臨死体験の意味 

August 22 [Tue], 2006, 12:44
私は、前世記憶とともに臨死体験もあります。1歳半の頃ですから、普通なら記憶していなくても不思議はないのでしょうが、大きな意味をもつことだったらしく、断片的にですが覚えています。以前にもブログで触れていますから、興味のある方は追跡してもらえればよいと思いますが、簡単に説明しますと、崖の上の縁側から数メートル転落し、岩に頭を直撃したのですが、何故か軽い切り傷だけで済んだのです。原因は、妹を妊娠していた母が、ノイローゼのような状態になって私を衝動的に突き落としたものだったのですが、私の経験では、祖母が手を伸ばしたが間に合わず後ろ向きに落下していって、頭がい骨が砕けるような感触の後、しばらく快い青い光に包まれた空間にいました。その光の中にいると、全てを許すことができたような感じがしました。実は母、その後も私には執拗に暴力をふるったのですが、この体験があったことと、母なりの愛情があることも理解できましたから、恨みに思うことはありませんでした。ですから、私のスピリチュアルライフの原点はこの臨死体験にあると考えています。その母は、今や寝たきりの廃人になっています。彼女も霊感があり、同じく霊感のあった祖母とともに、大阪の大空襲を奇跡的に生き抜いた人間だったのですが、その後の人生、夫や私を悪者にして責任転嫁し、大切にしなかった報いだと思います。私がもう一つ臨死体験で教えられたことは、人を妬まないことでした。自分で言うのも変ですが、私は数十万人に一人と言われた天才児でしたし、その陰に隠れて目立ちませんでしたが、スポーツもほぼ万能にできました。その秘訣はと問われたら、こう答えます。「人を妬まないこと。自分でよくなってやろう、何でもできるようになってやろうと思うこと。」

幻視について 

August 17 [Thu], 2006, 12:08
我が家の家系は、一種のシャーマン形質のようなものがあるらしく、遺伝的に霊感や幻視能力を持っています。そのため、幽霊を見ることもしばしばですし、頼られることまであります。霊感の方は、私自身さえしっかりしていれば、霊の影響を受けずに済むからいいのですが、幻視の方は、少し困ったことになることがあります。私の場合、夢で未来や過去の映像を見るのですが、いわゆるデジャブ、既視感なんて生易しいものではなく、ずばりその映像を見せつけられてしまうのです。何が困るかというと、その幻視、よいこととは限らず、悪いことであっても、ほとんどの場合、変えることができないからなのです。変えることができない理由ですが、まず、その光景がいつ起こるか特定することが難しいことがあります。実際にあった例ですが、大学の後輩が怪我する映像を見たので、その光景が起こらないようにあるものには近づかないように注意したことがありました。私は、仲間内では予言者として有名でしたから、その後輩もそのものに近づかないよう注意していたのですが、いくつかの偶然が重なった結果、そのものの方が後輩に近づいて行って、幻視通りの結果になってしまいました。ただ、絶対かというとそうでもなく、一つだけ、人の命にかかわることだったので、配慮の上に配慮を重ねて何とか変えることができました。しかし、その結果として、当然ではあるのですが、死すべきだった人に関係した人たちの未来が見えなくなりました。神様が、お前が勝手に運命書き換えたから、そこの続きは見せてやらないよと考えたか、この世のプログラムを変更したから、未来がついて行っていないのかも知れません。最近、脳の衰えなのか、以前ほどはっきりとは夢の幻視を記憶していられなくなりましたが、私自身には幸せでもあります。人間、未来がわからないから、無駄な(と言っては身も蓋もないが)努力をすることができるのです。希望を持つこともできるのです。不幸な未来は、忘れることができるのも幸せなのです。

民族について 

August 12 [Sat], 2006, 22:35
世界各地で、民族が関係した紛争が起こっています。レムリア時代もいろんな民族が存在し、中には瞳が紫の人々もいたといいます。(残念ながら、私の記憶には、天使の一人しか紫の瞳を持った人はいない。)そして、国としてのレムリアは、民族は関係ない社会でしたし、アストランに至っては完全な実力社会でしたから、そのことが原因の紛争はなかったように思います。そして、天使たちと女神のセイシさまは、面白いことを教えてくれました。人間は、遺伝子的には同一であり、いわゆる民族は、それぞれを創造した者(必ずしも神様とはいえませんので、こう表現します。)の好みを反映したに過ぎない。そのことを原因として相争う行為は、おろかとしか言いようがない。現代の私が解釈しなおすと、所詮この世は神様のおもちゃのバーチャルリアリティーのようなものであるから、民族紛争は、コンピューターゲームの登場人物が勝手に喧嘩を始めたようなものだということなのです。お互いを尊重しあい、その上で自分のアイデンティティーの一つとして誇りをもつ。それが真の民族意識なのではないでしょうか。
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