おぼえ難く、忘れ易いもの

November 11 [Thu], 2010, 18:09
そして、戒名というものがそのように忘れられ易いものだとすると、いよいよそれは大して意味のないものとなり、それが無いからとて、成石平四郎のためにそんなに悲しむ必要はないのだと思った。


そして事実、大木一雄は祖母や母の口から、戒名は故人を葬る一つの形式に過ぎず、それはおぼえ難く、忘れ易いものだということをたしかめたのだ。


にも拘らず、大木一雄はやはり心の重さ、暗さをはね返すことが出来なかった。


人間に貴賎の別があり、貧富の差があるのは悪いことで、人間の不幸はその悪のためにかもし出されるのだといった幸徳秋水、名は伝次郎も、〃そんなことを言う者には戒名はやれぬ。


〃と冷たく差別されて、成石平四郎同様、戒名のない墓標の下に眠っているのではあるまいか。


葛城川の何倍もあるという熊野川の流れを幻に浮かべながら、大木一雄はじっと虫喰い机を見ていた。


そこに鉛筆の一ダース束がおいてあった。


それは、「二人で使うとくなはれや。」


そう言って、伊勢田が高田の文房具店で買ってくれたものだ。


けれども大木一雄はいつまでも鉛筆を束のままでおきたかった。


大木一雄は鉛筆を束のままおくことで、伊勢田の記憶がうすれず、くずれず、いつまでも今日の時点にとどまっていそうな気がするのだった。

過去の記憶ではない

November 09 [Tue], 2010, 18:08
更に高田の町に着くまでに、伊勢田はその人が死んだ自分の女房の兄と同級生で、刑死した時その人が三十歳だったことや、またその人には二つちがいの兄さんがあり、その兄さんも一旦は死刑の判決をうけたが、あとで死一等を減じられて無期懲役となり、現在、監獄にいることなど細々と話しつづけた。


大木一雄はその悶、ずっといきを呑む思いで聞いていた。


大逆事件。


十二人の死刑。


それは大木一雄にとって決して過去の記憶ではない。


幸徳秋水、名は伝次郎。


その名は時にきずのように大木一雄の胸を落かせる。


ところがそれに加えて、こんどは戒名のない墓標である。


熊野川の流れが白く光って見えるというその丘は、今日から大木一雄にはまた一つのきずになりそうだ。


ところで伊勢田を汽軍に見送っての帰るさ、良夫は嘲けるように大声で言った。


「戒名みたいなもン、つけてもろてもしゃあないわい。


人間は死んだらそれでしまいや。」


けれども少し経ってまた彼は言った。


「ほんまにその坊主はくそ坊主やで。


どんな悪い病気も死んだら終いで、もう誰にもうつらヘン。


それと同じことで、なんぼ大逆罪やいうたかて、死刑になったらそれで罪は消えたわけや。


それを、そんな者には戒名はやれぬと吐かして、ほんまに腹の立つくそ坊主や。


そんなくそ坊主こそ死んで地獄に落ちくさるワ。」


だがそれから暫くたつと、良夫はまたはじめの考えに戻ったらしく、彼は大木一雄の肩をたたいて言った。


「一雄やん、やっぱり戒名みたいなもの、要らぬなア。


人間は死んだら、みな灰か土や。


えらそうな戒名をつけてもろうたかて、死んだ人にはおぼえる事が出来ぬやないけ。


それにつけた坊さんもじきに忘れるやろし、家の人らも、おぼえてるかどうか怪しいもんや。


おかね小母やんも、めったに広吉小父さんの戒名なんか記憶てヘンで。」


それはありそうな事だった。

亡夫

November 08 [Mon], 2010, 18:08
ぬいは亡夫の文四郎と、戦死した進吉の戒名を―もちろん語呂だけだが、辛うじて頭の中によびもどした。


文四郎は、「釈明光信」進吉は、「釈武進誰」だった。


「でも、お祖母ん、そないおぼえても居られぬのになんで戒名をつけるネ。」


「それは仏さんになったという証拠につけるんやろな。」


「せやけど、人間は死んだら戒名がなくてもみな仏になるんやろが?」


「それはそうや。だけど、大木一雄はまたなんで戒名のことをそない気にするんやネ。」ふでに言われてこんどは大木一雄が返答にまごついた。


実はひるま広吉ボ好さんの墓前で、じっと墓標を見ていた伊勢田が、「これはええ戒名でんな。」と大木一雄たちを振り返って、「世悶には死んでも戒名をもらえない人もいます。


それを思うたら、広吉小父さんはしあわせかもしれへん。」


と言ったのだ。


大木一雄は戒名の有る無しで、その人の幸、不幸が別れるなどと、今日まで考えてみたことがない。


人間にはみなそれぞれ姓名があるように、死ねば必ず戒名といって、仏くさい名がつくものだと簡単に思っていたからだ。


すると良夫が、「じゃ、死んでも戒名のつかない人が居まんのか。」と怪謬そうにたずねた。


「は、居まんネ。死んだ人の家族のしゅうらが、戒名をつけてくれと頼んでも、お寺の坊さんが、〃そんな者には戒名はやれぬ"というて、とうとうつけて呉れなかったそうで、石塔にも戒名が無うて、俗名だけが刻んだるそうだす。」


「そんな者て、どんな者だんネ。」


「それは……。」


と言いさして伊勢田はあたりを見廻したが、やがて彼は人かげの全くない墓地裏の野道に出たところで言った。


「大逆事件というても、坊んたちにはなんの事やらわかりまへんやろな。」


「いいえ、わかります。


それは明治天皇に爆裂弾をほうりつけようとした事件でっしゃろ。」


良夫がこたえた。


伊勢田は驚愕したような顔つきで、「え、坊んは知ったはりまんのか。」


「そうかて、あの事件は学校で先生が話をしやはりましたもン、記憶のええ者ならたいていおぼえてます。」


「それは、そうですやろ。


何しろ一ぺんに十二人も死刑になった大けな事件ですさかい。


お寺の坊さんに〃そんな者には戒名やれぬ"といわれて、戒名なしで墓に埋められはったのはそのうちの一人だす。」


そして伊勢田は、その人は成石平四郎といって、戒名のない墓標は生家の裏手にあたる丘の中腹にあり、そこからは熊野川の流れが自く光って見えると言った。

御供物

November 07 [Sun], 2010, 18:07
紙包みには〃御供物〃とだけで記名がない。


永久に交際するあてがないからの配慮であろう。


そう言えぱ伊勢田の方から訪ねて来てくれない限り、伊勢田に会う機会は、まず、ふでたちには無さそうだ。


「そんならお預りしときます。


ほんまに、こんなとこまでよう参りに来て下はりまして……。」


紙包みを戸棚にしまいながら、ふでは、ふっと眼頭に涙がにじんだ。


さて、かね小母やんが行商から戻ってきたのは小日暮だった。


彼女はいつものように障子戸の外から声をかけた。


「いま、帰ってきましたで……。きょうは遅うなって、お世話はんだした。」



夕飯を炊いていたふでは急ぎ、戸棚から預り物を坂り出して、「おかねさん、ええ話がありまんネ。」


「ええはなし〜俺にだっか?」


かねは土間に入り込んで暫くふでの話に耳を傾けていたが、伊勢田が広吉の墓参のあと、大木一雄と良夫に見送られて高田駅から汽車に乗ったと聞くと、彼女は急に笑い出して、


「そない子供と仲好うなるとこみると、その人はやっぱりはげ地蔵やな。そんなお地蔵さんにお供え物をもろうたり、墓に参ってもろうたりして、死んだお父ったんは後生がよろしワ。」


そしてかねは〃御供物"の紙包みを押しいただいた。


彼女はその手ざわりで、紙包みの中身が五十銭銀貨なのを知っていた。


五十銭といえば白米にして二升五合。


かねには思いがけぬ〃収入"だった。


ところでその夜、「お母んは広吉小父さんの戒名、おぼえてるけ〜」


大木一雄にきかれて、ふでは返答にまごついた。


「戒名とは、また変なこと言い出したもんやな。」


と、ぬいがそばで苦笑して、「戒名というのはむつかしいさかい、一二へん見たり、聞いたりしたぐらいでは誰もおぼえられへん。」

「おかね小母やんはどうやろ。」


「さあ、それはなんとも言えぬけど、なにせ、おかねさんもわいと同じで文盲やさかいな、おぼえてるとしても半分がええとこや。」

「じゃ、小父さんの戒名は〃釈勤信順"やさかい、小母やんがおぼえてるのは〃釈勤"だけかな。」


「わいかて家の仏さんの戒名はうろおぼえや。」

一日の長さ

November 05 [Fri], 2010, 18:07
一日の長さは、誰にも彼にも二十四時間であり、小森なるが故に一日が十六時聞であったり、三十二時間であったりすることは絶対にないのだ。


にも拘らず、彼の人は貴く、この者は賎しく、彼の人は富み、この者は貧しいという不公平が何んの疑念もなく行われている。


ここにはもはや公平な地球時間の流れはないかに見える。


事実、ここにあるのは人閥が創った人聞独自の時間であって、それは権力という針で自由自在に動かせる仕組みになっている。


権力の針から遠いものは、霜の朝、鑓にすわってぽたぽた涙をおとすしかないのだ。


更に権力の針のさすままに、時には地球時間の外へほうり出されもするのだ。


大木一雄は伊勢田の話を聞くうちに、だんだんその事に気がついてきた。


父の戦死は、地球時間が運んできた〃死"ではない。


それは人聞時間を自由自在に動かす権力の針の仕業なのだ。


父はまさしく権力によって地球時間の外に投げ出されたのだ!「ええお天気だすな。


ずーっと、雲一つのうて。」


伊勢田はのびをしながら立ち上った。


大木一雄と良夫も腰を上げた。


二人とも尻のあたりが湿めっぼくて、思わずそこに手をやった。


「お父ったんは今でも達者で居やはりまんのか?」家のすぐ近くまできて大木一雄がたずねた。


「いいえ。もう死んで三年になりますネ。生きてると、ちようど六十だした。」


その声を聞きつけたふでが内から障子戸をあけて、「外の景色はどうだしたP生駒がよう見えましたやろ?」


「は、今日のことは、きっと一生忘れまへん。ほんまに皆はんに親切にしてもろて……。」


いいながら、ふでの笑顔の向うに柱時計を見つけた伊勢田は急にそわそわして、「ええ気になってお邪魔してましたら、もうあんな時刻になりまんのか。


俺は勝手にお墓参りをさせてもろていにますさかい、志村の小母はんによろしゅう言うとくなはれ。」


そして挟から紙包みを坂り出して上りはなにおいた。

エッタ

November 04 [Thu], 2010, 18:06
先生に言うても〃エッタやからエッタ言われても仕様ないやないか。


"とただ笑うてるしまつでしてな。


ところで親父ですが、俺の顔をちょっと見て、それから傭向いたと思うと、膝の鉋にぽたぽた涙をこぼしました。


親父は面長で、割りとええ顔つきをしてましたんやが、その時のようすと言うたら……。


辛うて、苦しゅうて、なさけのうて、腹が立って、そうして淋しゅうてたまらぬ時は、誰でもああいう様子になるんでっしゃろ。


俺は子供心に、親父の気持ちがぐーんと胸にこたえました。


それで、その足で学校に走って行たんです。


一時間めが終うたとこで、『あ、エッタめ、また来よった。』と言うて、七八人そばに集ってきましたが、俺は負けるもんかと

思うて辛抱しました。


それからも辛いこと、悲しいことは、数え切れぬほどありましたけどな、霜の朝、地べたにひろげた仕事鑓の上で、ぽたぽた涙をこぼした親父の姿を思い出すと、どうしても卒業証書だけは手に入れぬといかぬと思いまして、学校を休むことだけはしなかったんです。


むろん四年の義務教育を卒えたぐらいでは、それで飯が食べられるわけやありまへんが、義務教育を果すというのは、つまり人並のことをしたということですさかい、いくらか肩身が広いような気イしましてな。


それが坊んらは高等科やそうだすさかい、俺は我がことみたいにうれしはす。」


けれども、うれしいと言う伊勢田も、うれしいと言ってもらった大木一雄たちも、互いに顔を見合わすだけで微笑を交すことが出来なかった。


三人は自分たちをつなぐものが、重い冷たいくさりなのを知っていたのだ。


だが、太陽は三人の頭上に何事もなく輝いていた。


地上はまぎれもなく春たけなわで、雲雀はさえずり、麦は緑に、藝苔は黄に、董は紫に、み蹴それぞれの生命を生きている。


自転し、公転する地球に呼吸を合わせて、同一時間を流れて行く……。


地球の生物であるかぎり、地球の運行と、流れる時間の外に存在することは不可能なのだ。


そして人間も地球の生物であって、決してそれ以外の存在ではない。

過去の記録

November 03 [Wed], 2010, 18:06
良夫は伊勢口の右脇からその顔をのぞいた。


「それは、もう……。」

と、伊勢田は鳥打帽子をとった。


そして過去の記録がそこに書きしるされてでもいるようにじっと帽子の中をみつめていたが、やがて彼はその帽子をほうり上げるように頭にのせて話しはじめた。


「俺のうまれ故郷は熊野川の川口に近いところやと言いましたが、俺は今でも熊野川の夢をよう見ます。


川の向う岸は三重県ですが、やっぱり和歌山側のようにずーっと山がつづいてて、その裾にぽつりぽつりと村があるんです。


ところでこの川の両岸に沿うた何万町歩という山が、たった五人か六人ほどの山地主さんの所有やからびっくりするやありまへんか。


世の中には、手の平ほどの土地もない貧乏人が仰山居るかと思えば、何千町歩、何万町歩という広い広い土地を持ったはる富蒙も居やるんですなア。


せやけど、小っちゃい頃は、誰もそんなことは知りまへん。


山も川も空も同じようにそこにあるんで、山だけが誰誰の所有やと言われても、なんのことやら、一寸わけがわかりまへんで。


俺は川は好きやったが、川をはさんでる山もとても好きでしてな。


川をずんずんさかのぼって行たらどこへ行くんやろか、あの山を越えたら向うに何があるんやろか。


子供のじぶん、誰でも考える事ですワ。


それが学校に行くようになると、急に山も川も好きで無うなりましてン。


ほんま言うと、胸の中に山や川を入れとく空聞が無うなりましてんな。


これは、一方から見たら、胸が狭うなったと言うことでっしゃろ。


エッタ、エッタボウシ。


そう言われて肩身が狭うなるというのは、つまり心が狭うなることですよってな。


俺はだんだん学校へ行くのがいやになりました。


けれども学校には行かないわけにいきまへん。


そのじぶん、俺をかしらに四人の子供をかかえて親たちは貧乏しきってやったが、どういうものか、親父は俺を学校に行かせたがりましてな。


きっと親父は文盲で苦労したんで、せめて子供には……と思うてたんでしょ。


そこで考えたのが、学校に行くふりをして家を出て、よそで遊んで、また頃合いを見て帰ってくるてだす。


ちょうどうまい具合に学校と反対の方角に小山がありましてな、そこに上ると熊野灘が眼の下に見えるんです。


俺はある朝-二年生になった年の五月のことで、山に上ると町の空に鯉の吹流しが仰山見えたのを今でもおぼえてますがーとうとう決心して、学校に行くふりをして反対の方向に走って行きました。


そしたら、驚いたことに、近所の子供が大方そこに来てるやありまへんか。


世間では朱に交れば赤うなる、というて、学校をぬけ遊びするような悪い癖は、悪い友達に誘われておぼえるように考えてますが、あれは見当ちがいのように思いますなア。


なんぼ誘われても、悪いことなら誰もいややし、また悪いことと知りながらそれを友達にすすめるような者もそう沢山は居まへん。


学校をぬけ遊びするのは、みなそれぞれ学校へ行きとうない理酊があそのことだす。


その理雌を維さぬといて、学校をぬけ遊びするのは悪いと頭から責めても怒鳴っても、ぬけ遊びはなおるもんやありまへん。


ところが、俺のぬけ遊びはなおりました。


というても、学校へ行きとうない理由が無うなったんではありまへんネ。


俺の故郷は大和よりだいぶ温いですが、その朝は大そうな霜で、俺は足の指がきれそうに冷たかったのを未だに忘れまヘソ。


俺らのとこでは冬中一ぺんも足袋をはきまへんのや。


ところでいつものように学校へ行くふりをして家を出た俺は、半分ほど行たとこでくるり向きをかえて、とっとと小山の方に歩き出しました。


すると、不意に、『おい、宗』と俺を呼ぶ声がします。


それが、どこで呼ばれても決して聞き違える筈のない親父の声やからびっくりしましたで。


思わず立ち止まって見廻しますと、横丁の板塀の裾に仕事鑓をひろげて親父が坐ってるんです。


おやじはそのじぶん下駄直しをしてましてな。


俺は逃げるに逃げられず、しょうことなしに親父のそばに行きました。


親父は下駄に入れる爾を鉋で削ってたようですが、俺が近よった時はじっと鉋を膝の上でおさえてまして、『宗、こんな時刻にお前は学校と反対向きにあるいてて、いったい、どうしたんやネ。』


と静かに言うんです。


俺は頭から〃この阿呆め"と怒鳴られることとばかし思うてたもんで、かえってあわててしまいましてな。


もしあの時親父にどなられたら、俺はきっとうまい嘘をついたでしょヨ。


それが静かに〃どうしたんやネ"と訊かれたもんで、つい嘘が言えのうなってしもて、


『学校に行くと、みなが俺をエッタ、エッタボウシと阿呆にするさかい、もう学校には行きとうないネ。父うちゃん、エッタて何んやネ。俺のどこがエッタやネ。』


と、ほんまのことを言うたんです。


大木一雄さんらは、こんなめに合わされはったことはありまへんか。


土地柄もちがうし、口露戦争の前と後では人の気もだいぶ変ってますさかい、もう而と向いて〃エッタ〃という者は居まへんやろが、俺の子供じぶんは、そらもう、話になりまへんかった。

鉄道

November 02 [Tue], 2010, 18:05
俺らにはむつかしいことはわかりまへんが、同じ大金をかけるにしても、鉄道というのは大砲や軍艦などとちこうて、人の生活を便利にするものやさかい、なんぼ仰山かかっても勿体ないことはないと思いますなア。」


「ほんまや。俺は戦争みたいなもンきらいやさかい、軍艦も大砲も造ってほしいことあらしまヘン。


せやのに、どの内閣も軍艦や大砲を造ったり、買うたりするのが好きで、せやからシーメンス事件みたいなもんが起きるんやて、うちのお父ったんがいうてまんネ。


小父さん、シーメンス事件て、知ったはりまっかP海軍のえらい将校らが、外国の会社から仰山賄賂を貰うてましてんで。


国をまもるための軍艦や、大砲やて、口ではええこと言うてるけど、ほんまは、軍艦やら兵器やらの売り買いで、みな、金をもうけるのが目的やて、やっぱりうちのお父ったんがいうてまんネ。」


「坊んは、また、えらいこと知ったはりまんネな。


俺は新聞もろくに見たことありまへんさかい、くわしい事は知りまへんが、海軍の腐敗というのはよう聞きました。


きっと、その事でしたんやろ。


大木一雄さん、あんたもやっぱり戦争やら、兵隊やらというのはきらいでっか。」


「俺とこのお父ったんは、日露戦争で死んでますさかい……。」


大木一雄は伏目がちに言った。


大木一雄はどちらを向いても眩しかった。


「まあ、さよでしたか。」


伊勢田は大木一雄の膝に眼をやりながら、「それは、えらい目に合わはありましたなア。俺はこの禿のおかげで兵隊をのがれましたが……。」と苦笑して、


「もし正常やったら兵隊でどえらい苦労するとこでした。


軍隊内の差別というのは、娑婆よりまだもっときつうて、湯呑みも洗而器もいっしょには使わせてくれぬそうだす。


そうして戦争の時は一番危い斥候に出されるそうな。


これから大きなって兵隊に行かはる坊んらに、こんなことを言うのは殺生やけども、みなほんまの事やから、悪う思わぬといとくなはれや。」


「なんで悪うなんか思うもんでっか。


小父さん、紀州ではどんなあんばいか、その話もきかしとくなはれ。


小父さんも小さい時からいろいろ言われて、きっと苦労してきやはりましたんやろ?」

技師の先生たち

November 01 [Mon], 2010, 18:05
技師の先生たちは、生駒山は大方花醐岩質で、中央へ掘り進むほど岩の質は硬うなる計算をしたはりましたのに、いよいよ掘り進んでみますと、硬いとこと、軟弱いとこが代り番こに出てきて、同じ岩質が一週間とつづかないのやから、ほんまに技師さん泣かせで、そうして、俺ら工夫には意地の悪い山でした。


あの大崩れにしても、手落ちと言や手落ちだすが、岩に仰山裂け目があって、おまけに岩の質が前後左右、みなちがうんやから、まあ、しかたがありまへんかった。


それにあの事故からこっち、支保工事も念を入れてやるし、湧き水が多い時は排水に工夫をして、無茶に工事を急くようなことは無うなりましたさかい、大軌や大林組としてはえらい損かもしれまへんが、俺ら工夫にとっては、あの時死んだ人らはありがたい恩人だす。」


伊勢田はちょっと口を嘆んで鳥打帽子のひさしを上げた。


「そいで、もうじき霊車が通りまんのかP」良夫も伊勢田と同じ手つきで学帽のつばを持ち上げた。


麦mをこえてくる風が汗ばんだ額を撫でた。


「さよ。


この二十五日が試運転で、お客を乗せて走るのは三十日の予定やそうだす。


そうしたら、大木一雄さんらも乗っとくなはれ。


電車が力いっぱいの速さで走って六分かかるんやというてます。


なんでもこの路線は、はじめは生駒をトンネルにしないで、索道で山を越える計画やったそうだす。


索道だとトンネルの半分も費用がかからないので、会社としてはらくに仕事が出来るからだす。


ところが岩下はんをはじめ二三人の方が、今は索道でも問に合うやろが、将来、日本がどう発展するか考えたら、間に合わせの索道ではいかぬ。


そんなことをしたら後の世の物笑いになるし、またあとでトンネルに模様がえをするようなことになると、結局二重負担になって国の損害になる。


こうおっしやってトンネル案を通さはったそうだす。

大阪と奈良を一つなぎに

October 31 [Sun], 2010, 18:05
生駒山をくりぬいて、大阪と奈良を一つなぎにしようとする岩下清周は、男の中の男やと、広吉小父さんが昂奮して話をしたのもついこの間のように思われる。


そんな小父さんは、もし今日まで生きていたら、どんなに感激してそれをくり返したことか。


ところが、実は岩下清周がその運命を賭けたとも言える生駒トンネルが、予定よりはるかに多くの時日と費用を要しながらも、とにかく一切の工事を完了した昨十入日、清周を頭取とする北浜銀行は預金者のはげしい取付にあい、今日十九日も、彼清周の身辺には実に騒然たるものがあったのだ。


しかし、この皮肉な悲劇については、伊勢田はまだ何んの情報も耳にしていなかったし、良夫や大木一雄ももちろん知る筈がなかった。


それにたとい新聞記事で取付け騒ぎを知ったとしても、大木一雄たちにはどうしてこういう事態が生じたのか理解するのは恐らく困難だったろう。


というのは、そこには銀行経営上の無理なからくりもさることながら、そういう無理なからくりを敢て強行せざるを得ない複雑な条件があったからだ。


端的にいえば、それは政治の問題である。


事実、北浜銀行の坂付以前、既に幾つかの銀行が破産の憂目を見ていた。


それは口露戦争この方、勝利景気に乗って発展した民間産業が、戦後も引きつづく政府の軍備拡張政策と、それに伴う軍需産業の偏重で重税と不景気に喘がざるを得なくなり、必然、民間産業に融資する中小銀行は破綻の危険にさらされることになったのだ。


北浜銀行もその一つで、同行は大阪の株式、米、三品の取引所機関銀行だったところから取付の影響は大きく、かてて加えて岩下清周その人が、保守的といわれる大阪財界では特異な存在だっただけに、周囲の殿誉褒妊もまた一通りではなかった。


それはともかくー生駒トンネルが竣工して、もうやがて電車が試運転されるのを知っている伊勢田

は、堤の芝草にまじって咲くすみれの花などむしりながら、かくし切れない昂奮で話しついだ。


ぱな「でも考えてみますと、トンネルは崩れ放しになったわけやなし、立派に出来ましたんやから、志村はんも草葉のかげで喜んだはりますやろ。


そこへ行くと、生き残ったわしらの方が、いつまでも怖い思いをしましたがナ。


殊に崩れてから半年ばかりというものは、またいつゴーッとくるかもしれないと思うて、みな、おちおちしまへんでした。


大林組にはー大林組というのを知ったはりまっか?親方は岩下はんの懇意筋で、生駒トンネルのために命がけで働かはったお人だすーこの大林組にはえらい博士さんたちが居やはって、トンネルはもう二度と崩れることはないと言うて下はりますんやが、働く俺らは、技師先生を信用しながら、どうしても聖天さんが気になって仕様がありまへんのや。


するうち、そう、去年の夏あたりからだす、岩の質が輕騨になってきました。
プロフィール
  • ニックネーム:大木一雄
  • 性別:男性
  • 趣味:
    ・音楽
    ・読書
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大木一雄と言います。文系大学を卒業後、サラリーマンをしつつ音楽を聴きながら、いつも小説を書いています。
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