虚像 

2005年09月19日(月) 15時46分
ゆるゆると

ひどくあたたかくてやわらかいものが

首を締める

苦しくても死ぬことはないから、と

いくら望んでも与えられなかったものが

簡単に与えられていく様を横目で見ながら


平気だよ

気にしてない

大丈夫

大丈夫

ダイジョウブ

…ダイジョウブ


苦しくて愛しくて心地良い感覚に身を任せる


ダイジョウブだよ

苦しくなんかない

私はダイジョウブ

ダイジョウブ

ダイジョウブ

ダイ
ジョウ




ジョ

惜別 

2005年09月01日(木) 22時45分
もういいかな

頑張ったんじゃないかな


もうこれ以上、

話すことも考えることも息をすることさえ

できないのに

それでもまだ

気にするな、頑張れと

あなたは言うのですか


  あなたが殺してくれるなら
 
              それはもう    至極の幸せ

 

2005年08月14日(日) 7時37分
楽しいことも嬉しいことも嫌なことも苦しみも悲しみも疑問もぜんぶ

飲みこんで

ぜったいに見せたりしないよ

ごめんね、お腹がいっぱいで声は出ないんだけど


もう何も望まない


もう何も乞わないから


だから




わたしが消えたら――
 



探してくれますか



世界を隔てる壁 

2005年05月28日(土) 1時09分
母は私に「口で話せ」と言うけれど、話ができたら苦労はしないんだ。

父が母に話す会社のこと、人間関係のこと。それを聞いて父と一緒に怒ったり共感したり喜んだりする母。
それに憧れていたんだね、きっと。

だから私も同じようにした。学校であった楽しかったこと、辛かったこと、嫌なこと。
話すと母の機嫌が悪くなるのはわかっていたし、「気にするな」の一言で片づけられてしまうこともわかっていたんだよ。
でも止められなかった。機嫌が悪くなれば機嫌をとって、共感してもらえなくても話し続けた。
ほんの数年前までこんなことをしてました。

でも気づいてしまった。私が望むことはきっと起こらないであろうということ。

きっかけは多分、何でも良かったんだと思う。

詳しくは書かないけれど、その「きっかけ」がおととしの冬、やってきた。

それから私は両親と言葉を交わすことができない。
まるで自分の前に半透明の膜がかかってしまったみたいに言葉が出ないのだ。
テレビを見て笑うこともできなくなってしまった。

もう1年半、両親の前で言葉を発することも、声をあげて笑うこともできていないというのに、
何も気にならないようだ。
聞かれて、どうしても答えなくてはいけないときに筆談で答えようとすると「口で話せ」と言われる。
自分が話せないことで母を怒らせているのではないかと思うこともある。
話したくないという気持ちももちろんあるけれど、実際のところ話せないというのも事実で。
最近では、どこかおかしいのではないかと病院に引きずられていく方が余程楽なのではないかとさえ思う。

病院で診察をしてもらったわけではないので、本当のところはどうだかわからないけれど、
自分で調べてみた限り、
「心因性失声症」を疑っています。

私が好んで話さない、笑わないと思っているのかな。
1年半もそんなこと、できるものなのかな。

無意識の区別 

2005年05月09日(月) 23時39分
夕食を食べながら母が「○○(弟)のスーツの上着、買ってあげなきゃ」と。

それだけで私の心はざわざわ、もやもや。

買ってあげる。立派な社会人に買ってあげるのだ。
私が仕事に必要だからとスーツを買ったとき。
お金を出すどころか私が買うことが当たり前だという態度だったというのに。

無意識。父も母も何も意識などしていない。すべてが当たり前のことだ。
弟に「買ってあげる」のも私に「買ってあげない」のも当たり前。

私は何も言わないし言えない。
そもそも両親に対して1年以上言葉を発することができないのだから無理な話だ。
言えたところでどうにもならないけれど。


右手親指の爪で左手の甲を引っ掻く。
爪を押し付けていくつもいくつも半円の跡を付ける。

血は出ない。ただ少し時間がたった今でもうっすら赤いだけだ。
何度も居なくなりたい、消えてしまいたいと思った。

けれど血を流すほど自傷できる勇気もない。


些細なことかもしれないけれど。
無意識が私を追い詰める。


悲しい、苦しい、もどかしい。

破壊 

2005年04月30日(土) 23時26分
父と母、たまに弟

隣の部屋で 

庭先で

話す

そして笑う

楽しそうに笑う

そこに私はいない


いつか使うかもしれないと

中途半端に壊したまま放置するのなら

いっそ壊して捨ててしまえばいい

ねがい 

2005年04月24日(日) 22時23分
普通の生活

 普通の洋服
  
  普通の髪型

   普通の仕事

    普通の遊び
     
     普通の恋愛



           ふつうの。

祖母 その3 

2005年04月19日(火) 23時29分
それからの展開は驚くほど早かった。
あっという間に祖父と祖母の離婚が決まった。
それから父が苦労して建てた家も売ることが決まった。
家は父親の名義だったが、土地が祖母の名義だったためだ。

しかし田舎で無駄に土地と家が広く、なかなか買い手が付かなかった。
結局家の買い手と引越しが決まったのは私が高2になった頃だ。それまで祖母は私に会うこともしなかったし私も会おうとは思わなかった。
結果的にきっかけになった電話での会話が私と祖母の最後の会話になってしまったことになるのだけれど。

高2の冬、私たち家族は隣の市の会社の保養所だったという家に引越しをした。それまでに比べると土地も家もずいぶんと狭くなり、建物自体も築20年以上でリフォームをしての引越しだったが、父はやっと土地も家も自分のものだと喜んでいた。

祖母はというと、土地を売った金で関東地方のどこかの老人ホームにはいったというような話を聞いたけれど、それきり何一つ連絡がないらしい。
今現在、どこかで暮らしているのか、それとももう亡くなってしまったのか、それさえも私には分からない。
数年前に祖父が亡くなったことも、連絡したのか、それさえも知らないままだ。
それは私たちが知らされていないだけなのか、両親さえ知らないのか、それさえ見当も付かない。

祖母は、本当に可哀相な人だ、と思う。
今思えば彼女もどこか病んでいたのかもしれない。
けれど、いつも誰かを疑って、夫、息子、孫さえ信じきれず裏切られたと思い込み、結果身内にさえ知られずに最期を迎える、あるいは迎えたであろう祖母。

私たちと離れてからの時間に少しでも幸せはあっただったろうか。

私の中で祖母に言われたことを忘れることはないと思う。まったく恨んでいるところはないかといえば嘘になるし、引き金を引いたのが私だということにもちろん思うところはあるけれど、それでも。

最期は少しでも幸せだったならと願わずにいられない。

祖母 その2 

2005年04月19日(火) 23時25分
それでも年に何度かはヒスを起こしたり、大きな喧嘩をして近所のお世話になったりしていたようだった。
そんなこんなで時に近所、親戚を巻き込んでは大騒動を起こしたりしながらもずるずると時間が過ぎ、私が中2になった頃だったと思う。
平日の昼間、家には私と母のふたりだったが、そこへ1本の電話がかかってきた。
母が応対したが、電話の相手は祖母で、祖父と喧嘩をして祖父が家を出てしまった。祖父に万が一何かあっても自分は責任をとらない。責任は父と母が取ってくれ、とそんな内容だったそうだ。
それを聞いてなぜか私がキレてしまって(苦笑
祖母に電話をして「いったいどういうこと?」と詰め寄った。「意味が分からない、言っていることがおかしい」と、そんなことも言ったような気がする。
すると一方的に切られ、再び電話がかかってきたので私が取ると、祖母は「お前なんて孫でもなんでもない○○(父)に言ってやるからな」と言ってまた一方的に切ってしまった。
私はショックでどうしようもなく、ただ泣くしかなかったが、それからしばらくたって驚くことに父親が帰ってきた。祖母が父の会社に電話して私のことを罵ったようだった。
平日の昼間に父が帰ってくるなんてことに私はものすごく驚いたけれど、父は私の顔を見るなり「何をやってるんだ!今までやってきたことが水の泡だ!」と私を怒鳴った。
つまり自分が小さな頃から苦労してきた、またはっきり言ってしまえば、私たち孫を使って機嫌をとりながら何とかやってきたのに、とそういうことだ。
父が私に怒鳴ったのはこの時一度きりのこと。
母が「自分のためにやってくれたんだ」とかばってくれた。その言葉だけが私の幸せだった。
それから父は祖母の家へ出かけ、夜遅くまで帰ってこなかった。

祖母は夫婦喧嘩や両親、親戚、近所を巻き込んでの色々なことを、私が知らないと思っていたらしい。おまけに可愛がっていた孫に自分を非難されたことが祖母の何かを大きく刺激してしまったらしかった。


まだ続きます。

祖母 

2005年04月18日(月) 0時00分
「父」の所にも書いたとおり、父の母親、つまり私の祖母は色々とやらかしてくれた。

父が小さな頃からの夫婦喧嘩、突然のヒステリーなど。近所、親戚を巻き込み時には十数人が集まって話し合いをすることもあったくらいだ。
祖母にとって私と弟はたった二人の孫だった。孫が可愛い、というのは彼女も同様だったようで、祖母は私たちをとても可愛がってくれたし、私たちも祖母が好きだった、と思う。

そして何より私たち孫がいると祖母の機嫌が良かった。

私が小学校に入る前までは週末は必ず祖母の家で過ごすのが習慣だった。夕方両親と出かけ、祖父か祖母とお風呂に入って食事をし、家へ帰る。
私が小学校に入る直前に父が家を新築したのでそれがきっかけとなったのか週末に出かけることはなかったが、学校の長い休み中なんかは必ず祖母の家で過ごす時間を作っていたように思う。

いつごろからだったか、私は物心付いた頃には既に、両親と祖父、祖母の間に何かがあること、そして何かあるたびに祖母の家へ出かけることの意味を理解していたように思う。
だから祖母の前では、何も知らない振りをしながら祖母にとっての「可愛い孫」を演じていた。嫌われないように、気分を損ねないようにいつもそんなことを考えていた。


続きます。
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