そこを打ち破って行くべきではないのかね?」「はあ、確かにそうです」「つまり、ロックなんかにこだわらないで、いっそ今の歌はまったく歌わずに、演歌ばっかり歌うとか、嫌ってるジャンルの音楽をどっぷり聴いてみるとか、やってみるんだよ。」「(ファンキーモンキーベイビーズを聴くとかかなあ。)はあ。」「するとね、嫌いだったもの、苦手だったものの良さってものがわかってくる。そしていままで好きだったもの、こだわってたものも、あらためて見えてくる。そうすると、その間にあるものが生まれてくるんじゃないかね?」
これは、話の一部を自分なりに解釈して抜粋したのだけど、やっぱり歌ってものは歌う人間(この場合、ぼく)の考えや世界観から生まれるものだから、歌い手が視野を広げる努力をしないかぎり(もしくは天才でないかぎり)人の心を打つものになっていかない。っていう話なんだと思う。
いや、この手の話はわかってたつもりだし、曽我部さんやあがた森魚さんにもずっと言われてた。そして、音楽をやってないマスターにも言われると、いかに自分ががちがちの発想で生きてるのかが実感された、という話。
あああ、まったくそのとおりだぜ。
僕は未知の世界に飛び込むのが苦手だ。それが楽しさや、気持ちよさをともなわない場所ならばなおさら。でも、やりたい気持ちはある。自分だって、ぶ厚くなってる殻を破りたい。
ちきしょー!