長編小説 

2012年06月17日(日) 3時06分
優れた長編小説を読むことは、一人の忘れえぬ人間に出会うのに似ています。ある人に出会って大きな影響を受け、人生の方向が変わっていくという経験がありますが、そのように、長編小説を読んで魂を揺り動かされ、自分自身を深く見つめ直すということがあるようです。「私の好きな長編小説」加賀乙彦

「銀齢の果てに」筒井康隆 

2012年06月09日(土) 1時26分
先に「敵」の話を書いた。
いわゆる老人小説への興味を覚えていた時に手に取った2冊目の筒井作品である。

こちらは筒井康隆的ドタバタが存分に楽しめる、老人同士が殺害し合う、いわゆる「バトル・ロワイヤル」のパロディだ。

しかし、本家の設定が絵的(”想定読者層”)な問題もあるのか当然ながらフィクションの枠から出得ないのに対し、こちらは行き過ぎた老人保護政策、年金問題、積み重なる財政負担を解消する手立てとして相互自殺補助”政策”という、あながち・・・?な設定であるのが面白い。

「敵」に現れていたような主人公の深い思索、老人時間とも呼べるような緩慢な死へむかって流れるゆったりしたものとはまったく逆ベクトルを指しているのが本作だ。

と、ここまで書いて「そういえば」と思いついた。映画「RED」(2010年)だ。ブルース・ウィリスやモーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ出演。退役軍人として余生を過ごす元一流の殺し屋が諸事情でカムバックを果たす話であった。

REDはアクションコメディ映画として面白く観れた覚えがある。アクション映画で見慣れたスターが演じていたからであろう。しかし、翻って「銀齢の果てに」ではただの一般民(65歳以上?)が対象となる殺戮ゲームなのである。スマートでテクニカルなアクションシーンなど望めないのだ。慣れない得物での慣れない所業、狙われる方も狙う方もパニックに陥り、仕留めても自己嫌悪によって煩悶する・・・。

「百年の孤独」ガブリエル・ガルシア・マルケス 

2012年06月09日(土) 0時14分
ガブリエル・ガルシア・マルケス 1928年コロンビア生。ラテンアメリカ文学の巨匠

今回は鼓直(つづみ ただし)訳72年新潮社発行「百年の孤独」を読了。

初代ホセ・アルカディオ・ブエンディーアから続くブエンディーア家が創設したマコンド村〜市における100年間にわたる盛衰が描かれている。

そこにはラテンアメリカの近代化の道程が無数の挿話の中に織り込まれており、決して幸福とは言い難いラテンアメリカの歴史を読み取ることができる。

長く続いた植民地支配、独立運動、海外資本の流入と搾取、現在に至る内乱。

安定しない政情にも因してか、文化的にはもっぱら受身的ともいえる国柄で脱アメリカといえる新しい波を作った一人がこのガルシア・マルケスであり、「百年の孤独」無しに彼を語ることはできないといわれている。


凄まじい、というのが本を閉じる瞬間に思わず漏れた率直な感想である。ブエンディーア家がマコンドを開拓してから永延と様々な栄光、幸福、挫折、不幸が休まることなく繰り返されたが、その時々のブエンディーア家の中心人物には虚しさが付きまとっている。

初代は科学ともまじないとも判別のつかないものに没頭し、2代目兄は成人して早々に出奔、弟は成り行きから内戦のリーダーとして戦地を転々とする。兄は戦争の最中に危険人物の一族のものであるために命を落とすが、弟は生き延び、戦争のその理由すら人々の記憶から無くなった頃にひっそりと亡くなる。
以降の一族の首長も最期はあっけなく、あるいは人々の記憶から忘れ去られるのと同時に寂しく消えていく。

筆致は、肌を焼くような熱気、鼻腔に染みるような匂い立つ湿気、背筋が凍るようなグロテスクな出来事など細かいディティールで描き出し、馴染みのない近代南米の様相を想像するのに苦労しなかった。

しかし、その精緻を極める筆は意図的に人間的な感情部分を省略することがあり、それが逆にその時代を駆け抜けた人々を生々しく想起させる。

「・・・なぜならば、アウレリャーノ・バビロニアが羊皮紙の解読を終えたその瞬間に、この鏡の、すなわち蜃気楼の町は風によってなぎ倒され、人間の記憶から消えてしまうことは明らかだったからだ。また百年の孤独を運命づけられた家系は二度と地上に出現する機会を持ちえぬために、そこに記されている事の一切は、過去と未来を問わず、永遠に反復の可能性はないことが予想されたからだった。」

読本メモ 

2012年06月03日(日) 1時05分

「敵」筒井康隆
「日本は救われ得るか」福田和也
「退屈な読書」高橋源一郎

「敵」筒井康隆1997 

2012年05月13日(日) 1時09分
85歳男性、新東名高速を逆走。

今日のニュース記事である。「高速を走っているつもりはなかった。料金所を見て間違いだと気付いた」という。

老人小説というジャンルは表立っては無いが、古井由吉がその手の枯れた文章の名手だとどこかで見た覚えがある。しかし”老人小説”で検索すると、ヘミングウェイや谷崎がでてくるから、該当する作品を並べるとジャンルとして確立されていないことがわかる。

老人小説という、「大人びた」世界を超越した境地を語る文学にはなんだか心惹かれるものがあるのは、いつかは通る道、というよりかは「いつかは行きつく”誰かの(私の)”最終世界」に対する興味があるからだ。これがただの古典との大きな違いだと思う。フィクションによるカタルシスではなく、数十年後に遭遇するかもしれない事態のケーススタディとして。

私が考えているそれらの作品の特徴は、基本的に動きが無い。回顧、懐古が文章の大半を占める。しかし物理的な動きが極端に少ないローカロリー小説である半面、過去の思い出や反省の度に時間軸を頻繁に行き来する。


さて、表題の筒井康隆の作品だが。実験的作風でも定評のある作家なので、老衰・耄碌によって現実世界が徐々に溶解・変容していく様が生々しく描かれている、という評判に魅かれた。

75歳の元仏文学教授の身辺のあれこれが細かい章に分けて記され、独居老人の基本的に単調な生活が最初の頁から7,8分目まで細かく描写されている。

妻を50代後半で亡くし、60代で退職、少ない知人と年に数回会う以外にはずっと古い戸建てに一人で暮らしている。生活パターンをある程度固定化し、また自堕落にならないよう適度に欲望を自制することによって、ボケ予防を心がけているようだ。元教授だが手持ちの現金や預貯金はさほど多くなく、また度を過ぎた倹約は矜持にかかわるからと生活レベルを極端に落とそうとは考えてはいないゆえに、渡世の糧がなくなればそれは死期と考えながら余生を送る。

作品の後半から、幻視幻聴の類と思われる会話文が徐々に多くなってゆくき、確かに非現実的な世界も描かれているものの、私が想像していた「老人を主体とした思考実験、そこからのドタバタ」とは異なる、ずいぶん穏やかなものだった。

あまりにも意外性がないゆえに、精神面での老後の不安は容易くリアルに転じそうで若干ホラーの様相もある。


以下抜粋、
―突然幻聴は消えて静寂がやってくる。頭が冴えわたっていて晴れ晴れとした気分だ。自分の中の毒を他者の言葉として聞き膿のように絞り出し尽くした故の爽快さであろうか。生きている事が楽しくなり、残りの時間が楽しみに思え死の時さえ享楽できそうなこの安らかな気持ちは自分の死期を早々と決定したが故の功徳なのだろうか。ならば須らくこの後利益に与するため自らが死すべき時をおのれで決めるべきではないのか。お迎えの時がいつか分からぬままに生きる不自由さに比べてこれこそが真の自由と言えるのではないだろうか。(目次「幻聴」より)

「不幸な国の幸福論」加賀乙彦 

2012年05月09日(水) 3時23分
著者は精神科医であり小説家でもある。

本作は小説ではなく新書で、精神的に満たされ難いという日本人の特性、その要因について、また不幸気質と言えるような我々がこれからの時代いかにあるべきかが論じられている。

その要因については、不況やネット社会などの現代特有の背景や、他国から長く孤立していた日本の風土に起因するもの、教育の仕組みに関わるものなど、いくつかの観点から明らかにしている。


現代においては選ぶことが困難なほどにモノが溢れ、それゆえにやっと手に入れたものに満足するのはほんの一瞬で、次々と現れる新しいモノや情報によって満ち足りていたはずの心が損なわれていく。

「他人の顔」安部公房 2 

2012年05月08日(火) 4時11分
素顔が世間との壁を作り、仮面を被ることによって融和する、という逆説的なテーマがこの小説の中心部分にある。

醜悪な姿による制約からの解放感と、背徳の意識に揺れながら迷走する主人公。彼は仮面に人格を与えることによって、欲求を満たすその行動の責任があたかも仮面にあるかのように振る舞いつつもそれを楽しみ、時に仮面に裏切られたと一人ごちたりもする。次第に行動は大胆さを増し、ある大きな目標を打ち立てて没入していく。

仮面を使った主人公の目的は果たされたが、思わぬ結末が待ち受けており、主人公は自滅する。

「他人の顔」安部公房 

2012年05月08日(火) 3時36分
顔を失った主人公が、新しいマスクを手に入れて人生の新たな一歩を踏み出そうとするが・・・。

顔に包帯を巻いた状態で普段の生活、仕事をこなしているが。しかし周囲の人間はこれに非常に気を遣い、コミュニケーションが必要な場では緊張感が漂う。同僚は視線をはずし、妻の一見変わらぬ仕草にも不自然さを感じてしまう。

顔を失った―といっても、安部公房の作品に多い幻想世界の設定ではなく、事故で劇薬を浴び「蛭が這っている」ような醜悪な顔に変質してしまった―主人公は化学に強い研究員であり、その知識を駆使して人工の肌を作り上げる。

そのマスクを製作する大きな契機となったのが、妻との情事の失敗である。

それまでは冷静に自他を分析し、波風を立てないよう配慮しながら生活していた主人公であったが、ある時妻を前に感情が暴走してしまい、妻との間に大きな壁を作り上げてしまう。

制御不能に陥った己の精神と妻の拒絶に触発され、マスク製作に没頭していく。

マスクを被ることによって解放された主人公は、次第に大胆な行動を取り始め、大きな回り道をしながら最終的に妻の愛を確かめようと意外な手段をとる。

安部公房 

2012年04月23日(月) 16時33分
安部公房。

もうちょっと長生きしていたらノーベル文学賞を受賞していたそうな。
選考委員の外国人が何かのインタビューで答えていた。

東北、満州、東京と、戦時下で若いころは各所を転々としたらしい。最終学歴は医学部だが、戦時中という勉学にはおよそ向かない状況下にあったからか、そもそも医学に関心を失ったか、卒業後医学の道には進まなかった。試験では基礎的な問題も解けず、徴兵を免れるために偽の診断書を友人と偽造したとか・・・。

医者にはならなかったものの、安部公房の作品中にはその格調高い文章に医学の素養が散見できる。病的な精神状況の変遷、四肢の細かい描写が凝っている。


近所の図書館には
・『最後の道の標べに』
・『密会』
が文庫で置いてあったので、『砂の女』『箱男』の再読を後回しにし、これらに手を付けた。


休日 

2012年04月23日(月) 16時25分
非常に珍しい4連休。

初日は何もせず、2日目は大学時代の後輩の結婚式&2次会。
3日目も何もせず。4日目も何もすることが無いので、数ケ月放置したブログを更新。

ネットでブルーレイレコーダを買ったり、知人の不幸に香典代わりの贈り物をしたり、あとは結婚式への参加など、何もしなかった割には出費はそれなりに嵩んだ。仕事をしてないと金は減るのだ。増えないだけじゃなくて!

本は読み進まず、アコもあまり弾いてない。休みの無駄遣いをしてしまった。(毎度だけど)

また1週間後にGWがやってくるが、同じようなものなのだろうなぁ。
もう、なんか廃人みたい。
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どうしようもなく時間を無駄にしているような気がするんだけど、そんなモヤモヤしてる気分でいる時間ももったいないって思ってもいて、何が何だかよくわからなくなっちゃうので寝るか食べるかして生きている実感を得る。満腹が恨めしいという日々。
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