3月から 

2008年07月28日(月) 1時12分
ずっとこのブログを放ったらかしにしてきました。その間、しげくんや電話で話す友達にブログの事を聞かれたりはしていたけど、なにせ洸成の“僕だけを見て!”攻撃は激しさを増すばかりで、電話で話す事でさえ難しいのに、コンピューターに向かってカタカタする機会はほぼ皆無な状態でした。洸成のお昼寝時間もより短く、そしてまちまちになりつつあるので、今となってはそう言う時間は私一人の有意義な時間と言うよりも、洸成がいては出来ない事を終わらせる時間に完全に変わってしまいました

そうやってこのブログを放っている間に、何件もピンク系の書き込みがされていて、以前からこのヤプログ自体の使い勝手を疑問に思っていた私は、思い切ってこちらでのブログを辞めて、ミクシーへ完全移動しようかと思います。ヤプログは何と言っても遅いし、書いている途中で記事が結構消えてしまうので、じっくり考えながらも、短い時間で記事を書きたい私には不向きなようでした。その点、ミクシーはコメントのコントロールも簡単だし、何と言っても記事が消えないので最適かと思った次第です。でも、ミクシーに入会していない友達もいるかと思うので、ミクシーに入会してまでも私のブログを是非読みたい!という奇特な方はご一報ください。ご招待させていただきます。

それでは、次回からはミクシーでお会いできるのを楽しみに待っております。


またね〜。

ノロ君 スピンオフ 

2008年03月05日(水) 0時46分
 バレンタインデーの後から一週間ほど、ノロウイルスで洸成がダウンしていた話は以前ここに書きましたが、今日はその話のスピンオフです。

 私の細かい生い立ちと言うと大げさだけれども、育った環境がわからない人には少し?になるので、少しだけ前置きとして自分の事を書きます。私の両親は、私が覚えている限りでは常に共働きで、まぁその二収入のおかげで留学の夢をかなえてもらえたわけなのですが、親が恋しい子どもの頃には家にいつも誰もいませんでした。幼稚園も家の鍵を持って一人で通ったし、病気の日も母が作り置きしてくれたお粥を自分で温めて食べたりしていたわけです。大人になった今では両親がそうしてきた理由ははっきりと分かるし、姉と自分をここまで育て上げてくれた事に感謝の念は常にあるのですが、でも子どもの時の寂しい思い出はいつまでも消えないでいました。このことが一番の理由で、私自身が絶対に自分の子供の為に家にいてあげたいと思うようになったわけです。

 私自身はすっかり回復し、洸成はまだまだ具合の悪かったある日の朝、ぐったりと洸成が私の胸の上で眠る中、日本にいる両親とたまたま電話で話したのです。母に洸成と私が突然体調を壊した経緯を話し、洸成が私のうえで眠っている事などを話したときに突然母が声を詰まらせたのです。そして、“あんたはこうちゃんにそうやってあげられるんだから、目一杯やってあげなさい。お母さんはあんたたちが病気でも仕事に行かなければいけなくて、本当に辛かった・・・。”と涙声で言ったのです。

 私の両親はとても愛情表現が下手で不器用な人たちなので、こうやってはっきりと言葉で母の私達姉妹を思う愛情と葛藤を確認できるような機会は当然あまりなく、突然声を詰まらせた母に驚くと共に、なんだか今まで自分が寂しかったと言う部分にだけ執着し、母がどんな思いで仕事に出ていたかをちゃんと考えてあげられなかった自分を恥ずかしく思いました。考えてみれば、具合が悪くて寝込んでいる洸成を置いて、今私が仕事に出かけられるか?と言ったら、多分気持ち的に無理な事は分かっているのに・・・。親の心子知らずは本当で、自分自身が親になった今毎日勉強させてもらっています。


もう元気一杯遊んでますよー!

協力し合わない女性たち 

2008年02月27日(水) 1時06分
 今日はちょっと忙しいのですが、昨日ふくろうちゃんと電話で話した内容をどうしても書きたくて、洸成がお昼寝をしている貴重なこの時間にパパッと書きたいと思います。

 ここ数ヶ月話題沸騰中のアメリカ大統領選挙なのですが、民主党の立候補者であるヒラリー・クリントンとバラック・オバマの報道のされ方や支持者の割れ方に、皺が気になる三十代の私でも眉間に皺を寄せずに入られませんでした。

 もちろんこの二人の立候補者について一番話題とされているのが、二人ともマイノリティーであるということ。ヒラリーは女性だし、オバマは黒人。ついでに言ってしまえば、共和党の代表に決まったマッケーンがもし大統領になれば史上最年長の大統領とあって、誰に決まっても新たに歴史に名前を刻む事になるわけなのです。

 そんな中、未だにヒラリーとオバマの争いは続いていて、しかもその報道のされ方は様々。ただひとつものすごく気になったのが、日本の報道機関によるヒラリーの言われ方。彼女は気が強いだの、涙を見せた日には“女を武器に・・・”だの。

 国は違えど、まだまだアメリカも男性中心の世界。ましてや政治の世界なんてその代表たる物なのに、その世界で男性と対等にがんばろうとすると“気が強い”と言われ、そこで返って女性らしい一面を見せてしまうと“女を武器に”と言われてしまう。

 しかも、ヒラリーを支持する女性票はかなり割れているようでもあるのです。もうなんで!!私個人としては選挙権があるわけでもないし、ヒラリーもオバマもどちらも好きなのでどちらに決まっても良いですが、なぜ世の中の女性たちは自分たちの代表として頑張る女性を応援できないのか?どうして信頼できないのか?と、割れた女性票の結果を目にした時に腹が立ってしまったのです。

 しげくんが、この選挙の始まる前に言っていた事が胸に刺さります。それは、“女性の選挙権は、黒人男性の選挙権よりもずっと後に認められたんだよ。”ということ。人種差別ばかりが叫ばれるアメリカ社会ですが、性差別はもっと深刻なのでは?と正直思ってしまいます。女性は互いの足を引っ張ったりせずに、もっと協力し合うことが出来るようになればいいのに・・・と願わずにはいられません。


ナシュアは昨日も雪でした

You don't even know. 

2008年02月25日(月) 1時19分
 先週末は体調不良でダウンしていましたが、今週末は働く母ちゃんとしてしっかりお金を稼ぎに行ってきました。ノロウイルス感染に関しての日記には、沢山の人から暖かいコメントを頂きまして、本当にありがとうございました。もう、田中家皆元気になりましたよ〜!でも、あんなに皆心配してくれるのなら、病気になってそれをブログで宣伝するのも悪くないかもですね・・・。へへへ。

 ところで、ここからは真剣です。昨日のお仕事の話しなのですが、私の働いている病棟にはエチオピア人の看護助手さんが何人かいて、皆とても勤勉で素朴で良い人達なのですが、その中の一人にまだ25-6歳のMという女の子がいるのです。彼女は本当に飛びぬけて性格が良く、誰にでも優しいし、どんな仕事も絶対に手抜きをしない真面目な子で、彼女と一緒に働く日は安心して何でも任せられる優秀な助手さんなのです。

 昨日はたまたま彼女とランチが一緒になり、彼女が携帯でエチオピア語で誰かと話していた時に、会話の終わりに“チャオ”と言ったので、“エチオピアでも“チャオ”っていうんだー。それってイタリア語とスペイン語だけかと思ってた”なんて私が言ったのがキッカケになり、エチオピアはアフリカの国々で唯一ヨーロッパの国に植民地化されなかった国ではあるけれど、彼女のおばあさんの世代にはポルトガルやらイタリアやらが攻め込んできて、イタリア語だけしか話せない時期もあり、その影響で“チャオ”程度のイタリア語が未だに定着していると言う事実を知ったのです。

 そこからさらにエチオピアや最近増えたアフリカに関する映画、そして彼女の人生の話しになったのです。彼女の両親はもう亡くなっていて、彼女が下の弟二人の面倒を見るために一生懸命働いていたのは知っていたのですが、あまり詳しい事はプライバシーに踏み入るようで聞いたことがなかったのです。でも、昨日は私も自然と彼女に質問をすることができて、彼女も何の躊躇もなく様々な事を話してくれました。

 彼女の両親は共に教師で、お母さんは彼女が16歳の時に突然マーケットで買い物をしていた際、脳溢血を起こして亡くなってしまったのです。その後お父さんは、子ども達の事を一番に考えて再婚する事もなく、男手一つで三人の子どもの世話をしてきました。そしてMが20歳の時に、親戚をつてにアメリカに渡って、働いて送金をしながら自分自身も看護学生として勉強をしていました。そして、彼女が渡米してきてまだ半年しか経っていない頃、彼女のお父さんやお父さんの同僚、他にも教師のようなエチオピアでは知識人として見なされるような仕事をしていた親戚など、彼女の大切にしていた人たちが大勢、民族間の争いで突然殺されてしまったのです。

 その直後彼女が3ヶ月ほどエチオピアに帰っていたのは知っていましたが、彼女がどんな生活を送っていたのかは、職場で変わらず一所懸命働く彼女の姿以外何も知りませんでした。どうやらその事件以降彼女は、お父さんが生きていたら絶対にしたであるように、下の弟達を大学に入れて立派な仕事に就けさせるため、週七日間毎日3箇所での仕事をこなしてエチオピアに送金をし、その上自分もフルタイムで看護学生を続けていたのです。その期間4年間。

 今では上の弟は大学を卒業して就職し、下の弟も今年から全額奨学金をもらって大学に通い始める事が出来たので彼女の負担は遥かに軽くなり、弟達の成功を喜ぶ彼女の笑顔にはこちらも嬉しさを隠せないくらいでした。でも、彼女の笑顔の下の悲しげな様子やどこか諦めたような表情は彼女の優しく勤勉な人柄とはあまりにもギャップが激しくて、胸を付いて離れず、私は思わず“時々自分の人生を恨めしく思ったりする?”と聞いてしまったのです。そうすると彼女は、間髪をいれずに“うん。何より恨めしく思うのは、一番の親友だったお父さんを神様が連れて行ってしまったこと。弟達の為に毎日働くのは大変だったけど、それはお父さんもした事だろうし。きっと私の事を誇りに思ってくれていると思う。アフリカってね、本当に権力の為なら何でもする人が沢山いるの。そういうことが映画として世に出始めたことが嬉しい。”と言っていました。

 そんな会話をする中、私の人生で大変だと思ってきたことや、色々子どもの頃から抱えている両親への複雑な心の膿の様なもの、全てが馬鹿らしく思えると共に自分の器の小ささが身に沁みました。彼女の状況を思って私が涙をぽろぽろ流してしまい、“そんなにたくさんの悲しい事を乗り越えてきたから、少し表情が悲しげなのかもね”と私が言うと、彼女は“私の涙はもう全部終わっちゃった。でも、悲しみは肌に染み付いちゃったのかもね”と言いながら、意地悪な意味ではなく“You don't even know (わかりっこないだろうけど・・・)”と言っていました。その彼女の言葉に、ズシーンとした重みを感じ、私の同情や涙なんて確かに何も彼女が潜り抜けてきた苦労や悲しみを1%も理解できた事にはならないんだと思い知らされました。

 ランチの最後に、“弟達の心配が減った分、今度は自分の人生を楽しまないと。気になる男の子はいないの?”と私が聞くと、“実は彼氏がいたんだけど、8ヶ月くらい前に別れたの。弟達の事で忙しかったし、家族より彼を優先する事はできなかった・・・。でも、もう誰の事も失いたくないから、好きにならない方がいいのかもしれない・・・。”この言葉に、私のゆるーい涙腺はまたぽろぽろ。

 沢山の悲しみを乗り越えて自分を犠牲にし続けてきたMが、再び誰かを心に入れる日がすぐに来る事はないかもしれないけど、彼女の苦労が全て報われる日が一日も早く来る事を願わずにはいられませんでした。


腕立てチュッチュはまだ続いています・・・

ノロ君恐るべし 

2008年02月19日(火) 3時31分
 先週の木曜日、世の中の人々が愛を語り合う中、洸成とモカと私はしげくんの念願であったしげくんの職場を訪ねるというサプライズをするべく、ゴディバのチョコとコーヒーを片手にボストン郊外のチェルシーまで行って来ました。

 予定外の渋滞にハマってしげくんの終業時間に少し遅れたものの、私たちが職場に着いた時にもまだ沢山の生徒と先生たちが残っていたので、シャイな洸成は大勢の人たちにおもちゃにされつつも、しげくんは突然の訪問を心から喜んでくれていたようだし、とても楽しい一日になりました。

 ・・・が!です。この日を境にして、突然洸成がウイルス性胃腸炎でそこら中で吐きまくり、下痢しまくりになってしまったのです。多分日頃私たちとしかあまりいない洸成にとって、学校やら近所のレストランやらでのばい菌の量ははんぱなかったらしく、菌たちにさらされて見事に24時間ほどでダウン。

 食べるもの飲むもの全て上下から出てしまい、しかもその量と勢いがハンパないので私自身も何度も洸成の嘔吐物やらをかぶるはめになり、私達二人の着替えも金曜だけで計7−8回。具合の悪い洸成はずっと抱いていて欲しいから、洸成を抱きつつ洗濯もこなさないと着替えもなくなってきてしまっててんてこまい。すると、午後からだんだん症状は落ち着いてきたものの、今度はおしっこをしなくなってしまったのです。見た目は悪くなかったものの、急性腎不全を起こしていては大変!ということで、急遽ERへ。ERに行った時間がもう夜の9時を回っていたので、帰宅が遅くなる事は覚悟していたけど、それにしてもなんと夜中の2時。さすがに職場に連絡をして休みをもらい、土曜はゆっくりしげくんと二人で洸成の面倒を見る予定でした。

 が!!です。そうまた。今度は土曜の夕方くらいから私のお腹の具合が怪しくなってきたのです。そして・・・、その晩は一晩中トイレと向き合い続けるはめに。そして結局日曜の仕事も休み、家で一日中過ごしていました。しかもたちが悪い事に、洸成の嘔吐物はミルクのにおいがするので、私が対応に追われているときにモカがその嘔吐物をなめなめ(食事中の方には申し訳ない)していたようで、その為モカまで吐き気をもよおし始める始末。私とモカは日曜の夜には食欲も戻ってきて大分回復したけど、体が色々未熟な洸成は今日もまだ具合が悪いままです。可哀相に・・・

 色々な症状などを元に調べた結果、おそらくノロウイルスのようなのですが、いやぁ侮れないですね。家族の誰かが病気だと、その家族内で皆バタバタと病気になる話は聞きますが、本当に我が家で起こったのはこれが初めて。ノロ君、恐るべしです。私は看護師として気を付けていたつもりですが、やっぱり手を頻繁に洗うのって大切です。皆さんも我が家の二の舞にならぬよう、ばい菌には気をつけてくださいね。


もうなめなめしません

近況報告 

2008年02月13日(水) 1時59分
 このブログのデザインをクリスマスのものにしたっきり、クリスマスもお正月も飛び越えバレンタインの季節になりました。二ヶ月も御無沙汰していましたが、皆様お元気でしょうか?

 私は先月末で31歳になり、30代も逃れられない所まで来てしまったなぁとしみじみ思いつつ(って最初から逃れられるわけないんですけどね)、私の誕生日の6日前に30歳になったしげくんが20代と涙ながらにさようならをしている姿を横目で見ながら笑っていました。

 このブログの更新が極端に減ってしまったメインの理由は、洸成のお昼寝スケジュールの変化です。以前は朝に二時間、そして午後にも二時間弱してくれていたのですが、ある日を境に朝のお昼寝のみになってしまったのです。洸成が寝ている間しか出来ない事が沢山ある中(掃除等)、そう言う事を優先しているとPCの前で過ごせる時間は必然的に減ってきて、最低限メールやらをチェックして返事をしているともうそれで洸成のお昼ご飯の時間になっていたりするのです。あぁ、一人の時間が懐かしいなぁ。

 私のブログって、基本的にその日に起こった事を書く事も沢山ありますが、それよりも日頃自分が感じている事を書く事の方が多いので、書いている最中に自分の頭を整理せざるを得ず、多分他の人たちがブログを書くよりも時間がかかるんですよね。第一、私の日常ってあまりに普通すぎて文章としておこした所でつまらないだろうし。とにかく、言い訳なのですがそのせいであまりブログを書くことが出来ていません。このブログの読者はなるべく自分が大好きな少人数の人たちだけに限っているので、芸能人のブログのように“これを楽しみにしてくださっている方々には申し訳ないです”なんて、おこがましい事はちっとも思っていませんが、これでしか私達家族の近況がわからない方々が沢山いるので、一応説明させていただきました。

 機会を伺いつつ、なるべく更新して行こうとは思っていますので、見捨てないでたまにチェックしてくださいね。お願いします。


洸成とモカの雪遊び

大雪 

2007年12月21日(金) 0時43分
 気がつけば、一月以上もブログをほったらかしにしていました・・・。そして、もうひとつ気がついちゃったのが、あと数日でもうクリスマス。はぁ〜。この一年は本当にあっという間に過ぎてしまいました。洸成の世話、家事、自分の仕事はもちろんのこと、しげくんの大学院の授業もこの夏に始まり、自分がしっかり気をつけていないと、指の間からこぼれ落ちていく砂のようにサラサラと時間があっという間になくなってしまうんですね。

 今年のニューイングランド地方は大雪のオンパレード。12月に入ってから、もう五回くらい大雪に見舞われ、今日も雪。雪が綺麗なのは、初雪と家族全員がどこにも行かなくて大丈夫だと分かりつつ家の中から見る時のみ。その他は仕事の為に早起きをして雪かきをし、事故の可能性を心配しながらの車の運転。この前の大雪の時なんて、普段一時間位の道のりを、五時間かけてしげくんが帰ってきました。運転しているしげくんも大変だっただろうけど、しげくんの帰りを待つ私も心配で心配で・・・。無事帰宅してくれたときには、飛び上がるほど喜んでしまいました。

その他にも、沢山雪の弊害はあるんです。我が家は幸い、家の目の前に歩道がないので関係ないですが、自分の家の前の歩道の雪かきはその家の人の責任。だから、雪かきがずさんで誰かが転んで怪我をしたら、自分が訴えられたりするわけです。雪を溶かすために撒かれる塩も車を傷めるし、冬の間はどこも雪で可愛い靴なんてはけないし、雪の重みで電線が倒れて停電も一冬に最低二、三回はあるし。停電すると、暖房も自動的に止まるので極寒にも見舞われるんです。ね、ろくな事ないでしょ。

 しかし、あまりの頻度で雪が降るもんだから、もう雪を置く場所を探すのにも一苦労。どこもたかーく雪が積み上げられているので、雪かき機のない我が家としては、いちいちシャベルですくった雪を、雪山の頂上めがけて放り投げないといけないわけです。こ、腰と腕が痛い・・・

 しかも、こんなに雪深いと、もう一人切実な問題で悩まされている人(犬?)が・・・。そう。それは短足胴長のモカちゃんです。モカも喜び庭かけまくっていたのは初雪のみ。あまりの積雪量に、モカの可哀相な短い足はあちこちではまりまくり、おトイレをすることさえはばかれる訳です。それでやっと見つけた場所でも、実はそこしかここ何日もおトイレを出来る場所がなかったものだから、昨日の自分のうんちに行く手を阻まれて立ち往生したり、仕方なく雪の中へ迂回を試みるも、頭まですっぽり雪にはまり込んでしまい、脱出するだけで全体力を消耗したりしているのです。

 東京の人たちはホワイトクリスマスはロマンチック・・・なんて思っているかもしれませんが、雪が降ったって何も良い事ありませんよ。とは言っても、私も子どもの頃は雪が降るたびに大喜びをして、北海道、東北、そして北陸の人たちを羨ましく思っていたのですが・・・。もう少しウインタースポーツを楽しめる運動能力があれば良かったなぁ。

 まぁ、とにもかくにも、田中家はナシュアで元気にやっております。皆さんも寒さに負けぬよう、温かくしてこの冬を一緒に頑張って越しましょう!


これは序の口。今はもっと積もってます。


はぁ〜。疲れた。私用のおトイレを作ってください・・・

切ない記憶 

2007年11月16日(金) 12時18分
 先週の金曜日に、ロンドンに住んでいる親友のふくろうちゃんから荷物が届きました。中身は、洸成の為の可愛い絵本とハーブティー、レモン味のクッキーに東野圭吾さんの“手紙”という文庫本。後から知った事なのですが、どうやら東野圭吾さんは随分と売れている作家さんのようで、アメリカにいる私は当然のようにちっとも知らなかったのですが、寝る前の読書にちょうどいいなぁ・・・なんて思って、金曜の晩から早速読み始めました。

 これからこの本を読む機会があるかもしれない人たちの為に、ネタばらしをしたくないので詳しい内容は書きませんが、簡単な話の説明として、両親を亡くした2人きりの兄弟の兄が、弟の大学進学の資金繰りの為にお金を盗もうとして、結果不運なことに強盗殺人を起こしてしまい、刑務所に入ってしまった後、高校生だった弟が一人で“強盗殺人犯の弟”というレッテルを張られながら生きていく話です。

 今まで色々と、被害者側の話は見たり聞いたりした事はあったけど、加害者側の話を聞いた事がなかったので、とても興味深く読みました。毎晩ちびちびと読み続けていく予定だったこの“手紙”を、私はあっという間に読み終えてしまいました。隣でグーグー寝ていたしげくんには、さぞかし迷惑な事だったでしょう。ごめんね。でも、主人公のこの弟の、自分は強盗殺人犯でもないのに見えない差別に苦しみ続け、将来の夢も希望も奪われていく苦しみや、自分の事を理由に犯罪を犯した兄への複雑に入り組んだ気持ち、そしてそんな弟の気持ちに関係なく毎月届き続ける兄からの手紙。全てがあまりに切なくて、やるせなくて、まるで中毒にでもなった様に読む事をやめられませんでした。

 この本を読み終えて、作者の紹介部分に目をやると、“秘密”も東野圭吾さんの作品のひとつだったのですね。そこで、“あぁ〜、どうりで・・・”と思ってしまいました。“秘密”は広末涼子さん主演の映画をたまたま友人から借りて観ただけで、話もそんなに詳しく憶えていないのですが、すごく強く憶えているのはこの“手紙”に似た切なさ。

 そこで思ったのが、楽しかったり、嬉しかったり、悲しかったりという記憶って時間と共に薄れがちだけれど、切ない記憶って結構いつまでも強さを変えずに残っているものだなぁ〜ということです。随分昔の話で恐縮ですが、かの有名な“南極物語”も、私が一番強く覚えているのは、人間に置き去りにされて、様々な不運に見舞われて死んでいった犬たちの哀れな運命とそれを決断しなければいけなかった人間の葛藤。ちっとも太郎、次郎との幸せな再会部分は不思議なくらい覚えていないのです。

 “世界の中心で愛を叫ぶ”や“東京タワー”も十分切ないのだけれど、愛する人を“死”と言う形で失くす事は、自分の力を遥かに超えたところで起こっている事なので、切なくてもどこか納得せざるを得ない部分が残されていると言うかなんと言うか・・・。でも、この“手紙”や“南極物語”は、周りの力は関係しているにしろ、最終的に心が裂けそうになる決断をしているのは誰でもない、その渦中にいる主人公なわけです。そこに時間を経ても色褪せない切なさを感じるのかもしれません。

 まぁなんにしろ、感受性だけで生きているような感が強い私だけに、私とは違って楽しいことや嬉しい事ばかりを憶えている人も沢山いるかと思います。そんな人達でも切ない気持ちになりたければ、ぜひ“手紙”はお勧めです。


大好きな納豆うどんを食べる時は、こんなに大きなお口を開けられるのよ

私のちっぽけな悩み 

2007年11月15日(木) 12時34分
 おとといの火曜日に、マイミクであるかめちゃんさん宅へお邪魔してきました。彼女は私の一つ上で、実家も隣町同士。お誕生日まで二日違いだったので、かめちゃんさんがアメリカ大陸の反対側のオレゴンから、これまた私の住んでいるナシュア市の隣町に引っ越してきたのは運命!とばかりに、マイミクをお願いしたのは今年の夏ごろ(だったかな?)のことでした。

 何と言っても、かめちゃんさんには4人も息子さんがいるので、特に子ども達の学校が無い夏休み中は毎日が忙しく、スケジュールの都合が中々つかないまま、一昨日やっとこさでお会いする事が出来ました。

 最近の私は、自己主張が激しくなった洸成に手を焼いていました。以前は何でも食べてくれていた洸成が、最近ではお腹が空いていそうなのにほとんど食べない時があったり、日中そんな食べ方をしていたせいで、夜中に空腹で泣き始めたり。オムツ換えや着替えで泣き叫び、モカの毛を引っ張ったり、私の事も引っ叩いてくる始末。正直イライラが限界まで来て、怒鳴りたくなってしまいそうな気持ちを抑えるために、“子育ての悩み”をネットで検索して、世の中のお母さんたちは皆頑張っている事を確認して、何とか怒りを抑えたり・・・。自己主張に伴ってくる言葉の発達や感情表現が、親としては嬉しくも楽しくもあるのに、どうもそういう時にはネガティブな事ばかりに目が行ってしまうもの。

 そんな煮え切らない、意味の分からない感情にどっぷりつかったまま、かめちゃんさんと初めてお会いしたのですが・・・、やっぱりすげぇ。4人の息子さん達の母をするかめちゃんさんは、私より遥かに体が小さいのに、とにかくすげぇ・・・でした。一瞬のうちの状況判断もすごいし、上の子達3人が同時に何か話している中、床をハイハイしている一番下の子の安全を確認しつつ、ちゃんと一人一人の質問や要望に応えているのです。もう聖徳太子かと思いました。

 私と話しているときは、あくまで一人の女性として守ってあげたくなるような可愛らしい人なのに、子ども達が話しかけてきた途端に、きりっとお母さんの顔になって、一瞬のうちに問題解決をしていってしまうあのすごさ。一番上の子は8歳で一番下は9ヶ月。これだけ色々な年齢の子ども達に囲まれていたら、さぞかしそれぞれの性格もニーズも違うはずなのに、子育てを心から楽しんでいる様子。私は果たして彼女と同じ生き物であろうかと思ってしまったほどでした。

 洸成も普段は人見知りが激しいのに、かめちゃんさんには会ってから一時間弱で甘え始めて、これまたびっくり!やっぱり子どもにも、子どもを好きで慣れた人の事が分かるんでしょうね・・・。しかも、かめちゃんさんの息子さんたちが皆良い子な事にもびっくり!皆しっかり挨拶も出来て、とてもフレンドリーで。どうやったらあんな子育てが出来るんでしょうか???

 これからあと2人は子どもが欲しいと思っている私。たかが洸成の自己主張が少し始まったからと言って、ぶつぶつ文句を言っている場合ではない事に気がつかされました。スーパー母ちゃんになるべく、もっと試行錯誤と努力を重ねなければいけないのですね。がんばります。

 

意外な采配 

2007年11月09日(金) 0時30分
 先週の日曜日の事。とても意外な人と一緒に働きました。それは、カルロス。彼は40代後半のポルトガル人ナースで、私が今の病院で働きはじめるずーっと前から夜勤専門看護師として働き、様々な看護師たちを類まれなる心電図の知識によってトレーニングもしてきたすごい人なのです。人柄はとても温厚で、いつも患者さんに聞こえてはまずいかな?というギリギリのラインのジョークばかりを飛ばすムードメーカー。私もボストン近郊に住んでいた頃は、プライベートでもたまに一緒にご飯を食べたりしていました。

 そんなカルロスが職場から突然姿を消したのが4月の後半の事。彼は3年ほど前に腎移植を受けていたので、誰もが腎臓がらみの入院でもしたのではないかと肝を冷やしていたのです。でも、何ヶ月経っても彼が職場に復帰する気配もなければ、彼の容態に関する話も聞こえてこない。元々腎移植に至った原因である腎臓病は遺伝性のため、彼の聴力まで8割がた奪ってしまったので、補聴器を着けていない時は電話の音も聞こえない。それ以前に鬱がちだった彼は、電話が聞こえていたとしてもほとんどの場合居留守を使っていたのも知っていたので、電話連絡をする事もできなかった私は、先週の再会を果たすまで随分彼の事を心配していました。

 体の容態ももちろん心配だったけれど、何より心配だったのは、彼が腎移植の際に何ヶ月もの間休職して以来、師長さんににらまれていたのを知っていたことなのです。ただでさえ、彼のような高給取りのベテラン看護師はお金がかかるので、彼に限らずそういう看護師は皆、何かとイチャモンをつけられてはマネージメント側がミーティングを開いたりして、辞めさせるチャンスを伺っていたのです。その上彼は、その腎移植でいない間、師長さんに連絡も取らず、ポルトガルに雲隠れをしてしまった事もあって(後で、カルロスのお母さんが亡くなったことが分かったのですが・・・)、普段から夜勤専門の為に師長さんとのコミュニケーションが乏しかった彼は、必要以上に嫌われていたのです。だから、今回の休職が、いくら組合があるとはいえ、彼の看護師としての今後にどのように関わってくるのかが最大の謎だったのです。

 そして先週のやっとの再会。看護歴うん十年の彼が、ほぼ同期の看護師に日勤で再トレーニングをされていました。マネージメント側は、他の看護師をトレーニングする事もできるくらいのベテラン看護師であるカルロスを、3ヶ月もの再トレーニングをさせる事で復帰を認めたのです。私は正直、あまりの仕打ちに、体が震えるくらい師長さんに腹が立ちました。皆の前で赤恥をかかせて、居心地を悪くさせる作戦なんて・・・。

 でも、久しぶりに会った当のカルロスは二ッコニコ。こんな状況でもすごいなぁ・・・、なんて感心していた私の妙な表情に気がついたのか、カルロスは全ての事情を教えてくれたのです。実は、彼が4月にいなくなる前から、ポルトガルに住んでいる私と同い年のブラジル人女性と遠距離恋愛をしていたのですが、どうやらその女性がとんでもない女だったらしく、カルロスにベンツに始まり、あらゆる物をねだっては買ってもらい、最終的には彼と結婚して彼の財産+アメリカでの永住権を手に入れる計画を練っていたようなんです。当然彼女の本当の姿に気がついたカルロスは心底傷つき、元々鬱がちだった性格も災いして、15年やめていたアルコールに手を出してしまったのです。そこからはもう一気に下り坂。彼は酒びたりの生活にはまり、一つしかない彼の腎臓にはそれが耐えられるわけも無く、彼は緊急入院。腎臓は何とか大丈夫だったものの、今度はアルコールを止める為のリハビリへチェックイン。

 全てを失ったカルロスは、仕事までは失えない!とリハビリを出たそのままの姿で師長さんに会いに行ったのが6月末の事。自分の裸の姿を全て師長さんに包み隠さず話したカルロスに師長さんは感動して、彼を助ける為に上の人たちと何度も話し合いを重ねて、結果アルコール中毒部分の問題解決のため、カルロスを再トレーニング(というか、要は酔っ払って仕事に来たりしないかを見張られる)する事で、今回の復帰に至ったんだそうです。

 なぁーんだ。良かったじゃん。あぁ〜、良かった。師長さんも良いとこあるじゃん。・・・と胸をなで下ろした私でありました。


ども!もうお散歩に行くのも寒いっす。
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