テサロニケ人への第一の手紙

November 03 [Tue], 2009, 11:16
パウロとテモテからテサロニケの人々へ送られた
『テサロニケ人への第一の手紙』から。

神さまの福音を述べ伝える二つの愛
それは、

+母のような愛
2:7 むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるようにやさしくふるまった。

+父のような愛
2:11-12 そして、あなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、 御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである。  

私たちがキリスト者として生かされる喜びは、
福音を述べ伝えることのできることです。
私を通して一人でも多くの人に、この喜びを伝えることができるのなら、
それに勝る人生の価値など、ありえない。
そう、聖書は言うし、私もそう思います。

で、その「伝える」という作業には、この二つの愛が必要なんだってことだよね。



患難と慰め
3:3 あなたがたの知っているとおり、わたしたちは患難に会うように定められているのである。

それにもかかわらず、パウロは、

3:7 兄弟たちよ。それによって、わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた

と告白します。これは、「吉報」のおかげだと明かしています。
この「吉報」とは

3:6 ところが今テモテが、あなたがたの所からわたしたちのもとに帰ってきて、あなたがたの信仰と愛とについて知らせ、また、あなたがたがいつもわたしたちのことを覚え、わたしたちがあなたがたに会いたく思っていると同じように、わたしたちにしきりに会いたがっているという吉報をもたらした。

のことです。つまり、
会いたいと願っている人たちが、自分たちに会いたいと思ってくれる、
そのことがどれだけ大きな励みになっているか、ということだと思うのです。

「あなたに会いたい」と自分に言ってくれる人が、この地上に一人でもいる、
そのことを願うことは、信仰の如何によって問われる以前の、
ごくごく素朴な気持ちであると思うのです。
それさえあれば、たとえどんな困難の中にあっても、
生かされるというものかもしれません。


主の日
5:3 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。

主の裁きの日が、ちょうどノアの時代に起こった洪水のように、
無知で強欲な人々にとっては、あまりに突然訪れると警告しています。

しかし、

5:5 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。

と、パウロを通して言います。
「光の子になりなさい」「光の子になるべきです」と言っていません、むしろ
「光の子である」「昼の子である」と宣言してくださっているのです。

つまり、夜来る盗賊(主の裁き)に怯える必要が無いように、
目を覚まして整えておくように、と、
愛をもって宣言してくださっているのだと思います。


三原則
5:16-18 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。


創世記32-41章

October 18 [Sun], 2009, 8:50
創世記後半32章からさらに読み進めると、
いくつかの印象的なシーンに出会います。

まず、イサクとリベカの間に生まれたヤコブが、神さまと格闘するシーン!
32:22-32なんだけど、これは見ものです。
どんな風に取っ組み合ったか、
結構詳細に書いてあるから、読んでみて!

ヤコブが誰か分からない人に取り掛かられて
その人と取っ組み合いをするんだけど、
その人は「こやつ、強ぇ・・・」と勝つのを諦めちゃう。
実は、その人っていうのが、、神さまだったの!!

32:30 「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」。

と、ヤコブは驚いて言います。
いや、ヤコブ、あなた、
顔を見たどころか、神さまとケンカして勝ってるけど

ところで、神さまと格闘する前から、
ヤコブは兄のエサウと再会するときの準備を進めていました。
自分が兄を二度も裏切ったので(25章27章)、
兄から恨まれ、殺されるのではないかと恐れていました。
そして、できる限りの好意を伝えようと、たくさんの贈り物を用意します。

しかし、33章で再会を果たしたときのエサウの反応は、
ヤコブの予想を大きく裏切るものでした。

33:4 するとエサウは走ってきて迎え、彼を抱き、そのくびをかかえて口づけし、共に泣いた

エサウ、ほんとアホや(笑)。でも、だからこそ愛の人なんだよね。
このようなただ愛をもって再会を喜ぶエサウに対し、ヤコブは

33:10 あなたが喜んでわたしを迎えてくださるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います。

と、その感動が隠し切れなかった。

ただただ、自分の命を守りたくて、
あれこれと贈り物をし、へりくだって話し、おびえきっていたヤコブは、
しかしこの時には心から感謝し、安心し、信頼しきって、
すべての財産をささげたのだろうと思います。

自分が責められて当然であるときに、
想像を超えたはるかな愛情でつつまれる喜びを、
聖書は二人の兄弟を通して、リアルに描いています。

その後、エサウの子孫も繁栄します(36章)。


37章。
ヤコブが一番かわいがっていたラケルとの間にできたヨセフが、
兄たちの嫉妬によってエジプトに売られてしまう。
でも兄たちは、「ヨセフは獣に襲われた」とヤコブに思い込ませるため、
剥ぎ取ったヨセフの着物に血をつけて父に差し出します。
そういうシーンです。

この時のヤコブの絶望が、この37章最後に克明に描かれています。

37:33-35 父はこれを見さだめて言った、「わが子の着物だ。悪い獣が彼を食ったのだ。確かにヨセフはかみ裂かれたのだ」。そこでヤコブは衣服を裂き、荒布を腰にまとって、長い間その子のために嘆いた。子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた

ヤコブがヨセフを愛していた、その切ないほどの愛情が伝わってきます。
慰めを拒み、食いちぎられたわが子のもとに行きたいと言って、
泣くヤコブ。
彼の遠慮の無い低い泣き声が、聞こえてくるようなシーンです。


でも、ご存知のとおり、
エジプトに売られたヨセフは、いつも神さまに守られていて、
エジプトの王パロ(ファラオ)の侍衛長ポテパルに仕えるようになりました。

聡明なヨセフに、パロは信頼を寄せるのですが、
ポテパルの妻に騙されて、ヨセフは監獄行きになってしまいます。

ヨセフの後に同じ監獄に送られてきた二人の役人のうち、
特に給仕役人とのやり取りは、非常に印象的です。
監獄内で見た夢の意味を、神によってヨセフが解いたとき、
ヨセフは給仕役にこう言いました。

40:14 それで、あなたがしあわせになられたら、わたしを覚えていて、どうかわたしに恵みを施し、わたしの事をパロに話して、この家からわたしを出してください。

しかし、給仕役は
ヨセフが読み解いたようにしあわせになったにもかかわらず、
解放されてからヨセフを忘れてしまいます。(40:23

それから2年も経ったころ、パロは難解な夢を見て、
それを解いてほしいと知者や占い師に尋ねても、誰にも読み解いてもらえません。
その様子を見ていた給仕役が、ヨセフのことを思い出すのです。
その時の給仕役の台詞、一言目が、コレです。

41:9 「わたしはきょう、自分のあやまちを思い出しました。

なんていう潔い、マッチョウジキな言葉なんだろう!と、
私は感動しました・・・。
聖書の中に、給仕役はその名前すら出てこない、脇役君だけど、
それでもこのすがすがしい告白は、
私たちに大きな励ましをくれていると思います。

あれこれと言い訳をしたり、あるいは黙っていたりすることもできたのに、
まっすぐに自分の罪を認め、王のため、国のために
自らの小さな知恵をささげたのでした。

創世記22-32章

October 17 [Sat], 2009, 9:48
さらに読み進めると、結婚に関する二つの面白い記事に出会います。

まず、イサクとリベカの結婚です。
注:イサクは、アブラハムとサライの子。リベカは、ベトエルの娘で、ラバンの妹。
ベトエルはナホル(アブラハムの弟)とミルカの子。


アブラハムが年長のしもべに、イサクの結婚相手探しを託します。
しもべは、アブラハムの故郷に行って、泉に水を汲みに来た女性に声をかけます。
それがリベカです。

リベカこそイサクの相手にふさわしい女であり、
イサクのもとへ連れて帰りたいとアブラハムのしもべが提案すると、

24:50 ラバンとベトエルは答えて言った、「この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません。

と、完全に選択権を放棄して、リベカを嫁にやると約束します。

しょへー。
どうしてもって、愛する娘・妹を嫁に出すのに、
「主から出た」と完全に神さまを信頼できたものだろうか!?
この信仰!

(しかしその前に、リベカこそと見極めたしもべもしもべ。
決め方が、またウケルんだわ気になる人は読んでみて♪)


畳み掛けるように、しもべが、リベカをすぐにでも連れて帰りたいと申し入れると、
リベカの家族は「少なくとも十日くらいは」と渋る。
そりゃそうだろ。

しかし、

24:58 彼らはリベカを呼んで言った、「あなたはこの人と一緒に行きますか」。彼女は言った、「行きます」。

ふ、二つ返事!?

・・・リベカの家族にもあっぱれだけど、
最後の最後まで強かったのは、リベカ本人でした。


もう一つは、ヤコブとラケルの結婚。
注:イサクとリベカの息子は、エサウとヤコブ
リベカの兄ラバンの二人の娘が、レアとラケル


ヤコブは、長い旅を続けた先で、
伯父ラバンの娘ラケルに恋をして、結婚させてもらうために、ラバンに7年間仕えた。
そのときの、チャーミングの御言葉が、コレ。

29:20 こうして、ヤコブは七年の間ラケルのために働いたが、彼女を愛したので、ただ数日のように思われた。

ちょっとかわいすぎるでしょ、ヤコブ!!

しかも、7年の後、ようやく結婚させてもらえるー!と思って舞い上がったヤコブに、
ラバンが差し出したのは、ラケルではなく長女レアだった・・・

ヤコブ「エーッ!約束がちがうじゃん!」
ラバン「うちの国は妹を姉より先に嫁には出さないんだよ。」

ヤコブにとっては理不尽な理由で、レアと結婚させられるハメに。

「まぁまぁ、妹のラケルもお前の嫁にしていいから、その代わりあと7年働けよな」

というわけで、ヤコブはもう7年働くのでした(笑)。

創世記14-21章

October 17 [Sat], 2009, 8:57
さらに読み進めていくと、

めっちゃ簡略化した系図ですが、

ノア  セム  ・・・(略)・・・  テラ  アブラム

というわけで、
『ノアの箱舟』で有名なノアの子孫に、アブラムという男がいます。
彼はサラという女性と結婚するんだけど、彼女との間になかなか子ができない。
それで、サラの召使であるハガルとの間にできた子どもを後継にしようとか、
あれこれ紆余曲折があった後に、
アブラムは99歳、サラは90歳で生理もとうに終わったころになって、
御遣いが現れて「来年男の子ができるから、そのこにイサクと名付けなさい」と予告。
でも、その話を聞いていたサラは、
「こんなバーサンになって、赤ちゃんを授かるわけ、ないでしょ!」と
心の中で笑ってしまうのね。

でもそれが、バーッチリ御遣いに見抜かれてる、っていうシーン。

18:13-15 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。

私はこのシーンがとても好きです。
サラが「笑ってないです!」って慌てて言ってる顔が目に浮かぶ。
人間っぽいなぁ・・・、「いやいや、顔に『うそです』って書いてあるよ」って、
御遣いじゃなくてもツッコミたくなっちゃうね。
サラもサラだ。相手は御遣いなのに、いまさら嘘ついてどうすんのっ!

それに対して御遣いは勿論、「いや、確かに笑った」と、不信仰を戒めます。

心のひだとひだの間まで、ギッと見ていてくださる主。
言い訳やへつらいの必要の無い、純白の関係が、私と主の間にある。


信じがたいようなことがあるとき、
私はいつも、笑わないでその恵みを受け取ることができるだろうか。


ところで、翌年本当に男の子を授かったサラ改めサライは、

21:6 「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。また言った、「サラが子に乳を飲ませるだろうと、だれがアブラハムに言い得たであろう。それなのに、わたしは彼が年とってから、子を産んだ」。

と、また「笑って」います。

この18章の笑いは、明らかに、御遣いの言葉を信用できずに、
疑いからくる不幸な笑いでした。
ハガルへの嫉妬と、自らの人生の悲しい定めを背負ってきたサラには
到底理解できない恵みだったからです。

でも、自分の想定をはるかに超えた恵みに授かったサライが
その顔に浮かべた笑いは、
神への感謝と喜びに満ちたものに変わっていました。
そして、彼女はその手に抱いた子のぬくもりから、最上の幸福を感じていたのです。

「わたしを笑わせてくださった」!
なんていう素朴で、だけど大きな喜びだろう!

好きだなぁ、このシーン!


サライが生んだ男の子は、イサク。「彼は笑う」という意味です。


しかし、イサクが成長すると、サライにとっては
アブラム改めアブラハムと召使のハガルの間にできた子である
イシマエルが邪魔になるんだよね。
まー、そりゃそうだわな。
正妻の自分の子こそ後継だ、と主張したくなるもんだろう。

で、ハガルは息子のイシマエルを抱いて、荒れ野に追われることになる。

その途中でハガルは絶望しちゃうんだよね。
もう、生きていくことはできない。もうだめだ。って。

そこで、イシマエルを置き去りにしてしまおうとするんだけど、

21:16 「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。


でも捨て去りきれなかったんだよね。
遠く離れておきながら、でも後ろ髪を引かれ、
結局その場に座り込んでしまったハガル・・・。
それを泣いて呼び求めるイシマエル・・・。

21:17 神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。


「どうしたのか?」じゃ、ないよー!
もう、こっちゃぁ、ホント必死の思いなんだから!!

って、私が御遣いに対して怒っても仕方ないんだけどね。
でも、そうやって主の声に耳を傾けるハガルに、御遣いは、

21:17-18 恐れてはいけない。・・・立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。

と、力強く励ましてくれます。


ハガルは、一度イシマエルを捨てようとした。
だからこそ、捨てきれない自分に気づいた。
気づいたからこそ、主の声を聞き入れることができた。
だからこそ、「大いなる国民」(21:18)としてイシマエルを育て抜いたんだよね。

起こることすべてに、意味があるということなんだよなぁ、と、
本当に感動させられる、色鮮やかなシーンです。

創世記1-13章

October 17 [Sat], 2009, 8:38
創世記は、神さまが森羅万象をどうやって創造されたかが
ほんとにビビットに描かれています。

最初の6日で、昼と夜、水と天、草木、動物・・・を造って、7日目に休む。

その中で、特に人間を作られたシーンの、この御言葉に、注目。

2:21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

神さまが土から人を、人から女を造るシーンです。
神さまが造られたどんな生き物の中にも、
人にふさわしい助け手を見つけ出すことはできなかった。
だから、女が造られたんだよ。

それは、知ってた。
人(男)から女が生まれたことも、
女が人のあばら骨から造られたことも。


でーも、
「深く眠らせる」必要あったんすか、神さま?と。



聖書には、
夢の中でお告げを聞いたり、
眠っているところを御遣いに起こされたり、
そういう眠りにまつわるシーンがよく出てきます。
「目を覚ましていなさい」というキリストの言葉もよく出てきます。

それらのことと、何か共通するものを感じるな〜、と思ったのは、私だけ?

眠りについているときって、
人が意識から解放されて、完全に無防備になっている、
言ってみれば、(良くも悪くも)最ッ高に自由なときだよね。
その自由の中から女が生まれた・・・
自ら選択の余地の無い、完全に神さまにゆだねられた中から。

そして人は「父と母から離れて妻と結び合う」(2:24)。



女である私には、
このことがどうもとても大事に思えてなりません。


9:16 にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう

ノアの箱舟を残して、すべての天地を洪水によって流し去り滅ぼした神さまは、
洪水のあと、人との間に永遠の契約を立てます。
「もう二度と」(8:21)人をのろわない、と。
(つまりこの聖書箇所の「わたし」は神さま自身です。神さまの台詞ですから。)
で、その証が、空にかかる虹なんだって

しかしさー、
虹を見てちょっくちょく思い出させてもらわないと、
気を抜いたらまた衝動的に流し去りそうになっちゃうくらい、
人の世は欺瞞とまやかしに満ちた醜い世界だということだよね。

それなのに、「もう二度と」と誓ってくださる神さまの愛の決意とは・・・
どうやってそれに答えることができるだろう??
m i t s u k o t o b a ?
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キリスト者として成長したいと思いながら、雲を掴むような信仰だけでやってきた自身を振り返り、信仰(もちろん多くの方が経験する紆余曲折がその間にありましたけれども、一応表向きは)10年目のこの時、決意して毎日聖書に向かう時間をたっぷり取ることにしました。このブログは、それを記念して作ることにしました。まだまだ試験段階ですが、温かく見守ってください。
なお、光子本人は神学を研究した履歴はありませんから、プロの方から見たら未熟な点や誤った解釈などが目立つかも知れません。その時はぜひ、ご指導くださいますように。
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