殺生な話 

2004年11月04日(木) 18時08分
 先日行き違いがあって、内定がおじゃんになってしまったT社が再び募集していたので、もう一度受けさせて欲しい旨のメールを送ってみた。その後、前回の反省から、こういうことは電話ですぐ確認すべきと思い、すぐに電話したところ、応募はかまいませんが、特別な事情があるので上と相談してからメールでご連絡します、とのことだった。私は考えて直してもらえるのかもしれないと期待しながら、メールを待った。電話やメールでもまだ、諦められないことを伝えておいたし、他社も受けずに、待った。しかし、連絡がこない。日に3回メールチェックを欠かさぬ日々を送った。
 しかし、1週間がすぎて、さすがに業を煮やしていつ結果を教えてもらえるかだけ聞こうと電話したところ驚くべき返答が。「非通過者には連絡しないことになっております。」「そうですか・・・だめですか。わかりました・・・」私は落胆のあまり、すぐに電話を切ったがしばらくして考え直すと、おかしいことに気づいた。人事担当者は確かにメールで連絡すると言ったではないか。なのに、1週間待たせて、こっちから電話してようやく落ちたやつのことは知りません的な答えしかしないなんて、失礼っすぎやしませんか。この一週間の私がただのばかのように思えて、悔しかった。第一、前回のすれ違いも私のメールチェックミスが悪いのが原因だが、普通やはり、こういった大事な通達は電話ですべきだし、本当に働いて欲しい人材にメール一つですぐに別の者を採用するというのも人材を軽んじすぎてはいないか。あれだけ入れ込んだ会社だったから、余計に怒りが沸いてきたのも無理はない。逆恨みとか自業自得といわれれば、それまでだが、今となってはそんな会社はこちらから願い下げだと言いいたい気分である。会社に何の益ももたらさない外部者だからといって不誠実な対応をするようでは人材が命とされる業界での信頼は勝ち得ないだろう。
 人間を見るというのは難しい、ただ簡単なメールで連絡が済まされるようになった時代の希薄な人間関係をもう一度見直す必要があると感じた。

一抹の希望2 

2004年10月30日(土) 18時07分
 どうしてこんな話をしたかと言うと、これまで先の見えにくい生活を半年間続けてきたが、それは今思うと、陰鬱として救われざる時間であり、その全ての原因は将来への約束がなかったからであると言える。この先私はどうなってしまうのか、皆に置いていかれしまうのではないか、一人部屋に篭って、社会的不適応者の烙印を自分で押していた、あの時は本当に生きることに魅力を感じ得なかった。毎日、何のために起きてご飯を食べて、散歩して、淡々と何も残らない時間を積み上げていかねばならぬのかと。自分に一切の自信がなかったし、何より指針がなかった。ただ、半年先にある新聞社のテストまでこの暮らしを続けねばならない、それだけであり、その先には何もなかった。
 だが、この状況を大きく変えてくれたのが、前回の編プロの採用選考で感じた具体的な未来像である。この道を無理やりでも進めば、どうにかなるんじゃないかという一抹の希望である。世の中に受け入れられることの喜びがここまで人生を明るく変えてくれるというのは正直、そこまで考えていなかった。体が楽なのである。重たい、見えない何かを背負わされている感覚がなくなったのだ。それもこれも、新たな行動をとることにより導かれた一つの幸運だ。つまり、何かを大きな問題が起きて、崩れた生活を立て直すためには、それまでの一切を捨てる覚悟に基づいた革命的な転換が必要なのだ。始めの一歩は僅かでいい。ただ、今までと違う方向へ足を向けることが大事なのだと思う。そういう意味では、傷ついた災害被害者の方々に一刻も早く新しい暮らしの準備が進められることを望むばかりである。

一抹の希望1 

2004年10月30日(土) 18時04分
 この数日、秋も深まり、陽が落ちてからは外気も冷たくなってきた。新潟の被災者の方々はさぞかし心もとない思いで、一夜一夜を過ごされていることだろう。9年前の同じような体験をした者としては、阪神大震災の被害のひどさに比べ、今回の地震は大騒ぎするほどのものではないと軽く見てしまうが、あの当時も私の住む地域は震度6強ながらも被害はほとんどなかった。つまり、地震の本当の怖さ、辛さを知らない。
 地震の真の苦労はその被災した瞬間だけではなく、生活の基盤である住居を失うことに伴う、生活環境、生活リズムの崩壊ではないか。お年寄りの多い地域では仮設所での孤独死が問題になったが、今まで暮らしてきた土地から離れ、先の見えない暮らしをすることはどれだけ不安だろうか。もちろん、亡くなられた多くの方は不運だ。だが、生き残ったことに罪の意識を感じていたり、愛する人に先立たれるなどして、大きなストレスを抱える果てに死を選択せざるを得なかった人はもっとむごい。これは何とか防がれなければならない死だ。続く
 

迷い箸のススメ 

2004年10月27日(水) 17時55分
 東京、それは私にとってまさに「社会」そのものだ。遠くメディアの中に展開される見果てぬ「社会」だ。そこで起きていることは日本の出来事であり、そこには日本人たる広義なアイデンティティが存在する。しかし、社会から隔絶している今の自分にとって、そこは実態がつかめぬほど巨大で、はるばる海を渡るほどに遠く感じる外国でもある。たとえその異国に輝かしい将来が約束されていようと、関西に対する閉鎖的な愛着や土着感はそこへと向かう私の足を執拗に鈍らせる。もしくは東京へ一度も行ったことがないためにその魅力たるに気づかず、不安ばかりを煽ってしまっているのだろうか。
 私は今迷いを感じている状況をしっかりと認識している。なぜなら、うまく頭が働いていないからだ。迷いがないときは実直に一つのことへ集中すればいいから、頭も良く回る。しかし、不確定な情報にもまれ、頼るべき指針を見失いつつある現在、それはまさに大海の真ん中でどちらに進むべきか、さらには進んでいるのかもわからぬような状況にいる船に等しく、いっこうに思考が働かない。こういうときは自分の位置を客観的にしることのできる情報が必要だ。
 今私は前回も書いたように、出来るだけ早く家を飛び出さねばならない状況だ。精神的にだけでなく、経済的にも親と約束をした。いつまでも海に浮かんでいるわけにはいかないということだけははっきりしている。もうここでの航海に耐えうる食料がないのだ。ではこの太平洋に漕ぎ出だしたる船が遠くアメリカへ向かうべきなのか、近くの漁港にでも帰航すべきなのかは難しい。アメリカにはフロンティアスピリッツの名のもとに夢が広がっているし、日本に戻れば、それなりに想像のつく暮らしが待っている。そこにはアメリカとは逆に精神的な不安は少ないが、経済的な不安がある。
 さらには仕事というものをもう一度考え直す必要がある。自分が選ぶべき仕事、そして、仕事の人生におけるポジションとは。ただ、そのうちのひとつとして、生まれ育った関西に特化した仕事がしたいという思いも強い。そう、魅力的に見える愛人東京と愛すべき妻大阪。多分、私は離れることをしないだろう。

幻の内定4 

2004年10月23日(土) 17時53分
 もう一つ。人生の幸せについて。私の人生の目的の一つに愛する人と暮らすということがある。これは物書きへの思いと同じくらい大きい。この両方を得ることができれば、素晴らしいのであるが、これはなかなか難しい。男として、結婚を前提に相手を呼び寄せるということは今後、私に任せて欲しいということだ。つまり、それ相当の証拠を示さねばなるまい。特に相手の両親にしてみれば手塩にかけて育てた大事な娘を出すわけだから、現在それなりのステータスがある相手でなければ、不安になるのも無理はない。これは就職活動のようだ。娘さんを幸せにする自信がありますという意欲だけでは、はいそうですかと言えないのが親心だ。このことを考えると、あまりに
生活力のない仕事では困る。だが、そうはいっても安心できる就職口は厳しい。零細企業で物書きにこだわる方がいいのか、やりたいことでなくとも、まずはある程度名のあるところで安定した給料を受けるべきか。生活を考えると後者だが、夢を考えるなら前者がいい気がする。ただ、後者でも物書きの素養は身につくと思うから困ってしまうのだ。
 自分一人のことでないと本当に難しい。ただ、私は運がよかった。相手が私よりずっと大人で、よき理解者だったからだ。もちろん、好意に甘えることなく、できるだけバランスのとれた最良の道を選んでゆくつもりだ。私にとって、どちらが欠けてしまってもうまくいかない、まさにかけがえのない存在なのである。その両方に責任をもってやっていこうと思う。

幻の内定3 

2004年10月23日(土) 17時52分
 卒業から数えること7ヶ月、幻の内定をもらい、憧れた会社と決別した私は今、岐路にある。ライターもしくは記者として、やっていきたい思いは強いがその一方で、なかなか掴めない最初の切符とつぶしの聞きにくい道への不安も並立する。最高のチャンスをうっかりで逃したのは揺るぎのない事実であり、これ以上のチャンスはなかなか見つからないだろう。区切りをつける必要がある。いつまでも、すねかじりの生活を続けるわけにもいかないのだ。だが、すねかじりはどうしていけないのか。
 私が働くということを考える上で、大事な基盤となってきたのが親の支援であり、つまり私は生活のための早急な就職ではなく、生きがいを得るための贅沢な仕事探しをしてきた。だが、そこに矛盾があった。働くこととは本来、自分で生活するために労働力とお金を交換する行為であり、まずそれを第一に考えるべきなのに、現在、財政的な不安や苦渋がないために、副次的ない生きがいの方にばかり考えが及んでしまっていたのだ。そのために私の就活は閉塞的で歪みを秘めたものになっているのだ。また、親に財政的余裕があるからといって、それに頼っていては親の庇護から離れて自立した人間になることができない。成長できないのである。だから私はとにもかくにも、職を選んで油を売っている暇はないのだ。まず、職につこう。できるなら、物書きに繋がる仕事だといい。今はその程度しか望むべきではない状況にある。そして、一人で生活をした上で働くことの意味をもう一度考えればいいのだ。
続く

幻の内定2 

2004年10月23日(土) 17時50分
 体験中、ぴあ関西の取材で源ヶ橋温泉に同行させてもらったときなど、こんな幸せな仕事があるのかと興奮しまくった。建物も大阪らしい趣のある面白いもので、経営者の話も打ち出の小槌のように面白く、こんな感動が得られるのだから絶対にこの道しかないと再確認できた。それとは逆にデータ処理など内勤の地味な作業も体験し、大変ではあるが、重要なことだと学ぶことができた。とにかく、実りの多い2日間でそのような機会を持たせてもらったこととその出会いに感謝しきりだった。そして、なんといっても選考結果も採用とのことだったのだ。
 しかし、私が採用通知を目にしたとき、それは全く実効性のないものだった。私のミスで土曜に届いていたはずのメールを木曜まで気づかなかったのだ。火曜日にはすでに代わりの採用が決まっていた。私は見事に、ようやく掴んでいた1年ぶりの内定を誰かに譲ってしまったのだ。新居も考えていたし、彼女との夢も膨らんでいた。その一旦は約束された未来が幻になったのだ。私があれこれ手をこまねいているうちに、するすると成功が逃げていた。この時間のずれと現実の急転換は私の人生にない劇的なものになってしまった。分岐点は「確認」だった。通知方法の確認である。何事も分からないことはすぐに聞くべきなのだ。まさに聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥である。私は昔からこの行為をためらう癖がある。聞くことで馬鹿にされないかなどと躊躇してしまうのだ。今回の場合は全くそんな内容ではなく、向こうがいわなかったからと相手任せにして、痛い目を見た。自分の知りたいことも聞けない人生なんて、生きているとは言い難い人生だ。
 だが、今回のことは起こるべくして起こった気がする。採用という事実など、私にとって事実ではなっかたのだ。わずか、二日間存在した絶頂を正直一瞬でも感じたかった。初めて、メールを見たときはそんなもの届いていないと思っていたし、届いていたらこちらの否だから、全く嬉しくなかった。あれだけ、熱望した採用通知を届いているなと思ったのだから面白いことである。ハッハ。しゅん。とにもかくにも、私はまだ勉強不足、経験不足だと神様が判断したのだろう。失敗だらけの人生、それもまたよしとしよう。続く
 

幻の内定1 

2004年10月23日(土) 17時47分
 ずいぶんと久しぶりに日記をつけることになった。書くべきことはあったはずなのに、書かなかったのはなぜか。物事がうまくいっているときは書く必要がない。書くという行為は自己との対話だ。自分の中には簡単には表現
できない思考の断片や絡まりあった感情がマグマのようにぐつぐつと存在する。このカオスに自意識さえもが呑み込まれて自分の位置を見失いかけたとき、私は書くという行為にすがる。自分がある瞬間に分類づけて、理解できている自分のことなど、まさに氷山の一角にすぎないと思う。
 これは私の物書きとしての動機になるわけであるが、この動機を一般的なライターという仕事に活用しようと思うとなかなかうまく働かない。もちろん、下っ端のライターの仕事は商業原理の一歯車的要素が強いせいもあるが、私が今書いているのはほぼ、自分のためのものである。書くという整理作業で得られる自己理解に意味があるのであって、書くこと自体に快楽を感じているわけではない。ただ、自分の書いた内容が誰かに理解され、共感を抱かれたなら、それは今の私にとって、最高の栄誉だ。また、誰かのために自分以外のことを書くということは他者理解を深める行為である。そういう点で、商業原理に呑まれながらも書きていきたいという思いはある。書くことを仕事にすれば、自分と向き合う機会もおのずと増え、自己理解に繋がるのではという思いがある。なぜなら、表現したくてもできない、書きたくても書けないことがあるというのは、自分が自分という名の皮を被ったにすぎない得たいの知れない何かであるような気がして、身の置き所に困るのである。
 いつもこうして、書くと言う行為への言及にこだわり過ぎて、本来の目的が疎かになってしまう。話を戻すと、この2週間は編集プロダクションTの選考に追われた2週間だった。2日間の体験業務での喜びや確信、また、不安や失望、様々な思いがあったものの選考がうまく流れていたので、それにかまけて書くことをしなかった。いや、書く必要がなっかたのだから、かまけるという言い方は何か義務的なものに縛られた言い方でよくない。とにかく、この会社は選考方法も意欲とフィーリングを重視したもので、面接もほとんどなく、面接の苦手な私にとって、最高のチャンスだった。それに、大阪でも最王手である編プロで取扱媒体も多様だった。続く

神様引退、新たな時代へ! 

2004年10月10日(日) 17時41分
 阪神の代打の切り札、神様八木裕司が引退した。最後の打席でも、しぶく八木らしいヒットをライト前に運び、一塁の守備でウィニングボールをしっかりつかんで、感動のラストを飾っただけに、余計まだまだ、やれるんじゃないかという思いを感じてしまうのがファン心理だ。最後のスピーチ「憧れの甲子園のバッターボックスにもう立つことは・・・(涙声で)ありません。」を聞いて、泣いてしまったのは私だけではないだろう。分かっていても、別れはつらい。
 栄枯盛衰とまでは言わずとも、時間は流れ、時代は変わる。間違いなく90年代の弱小時代を支えた名選手の一人であり、リーグ優勝を果たし、新世代へとその役目を渡したと言えよう。考えてみると、もうあの頃の選手、特に92年に優勝争いを演じた頃の選手はほとんどいなくなってしまった。檜山、久慈あたりか。日ハムにいった新庄、山田あたりも懐かしい。あの不遇な時代の唯一の生き残りとして、彼はそれ以前に寂しくグランドを去った選手たちの亡霊を背負っていたように見えた。だが、昨年見事にその供養も果たし、花道を飾った。今、その苦しみ抜いた一つの時代にようやく幕が下りたといえよう。
 八木選手の18年は私が神戸に引っ越してからの18年であり、彼は私の少年時代のヒーローだった。でも、八木は代打の切り札のイメージが強いから、やっぱり、ゴッドかな。ヒーローはやっぱり新庄。いまはおらんなあ。浜中に期待してるんやけど、怪我に泣かされてるし。兄貴はあくまで、兄貴。生え抜きじゃないってゆうのはやっぱりあるし、もう完成してる。これからは常勝軍団として、あって欲しい一面、やっぱり昔のような阪神=弱小の公式もどこかに残していて欲しいという思いがある。杞憂かもしれんけどね。やっぱり、染み付いちゃってるんよね、悲劇に打ちひしがれる姿勢が。あーわが青春、わが性格形成の阪神タイガースよ、永遠なれ!!

無能の人 

2004年10月09日(土) 17時10分
 つげ義春原作、竹中直人監督主演の「無能の人」を見た。漫画にかけるプライドだけが高いくせに、堕落した生活を続ける主人公一家の貧しく奇妙な生活を描く。落ち込んだ。何て陰鬱で愚鈍な話なんだろう。。クライマックスの家族3人が手を繋いで土手を帰るシーンなど、何の希望も約束されていないじゃないか。路傍の石のようでも、一つの幸福の形を表現されていたのだろうか、社会にうまく出れない私にとって、こんな感傷的な映画はない。主人公がやていた石屋や渡し屋なんてユーモアをユーモアと感じる余裕もない。少し共感してしまうからよりリアルだ。あるのは悲壮感だけだ。
 私は本当の貧乏暮しなんてしたことがないから、脳天気に生きてこられた。やりたいことやろうなんて、無責任なこと考えてきた。ただ、今の暮らしは親が一流企業で勤め上げてきたからこそある。その、幸福の原点を見ずに、さらには幸福の中身さえ見失っている。
 もしかすると、私は幸せすぎたのかもしれない。平和が続けば必ず戦争が起き、時代が作られ、革命が起き、新たなものが生み出されてきた。その繰り返しが歴史だ。私の中に暗い影が根付いているのはそういった進化の反動なのかもしれない。堕落した自信のない、生きる希望の抱けない自分。今の私には痛い映画でしかなかった。それは、今日行ってきたトライアウトの説明会で感じた胸の奥に隠しているはずの不安を暴くには十分すぎた。ただ、無能というストレートに全てを否定する言葉の裏には自然体としての人間本来の愛すべき姿が見えたのも事実で、それが「無能な人」ではなく「無能の人」と題されているところだろう。書きたい漫画との葛藤の中で、無能を演ずる道を選ばざるをえなくなった主人公の姿は深く心の中に入り込んで、静かに沈んでいった。
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