摂食障害と私@

November 27 [Tue], 2007, 20:50
摂食障害についていくつか書きたいと思います。
私の自己確認なのでどうでもいい方は気にしないで下さい

《発端〜学校生活》

『食べることは生きること』
食べることが苦痛になるなんて考えたこともなかった私が、
いつのまにか摂食障害に陥って、今もまだその後遺症を引きずっている。

最初は今日はなんだか食欲がないな…ぐらいのものだった。
それがちょうど1学期の終わり頃、嫌なことがあった直後。
まず昼食を抜いた。
朝食は果物しか食べなかったが、夕食は普通に食べていた。
2学期には体重が入学当時の42kgから37kgになっていたけれど、
特に気にしてはいなかった。
ただ感じるのは立ちくらみ、貧血。
貧血はレッスンの妨げになるので少し気にしていたけれど…。
2学期に入り、保健室に行った時なんどとなしに体重の話をすると、
実際量らされ、制服を着たままで37kg。
保健室の先生の
『…まずいね』
という言葉が忘れられない。。。
その後先生との確執があり、ますます物が食べれなくなっていく。
家庭科の調理実習では、つらい思いをした。

―――寒さを感じる季節。
私は言いようのない寒さに襲われていた。
まだ秋なのに、何故こんなに寒いのか…
自分の身体に少し異常を感じ始めていた。
また、朝礼やレッスンで貧血を起こす回数も増えていた
それでも朝は食べたり食べなかったり、昼は食べないの生活を続け、
あっという間に体重は35kgになっており、
鎖骨、骨盤の骨が出て、腕の痩せ方に気味が悪くなっていた。
この時は単位の関係で大学病院から転院したものの馴染めず、
どこの病院にも通っていない。

週1回の授業の先生に
『毎週会うたびに痩せてくように思うんだけど…どうなの?』
と言われ、外見的にそんなに変わっただろうかと思い始める。
『顔色が悪い』
というのは保健室の先生はじめ、色々な先生から言われた。
担任の先生には絶対言わないでと言った体重のことも、
いつの間にかきちんと伝わっていた(保健室の先生が伝えたのだろう)。
保健体育の女の先生から
『ちゃんとした病院へ行きなさい』
と言われるが、単位のこともあってそれもできぬまま月日が過ぎていく。

1月、体重は33kg弱。
電車の中で倒れ頭を打ち、2月、朝礼で倒れ担架で運ばれる。
この時は今までにもまして保健室の先生に迷惑を掛けてしまった。。。
そこで初めて大きな病院に行ったが点滴だけ受けて帰る。
そのこともまた先生方に咎められる。

食べることが出来なくなって約半年。
起きてそのまま学校に行き、疲れて帰ってきてはただ眠る。
そんな生活を繰り返し、体重は減る一方だった。

摂食障害と私A

November 30 [Fri], 2007, 19:57
私の自己確認なのでどうでもいい方は読み飛ばして下さい。

《学校生活〜入院決定》

学校に行くのもしんどくなってきた3月。
それでも1日も休めないほど単位が危ないため学校には行く。
今思うとあの力は一体どこにあったのだろうか。。。
なんとか時間を調整して以前とは違う大学病院に行くと、
即入院が決定。
その時の主治医は優しい女の先生だったが病棟は持っていないため
主治医は未定。
そのあと病棟を見学。
以前の病院の病棟に比べるとかなり狭いがアットホームな雰囲気だと感じた。
あとは入退院センターからの呼び出し(入院前日)を待つばかり。
入院直前に私が1日に食べていたものは、朝無し昼無し、
夜、さらしたまねぎとゆずれもんのジュースだけだった。
よく生きていたな……

摂食障害と私B

December 04 [Tue], 2007, 21:51
私の自己確認なのでどうでもいい方は気にしないで下さい。

《入院初日、主治医と》

3月中旬、大学病院に入院。
面談室で最初に話をしたのは病棟長の男の先生だったが、
私が主治医は女性の先生がいいと言うともう1人医師を連れてきた…
その人こそが今現在も私の主治医であり、怖いという例の先生。
この先生とやっていくのは無理だ…とその時一瞬にして感じた。
今まで出会ったことのないタイプの若い女の先生。
第一印象は本当に最悪だった。
身長と体重は150cmの31kg。
承諾書に署名をして私と両親と主治医の先生と担当看護師と、
今後について話し合う
何を話したかはあまり覚えていない。
ただ、ずっと俯き加減でパソコンを打っている先生が怖かった。
逆に看護師さんの印象は良かった

摂食障害と私C

December 09 [Sun], 2007, 16:46
私の自己確認なのでどうでもいい方は気にしないで下さい

《入院生活〜修了式》

3月12日より、入院生活が始まった。
まずは夕食だけ全粥(小)ということで出されていたが
私は1週間それに口を付けずにいた
歩行は絶対に看護師さんもしくはヘルパーさん付き添い。
看護師さんたちは私をしきりにトイレに連れて行かせた。
MRI・血液・尿検査の結果は、脳と心臓が萎縮状態、
血液は貧血、尿はアセトンという身体が飢えている時に出る物質が
2+だった(詳しいことはよくわからない)。
何も食べずに1週間経って体重を計ったら30kgに減っていた。
その日から食事は流動食になったがそれでも私は食べなかった。

先生は面接の際私に
『このまま何も食べないんだったら鼻から管入れるから』
と頭を掻き毟りながら言った。
それだけは絶対に嫌と私が言うと、それが嫌なら栄養剤を飲めと…
それがラコール。
1日5本、1000kCal。
また、点滴を常時入れるためヘパリンロックという
針を刺しっぱなしの状態にすることへの同意書を書いた。

3月24日に学校の修了式がある。
みんなに会いたい。
その旨を伝えると主治医の先生はあっけなくそれを拒否した。
それはいつものことだけど、その時の私には納得できなかった。
何しろ自分が何でここにいるのかもわからない状態だったから…
先生は私を面接室から追い出した。
私は……爆発して味噌汁とお茶を親に向かって投げた。
看護師さんと助教授の先生が飛んできて慰めてくれたが、
主治医の先生だけはナースステーションの中にいるだけだった。
一番そばに居て欲しかったのに。。。
『あんな先生は嫌だ、先生は鬼だ』
と叫んで私は暴れていた。

―――結局何がどう転じたのか詳しくはわからないけれど、
研修医の先生からラコールをちゃんと5本飲めば
修了式に行っていいという許可が出た。
(修了式の出来事⇒http://yaplog.jp/mizerere/archive/203)
嬉しかった…

親から聞いた話…
主治医の先生は最初の両親との面談で
『私は○○さん(私)に嫌われる覚悟で治療します、
いつも○○さんの傍らに立っていたい』
とおっしゃったらしい…
先生には感服するばかりです。。。

摂食障害と私D

December 15 [Sat], 2007, 18:30
私の自己確認なのでどうでもいい方は気にしないで下さい

《修了式〜ラコール》

修了式も終わり、本格的な治療が始まった。
ラコールが1日6本(1200kCal)に増え、
私はそれをどう回避するかということだけを考えていた。
思いついたのは1つしかなかった。
250mlのペットボトルにラコールを入れ、それをズボンの中に入れ、
ひざ掛けを持ってふくらみを隠し看護師と共にトイレに行き、
捨てる。
看護師と一緒に行かなければ行けないのがつらいところだった。
…でも案外ばれなかった。
いや、本当はばれていたのかもしれないと最近になって思う…。
だがそれを毎日のように繰り返した。
もちろん1杯か2杯くらいは全部ちゃんと飲んでいた。
これは医者と看護師に対する冒涜だとわかっていた…
でも…私は体重が増えるのが怖くて仕方がなかった。

金曜日、体重測定。
何故金曜日なのかというと、その日は主治医の先生がいるから。
先生は自分のいない日に勝手に体重を量って
私が不安定になられては困るということ量りたいといっても
金曜日以外は絶対に駄目ということになっていた。
32,5kg…
泣いた。
私が一番好きな看護師さんが来て慰めてくれた。
木曜日の夜から金曜日の朝にかけては、私は不安定だった。

また、難病の患者さんや若い女性の患者さんと
話すようにもなってきた。
ぎりぎり、人とコミュニケーションはとっていた。
先生が摂食障害についての本を読んでいるところを見かけたりもした。

摂食障害と私E

December 21 [Fri], 2007, 18:10
私の自己確認なのでどうでもいい方は気にしないで下さい

《不安定な日々》

ラコールを捨てながらも、私は入院生活を送っていた。
主治医の先生との面談は月・水・金の3回。
点滴にひっかかり2度転倒したので看護師さん、ヘルパーさんの
付き添いは解かれぬまま。
また、私は看護師さんを呼ぶのが苦手で勝手に動くので
足元にナースコールに連動するマットと、
オキルトナールというわけのわからない赤外線の機械を設置され
1人では少しも動けなくなっていた。
主治医の先生は怖い。
体重が増えるのはもっと怖い……。
心の中はぐちゃぐちゃだった。

3月下旬、仲の良かった2人の患者さんが退院する。
それと同時に、新患さんが2人入ってきた。
若い女性の方と、同い年くらいの女の子。
若い女性は私の向かいのベッドで、物静かそうな人だった。
が、夕食前、その女性患者が突然暴れ出した。
看護師や医者が飛んでくる。
病室の戸は閉められ、見る見るうちに患者は拘束されてしまった。
私は怖くて動揺して、持っていた箸を投げた。
あの時と同じ看護師が飛んできて私を慰める。
修了式が終わり一段落した私は、次第に調子が悪くなっていた。
『あまりに色々投げたりするようだったら、あの部屋に行ってもらうからね』
主治医には念を押されていた。

翌日の消灯後、突然、猫の声がした。
あの女の子の声だった。
…驚いた。
これが多重人格というものなのだろうか?
看護師が慌てて彼女のベッドごと処置室(ナースステーションの脇)
へ運んでいく音が聞こえた。

―――毎日が激動だった。
静かな夜なんてどこにもない。
安心できる毎日なんてない。
つらかった…。

摂食障害と私F

December 28 [Fri], 2007, 13:54
私の自己確認なのでどうでもいい方は読み飛ばして下さい。

《保護室》

3月31日。
ラコール6本に加えて、夕食(全粥ハーフ)のみ
看護師さんのチェック下で5割食べるという条件も課された。
食べざるを得ない。
主治医の先生の要求はいつも過酷で、そして薄情だった。
外出さえ許可されず、私は毎日を悶々と過ごしていた。
自分では気付かなくても、相当ストレスが溜まっていたのかも知れない。

その夜、消灯後。
先日暴れた新患さんのいびきは相当だった。
また、猫の鳴き声も鳴り止まず。
私も限界を超していた。
泣きたくてももう涙も出ない。
オキルトナールに枕をぶつけ、看護師さんを呼んだ。
すぐに女の看護師さんがやって来て、私のそばに座った。
私は再び爆発して枕を投げた。
それが…その枕が、看護師さんの顔に当たってしまったらしい。
本当に、そんなつもりはなかった。
だが結果的に私は看護師を殴ってしまったということになった。

『…とにかく、先生に報告しますから』
看護師さんは怒りを伴ったような口調でそう言い、部屋を出て行った。
主治医の先生は今晩の当直医。
何故こんなに不運が重なるのだろうか。
窓の外は真っ暗で、街灯だけが冷たく光っていた。
まるで私の心を映し出すかのように…。
『…○○さん』
背後で主治医の先生の冷たい声がした。
『先日予告した通り、今晩はあちらの部屋にいてもらいます』
あちらの部屋…それは『保護室』をさす言葉である。

毛布とも言えぬ固い布切れが1枚とマットレス。
ナースステーションへと繋がる監視カメラ。
水の流れない銀色の和式トイレ。
格子の向こうにある1つの時計。
鍵の掛かった重い扉。
ナースコールさえ無く、独りぼっちの部屋。
いわゆる隔離をするところである。
先生は私に強くて苦い薬を飲ませ、立たせた。
私は保護室に入れられ、マットレスの上で呆然としていた。

…目覚めれば4月1日。
念願の高校2年生である。
私はこんな部屋の中で進級するのだ。
そう思うと、涙が止まらなかった。
私はその夜一晩中、薄暗いその部屋で独り泣き通した。

摂食障害と私G

January 07 [Mon], 2008, 19:25
私の自己確認なのでどうでもいい方は読み飛ばして下さい。

《隔離解除〜夜明け》

翌朝、昨日私が殴って?しまった看護師さんが格子越しにやってきて、
8時になったら先生が来るからそうしたら出ていいよと言った。
薬の効果はまだ残っているようで、私は再び眠りについた。

『出て下さい。少し話をする』
8時になったらしい、主治医の先生と看護師がやってきた。
扉が開き、薄暗い部屋に明かりが差し込む。
昨夜の強い薬のせいか、私はふらつきながら面談室へと入った。
『…いきなり聞くけど、昨夜は何であんなことをしたの』
先生に睨まれて、私は何も答えることが出来なかった。
自分の身体の異変に気付いたのは、それからすぐのことだった。
薬の副作用だろうか、脳貧血だろうか、急に気分が悪くなった。
私は先生に、目の前が真っ白で気持ちが悪いと言った。
『私の質問に答えるまで、部屋には帰さない。
そんなこと言っても私は助けないよ』
…せめてこの状態をなんとかして欲しかっただけなのに。
私は助けないって…それが医者の言う言葉なのだろうか…。
とにかく先生は頑として私を面談室から出さなかった。
私は椅子に座っていても倒れそうで、早く部屋で横になりたい一心で話した。
細かいことは覚えていないがただ1つ覚えているのは、
『本当にぶつつもりはなかった』
…それは事実だった。
口に出すより先に手が出るのは何故かと問われたが、
その理由は自分でもわからないと答えた。

『…じゃあもういいよ。ちょっと、ブドウ糖持ってきて』
先生は看護師さんにブドウ糖を持ってこさせ、私に飲ませた。
(血糖値を上げるため)
これで一応先生は処置をしてくれたことになる。
手元には、『隔離を行うに当たってのお知らせ』というプリントが手渡された。
丸がつけてある項目は
『他の患者に対する暴力行為や著しい迷惑行為、
器物破損行為が認められ、他の方法ではこれを防ぎきれない場合』。
…そんなつもりじゃなかった、それは本当なのに…
もう結局何を治療するためにこんなところにいるのかもわからない…
ベッドに戻った私は、ただ泣くしかなかった。
―――そうして暗く長い夜は明けたのである。

摂食障害と私H

January 27 [Sun], 2008, 20:27
私の自己確認なのでどうでもいい方は読み飛ばして下さい。

《鬼の医師》

保護室から出た週の金曜日、体重測定、33,3kg。
ラコールを捨ててはいるものの、夕食を半分食べなくてはならない、
外に出て歩けない…体重は増えて当然なのである。
だが思考の歪んだ私には納得いかない。
体重測定のたびに泣いて看護師さんを困らせていた。

食事をして体重が増えると、食べれなくなった原因となった出来事を
許したかのようになるのが嫌なんだと私は泣きながら面談で言った。
先生は黙ってパソコンを打っているだけで、何も言わなかった。
『もう退院したい!!これ以上体重を増やされるのは嫌です!!』
走馬灯のように過去が思い出され、私はとにかく泣いた。
『…退院してもいいけど、そしたら私は外来であなたの主治医にはならないから』
ため息をつきながら先生は言った。
『そうやって中途半端なまま退院させた患者を、
外来だけで責任持って診れる覚悟は出来ないから』
医者である先生はあくまでも冷静であり、厳しかった。
『私はあなたの命を守らなければいけないから、鬼にだってなるよ』
最初の面談でのそんな言葉を思い出すと、私はいつも返す言葉がないのである。

摂食障害と私I

February 12 [Tue], 2008, 14:11
私の自己確認なのでどうでもいい方は気にしないで下さい。

《原因》

摂食障害に陥った原因の詳細はここでは言えない。
誰が見ているかわからないから…。
ただ、1年生の時の担任の先生とソルフェージュの先生が関わってくる。
『あなたのせいで皆が迷惑している』
…一番はその言葉だった。
(ただその担任の先生のことは嫌いではないし、決して恨んでもいない)
そもそも教師が苦手になったのは、私が小学6年生の時の女の担任に
『金魚鉢』という私を真ん中にして皆が私を囲み、
私が泣くまで周りから悪口を言うというゲームをされたからである。
色んなことが重なって、私は食べることが出来なくなってしまった。
面談室で大泣きしながら話している私に主治医の先生は
うん、うん、と相槌だけ打ちながらひたすらパソコンを打っていた。
『…あなたが生きてきた世界は相当つらいものだったんだね』
私が大抵話し終え少し泣き止むと先生は言った。
『じゃあこれからその過去と決別しよう。…大丈夫?』
先生が私に大丈夫かなんて尋ねたのは初めてで、私は少し驚いてしまった。
そして先生は話し出した。
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