死。 

October 29 [Mon], 2007, 22:08
 今日、私はある方の死に立ち会った。
 これまで会ったことがなく、正に「初めまして」が、その方との最初で最期のご挨拶であった。

 家庭の複雑な環境の中でその方は、亡くなる3週間前になって初めて関係の親族に居場所が役所から通知されるという異例の出来事だった。つまり、言わばその方の所在が行方不明だったのである。

 全く接点が無かった私が、その方の初対面でもある葬儀の場に導かれたのも必ず意味があると思った。棺に花を詰め、その方の顔を拝見した時、この方はご自身のこれまでの人生をどのように振り返るのだろうかと思った。同時に、私は心の中で、「この世に生れ、ご経験された様々なことは必ずご自分の魂に刻み込まれているはずです。来世があればそれを活かして、ご活躍されて下さい。心からご冥福をお祈り致します」と念じた。

 思わず涙がでそうになった。

 親族を入れても20人程度のささやかな式であったが、心からその方に対する敬いの念を抱いている方々が涙を流されていた。

 ふと私は、「自分が死んだ時、こうして涙を流してくれる人たちはいるのだろうか」という愚問を抱いた。今を生きていない証拠だろう。

 人間は生まれた瞬間から死に向かって歩んでいくものであり、その死も生まれる前から自分でいつ死ぬかも決めて生まれてくるという。その死に方も含めてらしい。

 しかし、如何に死ぬかということではなく、今を生き、つまり満足して生き抜いた結果が「死」に現れると私は思う。結果というものは、その過程が何よりも重要なのであり、目標を設定して生きることは非常に重要であるが、「結果」を設定して生きることは果たしてどこまで意味があるのかと心から思う。

 私はまだまだ自分の生き方に納得がいっていないし、「今を生きて」もいない。
 だから、「今を生きられる」ように、心がけ、自分に納得出来るような「生き方」を死ぬまで追い求められたら、それは素晴らしいことなのだろうと心から思う。

 そして何よりも、今をこうして生活出来ていることに、心から感謝したい。
 感謝の気持ちを絶対に忘れずに死んでいきたいと、それだけは思う。

                                    岬美由紀 

力。 

October 20 [Sat], 2007, 22:35
 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
 全身を見えない霧のようなものが自分を包むように感じ、周りからの雑念をシャットアウトするイメージを作る。
 そして今ある乗り超えるべき壁に向かうにあたり、丹田(臍の下にある経絡)に力を込める。

 感謝の気持ちを常に抱きつつ、自分は見えないが確実に存在する「何か」に見守られていて、そして、多くの見える所、見えない所で応援してくれている多くの人たちに礼を述べる。有難うございます、と。

 常に明るく、楽しく、前向き、元気に。
 心配するな、そうすれば何も悪いことは起こらない。
 感謝の気持ちを忘れない。
 そして何よりも自分のために。
 前を向いて歩こう。後ろを向いたままでは決して歩けないから。

 強い心を持つには、努力が必要で、その努力を怠ると決してしっぺ返しが来る。しっぺ返しを恐れるが故に努力をするのでは決してなく、常に自分のために、努力を惜しまない姿勢を、私は心に刻み込みたい。どんな時も。
 
 そして、笑顔が常に幸運をもたらすことも、私は決して忘れない。
 
 意味のない人生なんてなく、そう思うから人生に意味がなくなっているだけだ。この世に無駄な人生なんて決してない。

 私は負けない。決して負けない。常に心を穏やかに。

                                         岬美由紀

見返り。 

August 14 [Tue], 2007, 21:03
 「他人に見返りを求めてはならない。自分が助けた人が良き方向に導かれたとしたら、それが自分への見返りである。」                        −美輪明宏−

 先日、たまたまつけていたテレビの某番組で同氏が先方に見返りについて述べていた言葉である。私は同氏のこの言葉に非常に共感を持った。

 以前、私は、人を支えてあげるにあたって見返りを求めてはいけない、但し相手が支えられることを期待して倒れてきたとしてもそれを受け止めることが必要であると。
 人間は絶対と言える程、自分が相手にした好意に対し、その見返りを求める。これは人間としてごく普通の感情であると言える。他方で、はじめから見返りを期待して相手を支えようとするならば、その好意は単に自己満足の好意に過ぎない。人を初めから助けようとする意思等なく、それはむしろ自己満足と言えよう。

 自分が相手を支えることでその人が良い方向へ導かれていく。それ自体は素晴らしいことではないのだろうか。そして正しくそうなることが自分が相手に望んでいたことであり、それ自体が言わば自分への「見返り」なのだろう。

 自己満足と見返りは全く同じに見えて、実は相反する行為ということが氏の言葉でつくづく身に染みて感じた。

 そう、私が前を向いて歩いてもらいたい人たちが少しずつ前を向いて歩き始めるなら、それは私への最大の見返りであり、恩返しと受け取りたい。そして、時々は、その後、どうしているのか、楽しみにして状況を聞ければと心から感じる今日この頃である。

 多くの人たちが、多くの人たちへ、素敵な見返り、そして真の見返りを得られるよう、切磋琢磨することが、何よりも大切なことなのだろう。
                                  岬美由紀

英雄。 

July 31 [Tue], 2007, 23:02
 「君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ。」
                               −ニーチェ−

 私の尊敬する人からの吉報に久しぶりに心から感動した。
 
 自分の弱さを知りつつ、それを乗り越えようとする、若しくは乗り越えようと試みる初めの一歩は誰でも辛い。そしてその一歩を踏み出した後も、如何に自分の想いを持続させ、努力を続けることの辛さなど、自身が身をもって理解することが何よりも大切なことなのだろう。

 久しく、私は、そうした気持ちを持たず、敢えて向き合おうとしていないのではないか?という疑問がずっと続いていたが、その人の吉報を聞いて、自分も必ず向き合わなくてはという気持ちがふつふつと湧き始めた。

 心から感謝したい。

 感動とは、そこらじゅうに落ちているが、ただ単にそれに気がつかずに毎日を過ごしているに過ぎない。こうして、教えて頂いた「感動」を自分の魂に刻み込み、私も前に進んでいきたい。心から。

                                       岬美由紀

環境。 

July 10 [Tue], 2007, 21:32
 「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。」
                        −高橋歩−

 私は今、自分が置かれている環境に心から感謝している。本当に恵まれていると心から思える。

 私はどちらかと言えば、人との接触を嫌い、己の中に逃げ込む人間である。しかし、今ある環境は、そんな私自身を変えてもらえるような、素晴らしい環境であり、周りの人たちへの感謝の気持ちで一杯である。

 多くの人たちと接触する機会を否が応でも持つこと。そして、そんな中で多くのことを学び、その学べる環境にいるということに心から感謝すること。今の私の率直な感想だ。

 何となくだが、ここにきて、少しずつ私の身の回りに変化が起きていることを感じている。多分、何かの合図であろうと思う。こういう勘はあまり外れない。

 ただ一言言えることは、自分にはまだ「学ぼう」とする意思が自分の中に確実に根付いており、それを行動に移せる力もあるということだ。

 単に待っているだけでは何もできない。大事なのは自らの意思で行動すること。言葉ではとてもとても簡単なことだが、それができずに困っている多くの人たちがいる。

 そんな人たちに私は、「私でも出来る。あなたならもっとできるはず。」と心からこの言葉を贈りたい。

 人との出会いに感謝すると共に、そんな中で学べる機会も多くあることにも心から感謝したい。そして何よりも身近なものでいい、何でもいい、ささやかな夢を持って生きることを目標にして、毎日を過ごすことが出来たら、それはきっととても幸せなことなのだろう。

                                 岬美由紀

バランス。 

July 04 [Wed], 2007, 23:44
 「自分の言ったことを決して取り消さない人は、真理より己を愛する人間である。」
                              −ジュベール−

 私の周りにいる人たちは、私自身、尊敬出来る人がとても多い。仕事量が膨大であったり、中身が非常にレベルの高いものであったり、本人自身辛いのは確かなのだが、それを顔にも出さずになんとかこなしている。

 そんな中で、仕事以外のプライベートな部分に歪みが生じた時、彼らはどうすべきか真剣に迷わざるを得ない。誰しもがそうだ。しかしそのプライベートな部分が繊細であればあるほど、自分自身の立ち位置が微妙にずれ始め、事態が急速に悪化していくのだ。

 「彼と離婚をしようと思っている。」「実は彼女とは昨年末に離婚した。」

 特に後者になると、それまで、一人、多くを抱え気も狂わんばかりの生活を送ってきたことなど容易に推測出来る。事実、本人に聞けばそうだったと言う。しかし可能な限り、仕事には差し支えないよう、最大の努力を彼らはしているのだ。
 なんとか自力で解決し、良くも悪くも結果を出し、落ち着く所に落ち着くのだ。

 私は、結局、全てにおいてバランスが必要なのではないかと思う。つまり、本人自身のバランスと本人と相手とのバランスの二つだ。

 相手の意見を取り込んで、これまで持っていた自分の主張を変えられるというバランスと勇気。自分と相手との付き合い方を調整するというバランスだ。

 一生掛っても、完全なバランスなど完成しないのは言うまでもないが、少しでもそれに近づけるよう、自分とそして相手と共に努力することが必要だと思う。

 私は己を愛するが、同時に真理も愛したい。そして相手も愛し続けたいと思う。それには何よりもそういったバランスが不可欠なのだと心から思う。

 辛い気持ちで生活を送る数多くの人たち。少しでも良い方向に進もうと思えるなら、そうしたバランスを持てる、または持とうと思う勇気が何よりも大切だと思うから。

                                    岬美由紀

依存。 

July 01 [Sun], 2007, 10:51
 「愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことはその次に良い。」 
                               −ウィリアム・M・サッカレー−

 人を本気で愛すること、愛が何を意味するかは人それぞれかもしれないが、愛が時として「依存」に代わってしまうことがある。相手と共に過ごすことが「自分の一部」になり、少しでも相手が自分をなおざりにしていると分かった時、それが既に「自分」が「自分」でなくなり、「自分」の「心」が相手に移ってしまったかのごとく、自分は空虚に、そして虚しさや時として怒りさえも覚えることがある。

 私はそれは「愛」の形ではないと思っている。それこそが正に人への「依存」なのだ。
 自分が立っている位置さえ把握していれば、相手が時として自分をおざなりにしていると感じたとしても別に気にならず、そしてやがては相手も自分を認め始める。

 「愛」とはそんなものなのではないだろうか。つまり人を愛するということは自分の立つ位置を先ず把握し、それが100%でなくとも少なくとも3割位はそれを理解していればこそ、相手に依存することはないと思う。

 他方で、考えていることと、「心」は別の行動を起こす。
 もし自分が相手に依存していると考えるならば、暫くの間、距離を置くことも必要なのではないか。それは相手にとっても、自分にとっても正に正しい選択であると私は思う。
 お互いが依存している間は、何も良いこと等生まれず、逆に不幸ばかりが生まれるだけである。二人がお互いの存在を心から認め始めたその時こそ、「依存」はなくなり、「依存」から「共存」に代わる。

 人に頼って生きることは当然だ。しかし、それは飽くまでも自分が一人で立っている時こそ、できることなのではないだろうか。人に頼ることは恥ずべきことでは決してない。しかし、自分も相手に求められる時、きっちりとそれに応える自信を持てるようになるまで、自分の立つ位置をしっかりと掴むという訓練が、私は必要ではないかと思う。

 相手と距離を置くことは確かに非常に辛く、悲しい。しかし、それ以上に「依存」を続けることこそ、悲劇を増長させるものはないと私は思う。

 勇気を持って、一歩踏み出すことが、何よりも大切だと思うから。

                                       岬美由紀

無力。 

June 19 [Tue], 2007, 21:45
 「ボクシングにラッキーパンチはない。結果的に偶然当たったパンチにせよ、それは練習で何百、何千と振った拳だ。その拳は生きているのだ。」
                            −森川ジョージ「はじめの一歩」−

 私は、時として自分が「無力」だと感じることがある。自分が生きている意味があるはず、そしてそれが分かっているにもかかわらず、一人、何故、自分はここにいるのだろうと。

 思い通りに簡単にはいかないのが生きていて普通のことであり、うまくいくことの方が遥かに少ない。この数十年を振り返れば、否、振り返るまでもなく、そんなことは当然である。

 ただ、そう感じた時、じゃ、自分は次に何をすればいいんだろう?と己に問うことだ。そして、大して回転しない頭の中で、一生懸命、解決策を模索しようとする。

 それでいいんだと私は思う。簡単に答えが出ないのが生きていく中で必然であり、そうでなければ、それこそ、ここにいる意味がないのだ。

 「無力」。この言葉はマイナスの意味で使われることが当然であるが、私が頭を冷やすのには、最高の言葉である。

                                          岬美由紀

これから。 

June 18 [Mon], 2007, 21:35
 「三月の風と四月のにわか雨とが五月の花をもたらす。」
                              −西欧の諺−

 今日は私の尊敬する人の誕生日だ。これからその人にお祝いの言葉を届けたい。


 親愛なるあなたへ

 誕生日、心からおめでとう。今日を無事に迎えることが出来たことを心からお祝い申し上げます。
 今日という素晴らしい日を迎えるにあたって、私はあなたに上の言葉を贈ります。私にとても似ているあなたなら、もう何も言わなくてもこの言葉の意味はよく分かっていることでしょうね。

 「今ある自分」はこれまでその自分を作ってきた「自分」です。
 「理想の自分」を築くためにはそれなりのことが必要です。そのためには、長い時間を必要とすること、自分が決めた約束をしっかりと守ること。そうすればきっと「理想の自分」に近づけるはずです。焦ることなく、ゆっくりと、穏やかに、歩いてみて下さい。自分の立っている位置が必ず分かると思います。

 残念ながら、私はあなたの一番近くにいることは出来ません。これが運命なら仕方のないことでしょう。それでも、私は遠くから、あなたをサポートしてあげたいと心から思ってます。それが親愛なるあなたへの恩返しだからです。せめてものお礼です。

 「三月の風」と「四月のにわか雨」。そして五月に「素晴らしい花」を咲かせるためには、あなた自身が地にしっかりと足をつけて歩いていくことが必要なのでしょうね。苦しい時がたくさんあるかもしれません。それでもあなたは絶対に笑顔を絶やさないで下さい。あなたの素敵な笑顔を見て、多くの人たちが見える所、見えない所であなたを応援しています。私もその一人です。

 お互いに、前を見て、笑顔で歩きましょう。
 きっと素敵な未来が見えてくると思います。

 今日の「この日」をきっかけに、これからずっとあなたに幸運が訪れますように。

                                         岬美由紀 

過去。 

June 05 [Tue], 2007, 21:31
 「運命の中に偶然はない。人間はある偶然に出会う以前に、自分がそれを作っているのだ。」
                                         −ウィルソン−

 私は基本的に仏教の「輪廻」、即ち生死を繰り返すという教えを信じている。もしそうでなければ、この世に自分たちが生きている意味が分らないからだ。

 前世、または過去世とも呼ばれるそうだが、自分がこの世に生まれたからには、今、この瞬間に生きている意味があり、「何か」を成し遂げることが必要なのだ。自分が持つ長所をさらに伸ばし、そして短所をなくす。あらゆることを経験し、自分の魂にその意味を刻むこと。

 我々が生きている意味は、恐らくそういったものだと私は思う。

 生きていれば、良い流れにいるときもあれば、そうでない時もある。とかく人間は「悪い流れ」にいる間は、それを「運命」のせいにしがちだ。しかし、そうなってしまったのはそれまで自分が作ってきた「流れ」がそうさせているに過ぎない。即ち、その逆も然りだ。

 悪い流れの中にいる時は、それに耐え忍ぶ努力が必要だ。そして自らその流れを断ち切り、良い流れを作ることがとても重要なことである。簡単にそこから逃げるのではなく、なぜ、今自分がこうした流れの中にいるのかを適切に考えることがとても大切なことなのだろう。

 正に運命とは、自分が切り開くものであり、今ある自分は自分が作った自分である。自分自身に適切な責任が持てるように、常に前を向いて歩くことが大切なのだろう。
                                     −岬美由紀−
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