質感 

March 17 [Mon], 2008, 22:30
脳科学者の茂木健一郎氏(この後は敬称略)が書いた『すべては音楽から生まれる 〜脳とシューベルト〜』を斜め読み。
内容的には、
 ( いつもの『クオリア』ネタ + 自分の音楽体験 + クラシック音楽の知識 )÷3
みたいな感じだなと思い、茂木の著作をいくつか読んだ人なら「いつも通りか」って漢字の内容なんだけど、少し目を惹かれる内容があった。

茂木が初めてクオリア(質感)というものをはっきりと意識したのは電車の中で、「ガタンゴトン」というゆれが妙に大きく響いたときらしい。
その、やけに電車の音がリアルに感じられた瞬間、『言語化できない質感というものの存在』を『クオリア』として認識することが出来たと言っていた。

確かにある、こういう風に物事がリアルに感じられる瞬間。
そのときの明度、湿度、温度、光景、匂い、色んな感覚が五感を通して伝わってくる、もちろん非言語の形で。
そして、ふとした瞬間、ちょうど同じような光景なり温度なりの何かの質感に反応してバババっとフラッシュバックしたりする。
でもそれって言語を通さないことが多くて、『思い出』なんて単語からだと到底思い出せないようなことだったりするし、なんかそもそも「『思い出』という言葉から思い出を鮮明に思い出すのってやたらしんどいな〜」って思ってたり前からして、「それ、つまり自分、過ぎたことはサラサラ忘れてしまう冷たい人間?」とか若干思ってたけど、(それもあんのかも知れんけど)
要は『言語→非言語』とか『非言語→言語』っつう変換が脳の中ではうまいこといかないからなのかなと思った。

そして考えること、就活でよく「一番充実感を感じたこと」とか書かされるし、それを通して自分はいかに成長できたかを上手くその話に織り込むことがセオリーらしいが、あまりにそんな感じで昔の経験を言語化しすぎると、過剰に言語そしえ言語化することを信じてしまうのではないかと。
確かに言語化して自分の経験を言語化していくことは大切、けどそれはあくまで言語化できないことがあるってことを認識した上での話。
そういう認識なしに始めから言語化を信じちゃうと、五感で感じる感覚忘れそうでいと怖いわ。

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