いよいよ長野脱出

2005年06月21日(火) 2時30分

6月19日 その2

白根山をゆく。
高度1800メートル。
ここは殺生河原といわれて、火山によって木が焼けて、草も育たないところ。
あちこちで煙が上がって硫黄の臭いがたちこめる。
「駐車厳禁」の標識がこわい…
(停めて写真撮ってたのだけど)

カルデラ湖は淡いうぐいす色。
多分ネッシーがいるな。

日曜の教会

2005年06月21日(火) 2時28分

6月19日

朝7時、軽井沢の日曜礼拝。
外国居留者が使っていた当時そのままに、今も地元の人たちがひっそりと
礼拝をしている。ふだんは観光客で賑わうこの教会も、
この時間はさすがにみんなそっとしている。
小さい木造の教会に、パイプオルガンのちょっとぶきっちょな音がよく
似合う。町にひゃく年以上も息づいた、生きたレーモンド建築ここにあり。

軽井沢の案内人2

2005年06月21日(火) 2時28分

6月18日 その2

そのおじいちゃんが軽井沢に詳しいらしく(地元だからなんだけど)、
一日案内して頂くことになった。
ふだんのおじいちゃんの自転車ルートで行くので、林道やら田んぼのあぜ道
やら、間違いなく後で思い出せない道を通る。
でもあの旧軽通りにひょいと出てくるからふしぎだ。

案内は的確で、伝説や歴史、ここは誰々の知り合いやら何々式建築やら…、
焼き物より観光案内(しかもかなりローカルな観光)のが本当に合っている
のでは?と思うほど。
軽井沢は4度目だけど、感じてきたことと歴史とが、自然と結び付いてきた。

帰りは空いているからと、国道を走る。
普通に50キロしか出していないけど、わたしの車のうなり音がものすごくて
体感速度が異常に速いのと、ふだん自転車以上の速い乗り物に乗ってない
からなのとで、「車のメーター、イカレてるんじゃないのか!?」
とおじいちゃんは怒る。わたしはわたしで、
「生活を共にしてる大切な車なのに、イカレてるとは何事だ」と逆切れする。
今から思うと、親切にしていただいて逆切れはなかったな、と後悔。

それにしても口の悪い、でも情報通で根はすごくやさしい、
ふしぎなおじいちゃんだった。


軽井沢の案内人

2005年06月21日(火) 2時27分

6月18日

軽井沢のとなり、小諸で民芸の器をつくってるおじいちゃん
(見た目は自分の父親くらい若い)がいる。
住宅兼仕事場のおうちには電話も新聞もきてなく、
住所すら「なになに通り沿い」という曖昧なもの。
というのは、家が建ったのはおそらく基準法の適用されない頃の時代で、
家の前には昔の荷台が通れるくらいのほそーい道しかないのだ。
もちろん車は通れない。
当然おじいちゃんは車の免許をもっていない。

ここまで外の世界から遮断されてるはずなのに、なぜかものすごく
情報通なのがおもしろいところで。
社会や地域の情報から、民芸やほかの文化的なことも、わたしみたいな
何回りも下の若者よりもよっぽど最新の情報をにぎっている。
いったいどこからそれを仕入れてくるのだろう。

最近安く買ったというニコンF2を自慢され、お互いにめずらしい被写体
どうし、写真を撮りまくる。
釉薬に失敗したという器をいただく。わたしから見たら立派な器。


分去れ

2005年06月21日(火) 2時26分

6月17日

軽井沢の入口に、追分という地名の宿場町がある。
かつての中山道と北国街道との分岐点だったところらしい。
「右は更科月のくに、左は大和花のくに」
と、旅人同士が別れを惜しんだんだって。
今では何の情緒もない国道になってしまっているのだけれど。

道祖神

2005年06月21日(火) 1時59分

6月16日

安曇野−上田を過ぎて、長野の真ん中を東へと向かう。
望月という町でとある女の窯元さんに、手の平サイズの手焼きの
道祖神を頂く。旅のお守り、縁結び〜と言われ。

旅先で縁結んだら辛いっすよぉ!
と渋い顔して言ったら、
あら、今って車社会じゃない。なんとでもなるわよ。
と、あっけらかんと返される。
もっとも、心配しなくても、今のこのこぎたな〜い風貌では誰も近寄り
ようもないのだが…



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