他人を見ているようで、実は自分を見ている

2011年10月03日(月) 8時38分
今日もふと思ったことを書いてみる。

僕は基本的にはシャイボーイだ。
だいぶましにはなったが、今でもやっぱり人の目が気になる。

で、人の目を気にしてる自分を感じているとき、ふと、みんな本当に僕のことを見てるのだろうかと思った。ひょっとして僕を通してみんな自分自身を見ているんじゃないかと。

僕も人間観察が好きだから、いろんな人を見てこの人はこういう人だろうとか勝手に推測したりする。
でもその行為も結局はそうやって分析してる自分を楽しんでるだけであって、他人はどうでもいいっちゃどうでもいいのだ。言葉が悪いかもしれないが、他人は道具にすぎないというか。いやいや、プレゼントって言ったほうがいいかな。

そう考えると、他人にどう見られてるかなんてどうでもいいやと思えてきた。結局みんな自分自身を感じているだけなんだから。僕のことをどれだけ悪く評価する人がいたとしても、その人も結局僕を通して自分を味わってるだけなんだ。

だから僕はみんなにとってできるだけ高価なプレゼントになろうと思う。
みんなが僕を通して自分自身を味わえるように。
つまりは周りの評価は気にせず、できるだけありのままの自分を表現していこうと思う。

自分で宇宙を感じるということ

2011年10月02日(日) 8時38分
昨日の記事で、宇宙の解釈は様々でありどれが正しくて間違っているとかはないと書いたけども、1つ問題点がある。

ちゃんと自分の目で、自分の心で宇宙を感じているかってことである。

他の誰かに「宇宙ってこんなものだよ〜」って言われてそれを鵜呑みにしているのならそれは問題だと思う。

解釈はいくらあってもいいが、自分自身の解釈でなければ意味がない。
自分自身で宇宙を感じるということが「生きる」ということなのだから。

一旦すべての一般的な常識から離れ、自分自身の身体と心で宇宙を感じてみることをお勧めする。

他人を理解するために

2011年10月01日(土) 8時38分
ある本でこんな話を読んだことがある。

3人の人間に目をつぶらせたままある物体を触らせた。そうすると1人目はこの物体は蛇みたいだと言い、2人目はこの物体は木の幹のようだと言い、そして3人目はこの物体は岩のようだと言ったそうだ。

実はみんな全く同じ1匹の象を触っていたにも関わらず、3人とも全く別々の解釈をしているのだ。
1人目は鼻を触り、2人目は足を触り、3人目は背中を触っていただけという話だ。


僕たちは常に1つの宇宙に触れている。
でもその解釈は様々である。実はそれはそれぞれが宇宙のどの側面に触れているかという違いにすぎない。

だから他人を理解するためには、「この人は一体宇宙のどの部分に触れているのか?」という視点が大切だと思うのだ。

みんなそれぞれがそれぞれの宇宙を感じていて、どれが正しくてどれが間違っているとかってのはないと思う。合う合わないはあるとしても。


※最初の象の話ですが、もとの話をちゃんと覚えていないので自分なりに勝手に変えちゃってるかもしれません。ご了承ください。でも、話の大筋は間違ってないと思います。

大富豪のふしぎ

2011年09月30日(金) 8時38分
前の記事で思考するだけでは現実化されにくいと書いたものの、「思考は現実化する」ということの具体例を思いついたので書いてみる。


おそらく誰もが1度はやったことがあるだろう大人気トランプゲーム「大富豪」。

みんな知ってると思うのでルールの説明ははしょるが、あれ、不思議なことに、大富豪のところにいいカードが集まり、ド貧民のところに弱いカードが集まることが多い。偶然とは言い切れないほど結構高い確率でそういうことが起こる。これは大富豪をやったことがある人ならみんな感じたことがあるんじゃないだろうか?

僕は昔からこの現象は不思議だなぁと思っていたが、まあ偶然だろうと思っていた。
でも、今思うとあれは偶然ではないんだ。おそらくそこには「引き寄せの法則」が働いているのだ。

大富豪になると自然と「おれは強い」という意識になり態度もちょっと大きくなったりする。その意識や態度が強いカードを引き寄せているのではないか。
またド貧民になると、その逆のことが起きるのではないか。

もし今度大富豪をする機会があったらぜひ実験してみてほしい。
大富豪のときにド貧民の気持ちでいたらどうなるか。
ド貧民のときに大富豪の気持ちでいたらどうなるか。

大富豪で引き寄せの法則の効果を実感できれば、現実にも応用してみようという気にもなる。

すはま荘で大富豪大会でもしましょうか。

願いの叶え方

2011年09月28日(水) 23時06分
のんやんと5日間、石垣島・西表島・竹富島に旅行に行ってきました。

圧倒的な自然に囲まれて、本当に心地よい5日間でした。

ただ、背中がイタイ。。日焼けして。



さて、今日は何について書こうかな。

とりあえず今日ふと思ったこと。

願いは他人(周り)が叶えてくれるということ。

もちろん自分一人で叶えられるものもあるけど、そう多くはないだろう。

神との対話では、現実を創造するための道具(願いを叶えるための道具)として「思考‐言葉‐行動」が挙げられている。思考するだけでも創造のエネルギーは発せられているが、思考より言葉、言葉より行動のほうがエネルギーは強くなる。よって、ただ思考するよりも行動を起こしたほうが願いは叶いやすくなる。当たり前といえば当たり前かもしれないが、意外と見落としてる点かもしれない。

例えば、手の届かないところにある塩を取りたいとき、「あぁ、塩取りたいなぁ」と思っているだけではたぶん塩は取れない(思考のエネルギーを使いこなせる人は別として)。
でもそれを言葉として発すればどうだろう。「塩取ってくれない?」と言葉にするだけで、あなたの願いが叶う確率はグッと高まるだろう。
万が一それでもダメなときは実際に取ろうと行動してみる。必死に塩を取ろうとしているあなたを見れば、さすがにいけずな友達も手を貸してくれることだろう。また、その行動のおかげで菜箸などの思わぬ道具を発見することができるかもしれない。

例がちょっと単純すぎたかもしれないが、願いを叶えるためにはこのように「思考‐言葉‐行動」を上手に使うといい。

引き寄せの法則の本などを読んでると「思考は現実化する」ということが書かれているが、それは本当に思考のエネルギーが強い場合だけだと思う。「思考は現実化する」という言葉を真に受けちゃって、考えるだけで何もしないでいるとおそらく痛い目を見ることになるだろう。本当に願いを叶えたいのなら、それを言葉にして(誰かに伝えて)、行動を起こしたほうが早い。まあ本当に叶えたいのなら、そんなことを知らなくても自然とそうするだろうが・・。

うちののんやんは横になってる状態から立ち上がりたいとき、おもむろにバンザイをする。その行動を見て僕はのんやんの手を引き上げて立たせてやるのだ。立つことができてにっこり笑ってるのんやんを見ながら、「立派な引き寄せの法則だ」と僕は毎回感心するのである。

あなたももし叶えたいことがあるのなら、その願いを言葉にし、行動を起こしてみるといい。願いは伝わる。言葉はもっと伝わる。行動はもっともっと伝わる。あなたの願いは周りに伝わり、周りがあなたの願いを叶えてくれることだろう。

癒し

2011年09月23日(金) 8時38分
癒しというのはガソリン不足の人にガソリンを注いでやることだ。

癒されると当然気持ちいいし活力が漲ってくる。

でもやっぱり自分自身で癒す方法を身につけておかないと、癒しばかりを求める人生になってしまう。

僕は一人一人にガソリンを注ぎ癒していく仕事もしたいのだが、それよりもっとしたいのが、みんなをガソリンスタンドにする仕事だ。
この場合のみんなというのは誰もかれもという意味ではなく、そうなれたらいいなと望んでいる人みんなということだ。別にそんなことに興味ない人に、無理やりガソリンスタンドになってほしいなどこれっぽっちも思わない。

何度も書いてるかもしれないが、僕自身ガソリンスタンドになれることに気づいてからは本当に別世界にいるように人生を楽しめるようになった。それまでが楽しくなかったというわけでは決してないが、本当に次元が違うといった感じだ。

気持ちいいことを勧めたいと思うのは自然なことだと思う。だから僕は自己中な生き方を勧めたいのだ。

でも絶対に気を付けなければならないのが、無理やり勧める行為である。それでは宗教になってしまう。あくまでも一つの生き方の提案にとどめ、あとはご自由に生きてくださいというスタイルを崩さないようにしたい。僕が自己中になれと洗脳してしまったら、それ自己中でもなんでもないし。

なんか自分のスタイルの話になってしまったが、とにかく一人一人が癒しの源泉になることが大事だと思うのだ。

精神について

2011年09月22日(木) 8時38分
僕は身体‐精神‐魂の中でも精神が非常に重要だと思ってるから、精神についてもっと詳しく書いてみようと思う。

精神というのは司令塔である。

ゲームで例えるならば、ゲームの中のキャラクターが身体で、それを操作しているプレイヤーが精神である。
キャラクターは当然プレイヤーによって動かされる。
キャラクターがいなければゲームにならないのでキャラクターももちろん大事なのだが、ゲームをより楽しむためにはプレイヤーの腕にかかっている。
つまり精神を鍛えなければならないのだ。

精神を鍛えるというのはあまり適切な表現ではないかもしれない。
なぜなら精神というのは誰もが有しているものであり、それ自体に差はなく、鍛えられるようなものではないからだ。
厳密には精神を使うか使わないかという表現のほうがいいだろう。

ゲームの例えに戻ろう。
すべてのキャラクターがプレイヤーの指示に従って動いているわけだが、問題はそのプレイヤーが誰なのかってことだ。
そらもちろんあなただ。あなただけしかあなたのキャラクターは動かせない。でも本当にその中身はあなたのものか?横からチャチャを入れられていないか?他のプレイヤーの言う通りになっていないか?本当にあなたの意思であなたのキャラクターを動かしているか?

魂は常にゲームをよりよい方向に導こうとしてくれている。その声に意識を向けるのも精神の働きだ。
魂の導きと身体の動きが食い違ったときに生まれるのがストレスであり苦しみである。
プレイを他人任せにしていると当然こういうことになる。
自分が進みたい方向と他人が進みたい方向は違うからだ。

だから僕は精神を働かせて自己中になろうと提案している。
自己中にならなければ他人の操り人形のままでゲームを楽しむのが難しくなるからだ。

精神を働かせ、魂の導きに従ったとき、キャラクターがどんな困難に出くわそうともそれ自体を楽しむことができるようになる。高い位置からあなた自身のキャラクターを眺めることができるようになる。

あなたのキャラクターを愛することができるのは、あなたの精神である。

三位一体

2011年09月21日(水) 8時38分
神との対話では人間は三位一体の存在であると書かれている。すなわち人間は「身体‐精神‐魂」の3つで1つだと言うことだ。

僕は実際にこのことをはっきりと実感しているわけではない。
しかし人間を三位一体だと考えることによって人間についてより理解しやすくなるので、僕はこの考えを採用している。

以下に書くことはあくまで僕の考えだ。
神との対話に書かれていた三位一体の話についてはあまり覚えてないので、違うことを書くかもしれない。
ご了承ください。


僕は、
身体・・・身体、受精で誕生し死でなくなるもの
精神・・・思考を司る領域、司令塔的存在
魂 ・・・感情・欲求を司る領域
と思っている。

人間はこの3つの部分から成り立っているから、それぞれがうまく噛み合わなかったらどこかでひずみが生まれることになる。

僕自身長い間そうだったが、多くの人が精神を使わず、魂を無視して生きていると思う。

精神は知らず知らずのうちに「ねばならないこと」漬けにされちゃんと使う暇を与えられていない。

魂についてはみんななんとなく自分の本当の感情や欲求に気づいているのだが、やっぱり「ねばならないこと」に手一杯でなかなか相手をしてやることができないでいる。

そうこうしている間にひずみが生まれ、病気となる。


さて、スピリチュアルの世界ではよく「考えるな、感じろ」ということが言われている。

これは確かに「ねばならないこと」で頭がいっぱいになってしまってる人に、魂の存在を気づかせる方法としては有効だと思う。しかしそれまでだ。第一ステップにすぎない。

完全に人間として自立する為には精神も目覚めさせなければならない。そうしなければ、たとえ魂の存在に気づけたとしてもまたすぐに他人の意見や周りの環境に左右されることになり、結局魂の存在を忘れてしまうことになるだろう。精神を働かせることによって、常に魂の声を聴くことができるようになり、常に身体を正しい方向へ導くことができるようになるのだ。

精神を働かせるために必要なことは「考えること」である。
これはつまり「あなたの意思で判断する」ということである。

身体は精神に従って動くが、あなたの身体はしっかりとあなたの精神に従っているか?
あなたが従っているのは他人の精神ではないか?ただの一般的考えではないか?

あなたがあなたの精神を起動させたとき、あなたはこの世の創造者になる。
この世はあなたの解釈通りになる。
もはや魂を働かすのも働かせないのもあなた次第だ(働かせない意味はわからないけど)。


前の前の記事で人生の目的を設定するためには人間が三位一体であることを知る必要があると書いたのは、正常に精神が使えなければ自分自身にとって最善の目的設定ができないからだ。

人間を3つの部分に分解して考えることにより、それが真実であるかどうかは別として、自分自身のことをより見つめやすくなり、人生の目的も見つけやすくなると思うのだがいかがだろうか。


タイトル変更しました

2011年09月20日(火) 13時24分
みつばちblogってのにも愛着あるしずっと迷っていましたが、ついにタイトルを変更しました。

これからは「自己中のススメ」ってことで、僕自身が実際に体験している超楽な生き方を紹介していきたいと思います。

ひとつの生き方として参考になればと思います。

ガソリン不足

2011年09月20日(火) 8時38分
今日は三位一体について書くつもりだったけど、ちょっと割り込み記事です。


僕の今住んでいるところの周りではほんとに虐待が多い。
窓を開けてたら、怒鳴ってる声がしょっちゅう聞こえてくるのだ。

そして今日は洗濯物を干してるときに、通りすがりのおじさんが子どもに対して怒っていた。

「怒らないで!怒らないで!許してよー!行かないで!」

3歳くらいの男の子だろうか。大声で泣き叫んでいた。

僕は「なんでそんなことをするんだろう・・」と思いながらチラチラと様子を伺っていたのだが、結局はやっぱりガソリン不足なんだろう。

虐待と言うと、どうしても子ども(虐待されてる側)がかわいそうということになる。
それは当然なのだが、虐待する側も実は辛い状況にあるんだろうとふと思ったのだ。

ガソリン不足でガソリンを必死に求めているときに、それを邪魔されるようなことをされたら確かに腹が立つだろう。

虐待する親は「最悪最低の親」だと思われてしまうが、単に満たされていないだけなのかもしれないと思った。
プロフィール
  • ニックネーム:おみつ
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小中高大と野球に打ち込む。
大学4年の時に、オーストラリアヒッチハイク一周の旅をする。
教員を目指していた為、大学院の時に「教育」について本気で考えるようになり、それが拡がり「人生」を追求し始める。
大学院卒業後、自転車日本一周出会いの旅に出る。結局兵庫から北海道まで行って終了。
その後、精神科病棟で介護職、換気扇フィルターの訪問販売、商業施設の管理人を経験し、現在は児童養護施設で児童指導員として働く。
1児(はじめちゃん)の父。
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