醜さを曝してまで生きていきたくない

May 15 [Tue], 2012, 22:26
まだ5月だというのに、虫にさされてしまった。
腕が腫れてとても醜い、そして痛い。
色がやたら白くて肉だけは付いていて、わたしの腕はもともと醜いのに。
ああ、なんてことだ。

車のタイヤに引き伸ばされた蛙の死体が、ゴロゴロとトラップのように道端に広がっている。
自分の所有する土地で、菜の花なんかをわざわざ育てていたりする人間が多い。
蛙に対してそこまで嫌悪感は抱かない。
ハーブの栽培も始めた。
生き物や植物は、そもそも嫌いではない。ただ、田舎の生態系が嫌いだ。

「水がきれいでなければ、蚋はいないよ。」と言う彼の発言に腹が立った。
こんな醜い腕で、そんなポジティブシンキングは出来ない。
この辺りの水がどうだとか、そんなことはどうでもいいよ、腕が痛いよ。

手が荒れたり、爪が割れたり、髪が痛んだり、ただでさえ女として終わっていく日々なのに。
都会にいれば、さまざまな比較対象に挙げてしまい、醜さ加減に嫌気がさすだろう。
田舎にいれば、それがないために甘んじて、更に醜くなっていくのだろう。
老いることが怖い。
老人だらけの地で、若者扱いをされてしまうことが、もっと怖い。
そして、自分に甘くなってしまう瞬間が、とてつもなく怖い。



気が狂うならば三月のうさぎのように

February 10 [Fri], 2012, 21:49
愛犬の散歩に出ようと思って階下に降りたら、母が居なかった。
放置していた携帯も見当たらなかった。
ふと、母がロックを解除するためにドコモショップに持って行って、
彼とのメールを盗み見ているのではないか、という考えが浮かんだ。
リードにつないだ愛犬と2つ目の角を曲がるまで、この考えはわたしを支配した。
帰ってきてみたら携帯はこたつのカバーの下敷きになってそこにあって、
でもその頃にはそんなのどうでもよくなっていた。
誰に見られたって構わない、別に疚しいことをしているわけではないのだし。と
でもそんな覗き趣味の母親だとしたら、血が繋がっているってどうなのよ。の鬩ぎ合い。
論点がずれる。
あるはずのものがないというだけで、こんなにもわたしは自分を被害者に仕立て上げたくなる。
そして数十分後にはどうでもよくなる。
ずれて、ずれて、一周して戻って来る前に、それは新たな妄想を呼ぶ。
こんなことを繰り返している内に24時間が過ぎ、一週間が過ぎる。

下らない一週間にメリハリをつけるために、家族をネタにしている。
もっともわたしの「顔の見える人間関係」とやらは、家族か彼かとのみによって構成されている。
父がわたしを女として見ているという妄想の元に行動して、恐怖と現実の狭間に身を置いてみた。
目の前で酔っ払っているおやじも現実だし、15年前までわたしを虐げていたおやじも現実だ。
瞬間、現実と妄想の境目がわからなくなる。
「女のくせに」って言うネガティブワードは、わたしを女として見ているから吐き出されているのか。
それならそれで、飲み屋のねーちゃんになってやればいいのだけれど、
実家に帰ってきてまでお仕事モードにはなりたくはないし。
でもそれは、後々の自分を護ることにはなるのだろう。
ああ、だったらやっておくべきか。
所詮父の理想は歓楽街の飲み屋のママだということなんて、重々承知している。

妄想の世界にきちんと自分を設置して、その異物感を愉しむ。
引っ掻かれるとわかっていて猫をじゃらすのと、高さを知っていて揺れる吊り橋を渡るのと、
臭いとわかっていて生ゴミの匂いを嗅ぐのと、わたしにとって何ら変わりはない。
誰にでもある、巨大なものや密集したものに対して感じる、恐怖にも似た興味、とでも言おうか。
深みにはまったらアリスになってしまいそうなのだけれど、ワンダーランドなら行ってみたい。

悲しみに対しての中立的立場って、要は冷めているだけなのか。

December 15 [Thu], 2011, 0:27
死をもってその人間の本質を知りえるということを、理解している真っ只中であります。
今のわたしの生きている日常のあらゆる断片には、祖父の偉大さが刻まれている気がしてならない。

また一人、わたしをひとりの人間として扱ってくれる人間が、いなくなってしまった。
成人した頃から、人との別れは、「また明日」という挨拶で済むものでもなくなってきていて、
ごく身近なところでもそれは起こっていて、決してわたしを放っておいてはくれない。


「孫」という立ち位置を死守したとき、いやがうえにも、自分が社会の仕組みに包括されていることを知った。

ここ数日関わってきた人間たち。病院、役所、銀行、葬儀屋、親戚。
無理矢理にでも関わらなければならない人間というものは、現実にはたくさん存在していて、
個々の慣習や規則のもとに、わたしという個人に接してくる。
わたしはそれぞれの分野で素人で知恵もないから、教えを請うのは当然で、
しかしそれにつけこまれてはいけないのだとは思っていた。
ただ毅然と、誠意だけは持って、常に「善きに計らって」いたかった。
所詮金だという奴も、ビジネスライクが過ぎる奴もいた。
妙に笑顔だったり妙に涙目だったりする奴を見れば、本心なのか偽善なのかと疑心暗鬼になった。
「心ある医療」なんて現実とは程遠い理想で、「よくわかる年金」なんて欺瞞的な空想でしかない。
奴らはわたしをゴミくずを見るような目で見てきたけれど、わたしは奴らこそゴミくずだと思った。


無駄に「心」なんて込める必要はない。
ごくありふれた「普通」でいい。
どうか普通に接してはくれないだろうか、と何回念じただろう。
人間を喪失した人間は、ただただ悲しいのみであって、その悲しみに質量や質感はない。
死やそれによって起こる悲しみは、言葉にしたところで特別性を生まない。
自己陶酔的な、悲劇のヒロイン的な、そんな痛々しい発言はしない。
「ご愁傷様です」という台詞に返すべき言葉も持ち合わせてはいない。
弔問に来てくれたことに感謝するような心持ちで、どうにかこうにか接するのみだった。


祖父が守り抜いてきた庭にチェーンソーを持ち込む伯母は嫌い。
ここぞとばかりに威張り出す父も嫌い。
「本宅」とか「初孫」とか「長女」とかを引き合いに出して、結局「頼むね」で帰っていくみんなが嫌い。
いいところもあるはずなのに、汚いところにばかり目が行ってしまう自分も嫌い。


悲しい心はどうしても、負の因子ばかりを吸い込んでしまう。




マーシャルの匂いで飛んでみたい。

October 31 [Mon], 2011, 23:17
ディズニーランドには興味がありません。
基本的に何処にいようとも夢を見ることが出来ない人間なので、
周りがキラキラし過ぎていると温度差にやられて早く帰りたくなります。

カラオケでは大学生のとき流行ってた歌っておけばいいと思ってます。
好きなタイプは佐々木希と北川景子、でも話したことがないから、芸能人では例えられません。
休日にはフットサルチームで汗を流してます。
女の子のプレゼントにはくまのぬいぐるみをあげておけばいいですよね?、みたいな。
正直きっつーいよね。でも何か面白いよね。で、ちょっと可愛いよね。

広田レオナと吉高由里子が好きとか言われたら、毎日3キロ走ってでもすげー女磨く気になるし、
BGMをせめてものNe-Yoくらいにしておいてくれたら、鳥肌も立たなかったんだけど、
何ていうか、まっすぐっていうか、汚れてないんだろうなっていう感じ。
太っていても優しい人を「生理的に無理!」って言えない、何だか憎めない感じと似ている。

安定の地方公務員クオリティをここぞとばかりに発揮してくれいているから、
パパもママも気に入ってはいるみたいだけれど、そんなに公至上主義にならなくてもいいんじゃね?
社員50人くらいだけど一応社長やってる男も面白いし、しかるべき所から音源をリリースしてる男もカッコイイよ。
そんなにわたしの元彼否定しなくてもよくね?そんなにキザったい生き物じゃないし。まだ繋がってるし。
テンプレ通りに女を扱う男は、人間としては善いとは思うけど、男としては別に、なんだよ。
セックスしたい男と、結婚したい男と、恋愛したい男、とは別だと思うんです。

このまま長いものに巻かれたら、と仮定する。当然結婚して子供を設けるだろう。
ってことは、黄色いナンバーの車運転して、馬鹿でかいショッピングセンターとか行って、
ミッキーのプリントされた徳用おむつとか買うようになっちゃうのかな。
中途半端な茶髪で、妙ちくりんな英字や外人女性のプリントされたロンT着て、
クロックスのパチモンとか履いちゃうようになるのかな。
ただでさえきもいのに、自分がそうなったら相当きもいな。
っていうか、社会の体制に疑問を感じている人間が子供なんて産むもんじゃあないんだよ。
子供っていうのは、そういうことやっても爽やかに健やかに生きていける人間が産むもんなんだよ。
露骨に子供なんて育てにくい世の中で、生きにくいなーってまともに思ってる人間が子供産んじゃだめね。
っていうことで、結婚とか出産とか、まだわたし無理。

そもそも、あれだせーとか、これきもいとか、感覚でぎゃあぎゃあ思ってるわたしなんて、
無価値で無意味なんだから、発する言葉はもっと無価値で無意味なので、許してね。
昭和気質なおじいさんと病んだママと自分が一番だと思っているパパの、「飯炊き女」でしかないわたし。
最近の口癖は専ら、「不毛だ!」

メール嫌いになったわけ

October 23 [Sun], 2011, 22:51
「うわ、無理。」と思うとき、それは感覚的に単に嫌なのであって、
根底にある事実やそれを歪曲したものまでをきちんと調べずに、
つまり、何がどうして嫌なのかを明言するには値しないのにもかかわらず、そう言っているわたしである。
しかし、考えすぎたあまり微塵も動けなくなるということも常日頃あるのであって、
その辺りはエゴイストな人間の典型的な思想としてまとめてもらって構わないのであるが、
臆病故に引きこもりに成り下がった女としては、決して捉えないでいて欲しい(という、これも我が儘)。

五感の内一つでもほんの少し澄ませれば、不可思議であるとしか思えない事象が溢れている。
むしろ、そういうことしか存在していないような感もある。
それは、もうじきこの世を100年生き抜こうとしている超高齢者にとっても明瞭なことで、
「可笑しい!」などと言われても、歪曲された精神故の発言としてしか受け取れない。

理解は出来ない、賛同も出来ない。
行きたくない所には行きたくないし、食べたくないものは食べたくない。



押し付けがましい「〇〇が好き」とか「〇〇だったよ」って言い切りの形って、一体何なのだ?
好きなら好きでいいんじゃね?としか思わない、対応に困る。
検索してみて、とか、行ってみよう、とか。何でそんな簡単に言えるのだ?
つくづくメールって自己中心的な通信手段だと思う。
「そうなんだね」としか反応出来ないのは、どうにか円滑に運ぼうとしている結果であり、賛同しているからではない。


あ、まあ、どうでもいいか。




正しい結婚生活を送るのはよい。しかしそれより更によいのは結婚しないことだ。

September 22 [Thu], 2011, 22:59
懐かしの池袋に行ってきた。
目的の8割方はN氏と話すため。
可愛い秋物なんかもちょこっと買えたらいいな、くらいのほんの些細な心持ちで強行。

N氏というのは、大学生のときからのちょっとしたお知り合い。
感性や価値観は似ているとは思っていたけれど、当時の彼の目は金の猛者のようで怖かったから、
あまり深く関わることはご遠慮しておいた人物。
今となっては「青年実業家」なんていうカテゴライズになるのか。
その頃、N氏の幼馴染であったK氏にわたしは心底夢中だった。
それが本当にひょんなことから、今となってはわたしの良き理解者(勝手に思っているだけ)となってくれた。
生きる価値のないようなこの世界で、同じ空の下に生きてくれている、大変貴重な人物だ。

深夜、N氏の経営するバーで飲んでいたら、なんとK氏がやって来た。
彼もまた先日新たな業態に着手したようで、周囲から「社長」と小突かれている姿は、
立派で華やかで、とてもカッコよかった。
しかしわたしも同じように4歳老けたのだから、掛ける言葉の方程式は憧れ<現状となり、
咀嚼なんてしないと思っていた彼に、大変所帯染みた質問ばかり投げかけていた。
昔夢中になった男の人が、4年の歳月を経てそれでもなおカッコよかったとき、
再び恋に落ちるなんていうのは、ただのトレンディな妄想に過ぎない。

歴史、アイデンティティ、、音楽、文豪…彼らとの話題には、
日常遣いたくても遣えない言い回しを遣っても許される節が多々あって、
女だからと妥協しないで男と張り合って発言できる自分、という感覚を味わうことができる。
それがわたしの女としての悦びであり、わたしにとっての女としての弱さを知る術でもある。

手なんて繋いだことがなくても分かり合える男の、なんと愛しいことか。
親や子孫のことを考えての結婚なんてするくらいなら、一人で好き勝手生きて死んだほうが、何億倍も幸せだ。
本気でそう考えながら、この田舎に帰ってきた。

きっと来月からは、諸々の「婚活」といわれる行事が待ち受けている。
わたしはN氏やK氏と恋をしたいわけでもないし、結婚したいわけでもない。
ただ、彼らのように「愛しい」という感覚を感じられる男は、早々簡単に見つかるわけはないとは思っている。
そういうわけで、「愛しいと思えないから」という理由で、
もともとぐちゃぐちゃな親戚関係を更に滅茶苦茶に引っ掻き回してやろうと企てている。
わたしは生まれながらの性悪女だから、それで誰が泣こうともまったく関係ないのである。



嘔吐と加齢の狭間で

September 03 [Sat], 2011, 21:56
人間関係とは、そもそもそんなに簡単に構築できるものではないと思っている。
なにゆえ初対面の人間に、自分の夢やら友人の人数やらについて語らなくてはならぬのか。
そしてそれに伴い、何故に合否の判定を受けねばならぬのか、わたしにとってまったくの謎である。
そのようにして雇用が成り立つのであるのならば、誠にこの国の仕組みが不可解なのである。

東京の、所謂ベンチャー企業に入るときですら、そんな野暮ったい質問は受けなかった。
だからこそわたしはその会社に入ることを選んだのであるのだが。
そもそも30近い女に向かって「あなたの夢は何ですか?」などいう質問が、
愚問である以上の何ものでもないことは周知の事実であろう。
だいたい地方都市の30近い大卒の女たちは、「結婚」という重圧に押しやられているのであって、
雇用そのものに対して、福利厚生だとかいう代物に対して、そこまで夢中になってはいない。
伴侶としての男に巡り会えるかという岐路に立たされている女も、またはすでにそんな彼に巡り会っている女も、
「間を繋ぐ」、そのためにしか「仕事」というスタンスに備えていない、と言っても過言ではないのである。
だって親やらそのまた親やらが、地元で幅をきたしているって場合はないかい?
そもそも「孫」やら「子供」やらの立場でどうこうできるレベルでないくらいに。

だからこそ、こんな地方都市で、仕事に生きる、とか言ってる女がいたら、それはそれで天然記念物だ。
だったらてめー東京にでも行けよ、とわたしは悪態をつく。こんな、何にもならない所で経営語るなよ、と。
こんな田舎ででかい口叩くなんて、所詮蛙以外の何ものでもない。

車で移動しなければ生活できないコミュニティにいながら、
「私を一回抱いたら1000万」だなんてよくも言えるな、と。
池袋の人妻専門店だって、1時間7000円もらえりゃいい方だよ、と思ってしまう。
26歳のわたしだって、「もう26か、ばばあだね、いらねーよ。」と言われてしまうのだから、
基本的に、女は20歳超したら産業廃棄物、なのである。(愛人関係を求めている男性にのみ当てはまる)
そして、そういう金銭援助の関係を求めている男性の4割は、男色傾向にあるのであって、
50近い女なんて、抱く対象にすらならないのである。
この国において、年を重ねるって、ある意味罪?

つまんねー女に囲まれて生きていると、まったく自分もつまんねー女に成り下がってしまいそうで、
ついつい食べたものを無理矢理胃の中から吐き出すことに夢中になってしまう。
ゲロにピーマンが紛れていることが週2回。ピーマンが嫌いになってしまう。
ポリフェノールの塊のようなワインまみれのゲロが懐かしい。





2011年 帰郷

August 09 [Tue], 2011, 15:45
築30年弱のこの家の空き部屋を 東京から持って帰った好きなもので埋め尽くして
我が儘言って業者を呼んで ネットを引っぱって
どうにかこうにか 実家(母の)への出戻りが完了した。

寝るのも食べるのも起きるのも好き勝手できた8年間を過ごしていた。
生活の在り方そのものをどう在らせるべきかを こんなに考えるときが来るなんて思ってもいなかった。

わたしは生活のための服装というものを知らない。
見せるためではなく生活をするためだけの装飾。もはや装飾ではない。
外に出るというのは 出勤したり 男の子と飲んだり 女の子とお茶したりすることであって
それ以外の部屋にいるときは 下着かスウェットかで通してきた。
下着一枚で廊下をふらつけば祖父は当然怒るだろうから お風呂上りにもすぐ衣服を纏わねばならない。
家の中に女がいるという意識を植えたくはない。
わたしは「善良な孫」としてここで暮らすのだ。

突然の来客がある。
収穫した野菜を分けに来る親戚や ごみの捨て方を語りに来る自治会の人や
地域密着型の証券会社の営業マンや 元気の押し売りみたいなヤクルトレディ。
一括して言ってしまえばわたしに関係のない人たち。
彼らは「お嫁さんですか?」とか「お綺麗ですね」とか
いかにもうわべっぽいしかもそこに野次馬的好奇心の含まれた言葉を浴びせてくる。
適当に愛想良く振舞ってその場を過ごそうと努めるけれども
だいたいうちは女しかいないのだから 彼らの発する「嫁」という発言が何ともおかしいものとしてしか受け取れなくて
吹き出すのを堪えるのにも一苦労する。
そしてそんな自分を 他人にどう見られようか取り繕っているような惨めな存在に思えて
何て無駄なことをしているんだろうと悲しくなったりもする。
更に ここに住み続ける以上はわたしにとっての無関係な人たちが実は重要であって
決して無碍にしてはならないと分かってはいる。

あんたを捌ける人なんてここにはいないよ と母は言うけれど
わたしの地元はこんなにもお節介と親切は紙一重感を含んだ人間の集まりだったのかと愕然とする。
それとも都会の絵の具に染まったともいうべきわたしが変わったのか。

わたしはこのまま根本は暗い人間のまま生きていくのだろう。
人間性なんてそう簡単に変わりはしない。
ただ人生の質を変えたいと思ってわたしはここに帰ってきたのだ。

わたしにとっての花金

June 10 [Fri], 2011, 21:16


さあ リメイクのお時間です。
針と糸があれば大抵の問題はクリアできます。
今日は 地元で3000円以下で手に入れたハットを いかに丸の内仕様にするか 考えてみました。
100円で売っているバンダナの 二辺を切り取って縫い繋げて 巻きつけてしまえば はい終了。
ちょっとだけフォーマルなレギンスの柄が たまたま ちょっとだけペイズリーチックな柄だったので
これはこれで ひとつのコーディネイトとして成立しますわね。
土地柄って どうしてこうも 人を悩ませるのか。
新幹線に乗るとき以外 新宿より向こう側の中央線には予定がないので
あちら側のファッションは存じて居りません。
銀座エリアの会社に勤めていたこともあったのですけれどもね(もうドロップアウトして3年経とうとしてるし)。

基本的に ファッションやメイクは 信条と結びついているわけだし
根本的に 他人が入り込んでいい領域ではないと思うし
雰囲気がよければそれはそれで 何だっていいんじゃない?

最近は 古代ギリシャのような めっちゃ布纏ってます!みたいな感じの服装を見るのが好きです。
それ広げたら表面積結構大きいでしょ?って感じの ゆるーいやつですね。
オフショルまではいかないけれど 鎖骨が覗くくらいのTシャツとか 生地が厚めのサルエルとか
全体的にちょっとダラっとした感じがたまらない 野暮ったいのとはまた違いますよ。
性的な匂いを一切出さないようなファッションの方が セクシーだと思うのです 最近。
あからさまな露出って 幼稚で儚いもので まあ だからこそ その瑣末さがいいのかもしれないけれど。
それを脱いだらどうなってるの?っていう想像を 掻き立ててもらいたいし 掻き立てられたい。
ギター青年の 長袖を腕まくりしたときの腕の実は太ましい様に萌えるわたくし であります。

寝ても寝ても眠くて やっと覚醒したところなので 
今夜はこれから 一日遅れのロックの日を堪能したいと思います。
SSTVでは ジャパニーズロックヒストリーを流してくれているわけですし。
金曜日の夜は 感性を労わったり 虐めたり 慰めたりするために あるものです。 

女が髪を切るということは

May 25 [Wed], 2011, 1:20
失恋じゃないよ。
恋すらしてないからね。

今日 ばっさり髪を切った。
20歳の時以来 6年ぶりに「肩につく程度」の長さにした。
意味はないけれど 鋏を身体に入れることで リニューアル感を味わいたかった。
ぐちゃぐちゃなここ最近の経験を すっきりとさらいたかったのもある。

リボーン というか もう若くはない自分を 律したかったのだ。
そして 楽しいことばかりで生きてきた時代と すっきりお別れしたっかたのだ。
享楽もいいとこ という時代を わたしは生きたからこそ 今のこの時代を生きる術を求めている。

わたしは 根本的に 生きるという行為に必要なことを 理解できない。
笑って 泣いて 食べて 飲んで 吐いて 寝て 起きて それじゃいけない?
オーガニックな生命活動に必要ないことを 考えてはいけない?
ふざけるな わたしの生命なんて 余分なことでできてるのよ。
楽して生きたいからこその苦悩ってあるのよね。
スーツ着てないけど着てないなりに コーディネートは悩むし
ボブにしたいけど おっさん受け考えたら切れないし
ネイビーネイルにしたいけど 健康っぽさを失ったら収入にならないから 我慢してるのよ。

それって 社会的ってことになり得ないかしら。
みんな 生きるべき社会があって その世界で自分を殺さぬように 懸命にもがく。
どんな社会にいても ちっとも恥ずかしいことじゃないと思う。

ずっと少女のままでいたい。
けれども 年を重ねたからこその思慮深さは 兼ね備えていたい。
切った20センチの髪の毛に そんな思いを乗せながら 今夜もワインを鱈腹堪能する。

プロフィール
  • アイコン画像 ニックネーム:moyo or momo
  • アイコン画像 性別:女性
  • アイコン画像 誕生日:1985年4月15日
  • アイコン画像 血液型:B型
  • アイコン画像 職業:家事手伝い
  • アイコン画像 趣味:
    ・映画
    ・旅行
    ・お酒
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