無機質な記憶 

2006年10月25日(水) 22時24分
神戸に単身出ているけれど、地元に戻ることに決めた(8割がた)
理由は私の過呼吸…少しでも疲れを貯めると怒濤の過呼吸の嵐が私を襲い
先月、救急にお世話になり、
かつ、路上で倒れているところを警察に保護されたのが原因(´・ω・`)
小さなマンションだし、深夜だったので救急車を呼ばず
不慣れな土地でタクシーを拾おうとした私がバカでした
田舎じゃないので呼んでも誰も気にしないよと警察に怒られました。。

そんなわけで…だけじゃもちろんなくて
新しい主治医が地元でみつかり、治療したいから…これが理由
普通の精神疾患とは違う私の社会復帰は、やっぱ特殊だろうし
しっかりと相談しながら社会への道を主治医と探っていきたい
そういう想いが私を華やかな都会から田舎へと導いてくれました (・∀・)


それはともかくとして
無職の家探しは本当に大変です…信頼性がないと判断されますからね
「学生」は許されても「社会人」は許されないこと多いんですね
4年間、フルにダブればよかったのかもしれません(ストレート卒業した)
とにかく学生、未成年は「守られている」んだなぁ…と実感しました

まず「26歳無職」という時点で不動産やさんに追い出されました
そういえば今の部屋を借りるのも大変でした…
あまりのストレスに病状悪化して入院しました+.(ノ∀`)

不思議なもので、私の記憶というのは砂のように消えていき、
枠組みだけが残る…そんな感じなんですよね
早くに風化してしまい、感情や体感を全く伴わない歴史のような認識になる
「乖離」やら「離人」しているのでしょうか
感情のコンセントを抜いたような…過去なんてそんな感じです
「懐かしい」と感傷に浸ることもありません
「ここにいた?」という疑問系の感覚だけが私を包むのです

これは脳挫傷の後遺症でしょうか?
それともPTSDと診断された私の防衛反応でしょうか??

感情は起伏は激しいのに平板化しています
いつも同じ顔をしていて、急に笑うような感じが多いそうです
反対に笑ってるときはずーーーーっと笑っています。そしてキレます。
そして全ての感情の記憶を無くすのです…人と付き合うのは難しいです


カイロプラクティックに通っていますが
先生にお願いして顔の表情筋も緩めてもらうようにしました
こころがけて表情をつけたいものです…せめて表情だけでも、演技でも

表情がなく、吃りながら部屋を探しているので
確実にニートやら不審者、危険人物と思われてしまいます
笑顔、どこに行っちゃったのかな…
なにはともあれ、家探しはまだまだ続きます…見つかるかな。。

 

2006年10月18日(水) 15時18分
貴方と出会ったセピアの夢の残り香を
コンクリートに囲まれた街が断ち切る

いつも私たちの世界には
緑と海の香りが
木々と浜の音があったはずなのに
夢では感じられなくてもどかしい

貴方に会う夢を見た日は
いつもより余計
無機質なコンクリートを憎く思う

今度の休みは山へ行こう
そっと貴方への思いを大気ごと抱きしめて
そして今度は海へ行こう
そっと涙を海へ流しに

いつかまた出会えるならば
あの町で
あの海で満天の星空を見上げよう

そうしたらきっと伝えられる
夢でいつも言えない
ごめんねを

一人暮らし 

2006年10月18日(水) 14時57分
今日もゴスペルの練習日
19:30-21:00までのレッスンなので帰るのは22時過ぎてしまう
腹が減ると腹筋も動かない
ということで早めのご飯を今、炊いている

一人暮らしを始めて8ヶ月になろうとしてる
学生時代の一人暮らしとはやはりちょっと違う生活だ
学生時代は友達は自然とできて楽しくやれるが
今は求めなければひとりぼっちだ
どことなく寂しい一人暮らし…ただ自由だけが広がる

体力と気力の無い私は
すぐに洗濯物や洗い物を溜め込んでしまうけれど
時間をかけて処理していくとすごく達成感があるもので
それは実家では味わえないかな…と思うのだ(甘えちゃうしね)


親は「大学進学は地元」という意見を譲らなかった
姉と私は県外の有名大学に行ける学力を棒に振った
実は少し不満だったけれど
先日、私を駅に送る車の中で母はこう言った

   いつ自立させるか考えててね
   子供を産んでもそばに居れるのってほんの20年程度
   だから学生時代はそばに置いておきたかった
   学生時代一緒にいてくれたから
   今、経済的にも精神的にも外へ出せるのよ

そんなこと考えていたなんて思いもしなかった
偶然だけど姉も25歳で家を出た
私も25歳で単独、誰もしりあいのいない土地へ旅立ってきた

自立
その言葉がただ胸を駆け巡る
働けないのは仕方がないけれど、自分のことはきちんとしよう

親ができる最後のしつけ
我が家は家を出すことだったようだ
病気持ちで無謀なことばかり考える私を出すのは勇気がいったろう

失敗してもいい
ただ親の思いに感謝してできることをしよう

一人暮らしをして親の気持ちに触れ
実家に居た時よりも絆が強くなった気がする

だから地元に戻っても、実家には戻らない
それが親にできることだと思うから

あいのうた〜ゴスペル〜 

2006年10月17日(火) 14時05分
神戸に来てすぐ始めたことがある
それがゴスペル
右も左もわからないのにネットで検索して探したものだ

小高い丘の上にある教会で初めて歌った歌
Joe PaceのI was gladからLet us go into the house

I was glad when they said unto me
Let us go into the house of the Lord


   私はうれしかった
   人々が主(神さま)の家にいこうと言ったとき

メッセージは『神さまの家へ行こう みんなで行こう』…至ってシンプル
リズムは軽やかでスキップしているようにも感じられる
私の想い出の一曲で、歌うと自然と笑顔になっていく


私は高校時代まで歌は口パク常習犯だった
だからカラオケも嫌いだった
だけど田舎に住んでるとカラオケくらいしか遊びが無くって
大学時代に無理矢理染められた

私が学生時代、口パクせずに歌ったのはただ一度
大学の卒業式に歌った校歌と聖歌
カトリックの大学で珍しい卒業式をする母校で
卒業前の一週間、毎日朝から夕方まで練習に通い
グースステップや歌の練習をした…文句を言いながらだけどいい想い出
みんなのキモチがなんかひとつになったように感じる中
自然と声を出して歌っていた自分がいた


だから今でもゴスペルを歌うと大学の校舎が浮かぶ
一番楽しくて、一番苦しかった大学時代

愛されていた
必要とされていた


独りだと思い背を丸め泣いていた私をゴスペルへと導いたのは
温かかった頃の記憶

一人じゃないよ

私はその想いだけを込めて今日も歌う
あいのうたを

頭を打った女がつづる記録 

2006年10月14日(土) 19時53分
ブログを始めようと思う

いや、今までたくさんブログを作ってきた…その時の思いを込めて
自分だけが知っている私のブログを校正して
作り直しながら、振り返ろうと思う…管理人yossieです


私は2001年3月9日に転倒事故で脳外傷を負いました
そして20歳のあの日、私は私の一部を失いました

23歳の夏、何かがおかしいことに気づき専門の病院で検査を受け
高次脳機能障害と診断を受けつつも、確定を拒んで生きてきました

そして今、26歳…事故から6年目の冬へ向かって時間は流れます


私は主に精神面に障害がでやすく
検査を受けた脳機能回復外来では
精神科で精神面をケアするよう指示が出たので
(検査前も精神病を疑って精神科にかかっていたので)
私の主治医はずっと精神科医です

パニック障害とずっと闘っていて、完治するも
PTSDと診断を受けたのは25歳

そして丸5年お世話になった主治医をこの夏離れ、下された診断名は

外傷後精神障害

感情の波が激しく、恒常性が保てない
躁鬱病患者のようであるが、薬の効果はほとんどない…そんなところ


今年3月、何もかも嫌になって単身神戸へ
始めたゴスペルにこころを癒されながらも
無理がたたって入院→帰省へ(情けないですね)

趣味は英会話とゴスペル
性格は掴めない
家族は家出して消息不明の姉、一人と犬と両親

早く社会で働きたい
小さくも大きな目標を持って、今日を彷徨いながら生きています

秋空の下で 

2006年10月14日(土) 18時23分
今日は大学時代の友人数人とちょっとした同窓会
もう3年から4年、果ては5年ぶりって子たちもいて
時の流れをしみじみと感じてしまいました…時は流れてるんだね

そう、そして3月にママになった友人は子供を連れてきてて
周りに赤ちゃんがいたことのない私はちょっとウキウキ
すごく新鮮な気分になっちゃいました
赤ちゃんの動作、そして赤ちゃんをあやす友人
友人がとっても偉大に思えました(昔から偉大だったけどね)

今回はいつも連絡取ってる友人とランチの約束だったけど
寂しくて凍えそうな私は
少しでも温もりを求めたのでしょう、
連絡しようと思ってるんだけど…って友達に連絡つけて
プチ同窓会にしちゃいました♪
結果、みんな喜んでくれたからよかったと思いましょう


時の流れはすごく早くて
何もできずに孤独にもがいていた私の時間を感じました
孤独で孤独で追いつめられて
何度も親に心配をかけ、それが嫌で飛び出した実家。。

誰も私を知らない場所で始めたかった

そう思って、それだけに光を感じて飛び出した故郷
飛び出して今、思うことは
どれだけの愛情が注がれていて
どれだけの愛情に背を向けていたか…それにつきます

誰も自分を知らない土地での出発
もちろんどこに何があるのかもわからなかった
そんな無理した生活に疲れて入院した病院で出会った医師
心配してくれている友人の存在。。

私は故郷へ帰ることにします

みんなで帰ってくるの待っとるからね

帰途に着く車の車内でママさんになった友からメールが来た
温かい、温かいメールだった
そんな友のいる場所でもう一度探してみよう

自分に何ができるのか
自分がどう生きるのかを。。
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