あなたのゴールデンコースはどんなん?

January 13 [Fri], 2012, 22:42
花の金曜日。夜10時すぎ。

これから誰かを食事に誘うわけにもいかないし、
唯一この時間から飲んでくれるかもしれないニュー姐には、
「お金がないから、給料日までもう飲まない。
でも、私は意思が弱いから、誘わないでほしい」
と宣言したばかりで、連絡できない。

もてあまし気味のハングリーボディ。

しかし。

私にはゴールデンコース、という選択肢がある。

もちろんゴールデンコースだから、
月1くらいしかやらないけど、
これをすると確実にハッピーになる、
という鉄板コースだ。

場所は目白。

まず体が壊れるほど強くもんでくれる
目白の整体院に1時間後の予約を入れる。

整体院の三軒くらい前のブックオフの文庫100円
コーナーで、エッセイや軽めの小説を選ぶ。

整体院の三軒くらい向こうのラーメン屋日高屋で、
ウーロンハイと餃子、ぴりからラーメンを注文。
食べながら、心行くまで文庫を楽しむ。

そして、ほろ酔いになったところで、整体にイン!

ああ、幸せ!

この日も同じコースをたどろうと、
ブックオフのレジに並ぶ。

すると私の前に並んでいたのが
ベートーベンだった。

彼はたまに朝バスで一緒になる
ベートーベン頭にトレンチコートを着込んだ、
青いヒゲが見えなかったら、
おばさんに見えちゃう、
うつむき加減のおじさんだ。

日本女子大で降りるので、教授かなにかなんだろう。

そのベートベンがうれしそうに、
本やDVDを買っている。
ぷんとお酒の匂いがする。

きっとどっかで一人いっぱいひっかけて、
ブックオフで本を物色し、
またどっかで飲むか、帰ってねるかが、
ベートーベンのゴールデンコースなんだろう。

わかる、わかるよ。
その地味だけど、一人静かに浮かれている感じ。

誰でも、その人なりのゴールデンコースってあるんじゃないかな。

女一人日高屋で飲む、といったら、
既婚者の友達に気の毒そうな顔をされたけど、
いやいや、楽しいものですよ、意外と。

ばりばり働けるのは、
ゴールデンコースがあるからこそです♡


ちなみに、日高屋はお持ち帰り冷凍餃子があって、
それもおいしいの!しかも2人前240円!

ああ、いつか20人前(つっても2400円)くらい買って、
机の上で焼きながら片っ端から食べていく、
餃子パーティがやりたいなあ。

ぷんすかの持続力がなさすぎる。

January 12 [Thu], 2012, 0:27
仕事上である人に軽く信頼を裏切られ、
ひさしぶりに一人静かにぶちぎれる。

文句言おうと思ったけど、
あまりにも自分がぶちぎれているのがわかったのと、
大人なボスとゴルゴに「冷静になるように」言い含められたので、
週明けに「要望だけ」を言うことにする。


が!
しかし!


翌日朝起きたら、
怒りがすっかり消えてしまった。

もうめんどくさい。
文句も言いたくない。
それより、もう話したくない。

怒りの持続力が弱い。弱すぎ。

その人とは、もともと仕事に対する考え方も違ってるっぽいし、
そんなにからまない人なので、
このまま黙って、もうその人に大事な情報は流さない、
というのもありだなーと思う、めんどくさがりやの私だ。

文句を言うって、ある意味、愛情表現なのだなーと思う。
思い入れのない人には、文句を言う気もおきないもの。

とかいって、ディスコミュニケーションになるのが、
仕事上もっともヤバいので、やっぱ言うか。

めんどくさいなあ。

波風を立てずに立てずに、
そおっとそおっと、
誰の邪魔にもならずに、
かたすみで生きていきたい。





姫はじめ〜シーズ

January 11 [Wed], 2012, 10:04
夜10時30分。

「もしもし、ニュー姐、今シーズ?」
「シーズだよ」
「わ。私も行くから、ご飯とっといてって、いって!」
「私もいまきたとこだから、大丈夫」

そんなシーズの閉店時間は夜10時。

今日はなっちゃん(フランスで修行してきた料理人)DAY。

シラコのフリッタータ、アンキモ、はまぐりのおいしい何か、
魚介のマリネ、しゃれたものがどんどん出てくる。

もちろんおかあさんの味、
煮込み、おひたし、煮豆、おしんこも。

サーモンのパテがあんまりにもあんまりにもおいしい。
おいしいものはエクスタシーをくれる。

うっとり目を閉じて食べていたら、ニュー姐さん。

「やべ。おたかのアクメ顔みちゃった」
「うふふふ。姫はじめ、姫はじめ」

というわけで、無事にはじめさせていただきました☆

ぼんきちくんもきてて、わっと盛り上がりましたよ。

でも、外に出たら、極寒!

冬きたりなば、春遠からじ。

見失いがちなこと。

January 10 [Tue], 2012, 19:38
凹んでいるときに、
ガールフレンズのやさしい言葉がありがたい。

なるべく感謝の気持ちを上手に伝えたいと思うけど、
照れちゃっていえなかったり、改まっていえなかったり。
自分の心に余裕がなくて、気づかなかったり。

死ぬ前に「あーん、感謝したりない!」と悶々と
するんじゃないかと思って、ちょっと不安。

いや、きっと悶々とするんだろうな。

たとえば明日、私が突然死んじゃったとしたら
(自分で死ぬ気はさらさらない。長生き希望)、
「ミトモさんは、きっとうんとうんと感謝してるんだろうな」
と思ってください。お友達たちよ。

それにしても、日頃、

「締切に間に合った」とか、
「企画が通った」とか、
「いい音源がとれた」とか、

ついつい結果にフォーカスしがちだけど、

死ぬ前になって、人生を俯瞰してみると、

「やさしい言葉をかけられたとき、ちゃんと受け取れた」とか、
「くじけそうなとき、周りの人に励ましてもらった」とか、
「自分の気持ちをちゃんと相手に伝えられた」とか、

そのプロセスのほうを思い出すんだろうな。


to do(何をしたか)ではなく、
to be(どうであったか)のほうを、
懐かしく思い出すような、そんな気がする。

to do(何をするか、何をしたいか)は、
to be(どうありたいか)を磨く、
ツールに過ぎないとまで思う。

凹んだときの対処法

January 09 [Mon], 2012, 11:45
まったくもって私のミステイクで、
各方面にご迷惑をかけてしまって、
凹みまくる。

話を聞いてくれた、
ガールフレンドのみなさんありがとう。

まったくもって私のミステイクなので、
終日どんより。

ただ、ここで間違ってはいけないのは、
このままだと負の連鎖が起きてしまうこと。

新人時代、よくあった。

ミステイクをする

どうしよう、私はダメ人間だ、
みたいなことで頭がいっぱい

思考力が弱まる

またミステイクをする

凹むのはしょうがないけど、
凹み続けていると、
ミスの連鎖が起こってしまうのだ。

とにかく、反省と自尊心への攻撃を
分けて考えなくてはならない。

反省することは反省し、
だからといって、自分を攻撃しすぎない。

反省したら、対処を考える。

ウインウインはどこか。

まあ、そうはいっても、人の心はすぐに復活しない。

仕事で取材した心療内科医の先生がいってたっけ。

「脳はタンパク質でできてるんだから、
凹んだら、肉を食べていっぱい寝ればいいのよ」

肉、という気分じゃなかったので、
控えていたぐるぐる寿司に行って、
えんがわとビントロをしこたま食べる。

グラスビールでいい気分。

鶴野先生の会

January 08 [Sun], 2012, 11:37
ジャズピアニストの鶴野先生の発表会的セッションに参加。

場所は鶴野さんち。
鶴野さんは今年音楽マンションに引っ越して、
そこには地下にグランドピアノのあるホールがあるのだ。
すごーい。

そこで、みんなで歌ったりピアノ弾いたり。
私は「すばらしい世界」を鶴野さんと。
36歳のともちゃんと「四十路へ」。

デイビットというアメリカ時代、歌の仕事をしていた人が
上手だったな。いい声。もう骨格が違うぞ、という声。

うれしかったのは、Cブルースでピアノソロを弾けたこと。
ピアノでソロをとるのは、長年の夢でした。
Cブルースしかできないけど。

そのあと、笑笑で呑み放題食べ放題。

素敵女子とガールズトークができて、
めちゃくちゃ楽しかったです☆


私にとって、宗教とは何か

January 07 [Sat], 2012, 9:28
前の文章の反応をここやツイッターや
フェイスブックでいただいて、
ああ、そうか、と思ったことがひとつ。

それは、私の使う「宗教」って言葉が、
みんなの使う「宗教」と微妙に違うんだな、ということ。

私は別に宗教に対して、
「あるものを妄信的に信じる」とか、
「あやしい団体に所属する」とか、
ネガティブな捉え方をしていないのです。

それどころか、誰だって「自分なりの宗教」をもっていて、
それがないと、人生がふにゃふにゃしちゃうと思ってる。

それは私の個人的なことが関係していると思うので、
勇気を出して書いてみます。

うちのマミーはある民間信仰みたいなもの、
(お金もとられないし、先祖を大切にするという無害なもの。
ちなみに選挙で有名な某宗教団体ではありませぬ)
を子どもの頃からやっていて、
それはマミーのグランマから三代続くものだから、
当然四代目の私も小学一年生くらいになると
所属させられるわけです。

月イチで、夜、近所のちょっと偉い人のところにいって、
正座してお経をよみ、ちょっと偉い人のお話を聞く。

まあ、それがつらいのなんの。
眠いわ、足が痛いわ、話はつまんないわ。
だから、私はとくに洗脳されずにいたわけです。

一方、ダディは無宗教。
高校教師の知性派なので、というよりマミーが怖いので、
マミーが信仰をすることを受け入れていたようです。

んで。

その頃、9歳上の問題児(ブラザー)が、
数々の問題を起こすわけです。
(もちろん犯罪的なことではないです。
青春の彷徨みたいなやつ)
問題児が問題を起こせば起こすほど、
信仰にすがるマミー。

今でも覚えている光景があります。
あれは小学1,2年のころ。

問題児がいろいろやらかし、マミーが仏壇の前で、
なんか錯乱していて、そのマミーの背中をダディが
悲しそうに見つめている光景。

そのダディの悲しそうなムード。

「宗教ってやなもんだな」
と子ども心に思ったものです。

そんなこんなで、

問題児やらかす→マミー仏壇で錯乱→ダディ悲しそう

というループが何度か続いたあと、
よっぽど心労がたたったのか、私が小3のとき、
ダディの心臓が突然止まってしまうわけです。

問題児はほとんど家にいなかったので、
遺されたのは宗教家と私。

数年後、私が自分の頭でものごとを考えられるようになると、
宗教戦争が勃発するわけです。
勃発っていっても、たまーに口げんかをするくらいですが。

「宗教なんて、くだらない!」
「悪口いうと、地獄に落ちるよ!」

みたいな。

んで、長い期間をかけて、いっぱい口げんかして、
気づいたわけです。

もしも、マミーに宗教がなかったら、と。

ダディが死んだとき、問題児がやらかしたとき、
生きていられなかったのではないか。

宗教がマミーの生命線だったのではないか。

宗教は他人からみるとくだらないかもしれないけど、
当人にとっては命綱みたいなものなんだ、と。

自分の考えと一緒じゃなくても、わかってもらえなくても、
マミーが幸せ健康で生きててくれればそれでいい。

そこで、「私はどうしても信じられないから、
信仰しないけど、マミーが信仰するのは認めるよ。
私も信仰の悪口言わないから、マミーも無理に、
信仰しろって言わないでね」という妥協案で、
一件落着したわけです。

ただ私にも先祖を大事にする習慣は残っていて、
実家では朝起きると、
仏壇に座ってお線香をあげるし、
(そうしないと、朝ごはんが出てこないからだけど)
しょっちゅうお墓参りも行くし、
ピンチになると短いお経をとなえる。

それはまったく抵抗がない。
むしろ気持ちいい。

私が宗教がらみで抵抗があるのは次の2つ。

1 みんなで同じものを信じる。

2 他の宗教を受け入れない。

1は単純に私の性癖の問題だからおいといて、
2は宗教が「悲しい問題」を引き起こす元凶だから。

たとえば、キリスト教を信仰してても、
「仏教もありだよね。私は信仰しないけど」
という視点があったら、
かなりいろいろ気持ちよくなる気がするし、
無駄な戦争も減ると思う。



そもそも、宗教っていい部分もいっぱいある。
人間がどう生き、どう死んでいくのかについて
日頃考えている人のほうが、人生の根が太い。

それに、何かを迷いなく信じるって、幸福なことだ。
私もちびの頃、あんなに足がしびれなかったら、
マミーと仲良く信仰してたかもしれなくて、
それはそれで幸せだったのかもしれない。

でも、ちょっとまてよ、と思うわけです。

宗教って、既存の宗教だけなんだろうか。

誰だって、それぞれ、
「自分の命綱みたいなもの」を
持ってるんじゃないかしら。

仕事を信じる人、家族を信じる人、
やさしさを信じる人、自立を信じる人、
国家を信じる人、世間を信じる人、
自由を信じる人、芸術を信じる人、
哲学を信じる人、感情を信じる人、
科学を信じる人、精神性を信じる人、
正論を信じる人、愛する人を信じる人。

すべて宗教なんじゃないかなと私は思うわけです。
みんなで信じるか、一人で信じるかの違いだけで。

だから、私が宗教という言葉を使うとき、それは、
既存の宗教を表すだけじゃなく、

「それぞれが信じている命綱みたいなもの」

というイメージで使っています。

その命綱を、他人は決して否定できない。

お互い同調できなくても、共感できなくても、
「その人が信じている」ということを尊重するしかない。

無理にすり合わせようとすると、引き裂かれる。

それが、マミーとの数年におよぶ口げんかの末に、
私が見つけたことなのです。


ただ、被曝の問題はそれでも家族間で無理にすり合わせ
なければならず、それが一番しんどいことだと思います。

愛する誰かと信じるものが違う、という悲しみ。
それを思うと、とても胸が痛いです。

被ばく問題と宗教問題は似ている

January 06 [Fri], 2012, 1:00
福島での、セシウム降下量の増大が話題になっている。

雨や雪の影響って説もあるし、
元旦の地震の影響で4号機の使用済み燃料プールが漏れている、という説もある。
昨晩のふくいちカメラは閃光や黒煙も見受けられたらしい。

というわけで、会社で騒いだり、マスクを配ったりしたけど、
ものの見事に失笑されてしまった。

おれっち、すっかり「痛いヒト」だ。

それでもかまわないけどね。

リスクがあるのを知ってて、
大事な人に言わないでいると、
自分が後悔するから、私は言う。

もちろん配ったマスクをその場で捨てられてもかまわない。
それはその人が決めることだ。

被ばくするかもしれないリスクと、
マスクするのがめんどくさいリスクを、
その人が選べばいいんだと思う。

ちょっと宗教に近いと思う。
被ばくリスクを信じるか、信じないか。

だって、正解はわからないんだもの。

被ばくは必ず病気になるわけじゃなくて、
病気になるリスクが増えるだけだ。

数年後にならないと、何が正しかったのかわからない。

宗教も、その宗教を信じてよかったのか悪かったのか、
死んでみないとわからない。

私のスタンス(宗教)は、
「ストレスにならない程度にリスク回避する」だ。
ボルヴィック飲んだり、
九州から野菜を取り寄せたり、
極力マスクをしたり。

かといって、外食もばりばりするし、
たまにはポットのお湯も飲んじゃう。

避難した人から見たら「甘い」と思うだろうし、
リスクがないと思う人は「バカみたい」だと思うだろう。

いいのだ。これが私の宗教だから。
私の中で、これがぎりぎりのライン。

だから、被ばくを避ける自由を認めてほしい。
私も(悲しい気持ちはあるけれど)被ばくをする自由を認めるから。

もちろん、0.5/hで強制移住だったベラルーシに比べ、
0.8/hの郡山で何の手も打たないのは、どうかと思う。
この前行って、呆然とした。

とか書くと、「煽るな」とか言われるかもしれないけれど、
これは単なる私の意見だ。宗教だ。弾圧するなと言いたい。

ネガティブ情報を怖がってはいけない。

移住できない人がかわいそうだ、という意見もある。
私も一瞬そう思ったけど、彼らの選択を尊重する、
と考えると別の見方もできると思う。

彼らは、移住のリスクと被ばくのリスクを天秤にかけて、
選んだのだ。自分の信じる道を。

もちろん情報が足りないとか、政府の情報操作もあるだろう。
そう思ったら、必死で自分の信じる情報を布教すればいい。
それを信じるか信じないかは、個人の自由だ。

「危険だ」「安全だ」いろんな意見があっていい。
その中から、個人がぎりぎりの線を選べばいいんだと思う。

自分の知性と情報収集力と人脈と直観で。
人生を、行動を、被ばく量を自分で決めればいいんだと思う。

もちろん家族のいる人は、
すりあわせなければいけないから、
それは大変だと思う。

私もかつて同じような体験をしたけど、
家族間の宗教戦争ほど、つらいものはない。

ちなみに、放射能はたばこと比べて安全だとかいう人もいるけれど、
私はたばこの副流煙だって、いやだかんね。

ただ、副流煙を吸うリスクと、会いたい人に会えないリスクを
天秤にかけて、副流煙を吸うと自分で決めたから許せるのだ。

これが会社とか自分で決めてない状況でたばこを吸われると、
いくらうちの会社が5時以降たばこOKルールであっても、
全力でぶちぎれる。上司にも。自分で決められないから。

将来、後悔しないためには、自分で決めるしかない。
被ばくするリスク、移住するリスク、めんどくさく思うリスク、
さまざまなリスクを天秤にかけて、自分で決めるしかない。

もちろん、だからといって病気になったら、
東電に政府に正力松太郎に中曽根康弘にマスコミに、
原子力ムラで甘い蜜をすったすべての人に
全力でぶちぎれるけどね。

(今も十分ぶちぎれてるけど。
きれいな空気を水を故郷を返せ!
恥を知れ!原発止めろ!)

自分で選択したとしても、被害は被害だから。

国家や政府が信じられない今、
自分で選択し、
お互いの選択を尊重する、
ということでしか、
他者とつながれないような気がする。

でもやっぱり、ここぞというときはマスクは配るよ。
自分のために。

捨てられても、バカにされても、いいよ。
押し付けないから、選んでよ。


しごとはじめ

January 05 [Thu], 2012, 14:08
しごとはじめ。
朝礼があったり、業者さんが挨拶したり。
おめでとうと頭を下げまくる。

今年から、頭の中に「バカアプリ」を搭載することにする。

バカアプリー(大山のぶ代で)!

これは、どんなに難しい言葉も、
バカみたいな言葉に置き換えられる画期的なメカなのだ。

このアプリを使ってみるとわかる。
難しい言葉で話している人は意外とたいしたこと言ってなくて
やさしい言葉の中に、真実があったりすることがわかる。

それはまともかく、新年早々きりきり舞いだ。
このグルーヴに飲まれ過ぎないようにしなければと思いつつ、
なかなかムードをコントロールできない。

仲屋さんに新年のご挨拶2回目。
スプリングちゃんとさくっと。

スプリングちゃんと、きゃっきゃきゃっきゃ言いながら酔っぱらう。
20代の子と飲むと、私までヤングになった気がして楽しい。

ダムタイプ古橋さんインタビュー〜本棚の整理

January 04 [Wed], 2012, 18:25
ひさしぶりにダムタイプの古橋さんのインタビューを読み返す。
なんかこのインタビューを読むと、はっとする。
使っている言葉がクレバーで美しい。

80年代演劇の構図(難解なものを提示し、
評論家が解釈し、価値を高めていくような構図)
に対するコメント。

「解釈の作業が表現者の仕事になっちゃう。
そこから生まれるものは多くの場合『歴史への悪戯』
にしかならない。あるいは、解釈にオリジナリティを
求めた結果『オカルト』になっちゃうとか」

ね!素敵でしょ?

高校時代、演劇は芸術かエンタメか、みたいなことで、
先輩と激論を戦わせていたけれど、
こんなクレバーな先輩がひとりいたら楽しかったのに。

「S/N」という作品には、圧倒されるような完璧なシーンと
ちょっとくだけたおしゃべりシーンがあって、その解説。

「アートの現場では直接話されなかったこと、話しようが
なかったこと、例えば本当に心が通じ合える友人と
電話でひそひそしゃべっていることとか、独り言とかを
いわゆるアーティストと観客という安定した関係の中に
ぽーんとほおりこんでみたかったんです。
アーティストはどこまで自由かってことを確認したかった」



ゲイ作品に感動するPC族(差別偏見のない表現を推奨する人)
に対する切り込みもするどい。

「(『フィアデルフィア』などのゲイ問題を扱った作品は)
PC族にも受け入れられやすい。なぜかというと悲劇という
記号の中におさめることが簡単だから。
もちろん最後は曇りのない感動で終わるんだけど、
結局悲劇の渦中にある人は死ぬ。
死をもって救済され、人々に感動を与える。

ゲイでエイズなんだけど死ぬことで許してやろうみたいな
構図ができていて、そこに感動する自分を見出して、
自分の人間性もまだまだ捨てたもんじゃないなと
感じ入ったりして。

これはとっても意地悪な見解かもしれないけど、でもね、
当事者たちにとって悲劇の記号にされることほど
恐ろしいことはない。
自分の人生は人を泣かせるためにあるのかってね」



3.11以降、注目を集めたのは、
アクティビスト(活動家)の存在だろう。

デモをしきったり、街頭でアジったり、
経産省前で座り込んだり、ハンストしたり。

もちろん、志に基づく表現は、
どんな表現であれ尊いものだと思うけれど、
広くコミュニケートするという目的を考えると、
たとえば、Frying Dutchman のHuman ERROR
みたいな、アーティストによる表現のほうが、
届きやすかったのではと思う。

古橋さんのインタビューの最後は、
こんな言葉で閉じられる。

「これからはアーティストとアクティビストが歩み寄る
ことが僕は大切やと思ってる。重なった部分にいる
人が増えると世の中もっと変わっていくような気がする。
お互いバカにし合うんじゃなくてせめて尊敬し合うとかね」




プロフィール
  • ニックネーム:ミトモタカコ
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ソウル好きのボーカル。オリジナルを歌います。ライブもします。セッションにも行きます。本の編集やライターもしてます。江古田在住。ダニーハサウェイとやっぱり猫が好き。

2011年5月、京都の潤さんちでアンプラグド録音。 ちいさな声で 知りたいこと、それは すばらしい世界 四十路へ
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