風邪 

2010年12月14日(火) 22時15分
ひいてしまいました。

先週の金曜、深夜の授乳で体を起こすのがちょっとつらいなぁ
と思っていたら、
朝には、体中がどろーん。目の裏がズキズキ。
完全に風邪をひいていました。

なんとか外にごみを捨てに行って、早起きなこどもたちのごはんを作ったところでダウン。
ソファーの上で横になりながら、下の娘をおなかの上であやし、
上の娘の話にはふん、ふんしか相槌がうてない。

すると、いつもは10時過ぎまで寝ている夫が突如起き上がって
「今日は寝てていいよ」と宣言。
余計なことを考える余力もない私は
「あ、ありがとう」
と布団に倒れました。

それからは、
ひゅぅぅ・・・(窓を全開にして、部屋の中に風が入ってきた?)
ぶぉぉ・・・(掃除機?)
「しゃぼんだま、したーい」「ええっと、お掃除終わって買い物いくときね」
「はーい」・・・(あれ、父の言うことならすぐにきくんだな)
ぼんやりといろんな物音をきいているうちに、眠りにつきました。

肩をゆさゆさされて目覚めると、なんだかいいにおいがします。
「うどん、食べられる?」
やさしく起こされておこたに入ると、にぼしのだしが香る、ねぎ入りのかけうどんが!!
しかも、うどんの上には、煮たおあげ!!
夫は平然と「では、いただきます」と食べ始めましたが、娘は
「なんでおうどんに油揚げ?」と不思議そうな顔をしています。
そう、私はまったくのあずま女なので、
おあげを甘く煮て、うどんにのせることなんてほとんどなかったのです。

「食べてごらん、おいしいから!」
と娘にすすめて、私もおあげをがぶり。
じわ〜と広がる、お醤油と、お砂糖の味。
絶対に、私にはできないこの味の濃さ。でもなぜか、とっても
「おいしい!」
夫は横で、にこにこしていました。

風邪も、たまにはひいてみるものです。
ただ夜になって冷蔵庫をみたら、ねぎも油揚げもうどんも、
ついでに気を利かせて買ってくれたのだろう夜用のお肉も野菜も、
もともと冷蔵庫にあったものとまるかぶりだったので
ちょっと、とほほ。
でも、夫が運んできてくれた関西の風を思えば
まぁ、いいかな。

お客さま 

2010年12月10日(金) 20時12分
お客さまって好きですか?

私は好きです。
特に、夫の友人を家に招くのが大好き。

我が家では、お客さまはお茶の時間にお招きます。
家が小さいので、当然居間も小さい。
そして机も小さい。
4人分の料理を並べるだけでぎっちぎち。
これは美しくないし、くつろげない。

でもお茶なら、クッキーとちょっとしたケーキと、おいしい紅茶を置いても
机にちょっとした花まで置くことができます。
それも、中国茶用の白い小さな急須に、スミレとグリーンの何か、ぐらいですが。

お菓子は手作り。特別な日なので、材料はケチらずに。
掃除は念入りに。家中のリネン類は、前日までに総洗濯!

でももちろんお客さまに、その労を覚られてはいけないのです。
お客さまが見えたら、私のすることは紅茶を入れるくらい。
にこにこして、相手の話をよぉく聞くだけ。
夫にも、「このクッキー、私が作ったとか自分から絶対いわないでね」と念押し。
主役は、もちろんお客さまで、
目立ってはいけないのです。
こっそりこっそり。ちょっとした忍者(?)気分。

でも、一緒のときを過ごしてくれたお客さまのこころのどこかに、
おいしいバターの香りや、さわり心地のよいクッションが残って
また来たいな、と思ってもらえたら。
そういう気持ちを持てることが楽しい。

だから、お客さまはやめられないのです。
うちに来てくれた方々、ぜひ、また来てね!

愚か者 

2010年12月07日(火) 20時23分
今日は、お料理好きの人に謝らないといけません。

すみません、私も自称お料理好きです。
でも、昨日までは、偽お料理好きでした。
「料理してる!」という自分に酔っていました。

ことの原因は、私の性格。
とにかく、ゴールが分かるとあせってしまう。
お菓子作りでも、頭は目の前の工程より、次の工程。
それで、小麦粉と一緒にふるわないといけないココアを、入れ忘れたり。
我慢がきかないんです。

毎日のお味噌汁づくりでも、それはおなじ。
昆布は、前の晩からつけておけばいいから、問題なし。
鰹節も、煮立つ直前にぱっといれて、気分ですぐ火を止めたり、ぐらぐら濃ゆい出汁にしたり。
ただ、煮干し。これには必ず一手間が必要です。
みなさまご存知、頭と内臓をとるという作業です。

申し訳ありません。
私は今まで、まるごとボンっと入れてました。
それでいいと思ってました。
昨日までは。

子供が2人ともなんとなく同じ時間にお昼寝をして、ちょっと余裕ができた昼下がり。
今日はなんとなく、丁寧にごはんをつくってみようかな。
取り出した煮干しの、頭と内臓をひょいひょいっととってみました。
ものの30秒。

そしてその夜、お味噌汁を飲んだときの感動!
なぜ、成分が少なくなったはずなのに、味が深くなっているのか。

先人の言うことには、それなりの理由がある。
時間の中で研鑽された味と、それを享受できる日本人としての自分に
はっとした、すてきな夜ご飯でした。

陽だまり 

2010年12月05日(日) 21時31分
父方の祖父を応援するために、長野に行ってきました。
4度目の、前立腺がんの摘出手術です。

祖父は89歳。現在は八ヶ岳の近くの広い家に一人で住んでいて
現役の専業農業者でもあります。

朝、どんよりとした曇り空を見上げながら車を走らせ病院に着くと、
駐車場で叔母さんに会いました。
昨日の手術の説明を受けるために祖父も含めたみんなで集まったとき、
「どうせ毎回おんなじ説明なんだから、テープレコーダーにとっといて流してくれりゃいいのに」
と言い放った、豪傑です。
ツイードのパンツの似合う、すらっとした美人。
薬指にはいつも、小さいけれど美しいダイヤを10石もはめこんだプラチナの指輪をしています。

父、母、叔母さん、それに私と娘2人の6人で、病室に入ると
祖父は、静かにベッドに横たわり目をつむっていました。
私たちに気づくと、ゆっくり身を起こしてくれました。
入れ歯をはずした口元はすぼみ、声もいつもよりずいぶん小さい祖父に
一瞬ドキリとしました。
これまで見取ってきた、亡くなった人たちと、少し面差しが似ていたから。
いつも気丈で、やさしく、よく笑う祖父の中にも、間違いなく死の種は存在する。
背中をバン、と叩かれたような気分になっていたとき、
下の娘が突然、大きな声でしゃべりはじめました。
祖父は微笑んで、ちょっと照れながら赤ちゃん言葉で下の娘をあやし
下の娘も、満面の笑みで応えます。
叔母さんが
「もうじいさんの方がなれっこなんだから、先生に手術のしかた教えてやればいいんだ」
なんて冗談を言って、みんなで笑いました。

がやがやと笑いあっているうちに看護士さんがお迎えにきて、
みんなで手術室の前まで祖父を送りました。
厚い銀色の自動ドアの前で、車椅子から身を乗り出して手を振る祖父に
「今生の、じゃなくて、しばしのお別れだね」と最後まで冗談をとばし、笑う叔母さん。
みんなもげらげら笑っていると、自動ドアが開きました。
最初小さく開いたドアの隙間からまぶしい光がもれ、
その光は、ドアが開くにつれどんどん大きく、強くなっていきます。
「晴れたんだ!」
ドアの向こうにある窓を指して、叔母さんが言いました。
祖父は、手をふりながら光の中に入っていきました。
みんな笑いながら、「がんばれー」とか、「いってらっしゃーい」と言って、見送りました。

きっと、病室に入って祖父の顔を見たとき、みんな死を思った。
けれど笑いながら、みんなで祖父を見送った。
死と生が当たり前に一緒にあって、それをわかっていても笑っていられる。
そういう雰囲気をつくることができる人たちの間で育ったことを、とても幸せだと思いました。
深いけど、重くない。潤っているけど、湿ってない。温かいけど、暑くない。
陽だまりの中にいるようだ、と、思いました。

沈黙 

2010年12月03日(金) 21時56分
喋らないことについて書きましたが、またそのことの利点について。

それは、自分からは喋ってこないものたちの声が、聞こえやすくなるということ。

うちには、亡くなった祖母から受けついた、ティーカップがあります。
白地に青のバラを描いて、金で縁取ったロマンチックなもので、
もっぱら子供が寝た後、夫と二人で紅茶を飲むときに使っているものです。

こういうときは大抵、心の浮き立つようなお菓子をどちらかが買ってきて、
それをゆっくり賞味しようというお楽しみの時間になります。
意外と好きなクイーンアリスのマカロン、定番のアンジェリーナのモンブラン、地元のブルージュの丘の季節のタルト、
とにかく心はお菓子に向いて、二人でわいわい、ほくほくしています。

だからこの間、一人でこのカップを取り出して、静かにリプトンの紅茶を飲んだ時には、はっとしました。
小学生のころから、私が家に遊びにいくと、とりあえずお茶を入れてくれた祖母。
「夜の梅」に濃い緑茶、はたはたのお寿司に焙じたてのほうじ茶、
そして、なんでもない100円のシュークリームにミルクたっぷりの紅茶。
小学生には分不相応なほど美しい器に納められたそれらの映像が
私の頭の中で嵐のように「ぶわっ」と舞い上がり
渦をまいて、そのカップの中に消えていったような、そんな感じがしたのです。

言葉を発するわけじゃないけど、雄弁なカップ。
このカップと、もっといろんな思い出を作りたいと思いました。
こう思わせてくれるものたちと一緒に暮せることは、幸せ、です。
祖母が自然にそうしたように、私もいつか、こういう幸せがあるということを
ものの声を借りて、娘に伝えられたらいいな、と思います。

まだ3歳だから、怖くていろいろ触らせられない小心者な私に、
あの大胆な祖母と同じことができるかは、ちょっとどきどき、心配ですが、ね。

黙っていること 

2010年12月01日(水) 21時34分
今日は上の娘がおでかけで、日中はあかんぼうと二人。
こういう日は、私は喋らないと決めて、一日を過ごします。

人は喋るとき、相手に対してももちろんですが、自分に対してもかなり意識を集中していると思います。
声の大きさ、トーンは適当か、言葉の選択は正しいか、
そしてなにより、人により程度の差はあれ、自分が相手にどのように受け止められているか、常に気を使っています。

だから、たまにはほとんど心のエネルギーを使わずに、一日を過ごしてみます。
あかんぼうに対しては、笑顔と、陽の光と、少しの風があれば大丈夫。
そうして過ごすと、疲れたときにふとんに横になったような、
ふわっとした安らぎが、自分のなかにつもっていくのがわかります。

心には、いろんな愛と、安らぎ、そして時には怒りや悲しみ、いろんなものをしまっておけば
一人で道を歩いていても、自分が確かに在るという実感を持つことができます。
心の中を、カラカラにしないこと。
しかもそれをなるべく自分で、ケアすること。
大人って、こういうことが自然にできる人のことを言うんじゃないでしょうか。

と言いつつ、今日は帰れないかもしれない、という夫に対して、
「このままだと愛が枯れます、というかつらいから枯らします」と
おそろしいメールを打つ私。
まだまだ愛は、一人で供給できません。

笑顔 

2010年11月29日(月) 20時42分
我が家は集合住宅で、娘ができてからは、少しのご近所付き合いもたしなんで(?)います。
基本的には子供のいる家族同士で、ごはんを食べたり、遊んだり。
でも私がひそかに楽しみにしているのは、親なしで、よその子と話すこと。

チャンスは突然訪れます。
家に続く階段を、娘とえっちらおっちら登っているとき、軽い足音が後ろからしました。
「こんにちは」
まだ姿もほとんど見えないのに、私たちの気配が分かって、
あいさつをしてくれる女の子。
今年小学校にあがったばっかりだけど、いつもしっかりしていて、とても礼儀正しい。
娘もにこにこ顔で彼女にあいさつをして、手をつないで階段を上り始めた。
4階にある彼女の家についたとき、私はにやにやしながら一言。
「このままうちで、お茶でも飲まない?」

小学生を誘うのに適当な言葉か今考えると謎だったけれど、
彼女は大人っぽい笑顔で、「お邪魔します。」
余裕綽々なのでした。

たっぷりきな粉をまぶしたおだんごを大皿に盛って、
「好きなだけどうぞ!」と言うと、
まぁ食べること食べること。
あっという間にきな粉だけになったお皿。
そのお皿を見て、もじもじと「このきな粉も、食べていい?」と彼女。
うれしくなって、かわいい熊のついた子供用スプーンを持っていったら
くすりと笑われた。。。

まったくの空になったお皿を、ちゃんと台所に運んでくれた彼女は、
調理台の上に冷ましてあったミートローフを不思議そうに見た。
「これなに?」
「オーブンで焼いたハンバーグみたいなものだよ」
「それは見た目でなんとなくわかるよ。名前は?」
彼女の観察眼を幼くみていた私は、少し恥じ入りながら「ミートローフだよ」と言うと、
「・・・。」
押し黙った彼女は、なおもミートローフを見つめています。
彼女に、端っこをちょっと切って渡すと
「おいしい!もっとちょうだい!」
びっくりしたような、でもとっても嬉しそうな顔で言うので、私も嬉しくなって
「おうちに持って帰れるように、包もうか?」と言うと、
彼女は一瞬ぱっと顔を輝かせて、その後すぐ、考えこむような顔になりました。
そして、
「いいや。お母さんが気にすると可愛そうだから。」

彼女の言によると、お母さんは家事においてお料理よりお掃除派。
だから、自分が「おいしいからもらった」なんてよそのうちのおかずを持ち帰ったら、
傷つく、とのことでした。

彼女の、品のよさ、礼儀正しさ。
それは年齢を超えたところにある、人間が持つことのできるすばらしいものの一つ。
よその子はときどき、飾りも、うそもなく、そういうものを見せてくれる時があるんです。

だからうちはいつでも、小さなお客様大歓迎、です。

ワンシーン 

2010年11月26日(金) 20時46分
私と家族の住む集合住宅には小さな庭があり、
桜の木があります。

木のないところは芝が敷き詰められ、もう寒くなった今でも青々としています。
その上に、黄や赤に染まった桜の葉が散って、とても美しい。

ただ、この景色を以前どこかであるな、とずっと思っていました。

秋分の日に、夫とこの木の横を通ったとき、その思いのもとをはっと思い出しました。
ナイト・シャラマン監督の映画、『ヴィレッジ』のワンシーンと、とても色合いが似ていたんです。

隣をぼんやりと歩いている夫に、尋ねました。
「あれ、ヴィレッジって映画、一緒に見たっけ?」
夫はむっとして答えました。
「僕じゃないよ。」
「あはは、ごめん。この景色、すごく似てるシーンがあったから。」

最近仕事で帰りが遅い夫への、
ちょっとした、いじわる。

プールにて 

2010年11月24日(水) 20時04分
娘のスイミングスクールを見学中のこと。

プールを見下ろせるベンチに座っていた私の横に、一組の夫婦らしきカップルがいました。
彼らは、小学生クラスのプールを無言で見つめています。
背の小さな、やせっぽっちの男の子がこちらを見て、はっとしたように手を振りました。
そのカップルも手を振り返しました。
そのとき、男の子は何の気なしに自分の手を口元にやり、一瞬口がもぐもぐっと動きました。
それを見た瞬間、夫と思われる男性が、多少怒気をはらんだ声で言いました。

「あいつ、まだ爪噛みなおってないじゃないか」

私は「へ?」と思いました。まるで妻らしき人を責めるような口調だったからです。
しかしそのあとに妻らしき人が言った言葉も、私をきょとんとさせました。

「いやだ、なおってないじゃないのよ」

かなりイライラとした声でした。
夫らしき人も妻らしき人も、その後また無言になりました。

私が見たのはその家族のほんの断片であって、
今日は偶然、二人が疲れていたとか、事情があると考えるのが自然です。
ただ、ちょっとどきっとしてしまったのは事実です。

二人の大人が、子供に対する責任をするりとよけて、
それを後ろ足で相手に蹴りあっているような。

それを考えてまた、背筋が、薄ら寒くなりました。
できればどんな時も、子供を育てる、というか子供と一緒にいるということに対して、
感謝と謙虚さと、責任を持っていたいと思いました。

どんなことをしても、受け止めるとか、
最後まで、一緒に悩むとか、
口で言うのはたやすいことですが、それを日々やっていくことは、すごく難しい。
私はほぼ毎晩、今日したことの中にある自分の小ささや短気に落ち込みます。

だからこそ、明日はまた挑戦するんです。
毎日、小さいようで大きな挑戦を、親というものはみんなしてるんだと思います。
そして子供は、その挑戦をちゃんと見ている。
子育て、なんてものがあるとしたら、その見て、見られてのことなんじゃないかと思うくらい
大事なものだと思ってます。
だから、私は失敗だらけだけど、挑戦することだけは止めたくはない。


やせぽっちの子は、もうプールをすいすいと泳いでいました。

あの子の瞳、そしてあの子の瞳に映る二人の大人。
家族の一風景に、少し思いをよせた午後でした。

ティーポット 

2010年11月22日(月) 10時25分
我が家のティーポットは、すこし悪趣味です。
真っ赤な、いちご型。
蓋が緑色のヘタのようになっていて、ポットの側面は種のぽつぽつがついています。
二人分の紅茶を入れるときは夫がタイで買い求めた薄藍色のポットを使うのですが、
一人で紅茶を飲みたいときには、ちょっとため息気味にこのポットをとりだします。
いただきものだから、無下にもできず・・・。
でも、ポットと目があるたびに、・・・とちょっと沈黙。

今朝、台所に立ちんぼで紅茶をすすっていると
娘が私のエプロンをひっぱってから、いちごポットを指差して、いいました。

「これぇ、ひちごさんだね!」
「ひちごさん?」
「だから、おしめさまの!」
「甘い果物の、いちごじゃなくて?」
「そうだけど、きもの着て、かわいくするひちごさんもでしょう?」

どうやら娘の中では、「いちごさん」と「しちごさん」は、
「ひちごさん」という言葉のもとに仲良く同居しているようです。

かわいくて、どきどきして、しかもおいしい「ひちごさん」は
今週末に決行予定です。
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