第36話「急ぐ風に雲は流れ」 

July 22 [Mon], 2013, 23:07











 取る物も取りあえず、友哉達がICCビル118階のバー、OZONEに戻った時に見た物は、深刻な表情を突き合わせているバスカービルの面々だった。

 この中にキンジの姿は無い。

 アリアから連絡を受けた時、彼女はこう言った。

『キンジと連絡が取れなくなった』、と。

 事が起こったのは夕方。

 撒餌作戦の第2段階として、バスカービルメンバーがそれぞれ、散開して香港の街へ散った後の事だった。

 由々しき事態である。

 状況が容易ならざる展開を見せていると判断した友哉は、作戦を一時中断してバスカービルと合流したのだ。

「ユッチー・・・みんな・・・・・・」

 入ってきた友哉達の姿を見て、入り口付近にいた理子が力無く声を掛けてくる。いつもの溌剌とした調子が鳴りを潜めている所を見ると、理子自身、ふざけている場合ではないと認識しているようだった。

「キンジと、最後に連絡が取れたのはいつ?」

 友哉は前置きを置かず、いきなり本題から入った。

 今や一瞬ですら時間が惜しい状況である。悠長に話を韜晦している余裕は無かった。

「みんなで集まってお茶している時だったから、だいたい3時くらいかな?」
「大体それくらいだね。そのあとみんなで別れて行動したから・・・・・・」

 白雪に続いて理子が補足説明をする。見れば、レキも同意するように小さく頷くのが見えた。

 とっさに、腕時計に目を走らせる友哉。

 時刻は既に7時に達しようとしている。つまり、キンジとは4時間近くも連絡が取れない状態になっている事を意味する。

「定時連絡も無いし・・・・・・こっちから電話しても出ないし・・・・・・」

 顔を伏せた状態のアリアが、消え入りそうな声で状況を説明してくる。

 アリアだけでなくこの場にいる全員で、何度もキンジの携帯電話に連絡を入れているのだが、未だに電話口にキンジが出る事も返信が返って来る事も無かった。

 最悪の可能性として、キンジが藍幇の奇襲を受け、皆の連絡ができないまま排除された事も考えられる。

 ヒステリアモードを発動していないキンジは、一般人よりはマシ、と言う程度の能力しか発揮できない。その事を考えれば、熟練した戦闘員数名を派遣するだけで制圧は容易だろう。

 4時間あれば街中でキンジを襲撃して殺害、死体を処分して痕跡も残さず立ち去っても充分に時間が余る。そこまで行かずとも、キンジを拉致して藍幇のアジトに連れ去る事も可能だった。

 臍を噛む友哉。

 改めて、ここが藍幇の御膝元だと言う事を、否が応でも実感させられる。文字通りの四面楚歌の状況にあっては、不測の事態に対して即応する事も困難だった。

「どうしよう・・・・・・・・・・・・」

 力無い声が、静寂の室内に殊更響き渡る。

 友哉は一瞬、その声の主が誰なのか判らなかった。普段の自信あふれる声と比べると、あまりにも落差が激しすぎたのだ。

「あたしのせいだ・・・・・・あたしが、|撒餌作戦《バーリィ》なんか言い出さなければ、こんな事には・・・・・・」

 アリアは普段に無いくらい落ち込み、青ざめた表情をしている。

「落ち着いて、アリア。まだそうと決まったわけじゃない!!」
「でも・・・・・・でも!!」

 友哉の説得にも、アリアは青い表情のまま泣きそうな顔をしている。

 普段見せている自信に満ちた尊大な態度からは想像もできない程、弱々しい雰囲気である。まるで親とはぐれた迷子のようだ。

 叫んでから、友哉は苦い表情をする。

 キンジは普段は割とやる気が無いようにも見え、武偵としての活動に関しても、お世辞にも乗り気は無いようにも見えるが、それでもいい加減な事は絶対にしない男である。

 定時連絡もせずにフラフラと歩きまわるなど考えられなかった。

「あたし、ちょっと探してくる!!」
「あ、アリア!!」

 居ても立っても居られないとばかりに、アリアは立ち上がると、友哉の制止も聞かずに弾丸のようにOZONEから駆けだして行く。

 キンジと連絡が取れず、行方不明になってしまった事に関して、ひどく責任を感じている様子である。

 だが、既に日は落ちて、窓の外は暗くなっている。眼下には香港の街を彩るネオンサインも見え始めていた。このような状況下で単独行動をするのは、いかにアリアと言えども危険である。最悪、二重遭難の危険性すらあった。

「レキッ」

 仕方なく、友哉も行動を起こすべく指示を飛ばした。

「アリアについて行って。今、彼女を1人にするのは危ないから!!」
「・・・・・・・・・・・・」

 レキは無言のまま頷くと、アリアを追ってバーを出て行く。レキはこの中で一番、アリアと仲が良い。彼女に任せておけば、いざと言う時にアリアの抑え役も期待できる。

 その背中を見送ると、友哉は残った一同を見回す。

「星枷さんは理子と一緒に行動して。茉莉は僕と、陣は瑠香と一緒に。必ずツーマンセルで行動するように。単独行動は禁止する!!」

 矢継ぎ早に指示を飛ばす友哉。

 総指揮官であるキンジが行方不明、次席指揮官であるアリアが飛び出して行った状況では、友哉が指揮権を継承するしかなかった。

 バスカービルメンバー同士、白雪と理子は一緒に行動させた方が良い。何だかんだ言いつつこの2人、(本人同士は否定するかもしれないが)相性はいいみたいだし。

 イクスの4人に関しては、情報収集に長けている|探偵科《インケスタ》の茉莉と|諜報科《レザド》の瑠香を分け、それぞれ効率の良い情報収集を目指す事を目的にしたペア分けである。

 それぞれOZONEを飛び出していく一同。

 事態は一刻を争う状況である。誰の顔にも、深刻な眼差しが光っていた。











 友哉と茉莉。

 東京武偵校でもトップクラスの俊足を誇る2人が駆け抜ける姿を、香港の市民が目撃する事は無い。

 本気で走るこの2人を視覚で捉える事は困難であり、一般人にとっては不可能と言っても良い。

 しかも2人は律儀に道の上を走るような真似はせず、立ち並ぶ雑居ビルから雑居ビルへ、飛び越えながら走り抜けている。

 まず目指すは、白雪達が最後にキンジを見たと言うカフェ。そこを基点にして捜査の範囲を広げるのだ。だが、そこに行くのにわざわざ雑踏を縫って走ったのでは時間がかかりすぎる。その為、2人は「最短の道」を駆けているのである。

 万が一、下から見上げた人間が2人の姿を見たとしても、恐らく幻か何かを見たと勘違いする事だろう。

 それほどまでに、今の2人は現実味のない光景だった。

「友哉さん!!」

 前を行く友哉に、茉莉は声を掛ける。

「探すと言いましても、香港は広すぎます。それに、遠山君が藍幇側に排除されたのだとしたら、もう探すだけ時間の無駄かもしれませんよ!!」
「判ってる!!」

 流石、元イ・ウー構成員だけあり、茉莉はシビアな視点も持ち合わせている。一見すると荒事には向いていないように見える茉莉だが、こういう面を見れば、彼女が決して、ただ大人しいだけの女の子ではない事が分かるだろう。

 対して友哉も叩き付けるように言葉を返すが、その間も、駆ける足を緩めるような事はしない。

 茉莉の言うとおり、この広い香港でキンジ1人を探し出すのは困難である。更に、万が一既にキンジが殺され、その死体も処分されていたとしたら、探すのは時間の無駄と言う物だった。

 だがそれでも尚、友哉は駆ける足を止めようとしない。

 キンジが生きている可能性がゼロでない以上、諦めるつもりは毛頭ない。

 だが、もし本当にキンジが、既に殺されていたのだとしたら?

 その時は、どうするのか?

「・・・・・・決まっている」

 その時は香港系藍幇のアジトを探し出して乗り込み、そして叩き潰すだけだった。

 携帯電話が着信を告げたのは、友哉が最悪の場合に備えた決意を固めた時だった。

《友哉さん、レキです》

 珍しい人物からの電話に訝りながらも、友哉は足を止める。

「レキ、どうかした?」

 背後で茉莉が止まる気配を確認しながら、先を促す友哉。

 アリアと一緒に行ったレキからの連絡と言う事は、向こうで何らかの動きがあった可能性がある。

《先程、露天商のあたりを歩いていた時、アリアさんがキンジさんの携帯電話を発見しました》
「間違い無い?」

 勢い込んで尋ねる友哉。

 キンジ本人でなくても、その手がかりだけでも見付けられたと言う事は大きい。

 レキの説明によると、どうやらキンジの携帯電話は露天商の一角で売りに出されていたらしい。

《間違いありません。着信音で確認しましたので》

 携帯電話を握る友哉の手が自然と強くなる。

 手がかりが見つかったのは一応の前進と言えるが、携帯電話が見つかっただけでは、キンジの行方を探す直接的な要因にはなりがたい。

 キンジが落とした携帯電話を、誰かが拾って売ったのか? それとも盗んだ物を売ったのか? 軽犯罪が後を絶たない香港でなら、そう言った可能性は充分に有り得る。

 更に言えば、最悪の可能性もまだ消えてはいなかった。

 キンジを殺した相手が、所持品を処分がてら売り払った可能性だって充分に有り得る訳だから、相変わらず予断は許される状況ではない。。

 こんな時、|情報科《インフォルマ》のジャンヌがいてくれたら、携帯電話に残っているデータから、キンジの居場所を突き止める事も不可能ではないのだが。

 しかしジャンヌがシンガポールに行っている以上、別の手段を考える以外に道は無かった。

「判った。引き続き、何か判ったら連絡して」
《はい》

 レキとの電話を切ると、友哉は携帯電話をしまう。

 とにかくこれで、キンジの身に何かトラブルが起きた事は確実になったわけだ。あとはそのトラブルが、大事でない事を祈るだけである。

「友哉さん、何か判ったんですか?」

 心配顔で尋ねてくる茉莉に、レキからの電話の内容を説明してやる。

 既に周囲は完全に日が落ち、香港の街は人工的な灯りによって満たされている。

 「100万ドルの夜景」と称されるその光も、このような心境で見れば、空疎に感じてしまう。

 できれば、茉莉と見る夜景はもっと別の形で見たかった、と友哉は心の隅で思ってしまう。

 だが、今はそんな事を言っている場合ではない。

「もっと具体的な情報が欲しい。できれば、キンジに直接つながるような何かが・・・・・・」
「判りました。私も、どこまでお力になれるか判りませんが」

 憂慮を浮かべる友哉の言葉に対して、茉莉は勇気付けるように言葉を返す。

 |探偵科《インケスタ》の茉莉なら、効果的な情報収集の心得がある。ガチガチの戦闘職である友哉よりは、こういった場合役に立つだろう。

 だが、ここは日本ではなく香港。一応、友哉も茉莉も翻訳用のガイドブックを持参しているが、それもどこまで役に立つか。

 だが、それでもやるしかなかった。

「行くよ、茉莉」
「はい!!」

 頷き合うと2人は、再び香港の町中に、文字通り飛びだして行った。











 結局、夜が白むまで香港の街を駆け巡ったのだが、めぼしい手掛かりは何も得る事ができなかった。

 疲労困憊の状態で、ICCビルへと帰還した友哉と茉莉。

 その足取りは、ひどく重い。

 身体の疲労は、無論溜まってはいるが、それ以前に心労の方が2人とも深刻だった。

 結局、一晩掛かっても、キンジの手掛かりに関する事は何も見つからなかった。

 上昇するエレベーターの中で、友哉と茉莉は悄然として肩を落としている。

 一晩中、香港の街を走り回り、ただ徒労感だけが否応なく蓄積されていた。

 友哉がチラッと視線を向けると、茉莉もそれに気づき、僅かな微笑を向けてくる。

 しかし元々、茉莉は体力的にネックを抱えている。一晩中駆けずり回って疲れていない筈が無い。現に今も、壁に寄りかかったまま立っているのも億劫そうにしている状態だ。できれば、一刻も早く休ませてあげたかった。

 エレベーターは間も無く、司令本部のある118階に到達しようとしている。

 その様子を確認しながら、友哉は今後の方針について自分の中で意見を纏めていた。

 こうなった以上、自分達に取れる手段は限られている。ならばいっそ「藍幇がキンジを拉致して、自分達のアジトへ連れ去った」と言う可能性に賭け、捜索の手を対藍幇戦にシフトするべきだった。

 勿論、キンジの遭難が藍幇とは直接関わりが無い可能性も残っているが、それでも広い香港の街を闇雲に駆けずり回るよりは建設的だろう。それが結果的に、キンジ発見に繋がる近道になるように思えた。

 とにかく、全員に連絡を取ってその旨を伝えよう。

 恐らく、キンジと関わりが深いバスカービルの女子達、特に今回の件で責任を感じているアリアは猛反対するだろう。だが、このまま本命が見えないまま闇雲に捜索を続けて最悪、本当に藍幇勢力から側面を突かれたら、その時点でイクスとバスカービルは壊滅する事にもなりかねない。

 友哉が自分の中で考えを纏めるのとほぼ同時に、エレベーターが118階に到着した。

 友哉は疲れている茉莉を伴って、OZONEへと足を踏み入れる。とにかく、みんなが集まるまでの間、茉莉を休ませてやろう。

 そう思った瞬間、

 思わず、友哉と茉莉はその場で、文字通りズッコケた。

 なぜなら、

「お、おう、緋村、瀬田・・・・・・」

 件の遠山キンジ君が、目の前のソファーに腰掛けて2人を出迎えていたのだから。

 しかも、ご丁寧に両脇には理子と白雪を侍らせ(?)、いかにもご満悦な状態。

 次の瞬間、

 ザンッ

 殆ど一瞬で逆刃刀を抜き放った友哉が、真っ向からキンジ目がけて振り下ろした。

「おわっ!! 危ねッ!?」

 その刃を、キンジはとっさに左右の理子と白雪を振り払うと、真剣白羽取りで受け止める。

 アリアの特訓の成果なのか、はたまた一晩中の捜索活動で友哉が疲労困憊していたのか、恐らくはその両方と思われるが、キンジは振り下ろされた逆刃刀を見事に両掌で挟み込んでキャッチしていた。

 だが、友哉は構う事無く、全体重を掛けてキンジに刀を押し付けてくる。

「斬って良い? ねえ、斬って良い? て言うか斬って良い?」
「怖ェよ!! てか、もう斬ってんだろ!!」

 若干、人斬りモードを発動させた友哉は、ご丁寧に刃の方に返した逆刃刀を、グイグイとキンジに押し付けようとしてくる。

 と、

「友哉さん、どいてください。私が斬ります」

 茉莉が、こちらも菊一文字の柄に手を掛けてにじり寄ってきている。こっちも、若干、稲荷小僧モードが入っている。

 普段大人しい少女が、冷たい瞳を爛々と輝かせて刀を抜こうとしている様は、軽くホラーだった。

「お前等、本当に怖ェよ!! てか、誰か止めろ、このバカップル!!」

 本気で、自らの身を案じ始めるキンジ。

 結局、友哉を理子が、茉莉を白雪がそれぞれ取り押さえ、両名とも刀を没収されて事態は収束した。

「それで?」

 ソファーに足を組んで座った友哉は、不機嫌そうな目をキンジに向けて尋ねる。

「いったい何があったわけ?」

 キンジが無事だったことは純粋に嬉しい。一時は最悪のケースすら考えていたのだから尚更である。

 だが、それはそれとして、状況を説明してくれないと納得がいかない。一晩駆けずり回ったのが完全に徒労になったのだから、それは当然の権利だと思った。

 対してキンジは、バツが悪そうにそっぽを向くと、ボソッと呟くように言った。

「スられたんだよ、財布とケータイ・・・・・・・・・・・・」

 バスカービル女子と別れた後、予定通り単独で行動していたキンジだが、暫くして財布と携帯電話が無くなっている事に気付いた。

 すぐにスられたと判ったが、その時にはもうどうする事も出来ない状態だった。

 見知らぬ異郷の地に1人、連絡を取る事もタクシーや路面電車に乗る事も出来ず、言葉さえほとんど通じない状況にあって、キンジはそれでもどうにかICCビルまで戻ろうと必死に歩いたのだが、それが却ってドツボにはまり、道に迷う結果になってしまった。

「結局、|北角《ノースポイント》の親切な人達に、道が分かる所まで送ってもらって、ようやく戻って来れたって訳だ」
「・・・・・・ふーん、成程ね」

 尚も憮然とした調子で、友哉は頷きを返した。

 一晩の徒労を強いられたことに関しては尚もムカついている事は確かだが、その一晩の間にキンジの身に降りかかった事態を思えば、怒る気にもなれなかった。

「何にしても良かったです。遠山君が無事でいてくれて」

 どうやら、茉莉も同じ気持らしい。先ほどまでの殺気がこもった雰囲気は薄れ、微笑を浮かべてキンジを見ていた。

 そのキンジの肩を白雪が揉み、理子は膝の上に乗って首に抱きついている。

 完全にいつも通りの光景を目の当たりにして、友哉は最早、先程までの怒りも完全に雲散霧消していた。

「それで、キンジ、これからなんだけど・・・・・・・・・・・・」

 キンジが帰って来たのだから、今後の方針について改めて協議しようと思った。

 その時だった。

 ゾクッ

 突如、背中に寒気を感じる程、強烈な殺気がOZONE全体を覆い尽くした。

「友哉さん、これは・・・・・・」

 茉莉も同様の者を感じたのだろう。警戒するような目を向けてくる。

 どうやら、キンジも状況に気付いたらしく青い顔をしている。

 気付いていないのは白雪と理子くらいだ。相変わらず、キンジにまとわりついている。もっとも、この2人の場合、気付いていても無視している可能性もあるが。

 とっさに、逆刃刀を手に取ってエレベーターに目を向ける。

 果たして、扉が開き、

「バ カ キ ン ジィィィィィィィィィィィィ!!」

 ピンクのツインテールを靡かせて、アニメ声を張り上げたアリアが飛び出してきた。

 アリアは友哉と茉莉を押しのけると、理子と白雪を蹴散らす形でキンジに飛びつき、キンジの髪を掴み上げる。

「ちょ、アリアさん!!」

 茉莉が制止するのも聞かず、アリアはその小柄な体躯からは想像も出来ない膂力を発揮して、キンジを壁に向かって投げつけた。

「どこ行ってたのよ!?」
「い、いや、その、俺はケータイも財布もスられて、道に迷ってたんだよ!!」

 どうにか状況を説明してアリアを落ち着かせようとするキンジ。

 だが、

「迷うって何!? 北が九龍で南が香港島!! その間に流れる狭い海峡がヴィクトリア・ハーバー!! こんな簡単な構造が何で判んないのよ!? あんな世界一広くて、複雑な構造の東京に平然と暮らしているくせに、何でこんな狭い街で迷えるのよッ この馬鹿!! ド馬鹿!! ドド馬鹿!!」

 客観的に考えれば、住み慣れた街ならいくら広くても迷う事は無いし、逆に知らない土地なら、下手をすれば一本道でも迷ってしまう可能性はある。

 だが、そんな事も判らないくらいに、今のアリアは頭に血が上っていた。

 見ればいつの間に戻って来たのか、レキもまた部屋の隅に佇んで様子を見守っている。その顔はいつも通りの無表情だが、若干、アリアに殴る蹴るの暴行を受けているキンジに冷たい目を向けている所を見ると、彼女もキンジに対していきありを覚えている様子だった。

 その様子を見て嘆息しつつ友哉は、内心では彼女達の怒りも無理も無いと思っている。他ならぬ友哉自身、帰って来るなり、思わずキンジに斬り掛かってしまったのだから。

「お金までスられるとか、どこまで間抜けなの!? この間抜け大魔王!!」

 尚も舌鋒と暴行をヒートアップさせるアリア。

 だが、そんな彼女に、それまで無抵抗だったキンジがとうとう反撃に出た。

「あー、もう、うるせェ!!」

 普段は割とアリアに対して反撃しないキンジからすれば、なかなか珍しい光景である。

「金は、俺が両替した大部分はバッグの中に入ってるんだ!! 確かに困ったが・・・・・・俺の婆ちゃんが言ってた事だが、人間盗むより盗まれる方が良いんだッ 盗みってのは人から盗まなきゃならんほど困っている人がする事で・・・・・・」
「そう言う発想が日本人的なのよ、アンタは!! ここは日本じゃないの!! 世界には泥棒で生計を立てている人間なんてウジャウジャいるんだから!!」

 何やら、話が脱線した方向に走り出そうとしている。

 そんな中、横から口を挟んだのは、当の泥棒当人である峰・理子・リュパン4世だった。

「ん〜〜〜〜〜〜ふっふっふ・・・・・・ちょっと〜〜〜〜〜〜、待ってもらえますか〜〜〜〜〜〜? りこりんが〜〜〜〜〜〜、質問しても〜〜〜〜〜〜、良いですかー? んーふっふっふ・・・・・・」

 何やら突然、額に人差し指を押し付けて古畑任三郎のモノマネを始める理子。

 殺伐とした状況で、いきなり何を始めたのか、このアホっ娘怪盗少女は? と一同が思っている中、理子はビシッとキンジを指差す。

「キーくんッ!!」
「何だよ?」

 憮然とした調子で尋ね返すキンジに対して、理子は再び似非古畑に戻って、何やら推理めいた事を口にし始める。

「あなたは〜、テーブルのお菓子に手を付けていない。少なくとも、何か食べましたね〜〜〜〜〜〜? そして、どこかに泊まりもした。その椅子でも寝なかったし、汗のにおいもしないですもんねぇ。それどころか、女の子の匂いがしたんですよ〜〜〜〜〜〜」

 そこまで来てようやく、友哉は理子が何を言いたいのか理解した。

 ようするに、最後の一言を言いたいがために、古畑の真似事までして推理を披露したのだ。

「理子ちゃんも嗅げたの!? やっぱりでしたよね!!」

 我が意を得たりとばかりに、白雪が大きく頷く。どうやら、彼女にも思い当たる節があったらしい。

「いや、これは、その・・・・・・」

 追い詰められたように、額に汗を浮かべるキンジ。

 そんなキンジの背中をバンバン叩きながら、理子はゲラゲラ笑う。

「やっぱりねー!! 理子は嗅げてないけど今のは誘導尋問!! ひっかけ問題でしたー!! そしてクンカクンカセンサーゆきちゃんから証言も取れました。キーくん、香港美女のお家で楽しく一夜を過ごして来たんだなァー!? いやー、流石だね、このジゴロは!!」

 流石は、火に油どころか、火があればガソリンとガスボンベと導火線付きコンポジットC4を投げ込み、盛大な花火をぶち上げようとする理子。トラブルの種を撒く事に余念は無かった。

「理子さん・・・・・・」

 友人の様子を、茉莉は嘆息しながら見つめる。

 成長しない事は良い事なのか悪い事なのか、昔から理子に良いように弄り回される事が多かった茉莉は、殆ど反射的にキンジに同情していた。

 だが、理子がばらまいた火種は、再びOZONEの中に大火を見舞おうとしていた。

「馬鹿に付ける薬は無いって言うけど、ホントみたいね、このムッツリスケベ!!」

 再び怒気と闘気を存分にみなぎらせるアリア。見れば、傍らのレキも冷たい目でキンジを見ている。白雪などは、徐々に黒化しつつあるのが分かった。

 1人、いつもの調子の理子は、

「まあまあ、ムッツリスケベにはムッツリスケベなりの事情があったんだろうからさ。旅行先で気が軽くなっちゃったんだよ、きっと。旅は人との触れ合い。さーて、キーくんはどこでどう、何人の女の事触れ合ってきたのかなァ?」
「いや、別にどっちとも触れ合うような真似は・・・・・・」

 言いかけて、キンジはハッと口をつぐむ。

 とっさに理子の言葉を否定しようとして、自爆してしまった事に気付いたのだ。「女と一晩一緒だった」事を、自ら暴露してしまったのである。しかも「どっちとも」と言っている辺り、最低でも複数の女性と触れ合う機会があった事は確実である。

「やっほー!! 聞かせて聞かせて!! 理子に聞かせて、キーくんの武勇伝!! 年上!? 年下!? それとも両方!? 巨乳!? 貧乳!? コスプレ有り無し!? キャッホー!!」

 全く悪びれた様子も無くはしゃぎまくる理子。

 一方、アリア様の怒りは、いよいよもって有頂天を突き破りつつあった。

「あんたは・・・・・・すぐそうやって女の橋を渡って生きる!! ほんッッッとアンタは行く先々で女作るッ!! あーあーあーほんっとモテるわよねェ!! 女に困った事無いでしょーね!! 理子か白雪か、どっちかと付き合っちゃえば!?」

 怒りのあまり、とうとう言っている事までおかしくなり始めたアリア。

「|撒餌作戦《バーリィ》を立案したのはアタシだったから、キンジがそれでいなくなっちゃったから、あたしがどんな思いして、どんな思いして・・・・・・」

 昨夜の事を思い出し、泣きそうになりながらアリアはキンジを睨みつける。

「その間にあんたは!! あんたは!!」

 キンジの身を心配して、夜の街を散々駆けずり回った自分と、その間に美女を侍らせて一夜を過ごしていた(と、アリアが勝手に想像した)キンジ。

 その落差から来る惨めさに、アリアは目に涙を浮かべて地団太を踏む。

「もう、アンタはクビ!! どうせ外に出したら女の子と遊んでばっかりなんだから!! 作戦には参加しなくて良し!! 帰国までずっと、ここで正座してなさい!!」

 とうとう、2丁のガバメントを抜き放つアリア。

 その様子を見て、理子と白雪はテーブルの下に隠れ、レキは持ち前の危機回避能力を発揮して物陰に退避、友哉と茉莉は刀を抜いて跳弾に備える。

 と、

「俺は・・・・・・・・・・・・」

 銃口を向けられたキンジが、

「俺は海外なんか初めてなんだ!! お前みたいな帰国子女とは違うんだよ!!」

 とうとう、ブチ切れた。

 この時、キンジの中では自分とアリアとの間にある、どうしようもない「格差」を痛感させられていた。

 アリアは何でも持っている。富、名声、実力。武偵としてはSランクとして高い戦闘力を持ち、学校の成績も良い。

 対してキンジはどうか? ヒステリアモード時には高い能力を発揮するが、それ以外はまるで駄目。実力は並みで武偵ランクはE、金は無く学校の成績も悪い。名声だけは独り歩きしているが、それとて望んでそうなったわけではない。

 何でも持っている「優秀な」アリアと、何も持っていない「ダメな」自分。

 その事が、キンジを強かに傷付ける。

 しかし、何よりもキンジを傷付けているのは、アリアがその事を全く気付いていない事だった。

 アリアは何でも持っている。だからこそ、何も持たない人間の苦悩を理解できない。その事がキンジには、堪らなく惨めに思える。

 まるで空を自由に飛ぶ鳥と、地を這う虫けら程に、キンジは自分とアリアを比較してしまっていた。

「何よ・・・・・・何よッ!!」

 対して、アリアは次の言葉が続かず、声を詰まらせてしまう。普段は、自分の暴力に対して反撃せず、ただされるがままになっているキンジが珍しく反撃に出た事で、とっさの対応が追いつかない様子だ。

 そこへ、キンジは畳み掛ける。

「お前こそ、もうクビだ!! 藍幇くらい俺1人で何とかしてやる!!」

 売り言葉に買い言葉と言うが、キンジも最早、引っ込みがつかないところまで来てしまっていた。

 そのまま、自分のリュックを取って、バーを出て行こうとする。

「何よ・・・・・・じゃあ、もう勝手にしなさいッ!! どうせこれで戦果無し!! せっかく攻めて来たのに、アンタのせいで手ぶらで日本に帰る事になるんだわ!! それで良いのね!?」

 背を向けるキンジ。

「それで良いのね!?」

 その背中に、アリアは再度同じ質問をぶつける。

 その声にはどこか、キンジが戻ってきてくれることを期待しているようなニュアンスまで含まれていた。

 だが、それに対して、

 キンジが振り返る事は無かった。





第6話「急ぐ風に雲は流れ」      終わり

第35話「撒餌作戦」  

July 20 [Sat], 2013, 8:59










 
 思っていたよりも暑いな。

 空港を出た友哉の、それが最初の印象だった。

 |修学旅行《キャラバン》Uの行先を、香港に定めたイクスとバスカービルの連合チームは飛行機から降り立つと、それぞれの荷物を手に香港の地を踏みしめた。

 肌を包む空気は、12月下旬だと言うのに暖かい。緯度的には沖縄よりも南にある為、寒暖の差があまり感じられないのだ。

 香港は、正式名称を「中華人民共和国特別行政区」と言う。

 かつて清王朝時代に起こったアヘン戦争で清が敗北した結果、南京条約によって、長らくイギリスの植民地となっていた。太平洋戦争が勃発すると、一時的に日本の統治下に置かれたが、やがて大戦終結と共に、支配権は再びイギリスに戻る。

 流転とも言える歴史を刻んできた香港が、本来の所有者である中国の元へ戻ったのは1997年7月になってからの事である。

 そのような経緯がある為、香港は古くは治安が悪い事でも有名だった。

 現在でこそ、昔と比べると治安の悪化も解消されている物の、それでもスリや暴行等の軽犯罪は横行しており、香港を選んで観光に来る客は注意が必要である。

 一方で良い面も存在している。長くイギリスの支配下にあったせいで洋の東西における文化が見事な融合を遂げ、世界でも有数の観光スポットとして栄えている。

 特に香港島のビクトリア・ピークや、尖沙咀のウォーターフロント・プロムナード近辺から遠望できる夜景は「100万ドルの夜景」と称され、世界中の人間の憧れとなっている。

 光と闇が交錯する東洋の魔都、香港。

 その香港に古くから藍幇の拠点がある事は、当然ながら構成員以外の一般市民には知られていない事である。

 藍幇は世界でも有数の巨大組織であり、その影響力は広大な中国大陸全土にまで及んでいると言われている。また、それだけ巨大な組織を維持する資金や人脈も膨大であり、全てを把握しできている人間は組織内でも殆どいないとさえ言われている。

 何度か司法機関による捜査が行われたが、その片鱗すら掴む事ができず、また彼等の拠点である藍幇城の所在すら掴めなかったと言う。

 世界最大の組織でありながら、世界で最も謎の多い組織、藍幇。

 イクスとバスカービルが、修学旅行Uの行先を香港に定めた理由は、学校の行事だからでも観光を楽しみたいからでもない。

 極東戦役の一環として、敵対組織の一角を占める藍幇と決着を付けるために他ならなかった。

 だが、藍幇の御膝元とも言うべき香港に攻め込むと言う事は、彼等のホームグランドでの戦いを強いられると言う事になる。

 |敵地《アウェー》での戦闘は、必然的に単純な戦力以上の差と戦わなくてはならなくなる。補給の確保にも一苦労だし、どこにどんな敵が潜んでいるかも判らない状況では緊張も強いられる事になる。

 しかし、それら全てを承知の上での逆侵攻作戦である以上、もはや後戻りはできなかった。

 イクスの4人とバスカービルの5人。

 事実上、|師団《ディーン》勢力の主力を成す実働部隊9名は全員、藍幇との決着を付けるまで、この香港を離れるつもりは毛頭なかった。

「おお〜 やっぱ外国の人ばっかりだよ、茉莉ちゃん、すごいね!!」
「瑠香さんは、外国に来た事とかは?」
「無いよ。だから、これが初めてなんだ。茉莉ちゃんは?」
「私は、任務の関係で何度か・・・・・・」

 何やら女子たちは早速、会話に花を咲かせている様子である。特に瑠香などは、初めての海外旅行、それも友達一同と一緒と言う事もありはしゃいでいる様子である。

 瑠香と言えば、先日での部屋での一件がやはり頭の中に残っている。

 自分や茉莉の事を気遣い、部屋を出て行くと言った瑠香。あの後、友哉は茉莉から事情を聴いていた。

 茉莉としては、瑠香から口止めをされていたみたいだが、あからさまに挙動不審な所を問い詰めてみると、重い口を開くように白状した。

 茉莉から事情を聞いた友哉は、自分の不明に恥じ入る思いだった。幼馴染として、あるいは戦兄妹として長く傍に居ながら、瑠香の気持ちに全く気付いてやれなかったのだから。

 その事について、もう一度瑠香と話し合おうと思った友哉。

 だが、それを茉莉が制した。

『今はきっと、時間が必要なんだと思います。瑠香さんにも、友哉さんにも、私にも・・・・・・』

 そう言われてしまっては、友哉も黙るしかなかった。ひょっとしたら女の子同士でしか分かりあえない心の機微と言う物が、茉莉と瑠香の間であるのかも知れなかった。

 茉莉の言う通り、この件は少し時間を置いてから話した方がいいかもしれない。

 そう思った友哉は、ひとまず棚上げすると決めていた。

 と、

「おい、友哉ッ」

 そこへ、パンフレットを片手に持った陣が近付いてきていた。

 日本人は比較的小柄の部類に入ると言われているが、長身の陣は外国人の中にいても見劣りしない程度の外見をしている。

 そんな陣は、自分よりも背の低い友哉と語り合う為に、身をかがめてパンフレットを差し出してきた。

「これなんか美味そうだろ。あとで食ってみようぜ!!」

 陣が指さしてきたパンフレットには、有名レストランのお勧め料理が写真付きで紹介されていた。よく見れば5段階評価の星が5つ並んでいる事からも、かなり人気が高い事が伺える。

 そんな陣の様子を見て、友哉はフッと苦笑を洩らす。

 そもそも今回香港に来た最大の目的は学校行事の為でも、まして旅行を楽しむ為でもなく、藍幇との決着を付けるためなのだが、陣のはしゃぎぶりを見ていると、何だか戦いそっちのけで観光に来ているようにも見える。

 だが、この底抜けの明るさには、ちょっと救われる思いだった。何だか、心の中に積っていた重みが、少し和らいだような気がする。

「何があったか知らねえがよ、そう落ち込んだ顔すんなって」
「おろ?」

 顔を上げると、陣は口元に笑みを浮かべながらも、どこか真剣なまなざしで友哉を見つめてきていた。

「何つーかよ、お前とか、瀬田とか四乃森とかの様子がおかしいのは、出発する前からうすうす感じてはいたよ」
「陣・・・・・・」
「けどよ、なんだかんだ言ったって折角の旅行なんだ。もっと楽しんで行こうぜ」

 陣は友哉達を取り巻く状況を何も知らない。だが、3人を取り巻くよそよそしい雰囲気から、何か感じる物があったのだろう。

 普段は粗暴でガサツなように見えても、流石はイクスの長兄役と言うべきか、「弟」や「妹」の様子の変化を察してくれたらしい。

 笑顔を浮かべる友哉。

 陣の言う通りだ。友哉にとっても初めてとなる海外。それも世界有数の観光地である香港に来たのだ。いくら極東戦役の一環とはいえ、多少楽しんでも罰は当たらないはずだった。

「ありがとう、陣」
「良いって、気にすんなよ」

 そう言って、友哉と陣が互いに笑みを交わし合った。

 と、その時、

 バタンッ

 不意に、2人のすぐ横から、乱暴な手つきで何かを閉じるような音が聞こえてきた。

 友哉と陣が同時に振り返ると、そこにはキンジが何やら、携帯電話を抱えたまま蒼い顔で立ち尽くしていた。

「おろ?」
「どうした、遠山?」
「い、いや・・・・・・」

 怪訝な顔付きで尋ねてくる友哉と陣に対し、キンジは明らかに挙動不審な態度で、手にした携帯をポケットに突っ込んだ。

 実はこの時、キンジにとっては聊か無視できない深刻な事態が起ころうとしていた。

 飛行機から降りて携帯電話の電源を入れると、メール着信は2件。相手は|鏡高菊代《かがたか きくよ》と|望月萌《もちづき もえ》の両名だった。

 2人とも、先日の特秘任務(と言う名の退学、編入騒動)で、キンジが深くかかわった少女達だが、その両名が、事もあろうに武偵を目指すと、キンジに伝えてきたのだ。

 菊代はキンジが神奈川武偵校附属にいた頃の同期であるが、その後は実家の家業である暴力団組織を束ねていた。しかしその組織もつい先日、キンジ、友哉、アリア、|金三《ジーサード》の襲撃を受けて壊滅し、菊代自身も路頭に迷う事になったのだが、どうやら古巣である武偵校に戻る事にしたようだ。

 一方の萌はと言えば、行きがかり上、事態に巻き込まれてしまった一般人であり、本来なら争いごととは無縁な性格である。血腥い闘争が日常茶飯事の武偵とは、そもそもからして住む世界が違う人物であるはずなのだが、先日の一件で何か思うところがあったらしい。まあ、武偵と一口で言っても、|鑑識科《レピア》や|車輌科《ロジ》、|情報科《インフォルマ》、|通信科《コネクト》と言った、比較的ドンパチとは縁遠い領域も存在している為、一般人が武偵になる可能性も皆無ではないのだが。

 しかし、キンジの懸念材料は他にあった。ただでさえ女嫌いだと言うのに、自分の周りには女が多すぎる。そこに来て更に増えようとしているのだ。これ以上は、本当に御免蒙りたい気分だった。

 とは言え、今キンジがいる場所は日本から海を隔てた香港。東京で起きている事に対しては何のアクションも起こす事ができない。否が応でも、任務を終えて日本に戻るまで棚上げするしかなかった。

 もっとも、日本に帰ったら「キーくんのハーレム(命名:言うまでも無く理子)」に新たな「側室候補」が増えている可能性は否定できない、というより考えたくないが。

「ほら、あんたたち、いつまでも駄弁ってないで、移動を開始するわよ!!」

 尚もめいめいの行動を取っている一同に対し、仕切りや気質のアリアが手を叩いて指示を飛ばす。

「橋頭堡は既に確保してわるわ。ついて来なさい」

 そう言うと、外国慣れしているアリアは、先頭に立って歩き出した。

 こういう見知らぬ外国での旅行では、旅慣れている者が1人でもメンバーにいるだけでも、旅がグッと楽になる感がある。

 そう言う意味では、アリアや理子、茉莉と言った存在は、友哉達にとっても心強かった。











 港町である香港は、急峻な山岳地帯を背景に大小無数のビルが立ち並び、更にはそれらを縫うようにして路面電車まで走っている為、外見的には雑然とした印象を強く感じる街並みをしている。

 そうした乱雑感も香港の魅力の一つなのだが、それとは打って変わって九龍島に面したウォーターフロントには、近代的なビル群が立ち並び、東京と比しても勝るとも劣らない摩天楼が威風堂々とした姿を見せている。

 イクスとバスカービルメンバーを乗せた車は、このウォーターフロントの一角にある高層ホテルの一角で停車した。

 ICCビルと呼ばれるそのホテルは、高層ビルが立ち並ぶ香港でも、最大の高さを誇っているらしい。

 アリアが司令本部を設けたのは、このビルの118階だった。

「アリアはペニンシュラが好みだったんじゃなーい? あそこ、純イギリス系だし」
「藍幇は香港中に手先がいるでしょ。あんな歴史あるホテルじゃこっちの動きが筒抜けになるわ。ここは開業したてだから、藍幇の影響も少ないはずよ」

 理子の指摘に対し、アリアは淀み無く答える。

 ペニンシュラとはザ・ペニンシュラ香港の事で、イギリス統治下時代からある伝統的な企業が経営するホテルグループである。イギリス出身のアリアからすれば、確かに自分の御国のホテルの方が居心地は良いかもしれない。

 しかしイ・ウー以上に伝統があり、構成員も多い藍幇からすれば、そうした伝統あるホテルには多数の目を光らせていると考えた方が良い。下手に踏み込めば、物理的に寝首をかかれる事にもなりかねない。

 そう言う意味では、アリアの判断は正しいと言えるだろう。

 加えて、利点はまだある。

 アリアは平賀文特性のホバースカートをこの香港にも持ち込んでいるのだが、これを使用する場合、平地から高空まで駆け上がったのでは効率が悪い。それよりも、香港一高いこのホテルに陣取り、いざという時にはすぐに飛び立つ。そうする事によって、燃費を押さえ、なおかつ航続力と速力も稼ぐ事ができる。

 まさに、一石三鳥以上を狙える選択であると言えた。

 118階にあるOZONEと言うバーを貸切にすると、一同はウェイトレスが運んできたアフタヌーン・ティーセットを摘まみつつ、早速作戦会議に入った。

「藍幇は昔からある組織でね、清朝の頃までは海賊だったんだよ。だからイ・ウーとも思想的に共鳴してたね。洋上アナーキズムって言うのかな、ああいうの?」

 トレーの上に載っていた一口サイズのケーキを摘まみつつ、友哉は理子の説明を聞いている。

 成程、イ・ウーも海賊であった経緯を考えれば、両者が互いに提携していた事も頷ける。加えて、イ・ウーのリーダーだったシャーロックは元々イギリス人。イギリス領時代の香港に出入りしていたとしても不思議は無かった。

 藍幇の拠点は中国各都市にあるが、その戦略傾向についてはバラバラであるらしい。攻勢を主とする都市もあれば、亀のように防御を主体とする都市もある、といった具合に。中でも香港はカウンター型とされ、敵の攻撃を受け流しつつ反撃に転じる、と言うスタイルを得意としているらしい。

「藍幇城だっけ? 藍幇のアジトはどこにあるの? あと、藍幇の構成員はどれくらい?」

 礼儀正しく挙手をしながら聞いたのは、ウーロン茶を蒸らし中の白雪である。

 対して理子は、やや肩を竦め気味にして言う。

「アジトの場所は判んない。藍幇城は海上に浮かんでいる浮島みたいなもんでさ、それをタグボートで牽引して香港島とか九龍半島を行き来しているの。人数は・・・末端まで数えると100万人くらいかな?」
「100万!?」

 あまりの数字に、聞いていたキンジは思わず手にしたタルトを取り落としていた。

 驚いたのは友哉も同じである。

 敵軍100万に対して、味方は僅か9人。物量では端から相手にならない。

 ただ、理子の説明によれば、100万全てが戦闘員と言う訳ではなく、藍幇の構成員には政財界や教育、司法と言った一般人と区別が付かない者達もいるらしい。それでも、厄介な事に変わりは無いが。

 何か作戦を起こそうとしても、常に敵の目を気にしなくてはならない。それこそ孫悟空ではないが、イクスもバスカービルも藍幇の掌の上で踊るしかない状況である。

「|撒餌作戦《バーリィ》よ。その目の多さを逆用するわ」

 断を下すようにアリアが言った。

 |撒餌作戦《バーリィ》とはその名の通り、囮を用いて相手が仕掛けてくるのを待つ作戦である。やり方としてはまず、敵地に侵入すると、戦力集中の法則を無視して敢えて散開するようにして行動する。そして敵がその内の誰か1人に食いついたところを見計らい、その囮役は持ち堪えつつ、味方が集まってくるまでの時間を稼ぐと言う訳である。香港系藍幇のように、カウンター狙いの組織を相手にするには、闇雲に走り回って捜査するよりも敢えて隙を見せて引きずり出す方が有効のように思えた。

 だが、

 友哉はチラッと、キンジの方を見る。

 先程から見ていれば、キンジはアリアに喋らせるに任せて、自分は最低限の補足説明をするにとどめているように思える。

 因みにこの場での指揮権最上位はバスカービルのリーダーであるキンジである。次いで次席指揮官がアリア、指揮権三位が友哉、四位が茉莉となる。

 本来ならイクスのリーダーである友哉が次席指揮官になっても良かったのだが、指揮能力はアリアの方が高いし、イクスはバスカービルの別働隊としての役割も担っている。いざという時はバスカービルとは別行動を取る事になる為、このように指揮権序列が成されていた。

 だが、どうやらキンジは、今回の作戦の指揮一切をアリアに任せる心算であるらしい。

 確かに、こういう海外での任務は、経験が少ないキンジよりもアリアの方が向いているかもしれなかった。

 その後、バディ編成として、バスカービルはアリアが指揮官としてホテルに残留、他の4名はキンジと白雪、理子とレキに分かれる事となった。

「友哉、イクスは4人一緒に行動しなさい。あんた達は緊急即応部隊として、敵が誰かに食いついた時に急行してもらうわ」
「ん、了解」

 コーラを飲みながら、友哉はアリアに手を上げて了承の意を示す。

 万が一、敵が先制攻撃を仕掛けてきた場合、イクスがまとまって行動していれば、戦力を早い段階で集中させる事もできるとアリアは考えたらしかった。

「じゃあ、お茶を飲み終わったら作戦開始よ。今の香港は治安は悪くないけど、それでもスリとかは出るみたいだから気を付けて。コラッ キンジ聞いてるの!?」

 などと、仕切り屋の本領を発揮しつつ、それでも的確な作戦指示を行うアリア。

 そのアリアの指揮の元、対藍幇戦の幕は上がった。











 上半身裸の引き絞られた体を空気に晒し、片足で立ちながら瞑想する姿は、仏教系の仏像を思わせるような神々しさがある。

 僅かな呼吸が織りなす僅かな隆起により、筋肉がきしむ音が聞こえるようだった。

 |呂伽藍《りょ がらん》は、手にした方天画戟を水平に構え、右足の爪先のみで体重を支えながら、その場で立ち尽くしている。

 この姿勢を始めてから、既に1時間以上経過しているが、一切微動する様子は無い。

 ただ一点を支柱に巨体を長時間にわたって支えるのは、技術もさる事ながら、恐ろしいまでの集中力が必要となる。

 だが、それも終わりが来る時が来た。

 僅かに体が揺れたと思った瞬間、

 伽藍はカッと目を見開いた。

 次の瞬間、手の中にある方天画戟が凄まじい勢いで振り翳される。

 長柄の武装が大気を巻いた瞬間、衝撃波によって周辺の空気が砕け散り、壁と言う壁が悲鳴のような唸りを上げた。

 ただ、武器を振るっただけでこれである。

 この男が「戦神」などと言う大層なあだ名で呼ばれている事が、伊達でも誇張でもない事は明らかだった。

 再び訪れる静寂の中で、伽藍は方天画戟を振り抜いた状態を維持したまま、再び微動だにせずにいる。

 その静寂は、背後からの声によって破られた。

「伽藍様」

 背後からの声に首を僅かにひねって振り返ると、頭からつま先まですっぽりとローブを被った人物が膝を突いて臣下の礼を取っていた。

「何事か?」
「ハッ 以前より伽藍様が懸念されていた者が、香港に入ったとの情報が上がりましたので、ご報告に」

 その言葉を聞き、

 伽藍は口の端を吊り上げるようにして笑みを浮かべる。

 その脳裏に浮かぶのは、つい先日、日本に行った際に交戦した少年の事だった。

 女のような顔をしていながら、その剣腕は凄まじく、戦神と呼ばれる伽藍相手に一歩も退かなかったどころか、反撃にまで成功している。

 後に諸葛静幻に話を聞いたところ、彼は東京武偵校の学生で、名前は緋村友哉。飛天御剣流と言う、日本の戦国時代から伝わる古流剣術の使い手であるらしい。あのイ・ウー壊滅にもかかわったらしいと言うから、その実力の高さは充分であると言える。

「面白くなってきたではないか」

 やはり、自分の勘は外れていなかった。あの男とは、いずれ再戦する機会があると思っていたのだ。

 しかも、今回はこちらのホームグランドにわざわざ踏み込んできてくれたのだ。丁重なもてなしをしなくてはならない。

「行くぞ、出迎えの準備をする」
「ハッ」

 そう言うと伽藍は、手にした方天画戟を担いで歩き出す。

 その口元は、実に楽しそうに吊り上げられていた。





 囮、と言っても別段何かをすると言う訳ではない。ただ香港の街をぶらぶらと歩いて、獲物が掛かるのを待つだけ。

 撒餌作戦は単純な分、時間がかかるのが難点だろう。

 もっとも、学校の課題はあるし、できれば観光もしたいイクスメンバーからすれば、それは願っても無い状況ではあるのだが。

「とは言え、そうも言ってられないから困ったもんだね」

 友哉は所在無げに壁に寄りかかりながら、何とも無しに嘆息する。

 この場にいるのは友哉1人である。

 茉莉と瑠香は、服が見たいとかで、友哉の目の前にあるブティックへ入って行った。友哉には良く判らないが、どうやら香港でもそれなりに有名なブランドであるらしい。

 陣はと言えば、「女の買い物は長いし疲れる」と言って、その辺に散歩へ出かけてしまった。

 おかげで、友哉は1人、手持無沙汰で佇んでいる事しかできなかった。

 できれば友哉も観光したいのはやまやまではあるが、今こうしている間も藍幇の監視を受けているかもしれないと考えると、とてもではないが落ち着いて見て回る事も出来なかった。

 下手をすれば、街行く人全てが敵に見えて来るから困った。

 だが、こうして1人立っていれば、またぞろ女と間違われて通行人からナンパをされかねない。そろそろ何らかのアクションを起こした方が良いか?

 と、そう思った時だった。

「ほらよ、友哉」
「おろ?」

 陣に呼ばれて振り返るのと、その顔面に何かが降ってくるのはほぼ同時だった。

 途端に、強烈な熱さが額を中心に顔全体に広がった。

「おろ〜〜〜〜〜〜ッ!?」
「おいおい、しっかり取れよ」

 慌てる友哉を見ながら、投げつけた陣は手にしたものを口に運んで、呑気に咀嚼している。

 ようやくの思いで顔に張り付いている物を手に取ってみると、どうやら肉まんであったらしい。

 ふかふかに湯気を立てている肉まんは、いかにも美味そうである。もっとも、そのせいで友哉の顔は円形に赤く染まってしまっていたが。

「陣・・・・・・・・・・・・」

 友哉がジト目になって睨むと、陣はニヤリと笑って、自身が食いかけの肉まんを掲げて見せる。どうやらそれが、散歩の「戦果」のようだった。

「なかなか美味いぜ、食ってみろよ」

 勧められるままに渋々と口に運んでみると、成程、確かに言うとおり、肉まん特有の濃厚なうまみが口全体に広がった。

 ひとしきり、肉まんの味を楽しんだ後、友哉はおもむろに、隣に立つ陣を見上げて尋ねた。

「何か動きは?」
「ねえな。今のところ『猿』は尻尾も見せねえよ」

 そう言って、陣は肩を竦めて見せる。

 因みに猿と言うのは、孫悟空に因んだ符号であり、藍幇全体の事を差している。事前の作戦会議で取り決められていた。

 流石に防御型の戦略思考をしているだけあり、香港系藍幇はなかなか姿を表そうとしない。

 バスカービルの方からも何も言ってこないところを見ると、あちらも主立った動きは無いようだ。

 時刻は、間も無く夕方に差し掛かろうとしている。

 予定通りなら、今頃バスカービルはおやつ時を利用して集合し、それぞれ情報交換を行った後、今度は司令本部に残留したアリアを除く4人が、散開して囮になる予定である。

 恐らく、仕掛けて来るならそこだろうと、友哉は睨んでいる。こちらが完全に無防備になる瞬間だ。もし藍幇がこちらの動きを掴んでいるなら、この絶好の機会を逃す手は無いはず。

「こちらは連絡があり次第、すぐに動くからね。そのつもりでいて」
「おうよ、任せとけって」

 頼もしく請け負いながら、陣は二つ目の肉まんを口に運んでいる。

 一見すると緊張感の無い行動にも見えるが、これが陣特有のスタイルであるらしい。ならば、友哉としては特にいう事は何も無かった。

「さて、そろそろ、茉莉たちが戻って来るんじゃないかな?」

 いくら女の買い物が長いとは言え、茉莉と瑠香も今がどういう状況下は弁えているはず。そろそろ出て来るだろう。

 そう思った、まさにその時、ブティックの扉が開いて意気揚々とした瑠香と、そして明らかに疲れ切った表情の祭りが出て来るのが見えた。

 その様子を見て、友哉は思わず苦笑を漏らす。

 どうやらまた、茉莉を着せ替え人形にして遊んできたらしい。時間がかかったのは主にその為だろう。

 香港に来てまで同じことをしている辺り、変化が無いと評価するべきなのか、あるいはブレていないと褒めるべきなのかイマイチ判断がつかなかった。

「お待たせ〜」

 元気に駆け寄ってくる瑠香。

 その後ろから、重い足取りの茉莉が付いて来る。

「お疲れ様」
「・・・・・・ありがとうございます」

 疲れ切ったその一言だけで、自分の彼女の身に何が起きたのか友哉は察し、心の底から同情を寄せる。

 とは言え、こうしている間にもバスカービルの方は行動を続けているはず。

 特に先述したとおり、これからの時間が最も無防備となる時間である。イクスとしても最大限の警戒をする必要があった。

「よし、それじゃあ・・・・・・」

 友哉が一同を見回して、何かを言おうとした、正にその時だった。

 突然、コートの内ポケットに入れておいた携帯電話が着信を告げた。

「・・・・・・・・・・・・おろ?」

 着信の表示を見て、友哉は思わず首をかしげる。

 液晶には「神崎・H・アリア」とあった。

 アリアは司令本部にいて全体の指揮に当たっている為、ホテルから動いていない。そのアリアからの連絡が入ったと言う事は、何かしら状況に変化があったかもしれない。

「もしもし、アリア。緋村だけど、どうかした?」
《友哉!!》

 耳に当てると同時に飛び込んできたのは、明らかに狼狽を含んだようなアリアの切羽詰まった声だった。

 その様子だけで、友哉は何か容易ならざる事態が起こっている事を察した。

「アリア、どうかしたの?」
《大変ッ・・・大変なのよ、キンジが!!》

 電話口から聞こえてくるアリアの声。

 それはいつに無いほど、怯えている様子に友哉には思えた。





第35話「撒餌作戦」      終わり
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