読書のすすめ(読後感最悪を集めました) 

October 13 [Mon], 2008, 21:52
衝撃の文学編

『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)

放蕩する乱暴者、熱き魂の長男ドミートリー
怜悧な無神論者、分裂した魂を持つ二男イワン
宗教狂いの純潔者、清らかな魂の三男アレクセイ

―「父」を殺したのは誰か?
 最も狂っているのは誰か?
 最も「神」を求めたのは誰か?
 最も苦しんだのは誰か?
 最も生きえぬ者は誰か?

誰が、何が、いつ、どうやって、彼らを救済してくれるのか。
あなたは、彼らのうち、誰を一番愛しますか?


『サロメ』(ワイルド)

官能と狂気の月夜 
七枚のヴェールの舞 代償は血の口づけ 

〜福田恆存先生の訳(岩波文庫、2005.12.5より)〜
「わたしのほしいものとは、なにとぞお命じくださいますやう、今すぐここへ、銀の大皿にのせて・・・(中略)ヨカナーンの首を」
「ああ!あたしはたうとうお前に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。お前の脣はにがい味がする。血の味なのかい、これは?……いいえ、さうではなうて、たぶんそれは恋の味なのだよ。恋はにがい味がするとか……でも、それがどうしたのだい?どうしたというのだい?あたしはたうとうお前の口にくちづけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたのだよ」


『暁の寺』豊饒の海(三) (三島由紀夫)

無垢な肉体の輝く月光姫―悲恋に命を落とした美しい清顕、純粋さに命を賭し自刃した勲、の転生の姿
個の生命・認識を超えて、輝き、流れ、滅びつづける生命の物語
(わたしが読んだ本の中で、最も難しいとかんじたのは、これと「魔の山」である)

『万延元年のフットボール』(大江健三郎)

奇態で自殺を遂げた友人
夜明けの穴で考え込む私(密三郎)
障害児を生んだアルコール中毒の菜採子(妻)
地獄を所有し、地獄をもとめる、傷ついた鷹四(弟)

ぎりぎりの精神をもつ人々が、山村で織りなす事件は、百年前の百姓一揆と並行する。
本当のことを、自分のアイデンティティを、自分の拠り所を、そしてそれを伝えることを求める人々の生死が奏でる、散文詩的長編物語。


『雪国』 (川端康成)

男女の仲は、哀しく、たゆたく、狂おしい。
たまゆらの幻。


『どん底』 (ゴーリキー)

どんなに堕ちても、
侮蔑されても、
叶わぬ恋をしても、
共にいた人が死んでも、
自分に醜さしか認められなくても、
人を殺しても、
金への執着しかなくても、
幻しか人生の拠り所がなくても、
一生、這い上がることなく、「どん底」のままだとしても、

―生きるしかない


『最後の一句』 (森鴎外)

「お上の事には間違はございますまいから」


『さいはての島へ ゲド戦記V』 (ル=グウィン)

目指す島は、死
(小学生のとき読んだので内容は覚えていない…。ただすごい衝撃だった。)

『トロッコ』 (芥川龍之介)

子供のころ、家路を急いだことがありませんか?
知らない道を一人ぼっちで走った記憶はありませんか?
やっと、家にたどりつき、母の抱きとめるあたたかさに、泣きじゃくったことはありませんか?
 大人になり、わたしたちは母のあたたかさを失いました。
 では、この暗闇を、たったひとりで、何を目指して、走ればよいのでしょうか?


『こころ』 (夏目漱石)

エゴイズムが行き着いたのは、永遠の空虚、永劫の孤独
(この解説文は、正しくない。わたしは、『こころ』の一編も理解していない。そして、わたしは正しい解説文を書くために、一生を捧げてもかまわない気がする。)

読書の秋なので・・・ 

October 01 [Wed], 2008, 0:04
金木犀の君が、紹介文を書いていたので、わたしもマネをしてみました。
注:みんなにおすすめの本なので、かならずしも私の趣味ではない。


恋と愛の文学編


『三四郎』(夏目漱石)と『青年』(森鴎外)
  モラトリアムの若者たちへの文豪からのメッセージ
  新しい世界に生きるあなたは、「迷羊(ストレイシープ)」?それとも「縛めの新人」?

『ナジャ』(ブルトン)
  狂気の性愛は世界の真実 (←わたしには全く理解できない作品)

『ドルジェル伯の舞踏会』(ラディケ)
  最も純粋で、最も淫らな恋の輪舞 (←帯通り)

『眠れる美女』(川端康成)
  枯渇した魂は、若い生命の抱擁を求め、さまよう
  老いた手は、若い肉体をまさぐる
  
『白痴』(ドストエフスキー)
  世界で一番無垢な人間の与える愛は、優しく哀しい「破滅」

『ナナ』(ゾラ)
  自然主義の最高傑作
  美貌の悪女の恋は、時代への復讐

『深い河(ディープ・リヴァ―)』(遠藤周作)
  人生の意味を失った人々を受け入れるのは、沈黙の河、大いなる母

『狭き門』(ジッド)
  「愛していたから、拒み続けた」「愛しているから、求め続ける」 (←くさい・・・) 
 〜内山義雄先生訳で一部引用〜 
《「いつまでひとりでいらっしゃるつもり?」「いろいろなことが忘れてしまえるまで」私の目には、顔を赤らめた彼女が見えた。「早く忘れたいと思っていらっしゃる?」「いつまでも忘れたくないと思ってるんだ」》


『自負と偏見(高慢と偏見、プライドと偏見)』(オースティン)
  高慢で気難しい紳士、
  ハンサムで親しみやすい軍人、
  堅実で真面目な牧師、
  生涯の伴侶は誰?

『文づかい』(森鴎外)
  孤高の姫の心の痛み

『春琴抄』(谷崎潤一郎)
  盲目の献身 至上の愛 (←究極のマゾヒズム)


ちなみに、わたしが大好きな作品は『三四郎』『文づかい』『白痴』『狭き門』です。
結婚前の女性に最も読んで欲しいのは『自負と偏見』です。
 

仏像鑑賞 不空羂索(フクウケンジャク)観音編 

September 20 [Sat], 2008, 0:38
追憶の対話者〜広隆寺霊宝殿 不空羂索観音
 霊宝殿の、あの弥勒菩薩―崇高な微笑みを湛えた永遠に思惟する未来の如来、に一度背を向けてみるとよい。弥勒菩薩に向かい合う形で、三体の素朴な観音菩薩が並んでいる。   
思惟に徹する高尚な弥勒に向かい合っているのは、衆生を救おうと幾本ものうでを広げている観音達である。

三体の前には、先初めの百合がそれぞれ二輪づつ供えられている。濃密な芳香を秘めた百合は、近い未来、寺特有の快い緊張を含む冷気に反逆するのであろう。しかし今は、はちきれんばかりの緑の蕾に反逆心を封じ込め、凛とした体は金の菊紋が入った冷たい黒花器にまかせている。
 
 
 三体の一番右に立つのは、優美な千手観音。
平安期の仏像特有の優美な裳の襞は、若い百合をさらに映えさせた。精密で滑らかな波のような襞は、千手観音の左右それぞれの腿から足先までの形を透かしながら流れ、最後には体の外側に弾けるようになびく。最後のなびく裾までが左右対称である。その左右を分つのは、腿の付け根の真ん中から流れ落ちる細い滝のような布である。ちょうどその前に、細身の百合は供えられている。観音の下半身の前で、反逆心のあらわれであるみずみずしい花弁は刻々と開こうとしている。

一瞬一瞬姿を変えていく若い花弁の上では、永劫に不変の千手観音が大輪を咲かせる。ろうたけた色の三十六本の腕は花弁となり、優美で力強く、百合と拮抗した対照をみせていた。
 

 中央には粗野にさえみえる千手観音が貫録をみせつつ座す。
 

 そしてその左方にこそ、今回とりあげる不空羂索観音が立っている。
この簡素な不空羂索観音は、しなやかな八本の腕をもつ。そのうちの一本が握っている紐が、名の由来である羂索である。釣り道具である羂索で、迷える衆生を一人も漏らさずに救うのが、この観音の仕事だ。

衆生全員を救うという大きな使命をおびながらも、この観音に気負いは感じられない。荘厳な感じで私たちを圧倒することも、軽妙な明るさで私たちを喜ばせることも、ない。この観音はただあたたかい。

裳をはき、天衣を無造作に左肩にかけただけなので、観音の腹部や肩のほとんどは、露わになっている。腹と肩の肉付きはほどよく豊満でありほどよく貧弱である。小さめの丸い顔は、よく引き締まっており、やさしい甘さとともに、少しの苦さを帯びている。

衆生全員を救う威厳と神々しさに欠ける観音。
(東大寺三月堂の不空羂索観音と比べてみるとわかりやすい。三月堂の観音は、宝冠を頂き金色の光を放っている。)

しかし、その素朴なほどの観音は、親しみやすく、限りなくあたたかい。その威厳のなさがゆえに、観音が発するメッセージは万民に向けられてはいない。ただ対面者に投げかけられる。
つまり、この観音は、対面者ただ一人と向かい合って語りかけてくる。衆生全員ではなく、ただ私にだけ語りかけ、私がしゃべりだすのを待ってくれているようだ。

その観音は、金箔とともに荘厳がはげおち、優しい木の色をむきだしにして、対面者のためだけの対話者となる。1対1で観音と見つめあう。
対面者は、その感覚が、ひどく、故郷を偲ぶ感覚と類似しているのに気づくだろう。


たったひとり、思いだす故郷の風景は、いつも、甘くそして苦い。
ちょうど、この観音の表情のように。

記憶の中の故郷は、セピア色で素朴であたたかい。
ちょうど、この観音の姿のように。

すでに失われた故郷は、わたしだけのものである。
ちょうど、この観音がわたしだけに語りかけてくるように。



追記:国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像も、同じ場所にある。筆舌では語るのが恥ずかしくなるほど素晴 らしい。このような像が、世界に存在することが信じがたいほどに素晴らしい。
追記2:仏像鑑賞には、だれも反応してくれないが、書き続ける。
    誰か、わたしの仏像巡りに付き合ってくれませんか?

我鬼流 仏像の見方  広目天編 

September 05 [Fri], 2008, 23:41
両極の融和〜東大寺戒壇院戒壇堂 広目天
 「偉大なる精神は、男女両具を具えている」というのは、コールリッジの言葉である。
まさしく、この偉大な仏像は両極を併せ持つ。
男と女
厳しさと優しさ
拒絶と抱擁
動と静
挙げだすときりはない。
そして、その正反対に見える性質はこの像の中で融合し、広目天の限りなく深い眼差しを通して仏の世界の彼方に、人間の精神に、染みわたるのである。
 そもそも、真の叡智とは、悪を許さぬ厳しさと悪の弱さを労わる慈しみの混在状態ではないか。悪を攻め続けるのは、知ることと考えることを放棄した愚か者の行為であり、悪を見逃し続けるのは、臆病者の行為である。
叡智を司るこの広目天は、まさしく今、行動をおこそうとしているように見える。熟慮の上で罰すると決意する瞬間。思惟という静の行為から意志という動の行為に切り替わる一瞬。最も叡智が輝く一瞬。
広目天の、その四本の手足、くねらせた腰、やや斜め上を向く顔。動き始める瞬間のようなその姿は、厳しさと優しい柔和さが混在する。
男性的な肉付きの良い体は、鎧に包まれ、いかめしい顔の眉間には深くしわが刻み込まれる。下から見つめる私たちを、決して見つめ返してはくれない。あたかも、一切の情け・優しさを拒絶するかのように。
しかし、右腕は流れるような動きで筆をもち、腰をこころもちくねらせる姿勢は、あまりにも女性的である。色がはげてあらわになった土のきめは、思わず手を差し出して触れてみたくなるような女性の肌だ。この肌と姿勢は、全ての敵意と悪意を受け入れ、安らぎだけを与える抱擁を与えてくれそうだ。
 男と女、拒絶と抱擁、厳しさと優しさの狭間に生を置くこの像は、静寂を醸し出しながら、叡智あふれる眼を彼方にむけ、一瞬の生を生き続けている。
 この像と向い会ったものは、『この広目天を愛している。私は、このような存在になりたい。』と思うに違いない。
悪意と慈悲を包み込み、優しさと厳しさを備え、思惟と意志の狭間に存在するこの像を愛し、このようになりたいと願う。
自分が決して手に入らない性質を持つから、尊敬し、愛する。届かないものへの絶望的な愛。
それでも、手に入れたいと願わずにはいられないから、欲し、願う。届くと自分を鼓舞する希望的な欲求。
彼らのこころは、その二つの虜となるだろう。
自己否定による愛と自己肯定による欲望。鑑賞者の、この心の葛藤さえも、両極を帯びた、広目天像の宿命のように思える。

とらえて離さないものと求めずにはいられないこと 

August 30 [Sat], 2008, 3:31
昨日、わたしは、倫理の本を斜め読みしていた。兄との会話中だったので、本の文章からは、こねくりまわしたことばじりを感じるのみで、意味は頭に入って来ない。しかし、サルトルのページをいじくっていた時に、以下のような言葉に出会った。

『脱自 自己が自己について意識をもつのは、自己からぬけでた自己が自己をみつめることであり、人間は自己についての意識を持つ限り、つぎつぎと新しい自己にぬけでていく。未来に向かって現在の自己をぬけでていくのである。』

この文章は、頭で反応するより早く、心で反応した。意味を理解しようとするより早く、感情が捕らわれた。それは、幾度となく、言語化されることなく、わたしを脅かしてきた言葉のように感じられた。わたしを捉えて離さない苦悩を、サルトルは肯定的な口調で、当たり前に語っている!近いうちに、サルトルと会話する必要がある。わたしの稚拙な精神と理解力で、サルトルと対話し、共鳴あるいは闘わなくてはならない。
 
たった今、豊饒の海の第一巻『春の雪』を読み終えた。流れとしての生命、個を超えた死というものの目撃者になることを決めた。勿論、本多とともに。願わくば、読み終えたときに、アーラヤ識を感じたい。思想が個を超えた生死の隣に横たわっていることを感じたい。現在が一刹那で滅するならば、それを生きぬく思想を教えて欲しい。

 懺悔すれば、劇団四季の『オペラ座の怪人』を観にいった。みんとゆっこには申し訳ないことをした。

悩みのタイプ 

August 24 [Sun], 2008, 1:09
わたしは、人間をグループ分けするのが嫌いだ。
しかし、今回は、敢えて人間の性格をグループに分け、さらにそのグループに名前をつけてみる。
人間の性格を分けるのに、人間の悩み・苦しみに着目した。わたしの乏しい人生経験において、人間の悩み方には三種あるように思う。以下に挙げる。
「自殺」型:自分を否定する
「殺人」型:自分の身近な他者を攻撃・否定する
「革命」型:既存の価値観・国家を否定する
グループ名が聊か過激だが、なにも「自殺」型の人に自殺しろとか、「殺人」型の人が人を殺すとか言っているわけではない。あくまで、悩み方・苦しみ方の種類である。辛い時に、否定し、攻撃する対象が自分か他者か国家かということだ。
「自殺」型の代表格は、夏目漱石が描く人物である。例えば、『こころ』のKや先生がそうで、自分の内面にばかり目をやり、自己否定しながら、自己を追い求める。基本的に、自分のことにしか興味がない。繊細で傷つきやすい性格が特徴ある。
他にも、太宰治やチェーホフが描く人物、カラマーゾフ次男、がこのタイプである。(わたしも間違いなくこのタイプである。)
「殺人」型は、他者を攻撃して自分を確認し、表現するタイプである。例えば、ゾラの『ナナ』の主人公ナナ(余談だが、わたしは今、『ナナ』を読んでいるが、遅遅として進まない)、『欲望という名の列車』のブランシェ、ハリー・ポッター(最終巻読んでない)や、カラマーゾフ長男などである。現代人の大半がこのグループだと思う。
「革命」型は、三島由紀夫や大江健三郎が典型例である。新しい価値観を宣伝しながら、大きな集団や価値観と戦い、殉じていくタイプだ。葛飾北斎もこのタイプだと考えられる(余談だが、今日、やっさんと北斎展に行った。わたしは、わたしの心に、浮世絵を楽しむ土壌がないことに気が付き、自分の貧しさに愕然とした。豊かさへと精進していかなくてはならない)。宮崎駿監督もこのタイプだ(余談だが、「ポニョ」を兄と見に行った。生命賛歌だった。倫理観を崩される恐怖はあったが、その恐怖を埋めてもなお余りある生の輝きが、わたしは好きだった)。
わたしが、こんなグループ分けをしたのは、人が悩む手助けをしたかったからだ。人は悩み、悩み続け、その中で、他者との共生の仕方や、しなやかで自分らしい自己表現を見つけて生きなくてはならない。悩むことを、拒否したら生きていけないように思う。
自分のブラックな部分や凶暴な部分を見つめなおして、悩み生きる手助けができればと思う。

追記;なんて言いつつも、わたしは自分のためだけにこの文を書いた。「自殺」型人間ですから。
追記2;便秘がつらい。とうとう薬に頼らねばならぬ。
追記3;金木犀香る風待ちの君へ。他人としゃべらず自己の内面に没入するのもありだとは思うが、社会生活では致命的だし、風待ちの君には辛いよね。わたしも、他人とうまく話せない。いつか、うまく話せる日がくると信じているわけではないけど、いまは、うまく話せるように努力する自分に満足するしかない。ポジティブなふりをしよう。
ただ、話さなくても察してくれる子はいるし、これからも出会うと思うよ。(こんぶとかね。あいつは見かけほど馬鹿じゃないし、優しい。)うまく話せないからって、罪の意識を感じたりはしないでね。
追記4;第二夜はケリーに捧げたものだ。おもしろいと言ってくれてありがとう。仏像を見るとき誘う。就職活動がんばれ。

枕流ゆめじゅうや 第二夜 

August 17 [Sun], 2008, 1:25
こんな夢をみた。
 詩人の閑居を辞して、川伝いに自分の洞に帰ると、続松が赤裸々な岩の窪みを照らしている。無遠慮な火はそのままに、窪みに座し、半跏を組む。続松の照照とした熱は、狭い洞に充満し、蕭蕭たる外風の音に勝利し、自分の頬は色づく。火を消す必要があった。そのままの姿勢で、続松を掴み、洞の奥に放りなげた。湿った床と続松のこすれる音と不愉快な火の光は、徐々に遠のき、消えた。
 懐から出す絵は、大雅の筆である。遠望する山は、やわらかな黒で薄く、さらに薄く。細かに長短を繰り返す砂利は、自由自在な速度である。その上に佇み、軽妙に歪曲する肩をもつ道士に、自分の双眸は注がれた。道士は柔和な動作で今にも動き出しそうに描かれている。しかし、赤松山を、さらにその彼方の括蒼山を、眺めつくす道士が、自分を振り返ることは期待できなかった。
 絵を丁寧に懐に戻し、そのまま右の手を頬に添わし、肘を組んだ右足に預ける。同時に、左手は、座した岩の窪みの端をさぐった。思った所に、それはきちんとあった。プリミティブな石の矢じりである。粗暴に細工されながら、鋭利で冷たいその刃を左手に遊ばせる。手に届く場所にあれば安心なので、もとの位置に戻し、空いた左手に右足を握らせた。
 お前は、人間だ。何の為に生きているのか、に答えられない訳がないだろうと詩人は言った。答えられないのだとしたら、お前は人間ではないと言った。お前には、神の子を裏切って銀貨の袋を握る手すらないと言った。蛇に唆されて林檎を噛む歯もなければ、メフィストフェレスと契約する血もないと言った。おや、怒ったのかと言って笑った。悔しいなら、生きる目的か倫理を示してみろと言ってまた窓の外を眺め吟じはじめた。自分は、詩人をこころから憎んだ。
 洞の天井の裂け目からこぼれる月光は、前におかれた群仙図屏風の竜にのる仙人の白痴じみた顔を照らしていた。自分は、月光が一番右端にいる黒い仙人の虚偽の顔を照らすまでに、目的を掴もうと決めた。そして詩人の閑居にもどり、詩人の喉笛を切って、二度と嘯けないようにしてやろうと思った。どうしても、目的がなくてはならない。自分は人間である。
 もし、生きる目的が見つけられなければ矢じりで心臓を突き刺そう。自分を殺すという自己否定を自分が肯定してやってのけたことを、せめてあの詩人に見せつけてやろう。自分の混濁と矛盾をあの詩人に与えてやろう。そういう風に、生きる意味を自分に示そう。
 こう考えた時、自分の左手はまた矢じりをさぐった。今度は、無垢でキョウキョウたる水晶の数珠をこすりあわせ、爪でひっかく様な、緊張が全身を貫いた。自分は強いて左手をもとの形に戻し、何の為に生きるかと自身に問うた。
 瞳を閉じ、悶々とする。糞、あの詩人め。よくも自分を軽蔑したな。自分は目的を掴んでやるぞ。鼻・脇・項、あらゆる毛穴から熱い汗は噴き出す。あの詩人の涼やかに染みたしろ絹に鮮血を迸らせてやることもできるが、自分は目的を掴んでやる。かとり絹が首下を刺激する。この上等な絹にも自分の汗は侵食する。額の汗が睫毛に落ちる。汗の熱さは感じない。皮膚下の血液も同じ熱さで体を蹂躙しているからだ。
 睫毛の重みに耐えかねて目を開けると、月光は左から三人目の仙人の衣を指していた。衣の紅は道化の口紅そっくりである。意地の悪い月光が、この道化の仙人を指すのに飽きたら、自分は矢じりを握らねばならない。
なんだ、たかだか月光のくせに。人間の運命を決めやがって。おまえの裸身のような輝きが、こんもりと茶色い土手道のような日の光に勝ったことがあったか。そう、日の光は作為的な程の自然美のなかでさえ人家に通じているのだ。
考えれば考えるにつれ、単一である肉体はもつれあう。荒くなる息は産毛を通りぬけ、右足の肉の重みは左ももの血管の動きと骨を感じる。脇からの異臭は、脇毛の存在をきわだたせる。脳裏に浮かぶ地獄の門は自分の身体そのものである。もつれ合いぶつかり合う苦悩する肉体の渦。考える人は、なぜ、そんな朽ちるべき肉体の上で思うことができるのか。サタンの饐えたる悪臭を封じ込め、腐敗し寸前の熟熟たるひとびとの祈りの声をぶつけられながらも、地獄の門は冷たく黒く光っていた。
自分は自分の右頬を右手で鋭くぶった。痛みの一瞬の冷たさを思うと、自分の血肉は沸点を通り越し、泥になって溶け去り、怜悧な骨だけが残れば良いのに、という欲求がうまれた。いや、泥にならずとも、肉と骨は分裂している。もはや、左あしも右足も自分のものではない。ただしびれているのではない。熱い。苦しい。しかし、目的はなかなかやって来ない。悔しい。
それでも我慢して半跏の姿勢で思惟する。思惟は出口のない洞窟のように何処も塞がっていて、さらに堂堂巡りする。それは、しびれきったそれぞれの四肢どれとも一致しない。四肢も思惟ももはや自分のものであって自分のものでない。目を閉じていても明けていても同じであるし、四肢が苦痛であっても快楽であっても、何の区別もない。実は、力強くひんまがった大木の枝も、繊細になびく萩の区別もない。屏風に描かれた四人の仙人に区別はなく、それどころか彼らは自分とすら区別はないように感じた。生きていない絵と生きている自分の差異がないなら、生死に区別はない。ということは、目的があるのとないのと、区別はないのではないのか。それでも、未来の為に人生の為に、目的が必要なのか。所へ、忽然と月光が自分の左目を指した。
はっと思った。勿論、月光は黒い仙人を指していた。左手ですぐに矢じりを掴み、喉仏の前に持って行った。自分は、我に返ると同時に、懐の眺望の道士を汚すことを恐れ始めた。だから、詩人あるいはプリミティブな人間が別の矢を心臓にめがけて射るまで、この姿勢を続けなくてはならないことを決意した。その時、自分は、月光が永劫の時を、黒い仙人にとどまり続けることを知ったのである。


東京への旅の記録です。『対決 巨匠たちの日本美術』『コロー展』『フエルメール展』に行った感想です。ついでに、『地獄の門』も見ました。私の趣味に付き合ってくれたケリーに感謝します。
そして、ケリー。「何の為に生きるか」なんて、何の為に考えるの?その答えを考えたほうが良いと思うよ。(実はこの問いは永劫に循環するんだが。)
あと、死なんて自分で手に入れるものじゃないよ。死の運命がやって来るのまでの永劫の時間を、孤独に待たなくちゃいけないのかもね。待ってる間に、せいぜい懸命に道草しようかな。(漱石の「こころ」に影響されすぎの意見だが。)

今か今週のはなし 

February 26 [Tue], 2008, 1:35
今、頭に流れる言葉:『今になる、 蛇になる、 屹度なる、 笛が鳴る、 深くなる、 夜になる、 真直になる』(夏目漱石『夢十夜』第四夜)

今、奮闘すべき相手:ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(中) と 中学2年生の大変元気でわたしを馬鹿にする生徒さんたち(今日も大変手を焼かされた) 

今週、最もぞくっとしたこと:夏目漱石『夢十夜』第三夜、第十夜

今週、以外にも軽蔑から理解に変わったもの:『ロミオとジュリエット』 

今週、軽視から理解に変わったもの:学生演劇(土曜日に兄の所属していた劇団の発表を見に行った)

今週、定義づけたもの:カンパネルラの思想と行為=最も崇高なもの=『愛』 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』)

今、祈ること:わたしの友が志望大学に合格しますように

明日、すること:演劇『ベガーズ・オペラ』を見に行くこと

今週、はまっていること:口笛の練習

今週になって、ちらほら視界にはいる人物:里帰りしている兄

今、欲しいもの:ただ感性的に美しいものを美しいと思える強さ(わたしは川端を認める強さがない)

今、惚れている相手:鬼平=長谷川平蔵(吉衛門さんより白鴎さまのほうがよい) と エリザベス1世 と トマス・モア

今、答えが欲しい問いかけ:「憎しみの発生には、理由がある。では、愛情の発生にはどんな理由があるというのか?」(今日の兄とわたしの会話より)

夜、やっていること:『鬼平犯科帳』(1969年版)のビデオを見る または ゲーテを無理して読む(遅遅として進まない) または ひとり酒を飲みながら、トマス・モアの死とカンパネルラの死の崇高性について考え、涙する(映画『わが命尽きるとも』『銀河鉄道の夜』)

『細雪』について、友に伝えるべきこと:たしかに映画版では、次女の夫は三女をとてもかわいがっていた。(市川監督の映像はかなりはまる。しかし、わたしが最も愛する日本映画は『男はつらいよ』であり、このシリーズで山田監督がとったものは、すべて見たと思う。)

枕流のゆめじゅうや(旅の記録) 

February 22 [Fri], 2008, 3:16
第1夜

 こんな夢を見た。
 彼の女に手を曳かれ、上り坂を急ぎ足に登っていると、女は振り返って、静かにこんなことを云う。『幸いなるかな。我召されん。天には大きな報いがありたもう。』女は、やや丸い顔を左に傾け、今にも涙がこぼれおちそうな黒い瞳を窄めてほほ笑むものだから、私は報いを求めないが、それは言葉にしないでおいた。女の頬は、丘を駆け上がった分だけ染まっており、無論唇も紅がかっている。切りそろえられた前髪のちらばりから、かすかな水仙の香りがただよった。わたしは、女の、言うまでもなく美しい様態から、この女は、ただ丘を駆けているのだな、と堅く信じた。しかし、彼の女は、『報いはありたもうよ。』とはっきり云う。無論、わたしたちは緑の坂を登り続けている。
 『必竟、どこを目指しているんだね。』わたしは、疑いを捨てきれずに、問うことにした。女は、また、例の潤いを持った大きな瞳をわたしに据えて、『見え給わずや。かの場所なり。』と鐘の音の柔らかさをもった声音で答える。わたしは、不安な苛立ちを覚えたものだから、『その場所に行っても、わたし
はその印を持ってはいないし、貰いはしないよ。』と彼女の胸にかかった銅板を指さしながら言った。銅板には、カタコンベでは役に立つだろう魚の絵が彫りこまれていた。彼らのペンタグラムである。女は、『報いはありたもうぞよ』と答えただけで、頭にかぶったまっ白いベールが風に飛ばされるのを恐れる様子もなく、わたしの手を曳いて行く。わたしの鼻は、女の風に踊る髪と着物の袖が今にも触れそうである。
 すると、南国の木の茂みからわたしたちの丘に足を踏み入れた男たちがいた。彼らは、五足の靴の持ち主である。わたしは、彼らのうち二人を知っていたが、顔を突き合わし言葉を交わすことは避けたかった。彼らは、靴を踏み鳴らし、丘の水仙に鮮やかな色みと芳香を与えて、わたしたちの方に近づいてくる。こちらも、約束の時は迫っているものだから、距離はどんどん縮まっていく。
 喜ばしくもかつ期待どうりに、かれらは5つの黒い影にすぎないことが、目に見えてわかった。すでにこのとき、わたしは頭をあげ彼らの影に視線を投げかけていた。彼らは、誰かを探し、恍惚とし、夢見、そして詠っているようだった。わたしは、それを記憶せずにいることに決めた。彼らは、閉鎖的な海の香りと混乱を少し身にまとうだけの、偉大な暗闇である。彼らは、流れを枕にすることなどできまい。だから、わたしは女に手を曳かれて影たちとすれちがうだけだった。
 『かの場所、すぐ近し。』女の柔和な音に、また、不安を感じたのは、朝日のさした臙脂の海と白い十字架の教会とが、両端の森の真ん中からあらわれたときだった。それらは、葡萄酒の入った革袋を、あるいは小麦のいっぱい入った麻袋をナイフでためらいながら裂くように、あらわれた。わたしは、また不安になって問うことにした。『その場所で、お前は一体なにをするつもりなんだい。』すると、女は首をこちらにむけ、わたしの手を握った白い指をほどいて、血の色が程良く透けて見えているふっくらとしたくちびるに人差し指をそえて、こんな風に答えた。『我が首を切り落とさんが為なり。』
 その時白いベールが、女の黒い髪から絹の着物の袖を通り、解放されたわたしの手に滑り落ちたものだから、わたしは純白のベールを見るたびに、椿の色は白かったか、それとも赤かったか、と思い悩むことになった。
 わたしは驚いてしまって、『しかしお前、お前はだれかを洗礼したことなどないではないか。』と口走った。『なくとも、報いはありたもう。』女は、感慨深く答えた。それでもわたしは『しかしお前、お前に死ぬ理由などありはしまい。』と言葉をもらした。『因は理念なり。』女は、また同じ様子で答えた、わたしは平生、「倫理」という言葉をよく用いるが、「理念」という語は知らなかった。そこで諦めきれずに、『しかしお前、お前がいなくちゃ、わたしは帰れまい。』とつぶやいた。女はこれには答えず、大きな瞳に微笑みをたたえた。このとき、ようやく、ほほに涙の一筋が描かれた。わたしたちはまた、丘を上るしかなかった。わたしはもう一方の手を女の白い手に託し、また教会へと続く道を進んだ。
 やっと頂上についたとき、彼の女は奇妙なやくそくごとをした。『頼みたきことあり侍り。かに見ゆる海の水面の白鳥が羽、百たび瞬く時、我がこの椿を水盆に浮かべよ。汝への我が墓への導にし、二月十六日に汝を帰らせん。』わたしは、帰りたいとも、この女の墓に導かれたいとも考えてはいなかった。ただ、わたしよりも死を恐れているに違いない、この女を失うのが悲しく、沈黙した。沈黙は承諾である。かの女は白い指をわたしの手から1本ずつほどき、かわりに赤い椿を一輪にぎらせた。そして、案の定、身をゆっくりと翻したが最後、二度と振り向きもせず、首を切られに行ってしまった。
 わたしは、女が去って行った教会に背を向けて、わたしたちが来た道を眺めた。無論、道はなく、南国の木がただ奔放に茂る場所となっていた。そこで、初めて、女がわたしより年上の童女であるのに思い当った。そこで、わたしは、白鳥の羽が輝く海にでて、やくそくに従うことにした。
 臙脂を洗い流した朝の海には、すでに百羽の鳥が羽ばたく準備をするように輝いていた。女の首は、もう銀の皿に載せられ、彼の女は大理石になったであろう、と想像できたので、水盆をすぐに探した。やはり、すぐに見つかった。わたしは、水の張ったその銅の盆を胸にひきよせ、抱き、指では女の椿をはさみ、海の中に入っていった。はだしの指の隙間で、砂は波で舞っていた。水面のしろい輝く羽は、いつでも百たび瞬いている。
 くるぶしほどまで水につかった、ちょうどよいころあいに立ち止まって、わたしは水盆をのぞきこんだ。あっ、と声をもらすほど驚いたことに、水盆には女の顔が宿っていた。あの鐘のようね声音は聞こえないが、唇は『二月十六日、帰りたまえ。報いはありたもうぞよ。』と語っている。
 そこでわたしは、椿を水盆に浮かべて、赤椿の首が海に落ちて、海の水面の輝きが羽ばたき、水面が臙脂色になり、さらに落ちた首が白くなるのを待とう、と決めた。だから、いつまでも立っていることにした。今も立っていることにした。
 そうして、わたしは戻れなくなった。
 そんな悲しい夢を、旅先で見た。




要するに、天草・島原・熊本市内に旅行に行っておりました。つまり、隠れキリシタンに海山に『五足の靴』に与謝野鉄幹&晶子に高浜虚子に小泉八雲に、そしてなにより夏目漱石に会ってまいりました。草枕をともにした、親しき友よ。本当に何もかもありがとう。最高級の感謝を。(貴方のバスタオルは、わたしの家にあります。) 
 
 

日常を生きる不人情人間我鬼の奮闘。 

February 05 [Tue], 2008, 2:27
日常を生きる不人情人間我鬼の奮闘。

友人の一人に生活感のあることを書けといわれたので、素直に従って書く。
一、昨日、無事研修期間を終え、塾の正講師となる。(われながら、長続きしないように思う)
一、今日から、ふつつかながら事務のバイトも並行して働く。
一、いま『緋文字』を読んでいる。次は『ナジャ』を読む。
一、わたしが最近、最も愛しているのは鬼の平蔵(『鬼平犯科帳』より)である。
一、最近はよく友人とでかけている。旅行にも数回行く予定。
一、京博に行って、川端康成の所有している絵を見たい。池大雅がでているらしい。
一、夏目漱石作『人の上 春を写すや 絵そらごと』
これぐらいだと思う。

プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:我 鬼
  • アイコン画像 趣味:
    ・読書-好きな作家:夏目漱石・ドストエフスキー
    ・アート-興味のある画家:池大雅・青木木米・マグリット・
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