本職は、『人間』です

2010年11月10日(水) 3時08分
みんな岡本太郎ちゃんは知ってるよね?

ザイソンは「太陽の塔」くらいしか知らなかったんだけど、はまぽが太郎ちゃんのことが好きって言うもんだから、どうしても気になっちゃって太郎ちゃんの画集+詩集みたいな本を読んだのよ。

どう考えてもおもしろかったよね

絵に関してはザイソン全然わかんないんだけど、太郎ちゃんの言葉がヒットパレードだよね


太郎ちゃんはあるインタビューでこんな発言をしたらしいんだ。

(「あなたは絵を描くと思ったら、詩のようなものも書かれる。あなたの本職はいったい何なのですか?」という質問に対して)


「本職?そんなものはありませんよ。バカバカしい。でもどうしても本職というのなら、『人間』ですよ。」


かっこよすぎだと思わない??

本職『人間』よ?笑

太郎ちゃんにしたら、「画家」とか「詩人」とかそういう小さな枠に自分を閉じ込めちゃう意味がわかんないみたいよ。


あーザイソンもいつか言ってみたい。。

「本職は?」

「『人間』だよ

「趣味は?」

「『人生』だよ

ってな

社会システムを変えれば、心の豊かさは取り戻せるのか

2010年01月07日(木) 15時21分
どもども!

昨日、ネット上で知り合い、先月のてんつくマンのイベントに一緒に行った、秋田出身のしーぷさんがうちに来てくれました!

一晩まったりと最高の時間を過ごしました!

今日は今から夜勤なので、また明日写真付きでしーぷさんの記事を書きたいと思います(^-^)




さてさて昨日は“2段構えの生き方”の紹介をしました。 

現状に満足する心を持ちながらも、たまにはやりたいこともやっちゃおうってのが、その生き方でした。



今日は、ちょっぴり話が飛んでしまうかもしれませんが、「今の社会システムを変えれば、心の豊かさは取り戻せるか?」ってことについて考えてみたいと思います。



今日本には自殺者がいっぱいいます。うつ病なども増えているようです。昔に比べると人間が冷たくなったということもよく聞きます。

その原因として、今の社会システムを挙げる人がたくさんいます。

実際にこの競争社会になじめず苦しんでいる人は数多くいることでしょう。


そこで、昔の“和”の心を取り戻そうとして、今の社会システムを批判し、スローライフや農業を始める人が増えてきています。

何を隠そう、我がみつばち村ももともとはそういうことがしたくて立ち上げました。

昔は僕自身今の社会システムを批判しまくってました(笑)

「こんな安全な国日本で、こんなに自殺者が多いのは、全部この社会システムのせいじゃー!こんなシステムわしが全部変えてやるぞオラーッ!!!」ってな勢いでした(笑)


でもね、最近考えが変わってきたんです。

今は確かに心の病が増えてきているけど、それは決して社会システムのせいじゃないなって思うようになってきたんです。

日本が欧米化して競争社会になったのって、たぶん戦後からでしょ?(よく知らんけど)
まあ明治からだとしても、たった100年ほどしか経ってないんですよ。
社会が大きく変わってから、一世代とちょっとしか経ってないんです。

てことはたぶん、ただこの新しい社会システムに“心が追いついてないだけ”だと思うんですよ。

だからね、変えるべきは“社会”ではなく、“心”なんじゃないかなって最近思うようになりました。


僕はずっと今の社会システムを批判し、新しい社会にしようとしてきました。

そこで万が一新しい社会に変わったとしましょう。

そうすると、おそらくまたその新しい社会を批判する人が出てくるでしょう。


“批判のループ”は終わらないんです。

僕は最近やっとそのことに気づきました。

だから僕は批判することをやめました。

そして“今の現状に満足する”ということを始めました。


今の社会は確かに理不尽なことが多いかもしれません。

でも、昔では考えられないほどすごいこともたくさんあるんです。


外国に一瞬で行けちゃうんです。

その気になれば宇宙にも行けちゃうんです。

冬も家の中ではぽかぽかです。

夏はスッキリです。

ご飯もいっぱい食べれます。

インターネットなんてすごすぎですよね。



今の日本の平和を実現するための一番の近道は、社会システムを変えることではなく、“今の現状に満足すること”なのかもしれません。


戦争反対!
核反対!
競争社会反対!
自民党反対!
民主党反対!
不況反対!
みつばち村反対!笑


批判している限り、何も終わらないような気がします。


“全てを受け入れる心”さえあれば、社会の状況はなんだっていいような気がしています。



僕の自己満ブログも受け入れてもらえるとありがたいです(笑)

いつもあざーっす!(笑)

“2段構えの生き方”ってどうでしょう?

2010年01月06日(水) 7時52分
どぅ〜も〜!


昨日は、「ありがとう」は水を変える“良い波動”の言葉だから、言えば言うほど身体にいいらしいよ、って話をしました。

ちなみに「ありがとう」以外にも“良い波動”の言葉があるので紹介しておきますね。

「感謝してます」「幸せ」「楽しい」「嬉しい」「大好き」「愛してる」「ゆるします」…

だいたいこんな感じです(笑)

これらの言葉を小林正観さんは七福神にかけて“祝福神”と呼んでいて、日本一金持ちの斎藤一人さんは“天国言葉”と呼んでいます。



さぁーて、今日の本題に入りたいと思いまーす。

今日は“2段構えの生き方”っていかがでございましょって話です。


てか今職場に向かう送迎バスに乗り込んだとこなんですが、乗り込む前におならを出し切っとこうと思って乗る寸前にぶっ放したら、どうやらそのまま持ち込んでしまったようです…。

完全に迷惑ですし、完全に疑われています(笑)
やべ〜、やべ〜(笑)
めちゃ香ばしいです(笑)



あまりの臭さに話がぶっ飛んでしまいました(笑)

“2段構えの生き方”ですね(笑)


僕は、前から言っていますが、人生を謳歌するためには、

1.夢を追う生き方
2.日々の生活に満足する生き方

の2つがあるんじゃないかと思っています。

それで、僕はどちらかというと2の生き方に重きを置いてるんじゃないかと思われてそうなんですが、決してそういうわけではなく、両方やっちゃえばいいんじゃないですか?ってのが僕の考えです。


夢(目標)を“ステーキ”、日常生活を“白ご飯”に例えると、

ステーキばかりを欲して白ご飯に満足できないのはもったいないなぁと思うし、「わしは白ご飯さえあればええんや!」って言ってステーキを一切食べようしないってのもなんか寂しいような気がするんです。

だから僕は「毎日白ご飯食べれてるから十分満足やけど、たまにはステーキも食べれると嬉しいなぁ。」くらいのスタンスがいいんじゃないかなと思っています。

このように、ベースとしては日常生活に満足しつつ、たまにはぜいたくに夢も叶えちゃおうってのが“2段構えの生き方”ってことです。


この生き方をしてるとストレスがたまらないので、僕は好きです(^-^)


ちなみに僕は最近自然療法士の方に“ノーストレス認定”をされました。
首の後ろにストレスがたまるポイントがあって、普通みんなそこがストレスでかたくなっているらしいのですが、僕はふにゃふにゃだったらしいです。
世間では大変と言われている介護という仕事をしているにも関わらずです。
(先生がちょっとびびってたのが嬉しかったです笑)


最近うさんくさい話が続いておりますが、たぶんもうちょっと続くと思います(笑)
もう完全な個人的な趣味です(笑)
すみません(笑)
いつもありがとうございます(笑)

「ありがとう」の“裏”効果

2010年01月05日(火) 7時33分
昨日は「ありがとう」を先に言ってしまえばいい、という話をしました。

「ありがとう」と言うことにより謙虚になって、“当たり前”のことが“ありがたいこと”に変わるからです。

そして“ありがたいこと”に囲まれてる毎日はありがたいよって話なんですが、これは「ありがとう」の一般的な効果です(笑)

今日は「ありがとう」の“裏”効果についてお話したいと思います!



僕が勝手に尊敬している小林正観さんは「2万5千回“ありがとう”と言うと、バスタオル2枚分が絞れるほどの涙が溢れてきて、そこから心からの感謝が始まる」というようなことをおっしゃっています。

でも、なぜそんな現象が起きるのかってとこまではあまり詳しく書かれていません。

だからこっからは僕の考えですが、結局「ありがとう」と言い続けることによって、体内の“水”が変わるんだと思うんですよ。

以前に「水を入れた容器に“ありがとう”と書いておくと水の結晶が綺麗になるし、自分の手に向かって“ありがとう”と言うと手が伸びる」という記事を書きましたが、結局そういうことなんだと思います。

じゃあなんで「ありがとう」と言うと水が変わるのかというと、「ありがとう」という言葉は“良い波動”をもっているかららしいです(これは別の本に書いてあったことです)。

てか、この世のものは全て“波動”らしいですよ。
まあこのへんのことは僕もよくわかんないんであまり深くは触れませんが…。

とにかく「ありがとう」という言葉からは“良い波動”が出ていて、それが体内の水に変化を及ぼし、元気になったりするようです。

これが「ありがとう」の“裏”効果です(^O^)



ちなみに、不平・不満・愚痴などの言葉からは“破壊の波動”が出ているみたいです。

これは小林正観さんの本に書いてあった話ですが、ある部族では邪魔な木を倒すためにみんなでその木を囲んで一気に罵声を浴びせるみたいです。そしたらほんとに木が腐って倒れちゃうんですって。

恐るべし、破壊の波動(笑)

だからまあ、あんまり不平・不満・愚痴ばっかり言ってると早くに老けちゃうよってことなんですが…(笑) 


それともういっこ豆知識なんですが、「右脳」を鍛えると“波動”を感じることができるみたいです。

なんかテレビとかで、本をパラパラパラ〜っとめくるだけでその本の内容がわかっちゃう子とか見たことないですか?

あれも結局本の“波動”を読み取っとるみたいです。「右脳」でね。



はい、今日もうさんくさい話にお付き合いいただきありがとうございました(笑)

日々の生活に満足するためのテクニック

2010年01月04日(月) 15時24分
ど〜も〜


本題に入る前に、『人生は遊び』ってことについてちょっと補足説明させてください!

『人生は遊び』って言うと、“仕事なんかしとらんで、遊びまくることこそが人生や〜!”っていう風に思われるんじゃないかと思って、ちょっと不安で・・・ 笑

決してそういう意味じゃないですからね 笑

『人生は遊び』ってのは、
“人生は取るに足らないこと”とか
“人生は楽しむもの”とか
そんな感じの意味です

仕事とかボランティアとかも全部含めて“遊び”なんです。

だから、必死になることなく気楽にやっていきましょうということです。


僕はこの地球はディズニーランドもびっくりの“超巨大テーマパーク”だと思っています。

僕らはこの地球上でいろんなアトラクションを経験させてもらっているんです。

ただ、そのアトラクションを楽しむか楽しまないかは僕ら次第です。

でも、せっかく超巨大テーマパークに遊びに来てるんだったら、楽しんだほうが得なような気がしますってことです



じゃあどうしたらこの地球生活を楽しめるだろうか?ってことで、本題に入りましょう


昨日は人生を楽しむ生き方として、

1.夢を追う生き方
2.日々の生活に満足する生き方

の2つのことを書きました。

1.の生き方についてはみなさんよくご存知だと思うので、今日は2.の生き方についてちょこっと書いていきたいと思います


日々の生活に満足するコツ・・・・・

それは、

『感謝すること』

です


普通“感謝”というと、ありがたい出来事に対してするものですよね。
だから普通は、ありがたい出来事がなければ感謝はできないんです。

だから多くの人が日常のありきたりな生活に感謝ができないんです。
なぜなら日常生活なんて“当たり前”のことだから。
ありがたくもなんともない 笑


じゃあどうすればいいかというと、順番を変えちゃえばいいんです。

先に“感謝”をしちゃうんです。

先に感謝をすると、不思議なことに“当たり前”だったことが“ありがたいこと”に変わるんですよ
(感謝するというのは“謙虚になる”ことに他なりませんから、謙虚になって自分の存在をどんどん小さくしていくことによって、“当たり前”だと思っていたことも大きな価値をもってくるのでしょう)

もうそうなったらシメたもので、『感動⇒感謝⇒感動⇒感謝⇒・・・・』のループに入ります。

これで日常生活を満喫できる体質の出来上がりです



僕は最初は小林正観さんっていう方の本を読んで、「ありがとうって唱えてるといいことあるよ」って書いてあったんで、何気なく“感謝”を始めたんです。

最初はほんとに何も考えずに、ただ空に向かって「ありがとう。」って言ってるだけでした。

でもほんと不思議なもんで、「ありがとう。」って言い続けてたら、自然と目に入ったものに感謝するようになってきて・・・

例えば、「木さん、ありがとう。」とか「歩けてありがとう。」とか「パソコンありがとう。」とか「コップありがとう。」とか・・笑

そして次第に気持ちもこもるようになってきて、今ではかなり自然にいろんなものに感謝できるようになってきたかなぁと思っています

この間(何も考えず「ありがとう」を言い始めたときから、自然に感謝できるようになるまで)たった3日くらい



日常生活に満足するためには、

『先に“感謝”すればいい』



いつもうさんくさい話を読んでいただいてありがとうございます

2009の超どでかい気づき

2010年01月03日(日) 8時04分
どもども〜!

2009年は大学院を卒業したり、出会いの旅をしたり、介護の仕事を始めたり、いろんな人たちと遊んだり…と、ほんとにいろんな経験をさせてもらいました。

そんな中で気づいたこと…

それは、

『人生は遊び』

だということです。


“遊び”というと、ちょっと語弊があるかもしれませんが、僕は(現時点では)ほんとに『みんな、人生(地球生活)を満喫するために生きている』と思っています。(“生きている”というより“生かされている”と言ったほうがいいかもしれません)


で、人生を満喫するためには2つの生き方があると思うんです。

1つ目は、「目標を設定し、それを達成していく生き方」です。「夢を追う生き方」と言ってもいいかもしれません。

目標や夢を達成できたときの満喫感はたまらないと思います。

でも僕はこの生き方はかなり“ハイリスク”な生き方だと思っています。

「落ちこぼれ」や「ひきこもり」という類の言葉が出てくるのは、“この生き方が唯一の正しい道”という暗黙の通念があるからではないでしょうか。


何を隠そう、僕もずっとこの生き方をしてきました。でも最近なんだかこの生き方に違和感を感じ始めました。本当に、人生を満喫するためには何かを達成しなければならないのでしょうか?



そうこう悩んでいるうちに、別の満喫できる生き方を発見しました。

それが2つ目の「何も求めず、日々の生活に満足する生き方」です。「全てを受け入れる生き方」とも言えます。

毎日ご飯を食べれるってすごくね?

ふとんがあるってすごくね?

トイレがあるってすごくね?

電車に乗れるってすごくね?

歩けるってすごくね?

抱き合えるってすごくね?

話せるってすごくね?

笑えるってすごくね?

こういった日常に満足していくことによって、それだけで人生を満喫できてしまうんです。

僕は最近ようやくこの生き方ができるようになってきましたが、この生き方はほんと“ノーリスク”ですし、毎瞬毎瞬満足しますので、いつ死んでもいいやって思っちゃいます(笑)


冗談はさておき…、この生き方は「今起きている現実を全て受け入れ、感謝し、感動する」というスタイルですので、こちらから何かを“求める”ということがなくなります。

“求める”ことをしなくなると、そこに向かう“道”がなくなります。

“道”がなくなると、そこから“はみ出す”という概念がなくなります。

“はみ出す”という概念がなくなるということは、つまり「落ちこぼれ」等の概念もなくなるということです。

みんな、“生きてるだけで価値がある”と言えるようになります。
息を吸えるだけで、ご飯を食べれるだけで、寝れるだけで、生きてる価値があるんだって言えるようになります。



「夢」や「目標」ってのは、はっきり言ってぜいたく品です。

食べていくだけで精一杯だった時代に、果たして「夢」や「目標」という概念があったでしょうか?

物が豊かになって、食べれるのが当たり前になってきて初めて「夢」や「目標」という言葉が出てきたんじゃないでしょうか?

つまり、人生において、「夢」や「目標」ってのは“オプション”なんです。別になくたっていいんです。


そのことに気づけたことは、僕にとって本当にどでかいことでした。



長くなってしまいました。すみませんm(__)m

まだ書きたいことがあるのですが、次回に回します。

次回は「日々の生活に満足するためのテクニック」について書きたいと思います。

もしよければ続きも読んでいただけるとうれしいですm(__)m


ここまで読んでくれてありがとうございまーす(^O^)

夢を叶えるってのは、100g1万円のステーキを食べるようなものっていう話

2009年12月21日(月) 15時49分
この前ふらふらと歩いてるときにふと思ったことがあんねん。

「夢を叶えるってのは、100g1万円のステーキを食べるようなもんやな。」

って。


そりゃー100g1万円のステーキを食べれたらおいしいよ。
うまくてうまくて仕方がないと思う。
想像しただけでよだれ垂れ流しや


だから幸運にもそのステーキを食べれた大人たちはこう言うわけ。

「おまえらもこのステーキを食べるために頑張れよ!つらいときもあるかもしれない。でもあきらめなければ、いつかきっと食べれるから!」

って。

まるでそれが人生の醍醐味かのように。

そのステーキを食べなかったら生きてる意味はないと言わんばかりの勢いで。



わしもそのステーキ、食べれるんなら食べてーよ。
これまでずっと、そのステーキを食べるために頑張ってきたさ。
そのステーキの味を想像しながら。無我夢中で。


でも、食べれへんことが多かった。
たまに食べれたこともあったけど。

食べれたり食べれんかったり・・・何回も繰り返すうちに思ったことがあんねん。

「ほんまに100g1万円のステーキを食べることだけが人生の醍醐味なんやろか?」

って。

「そのステーキを追い求めることによって、見逃してるものがたくさんあるんじゃないか。」

って。


“人生は遊び”。
これおれの持論。
やりたいことはなんでもやったらええと思う。
夢を叶えたいと思うんなら、頑張ったらええと思う。


でもさ、夢の価値が強調されすぎてて、“夢に殺されてる”人がたくさんいるのも事実。
多くの人が、ステーキが食べられないことに苦しんだり、別にステーキを食べたくないだけのに「君、夢ないの?かわいそうに」とか言われてなんだかへこんでしまったりしてると思う。



別に、そのステーキを食べることだけが、夢を叶えることだけが人生じゃないと思う。

確かに100g1万円のステーキを食べれたときの喜びは尋常じゃないと思うけど、
それだけが人生の楽しみじゃないと思う。


おれは、100g1万円のステーキを食べるために毎日頑張るより、毎日のみそ汁に感謝し感動する生き方をしていきたいと思う。


おれはステーキを追い求めるあまり、いろんなものを見落としてきたな。

毎日、食べる、寝る、笑う、遊ぶ、セックスする、テレビを見る、パソコンをする、話す、抱き合う、ぼーっとする、ゲームをする、考える、スポーツする、本を読む、叫ぶ、怒られる、歩く、走る、ちちくりあう、・・・・

すべて肉体をもってないとできない、すんごいことじゃあないか


夢のばっきゃろう

てめぇのせいで、毎日の喜びを見落としてたぜ


おれたちは夢を叶えるために生きてるんじゃなくて、
毎日の一瞬一瞬に喜びを感じるために生きてるんだって、誰かが言ってたぜ


またステーキが食べたくなったときにはお世話になるけど、とりあえずバイバイ、夢

2009年12月21日(月) 13時58分
ついこないだ、

「どんな状況や環境であっても、幸せは自分次第で感じることができる」

っていうような内容の記事を書いたんやけど、
その日の晩にこんな夢をみてん。



マクドみたいなところで飯を食ってたら、隣に高校生くらいの女の子とアフリカ人の男の子のカップルが入ってきてん。

どうやらアフリカ人の男の子は右腕を骨折してるようで、ギブスをつけてたわ。
彼女も右腕をケガしてたみたいで、包帯を巻いてたわ。

店に入ってきて2人はしばらくじゃれ合っててんけど、いきなり彼氏が

「お前も腕折っちゃおうか」

って言い出してん。

彼女は「は?」っていう表情で

「あほちゃうん笑 いややし。」

的なことを言って相手にしてなかったんやけど、彼氏は

「ええやんええやん。」

って言って、ほんまに彼女の包帯が巻いてある右腕を掴んで彼女の腕を曲がらない方向に曲げ出してん。

彼女は激痛のあまり泣き叫び出した。
もうほんまに苦しそうな表情やった。

おれは止めに入ろうと思ったんやけど、なぜか足が動かんかった。

彼氏はそのまま彼女の腕を曲がらない方向に曲げ続けて、ついにほんまに折ってしまった。

そのときの彼女の表情は、絶望のかたまりというかなんというか・・・。
ほんまに見てられんくらいかわいそうやった。


そんときに“夢”がおれに質問したんや。

「お前はこの子が本当に幸せだと思うか?」

って。

おれの答えはもちろん

「NO」

やった。


おれは前の記事で

「どんな状況や環境であっても、幸せは自分次第で感じることができる」

ってほざいたばっかりやったけど、この彼女は明らかに幸せじゃなかった。

なぜならそこにがなかったから。



で、気づいてん。

「どんな状況や環境であっても、幸せは自分次第で感じることができる」

っていうのは間違いやったなって。

幸せを感じるためにはが必要やなって。



それにしても、夢ってすげーなぁって思ったわ

こんな身近な例を使って愛の重要性を教えてくれたんやから

戦争中の人々の気持ちを想像しても、自分がそんな経験してないし、なかなか想像しきれんかったけど、この夢のおかげでなんとなくわかった気がしたわ


夢ってほんまに“記憶の整理”をしとるだけなんやろか?

わしは夢って“神(宇宙)からのメッセージ”なんちゃうかと思えてしかたがないわ

他にも夢から教えられたことはいっぱいあるしな



「今の夢は何を伝えたかったんやろう?」
って考えるとおもろいわ

三大欲求の秘密

2009年12月14日(月) 17時39分
昨日友達が作ってくれたご飯があまりにもおいしかったからあまりにも幸せで、そんときにふと思ったことがあるんやけど…


性欲、食欲、睡眠欲の三大欲求ってあるやん?

わしらはこの3つの活動をしていかんと生きていけへんわけやけども(性欲はなくても生きていけるかもしれんけど、次代が生きれんくなるよな笑)、なんで神はそんな風に設定したんかなぁと考えたら、多分やけど、神が生物に体験してほしい活動のトップ3やったんちゃうかなと思ったわけや


神「ちょ〜、まじで、セックスと食べることと寝ることは、まじで気持ちええから、生物ちゃんたちに体験させたげよでもどうやったらみんなが体験することができるかのぅ・・・。あ、そやこの3つの活動をせんかったら死んでまうってことにしよわれながらナイスアイディアじゃわいみんなせいぜい楽しんでおくれよ


セックスは置いとくとして、食べることと寝ることって当たり前のことすぎて、結構ないがしろにされとる気がするんやけど、ほんまはこの地球上でいっちゃん気持ちええ活動なんかもしれんな


食べたあとに・・

「ちょ〜しあわせ

爆睡したあとに・・

「ちょ〜きもちいい


そう思えるだけで、生きてる価値はあるのかもしれんな



それともうひとつ、人間には「孤独を避ける欲求」もあるわな

これも同じで・・


神「みんなとワイワイ仲良くすんのって、ちょ〜気持ちいいんよなぁ人間ちゃんにこの体験もさせたげたいなぁ・・・。よ〜し、孤独になったら気が狂っちゃう設定にしちゃおこれでみーんなが仲良くすることの楽しさを体験してくれたらわしゃ本望じゃ



セックス、食べること、寝ること、仲良くすること。

この神のお墨付き(わしの勝手な妄想やけど笑)のちょ〜気持ちいい活動を
「ちょ〜きもちいい」と思えることが大事なんかもしれんな

子どもはホールケーキ360度どこでも食べられる。大人は1切れ分。

2009年12月14日(月) 8時02分
子どもを見とったらほんまにいつも楽しそうで、この世界を満喫しとるなぁと思うのはおれだけ?(笑)


生まれたての子どもってのは、いろーんな味が入ったホールケーキをまるごと1個分360度どの味でも楽しめる状態なんやと思うねん。

でも大人になっていくにつれて、「この部分は食べちゃダメ」とか「この部分はあんたに向いてない」とか「この部分はおいしくないよ」とか言われることが多くなって、360度楽しめたはずのホールケーキが半分になり…4分の1になり…気づけば1切れ分しか楽しめなくなってもてる…。


実は大人になるってのは、「可能性を狭めていくこと」なんかもしれんなぁ。

実は教育ってのは、「可能性を狭めていくこと」なんかもしれんなぁ。


でももしほんまにそうやとしたら、いややなぁ(笑)


教育はないほうがええかもしれんなぁ。


子どもは大人にせんほうがええかもしれんなぁ。


常に360度楽しめる状態でいたいなぁ。




無理か(笑)
プロフィール
  • ニックネーム:おみつ
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小中高大と野球に打ち込む。
大学4年の時に、オーストラリアヒッチハイク一周の旅をする。
教員を目指していた為、大学院の時に「教育」について本気で考えるようになり、それが拡がり「人生」を追求し始める。
大学院卒業後、自転車日本一周出会いの旅に出る。結局兵庫から北海道まで行って終了。
その後、精神科病棟で介護職、換気扇フィルターの訪問販売、商業施設の管理人を経験し、現在は児童養護施設で児童指導員として働く。
1児(はじめちゃん)の父。
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