擬人研究所のお話『残業のこと』 

2012年04月10日(火) 17時11分
ある晩の擬人研究所では、節電対策の一貫で、複数の部署が一部屋に集まって残業をしていた。
シオンが、隣で船を漕ぐヨウタをチョイチョイと突きながら、小声で言った。
「ヨウタ君、居眠りしている場合じゃないでしょう」
我に返ったヨウタが、慌てて顔を上げる。
「はっ……すみません。シオン先輩」
「顔を洗っていらっしゃい」
「はーい」
ヨウタは目を瞬かせながら、部屋を出ていった。
溜息をついたシオンが、後輩が出ていったドアから手元に視線を戻す途中で動きを止めた。
その双眸の向く先では、社会部から持参したノートパソコンで懸命に書類を作成するヨハンの姿があった。一言も無駄な言葉を発さず、どちらかというと指の太いゴツゴツとした手に似合わず、鮮やかな指捌きで淡々と文字を入力している。
――ヨウタ君には見習ってほしいものですね。
シオンはそんなことを思い、再び溜息をついた。
ふいに、ヨハンがキーボードを弾く指を止め、傍らの辞書に手を伸ばした。パラパラとページを捲り、目当ての言葉に辿り着いたようだが、段々とそれを凝視する表情が険しくなっていく。
ややして、無意識にだろうか、開いている方の手でガシガシと髪を掻き始めた。
「ヨハン君」
見かねたシオンが席を立ち、傍まで行って声をかけた。
「お困りのようですが、どうしたんです?」
「えぇ。『異常』と『異状』の、どちらの漢字を使えば良いか分からなくて、調べていたのですが……」
「なるほど」
シオンは、ヨハンの肩越しにノートパソコンの画面を覗き込むと、「ふむ」と納得したように言った。作成途中の書類は、何かの報告書のようで、表の中に「異常なし」と入力している途中だった。
シオンが変換候補の一覧から「異常」の字を指差した。
「こちらの字ですね。状況や気象などについて『変わったことはない』という場合には、こちらの『異常なし』が正解です」
「では、『異状』の方は?」
「そちらは『お体に異状はありませんか?』のように、体の具合なんかについて使うのが一般的ですね」
説明を聞いたヨハンが、まだよく分からないと言いたげなような、少し落ち込んでいるような顔をしている。
「すみません。何だか難しいですね」
「ふふ、気に病まなくとも大丈夫ですよ。日本人でも難しいことですから」
「今後もっと勉強したいと思います」
どこまでも真面目なヨハンの返答に、シオンが穏やかな笑みを浮かべた。その表情は、子の成長を見守る親のそれのようだった。
「また何か分からないことがあれば、気軽に言ってくださいね」
「ありがとうございます」
ヨハンが目礼して画面に向き直り、シオンも自分の席に戻った。そして、二人とも各々の仕事を再開した。
間もなくそこへヨウタも戻ってきて、その日の残業は日付が変わる寸前まで行われた。
P R
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二次創作小説と、擬人カレシの自己満コーデ紹介&覚書的なものが中心になると思われます。
たまにマンガやらゲームやらの感想的なものもチラホラ予定。

※GREEの日記として設定中。
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