【東京特派員】湯浅博とかく世評は移ろいやすく12ページ

January 05 [Wed], 2011, 19:17
首相在任中の吉田茂が発する冗句は、名言か迷言かが紙一重であった。高名な東大教授を「曲学阿世の徒」だと罵(ののし)り、労組幹部を「不逞(ふてい)の輩」と罵倒した。国会では気に入らぬ相手にコップの水をかけるわ、「バカヤロー解散」をするわ。コラムニストもうらやむネーミングの達人である。当時の新聞は、歴代首相の中で彼ほど傲慢でワンマンで、勝手放題だった政治家はいないと非難した。しかし、死ねば人は神になり、政治家は名宰相や名代議士になる。おごそかなる国葬では、1億人が涙を流した。吉田ほど評価が天と地ほどに分かれた人物はいなかった。世評とは、かように移ろいやすいものなのだ。改めてそう感じたのは、杏林大学名誉教授の田久保忠衛さんに「そういえば」と、いただいた資料を読んだときであった。それは昭和54年3月に、刊行会が出した元時事通信社長の追悼集『長谷川才次』である。長谷川と聞いただけで古い左派言論人は顔をそむけ、メディアに君臨した頑固一徹のワンマンである、といってきかない。ところが、この一書をもってその固定観念が覆される。追悼集には元陸軍中将の辰巳栄一、海軍からは参謀として真珠湾攻撃に赴いた源田実(後に参院議員)が寄稿した。陸海軍の2人が描く長谷川像も、彼ら自身のイメージもまた異なる。連載中の「歴史に消えた参謀」に登場する辰巳は、昭和11年夏に駐在武官として英国に赴任し、当時、同盟通信ロンドン特派員の長谷川才次に出会う。辰巳は参謀本部の命により、大使の吉田茂に日独防共協定に賛成するよう持ちかける。吉田は各国大使の中で、ただ一人「ウン」といわない。防共協定がやがて軍事同盟になる危険を突いて反撃した。辰巳自身も同意見だから、それ以上無理強いはしない。
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