宇宙1 

2006年01月27日(金) 10時06分
たまにどうしようもなく不安になったとき、すごく言いたくなって仕方なくなる言葉がある。
それはガラにもなく恥ずかしい言葉で、普段だったらあんまりいいたくないのだけれど。
もちろん誰に対してもそう言いたいというわけではなくて、ちゃんとそれを伝えたい人というのはいる。そんなとき、自分のそばにその人がいてくれないとひどく不安になって、なんでもないようなことで頭を抱えてふさぎこんでしまう。
ほんの一言、言葉を伝えればそんな悩みなんてなんともなくなってしまうかもしれないのに。

たまに宇宙のことを考える。小さいころ、目を閉じたときに広がる真っ暗な世界は、宇宙なのだと信じていた。僕たちはここに住んでいて、きっと見えないどこかに地球があって、そのまたどこかで目を閉じる自分がいるんだろうと思っていた。
そして、眠りに落ちるときが、宇宙に吸い込まれるときなんだと思っていた。きっと死ぬという事は眠りと似ていて、人は死ぬと宇宙に落ちるんだなと子供ながらに考えていた。
だから、いまでも死を考えるとき、宇宙にひとりで漂っている自分を想像する。周りには美しい星や月があって、薄い光が体の周りを覆っていて、だけど周りには生き物の気配すら感じない。
体は宙にふわふわ浮いていて、とても不安定で心細くなる。人はなにかにつかまっていないとこんなにも寂しいものなのかと実感する。
両手を伸ばしてみても、手足をばたつかせてみても、すっと空を切るだけでなにも起きない。大きく声をあげてみても、それが耳に伝わることはない。宇宙は一切の反応を拒絶してしまう。
そこはとても孤独な世界で、誰一人手を差し伸べてくれない。いや、差し伸べて欲しいなんて思わない。ただ、そこに誰かがいるということがわかればいい。だけど、こんな果てしない宇宙の中では、それさえもありえない。

宇宙2 

2006年01月27日(金) 8時33分
その宇宙の中で、いろいろなことを考える。自分を愛してくれた人や、愛した人や、楽しかった思い出や、自分の人生について。それを考えただけで、胸が痛くなる。
だけど、だんだんそのことすらも信じられなくなってくる。なんの根拠もない宇宙の中で、自分は誰にも愛されていないし、そもそも誰も俺のことなんて知らなかったんだと思う。
そう考えるとどうしようもなくて、大声で泣き喚いて、叫んで、どうしようもなく暴れまわるのだけど、それさえも宇宙は吸い込んでしまう。声も響かないし、涙も流れない。子供みたいに暴れまわっても、手足は風の抵抗もない宙を往復するだけで、なんの反応さえもかえってこない。自分がいるという事実は、誰も知らない。それでもきっと世界はなにごともなかったみたいに回っている。
そんなとき、心のなかに浮かんでくる人がいる。世界中で誰も自分のことを知らなくても、誰からも愛されていなくても、自分の心の中でただ一つ確かなことが残っていて、それを伝えたいと思う。

いままで宙を切っていた手足が、ふっと暖かいものに触れる。かすかだけど、それを感じる。まったくの無音だった空間に、聞きなれた声が響く。その感覚がだんだんはっきりとしてくる。
世界には自分ひとりだけじゃなかったんだと感じる。

不安で仕方がなくなったとき、よくこんな夢を見る。
夢でなくても、目を閉じると必ず心に浮かんでくる。
そんなとき、隣で眠っている人の顔を見て、思いっきり強く抱きしめて「大好きだよ」って言いたくなる。
その人は目を開けて、わけがわからないといった風にきょとんとしてこちらを見ている。
俺は生きていて良かったなって思って、とても幸せな気持ちになる。

苦しまずに死ぬ方法1 

2006年01月09日(月) 10時54分
あー、新年早々こんな文章書くのもあれだと思うのだけど、これを最初に思いついてしまったのだから仕方ない。
ああ、あのバカがまたなにか書いているな、程度の温かい目でみてやってください。怒らないでやってください。
どうかご勘弁を。

大学に入っていろいろな授業を受けているわけなのだけど、「受けててよかったなぁ」と思えるような授業は本当に少ない。
ほとんどはどーでもいいような教授のどーでもいいような話を、どーでもいい学生がどーでもいいような気分でノートに写すだけの作業だ。それを毎日繰り返す。
こんなの高校でもかわらないし(いや、受験という目標を設定される分まだやる気が出るのかもしれない)、こういうことだけをするのであれば大学なんて来る意味ないと思う。実際そう指摘する人もいるしね。
ただ、素晴らしい授業もいくつかある。大学もまだまだ捨てたものではない。

そのなかでも特に印象に残っている授業がある。
それはディスカッション形式のもので(大学の授業とは本当はすべてこうであるべきなのだと思う)、学生の自主性を重んじたものだった。
一応のテキストはあるのだけど、そこにしばられるというようなことはまずないし、そのテキストも授業でなくとも読みたくなるような(実際何度も読み返している)素晴らしいものだった。
そこではきまりというものはほとんどなくて、自分の思った意見を言えばそれでいい。結論を出す必要はない。
とにかくなにか疑問や意見があればすぐに発言して、みんなでそれを考えていった。
そんななかで毎回充実した気分で終わることが出来たのは、議論の方向性をたった一言で本筋に戻してしまう教授の器量のおかげというべきか。

その授業の中で、こんな話題が出たことがある。
「自殺というのは、道義的に許されるべきことなのだろうか」
これにはいろいろな意見が出た。道徳に関する議論と言うのはしばしば感情論になって白熱してしまうものだ。
まあ今回はこの問題はおいとくとして、特に「死に方」に関する話題がおもしろかったので思い起こしながら書いてみよう。
読んでみたらわかるように、この授業にあんまりまともな人はいなかった。

苦しまずに死ぬ方法2 

2006年01月09日(月) 10時53分
俺なんかが最初に思いついたのは睡眠薬なのだけど、これはちょっときついんじゃないかという反論を食らってしまった。
まず手に入れることが困難であるし、万が一失敗した場合は地獄の内蔵洗浄が待っているらしい。あくまで噂なのだけれど、これは死ぬよりも辛いということだ。とても、苦しまずに、とは言えない。
つぎにオーソドックスなのが電車なのだろうが、これは本人は一瞬で済んでしまうから大丈夫かもしれないけれど、周りが迷惑だ。
たぶん一番迷惑がかかる方法なんじゃないだろうか。ここにあげるのも大変なほどの迷惑がすぐに浮かんでくる。
ロープを用意して……というのは二つの結末があるらしい。ひとつは一般的に想像されるような、息が詰まってしまうという道だ。これは考えてみればわかるようにめちゃくちゃ苦しいと思う。それこそ死ぬほど苦しい。こんなのいやだ。
もうひとつは、首の骨が外れて一瞬で意識が飛んでしまうという道である。これはきっと楽なのだろうと思う。
ただ、どちらにしても見た目的にみっともないことになるということなので、遠慮願いたいとみんな言っていた。おもしろいことにこういうところにはみんなわずかながら美学を持っているらしい。

苦しまずに死ぬ方法3 

2006年01月09日(月) 10時01分
最後にみんなが一番マシかな、と言ったのは、高いところから飛び降りることだ。あれは怖いように見えて、実はそうでもないらしい。なぜならなんか、Gがかかるとかなんとか、よく知らないけれど、とにかく途中で意識がふっとなくなるそうなのだ。
これは少し経験してみたい種類の感覚ではある。昔マンガで、高いところから飛び降りている途中にふっと次元のひずみに落ちてしまって、タイム・スリップを経験するというストーリーのものを読んだことがあるけれど、なんだかそれを連想してしまった。
それがなくとも、空を飛んでみたいというのは誰でも持っている願望だと思う。まぁ落ちたいという人はほとんどいないだろうけど。
ただ、これも見た目がよろしくない。そして人に迷惑がかかる。
結論としては、みんな、老衰がいいなぁ、という平和だけどおもしろみがないものだった。

とまあ、こんな感じで毎回めちゃくちゃだけど中身のある議論ができる授業だった。教授も学生の考えを否定したりしなかったし、みんないい具合に「ズレて」いた。
ほかにも議論の内容としては、「現代の学生として学生闘争をどう見るか」とか、「告白するにはメールと恋文どっちがいいか」とか、「セックス・フレンドは是か非か」とか、「天才とはなにか」とか、「生と死の関係性とは」とか、もうすごくおもしろいものばかりだった。
また気が向いたらこれらのことについても書いてみようかと思います。

追憶1 

2005年12月29日(木) 4時29分
誰にだってどうしても忘れられない記憶というものがある。
それは例えば青春時代の部活のことかもしれないし、友達関係のことかもしれない。もしくはよく遊んだ遊びや風景、におい、人々、さらにもっと狭い範囲で、過去の自分の思想だとか、健康であった肉体のことかもしれない。
それらは強烈であればあるほど意識に残り、ふとした瞬間に頭に浮かんできて人々をノスタルジックな気分にさせる。
多くの場合それは心地良くて、落ち着ける心象である。

ただ、これにも例外がある。
つまり、多くの人間はある思い出に対して、多かれ少なかれ部分的に蓋をして忘れ去ろうとしている。それを思い出さないようにしている。
例えば恋愛について。
恋愛に関しては、それが強烈であればあるほど人はそれを忘れようとし、思い出さないように努める。
こういうと、初恋の思い出などは淡い記憶として心の中に留まっているし、美しいものだと反論する人が多いだろうと思う。
だけど、ここで言っているのはそういう"純愛"ではなくて、肉体の触れ合いを伴う恋愛のことだ。
この理由については多くは言わないけれど、なんていうかつまり、最近の恋愛映画がみんな肉体の触れ合いを避けていることを考えれば、まあ言いたいことが伝わるんじゃないかと思うから流そう。長くなるしね。
とにかくそう思ってください。

もしかしたら女性にとってはこういう感覚はあまりないのかもしれない。あるいはあるのかもしれない。
そこのところは俺にはわからない。
ただ、男としては十分すぎるほどこういう感覚はある。
そして忘れようとする試みも一時はうまくいくことが多い。
だけどその末に行き着く結論はいつもひとつだ。

――結局忘れられるはずなどない

追憶2 

2005年12月29日(木) 4時28分
例えばある男女がとても情熱的な恋愛をしていたとする。
ふたりは心から愛し合っていたけれど、会える時間はあまりなかったので、一緒にいれる時間をできるだけ大切にしようと努めた。
いつも手をつないで歩いたし、ささやくようにゆっくりとキスをした。そして抱き合うときはいつも、世界の最期みたいに狂おしく愛し合った。
彼は彼女の長い髪が好きだった。彼女の重みを感じるとき、いつも肩の下へ伸びた髪をそっと撫でていた。小鳥の背を撫でるときのような、ささやかで優しい指使いだった。そのとき全身で感じるシャンプーと汗と、もっとほかのなにかが合わさったような神聖な香りがいとおしかった。
だけど、そんなふたりにも別れが訪れた。
最期にふたりは、本当にギリギリの気持ちで愛し合って、それ以来もう二度と会うことはなかった。
その夜、窓の外からは強い雨の音と香りが流れ込んでいた。

追憶3 

2005年12月29日(木) 3時04分
しばらくもしないうちに彼は完全に恋人のことを忘れてしまった。そうしようと思えば案外すんなりと忘れることができた。
そして何食わぬ顔で新しい恋人を手に入れた。
彼は新しい恋人のことを心から愛していたし、その気持ちはおそらく本当だった。どこにも欺瞞なんてないし、勘違いもしてない。
新しい恋人ともわりにうまくいった。抱き合うときも本当に真剣だった。そんなところは前の恋人のときとなにも変わらなかった。
ある日、彼女と抱き合っているとき、彼はなんだか妙な感覚を覚えた。いつもと違うところはないように思えたけれど、地に足がついていないような、落ち着かない気持ちになった。
心の底から何かが込み上げてくるのを感じた。それがなにかはわからなかったが、とても怖いものに感じられた。彼はそれを必死で押さえつけた。
だけど、具合の悪いことに込み上げてくる"恐怖"はさらに力を増した。それは耳と鼻から彼の心に入り込んで、どんどん膨れ上がっていった。
彼はついに諦めて、抵抗するのをやめた。ふっと体が軽くなって、底なしの谷に突き落とされたような感覚に襲われた。
突然なにかにすがりたい気持ちになって、手を伸ばしてみた。ほとんど無意識に、彼女の背に手を回した。そこに自分を助けてくれる何かがあるような気がした。
だけど、その先にはなにもなかった。
ショートヘアーの彼女の背中には、長く伸びた髪の毛は存在していなかった。
窓の外には強い雨が降り注いでいて、じめじめとした雨の香りが部屋に流れ込んでいた。

――男が記憶の蓋を開けてしまうのは、こんなときである。

ルールの喪失1 

2005年12月19日(月) 8時53分
俺は二人以上の人間で行う会話や行動にはある一定のルールが必要だと思っている。
例えば朝起きて顔を見合わせた場合にはお互いに「おはよう」と言うし、寝るときは「おやすみ」という。これは誰でも知っている最も基本的なルールであると思う。
他にも例えば、電車でお年寄りに出会ったら若者は席を譲る、こういった行動も人々の間で大事にされている愛すべきルールであるといえる。
街にはルールがあふれている。ルールがあるからこそ、人と人との交流がスムーズにいくのだと思う。
そしてそのルールというのはそれに関わる全ての人にとって自明のものでなければならない。
だけど最近では、そのルールがどうもルールとしての機能を失ってしまっているように感じられる。

前にこんなことがあった。
俺はある人と話していて、最初のうちは話がつきることもなく盛り上がっていた。
だけどだんだんと話すこともなくなってきて、なんとも具合の悪い”間”が俺らの周りの空気を重くしはじめた。
その居心地の悪さに、なんとか話すきっかけを見つけようと思い、なんとなく「あっついね。」と言ってみた。確かにその日は(確か7月か8月だったと思う)とても暑くて、俺もその暑さを必死で我慢しながら話していたのだった。
だがそれを聞いた相手は気分を悪くしてしまったようで、「暑いのはわかりきってることでしょ?私もそれを言わないように我慢して楽しく話していたんじゃん。爽やかな気分でいたいのに普通に暑いとか言われるとやる気なくす」なんて言われてしまった。
俺としてはそんなつもりはまったくなくて、ただ話すきっかけが欲しくて言ってみただけなのに、それが相手に伝わらずに気分を害してしまったようだった。
そのときは悪いことをしたなぁと反省したものだったが、これもよくよく考えてみれば会話のルールが伝わっていないことが原因で起こったすれ違いであるような気がする。
話のきっかけに天気を使うっていうのは、会話の方法としてはすごく基本的なことなんじゃないだろうか。
例えば挨拶なんかでも「本日は生憎の雨となりましたが…」と、天気の話題から入ることが多い。

ルールの喪失2 

2005年12月19日(月) 7時51分
そう考えると、「今日は暑くてやってられないね」「ほんとにね」という切り出しと返しは、こんな挨拶の形式と同じく、ひとつの愛すべきコミュニケーションのルールなんじゃないかと思う。
そうやってすんなり会話に入ることが出来て、お互いを理解しあう最初のきっかけとなるのだ。
だけど、これも会話をするふたり、あるいは多数が全てこのことを理解していないと通用しない。
そして最近はこういったルールが通用しない人が結構いたりするのだ。

授業中に先生から「しゃべるなら出て行け」といわれて本当に出て行った学生。
恋人に「信じてる」と言われほっと胸をなでおろす浮気中の男。
「年寄り扱いしたらかわいそうだと思って」席を譲らない人。

コミュニケーションのルールをもう一度みんなが愛すことができたら、もっと気持ちのいい世の中になるように思えて仕方がないのだ。
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