日寛上人の正義を偲ぶ

June 30 [Tue], 2015, 22:44
私は創価学会員である。

年齢は壮年部にあたる歳であり、役職は副ブロック長を拝命している。

このブログは、これから自分の思うところを記載したいと開設したが、自らの発言に責任を負う意味からも、所在ははっきりしておくべきだと考える。

その意味から、私の所在を創価学会の組織呼称で書いておく。

東淀川創価区淡路本陣本部常勝新庄支部
ここまでで十分だろう、と思う。

さて、なぜ私がこのブログを開設したか。
それは、日寛上人の正義を私なりに振り返りたい、と思ったからだ。

私たち創価学会員のほとんどは、日寛上人御真筆の御本尊を拝している。
であるならば、我々が拝している御本尊を書写された日寛上人のご説法は、信仰の根幹となる。
何が言いたいのか。

本尊とは信仰の根本であり、特に末法においては、文底独一本門たる南無妙法蓮華経と蓮祖の人法一箇たる三大秘法の御本尊こそが、衆生を根本から救済する。

要は、我々が日寛上人が三大秘法たる御本尊を書写された御形木御本尊を拝している以上は、日寛上人が打ち立てられた教説に異を唱えるならば、その行為は自ら拝している御本尊そのものを否定することにつながる。

その意味からも、このブログでは、日寛上人が六巻抄で宣言された正義を拝しながら、私の思うところを投稿していきたいと思っている。
明言すれば、その過程において、会員各位がもし私のブログを訪れた場合に、避難囂々となることもあるかと予想する。

しかし、私はここで先に、このことだけは言っておく。

六巻抄第三巻 "依義判文抄"序文。

縦い等覚の大士法を説くと雖も経を手にとらざるは之を用ゆべからざるなり。

いかなる非難も、それに基づく御書等の引用がなければ、机上の空論として、取り上げるつもりはない。
こういうからには、私も必ず、何かを述べる際は、その出展を明らかにして述べるよう心がける。
ただし、言い訳にはなるが、凡夫である以上、間違いはある。

その際は、感情的にならず、どうか、冷静に、私の盲目を開いて頂くようお願いしたい。

これにて、ブログ開始のあいさつとする。




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