よい住人の住む よい世界 のために

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現職はお役所勤め、社会・人間開発分野への転職を志しています。
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サイトマップ / 2007年12月31日(月)
存在を知り 意識できるかぎり たとえ一生知り合わなくても
世界の90数%の人々が 自分と関わりのある尊厳ある命です

かくあるべきルールに しばられた社会は 自由じゃないけれど
よい住人の住む 秩序ある世界は よい世界です


ようこそ、AIです。
途上地域の社会・人間開発分野にたずさわることへの
漠然とした意識が、本格的な使命感に変わったきっかけは、
昨年06年夏に今や経済大国となったインドで
目のあたりにしてきた貧富格差の衝撃でした。

グローバル化によって「国際社会」の問題は
いま地球の裏側や他所事ではない、
私たち一人ひとりの生活空間である市民社会と
別次元のものではなくなったと思います。

地球自治=グローバル・ガバナンスに参加し、
「より平和で繁栄した公正な世界」 を
21世紀の国際社会の目標とした「国連ミレニアム宣言」に
主体的にコミットしたいです。

2000年9月、国連ミレニアム・サミット採択のミレニアム宣言から、
平和と安全、開発と貧困、環境、人権とグッドガバナンス(良い統治)
アフリカの特別なニーズなど開発目標が掲げられました。

これら国際社会の課題に一生を通じて携わることを最終目標に、
「よい世界をつくる」「よい住人になる」
2つをテーマに発信していきます。



画:「A Day in the Life of Africa」
世界中の写真家100人が写真に焼付けたアフリカ。
写真の一部が見れるサイトはコチラ。
プロジェクトサイトはコチラ。



・・・ よい世界をつくる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  (1)世界のためにしたいこと
  (2)途上国の貧困 
  (3)フィリピン
  (4)南アジアの貧困 1 2 3
  (5)フセイン元大統領死刑執行
  (6)ハッピー
  (7)国際機関で働くためマスター
  (8)国際NGO
  (9)私の仕事について
  (10)やりたい仕事について
  (11)企業のCSR部門から社会開発に携わる
  (12)人間の安全保障
  (13)アジアの貧困と臓器売買

・・・ よい住人になる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  (1)かくあるべきということ
  (2)応用倫理学とは 

  T 死生学(タナトロジー)

  (1)脳死と臓器移植 1 2 3
  (2)尊厳死法制化
  (3)いじめ自殺
  (4)死刑廃止論

  U 生命倫理

  (1)遺伝子操作とゲノム研究 1 2 3
  (2)遺伝子診断と出産の選択
  (3)ゲノム研究の生命倫理 1 2 3

  V メディア倫理

  (1)犯罪被害者の取材拒否権
  (2)性犯罪被害者のプライバシー 1 2 3

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
   
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アジアの貧困と臓器売買 / 2007年05月29日(火)
臓器売買は人間の尊厳に反し、人身売買の歴史の反省を
ふまえても許されません。
しかし、フィリピンやインドでは、貧困層が臓器売買ブローカーの
餌食となっているのが現実です。

貧困の問題は人権の問題、とインド経済学のセン博士は
提唱されています。
貧困により普通教育が受けられないことは、
売買や労働はじめ適正な契約をできず、
彼らを保護すべき法律の知識をもてないということであり、
つまり人権の問題そのものです。

彼らが普通教育が保障されれば、ブローカーから搾取される
リスクは減り、以って人間の生命の尊厳を危機から救うことが
できると思います。

臓器売買の問題は人類全体の生命倫理の問題でもあり、
このような生命倫理と貧困の問題の接点上の問題は、
いちばん関心を寄せていることです。

以下、関連ニュースの抜粋です。


臓器売買が違法とされていないフィリピンに渡り、同国の生体ドナー(臓器提供者)に謝礼を払って腎臓移植を受けた日本人が86年以降少なくとも10人いたことが、粟屋剛・岡山大大学院教授らの現地調査で分かった。(中略)外国人への提供では最多だったという。

<<記事リンク>>
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20070518k0000m040069000c.html

記事元サイト:毎日新聞07.5.18


現在、世界的な臓器不足などからアジアでは臓器売買や死刑囚移植が行われている。特にフィリピンでは、ドナー確保及びドナーの適正な保護などのために、政府主導で実質的に臓器売買を推進する制度が作られようとしている。しかし、国際機関や日本を含め世界中のほとんどの国では臓器売買は禁止されている。一方で、移植用のヒト組織はすでに商品となっている。
移植用臓器需給の極端なアンバランスと技術進歩、市場主義のもとで、単に「臓器売買は人間の尊厳に反する」というだけでは何も解決しない。

<<記事リンク>>
http://asia.kyushu-u.ac.jp/home/ajiarikai/kiroku/19/2/guide.pdf

記事元サイト:九州大学アジア理解講座シンポジウム
         臓器売買が問いかけるもの-アジアの苦悩-



インド、チェンナイ発――2007年1月に行なわれた警察の強制捜査で、人間の腎臓を売買したとして密売人3名が逮捕された。この一件で、地域の医療規制当局の不始末に注目が集まるとともに、臓器売買に関する国際的な議論が再燃している。

タミル・ナードゥ州の各地に住む500人以上の人々が、1994年に成立した臓器移植に関する規制法に違反して、臓器ブローカーに自分の腎臓を売ったと話している。しかし規制法の成立以降も、この法律を守らせなければならないはずの行政当局は、しばしば見て見ぬふりをしてきた。

<<記事リンク>>
http://wiredvision.jp/news/200705/2007052320.html

記事元サイト:WIRED NEWS 07.5.23
 
   
Posted at 19:20 / よい世界をつくる / この記事のURL
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人間の安全保障 / 2007年05月29日(火)
「人間の安全保障」の著者セン博士はインドの経済学者。いまや経済大国となりながら、格差社会で基礎教育が受けられない貧困層の子どもがいるインドにおいて、博士が実施している初等教育に関する研究が明らかにした、教育の恩恵について論じられています。
またグローバルな商取引の機会をうまく利用して貧困をなくしてきたケースとして日本を例に挙げ、その基盤にあったのは基礎教育だと指摘しています。

ところで、経済成長とあいまって教育熱高騰する韓国では、学校でのいじめに悩む学生たちが、政府にボディーガードの派遣を依頼できるようになりました。
「韓国政府は、校内暴力減少を目指し、来月からボディーガード派遣サービスを実験的に行うことを計画。同国教育人的資源省によると、必要に応じて通学時の身辺警護にあたる人材が派遣される。(ロイターhttp://today.reuters.co.jp/news/articlenews.aspx?type=worldNews&storyid=2007-02-27T162235Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-248809-1.xml&src=rss&rpc=112)」
教育人的資源省というネーミングから、人材としての国民という感覚が伝わってきます。

一方日本のいじめ、ゆとり教育の現状はいかに。日本は切り捨てもやむをえないと教育・経済格差社会へゆるやかに向っているようですが、負の効果のほうが大きくなるのは自明です。

以下、「人間の安全保障」より抜粋。

「2001年9月11日の当日ですら、ニューヨークで起きた残虐行為を含めた身体的な暴力以上に、エイズによってより多くの人が死んでいたのです。

私たちは人間の安全を脅かすものが暴力だけでなく、さまざまなかたちで現れることにも気づかなければなりません。

幸い、基礎教育を普及させ、その効果を拡大すれば、世界各地で人間の安全を脅かすほとんどの危険にたいして、おおむね強力な予防効果を発揮することができます。

最も基本的な問題は、識字力や計算能力がないこと自体が一種の不安、困窮状態であるという、根本的な事実とかかわっています。読み書きができない場合、人は自らの法的権利を理解し、それに訴える能力がかなり限られてしまいます。」
 
   
Posted at 19:18 / よい世界をつくる / この記事のURL
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企業のCSR部門から社会開発に携わる / 2007年04月25日(水)
 企業のCSR部門から社会開発に携わる方向性に、いま強く惹かれています。

 (財)地球・人間環境フォーラム報告、「開発途上地域における企業の社会的責任CSR in Asia」より、

「近年、経済活動のグローバル化、ネット普及等情報化の進展、社会情勢の多様化、国内外を問わず発生した企業不祥事などを背景に、企業の社会的責任(CSR)に対する関心が急速に高まっている。

 欧米企業、日本の大企業を中心にCSR専門部署が設置され、まだ具体的な取組みを行っていない企業の多くも、企業価値を高め社会から信頼を得る為に欠かせないことと情報収集を始めている。

 特に開発途上地域に立地する日系企業にとっては、進出先での異なった価値観や慣習、社会経済状況下で、労働者、地域社会、消費者と良好な関係を保ち、人権問題や公正な労働基準の確保、貧困問題への対応といった責任を果たす必要がある。」

 TDLCのニューストピック、官民双方の熱意ある取組みがうかがえます。

「途上国が市場として注目される中、新しいアプローチを取り入れたビジネスの開発を通じて、貧困削減に貢献する企業が増えている。

 このようなトレンドを踏まえた議論を促すため、世界銀行グループCSR(企業の社会的責任)イニチアチブに基づく新しいセミナーシリーズが始まり、2007年3月8日、官民両セクターからCSR活動の担当者ら約150人が集まった。」

 CSR部門をもつ企業の採用情報をチェック。
 「京都議定書」に定められた温室効果ガス削減に配慮した環境技術・製品の開発、環境調査分野など、いわゆる「グリーン雇用」はすでにトレンド。応募条件も技術士・理系との留保が。

 イオン鰍ヘCO2削減と、「イオン1%クラブ」(イオングループ企業各社が税引き前利益の1%を拠出し、「環境保全」「国際的な文化・人材交流、人材育成」「地域の文化・社会の振興」「支援事業および寄付」を柱に事業を行う)という取組みをおこなっています。CSR専門部署での求人は残念ながらなし。

 そんな中、三井物産鰍フ5年契約社員の募集をピックアップ。企業理念・志しも無論高く、開発援助人材育成の研修のフォローもあり。5年携わる間に積める経験を思えば、迷うことはなく、いま応募書類を書いているところです。

 残念ながら、諸般検討した結果、青年海外協力隊参加は見送ることにしました。違う方向性でのアプローチをがんばりますo(^ー^)o


以下参考、TDLCのニューストピック要約。

世界銀行研究所(WBI) の企業・競争力・開発担当チーフジョルデジャ・ぺトコクフスキー氏がビデオにより「ビジネス、競争、開発」と題して報告。国連開発計画(UNDP)の村田俊一・駐日代表が「CSRとミレニアムか発目標」と題して話し、民間企業の役割の重要性を強調した。またドイツ証券会長で、CRT日本委員会会長の橋本徹氏が「グローバルな視点を持ったビジネスリーダーとは」について語った。

続いて前21世紀政策研究所研究員で、三菱重工の白木聡一郎氏が、途上国の貧困層を顧客とみて生活レベルの向上をはかり、企業も利益を獲得する「BOPビジネスの展望」について話した。BOP 市場への新規参入に伴うリスクとして、ニーズの把握が困難、販路の開拓、アフターサービスの拠点設立が困難、製造・販売許認可取得などの規制が不明、生活習慣・宗教の違いが指摘された。

最後に国際金融公社東京事務局の環境社会開発局政策顧問、相沢素子氏が「CSRとBOPビジネスーー世界銀行グループの取り組み」について総括した。
 
   
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やりたい仕事 / 2007年04月01日(日)
2000年9月ニューヨークで開催された国連ミレニアム・サミットに
参加した147の国家元首を含む189の加盟国代表は、
21世紀の国際社会の目標として「国連ミレニアム宣言」を採択しました。

ミレニアム宣言は、「社会正義と公平性の原則」のもとに
「より平和で繁栄した公正な世界」 を作り出すことを目的とし、
@平和・安全と軍縮 A開発と貧困撲滅 B共有の環境の保護
C人権・民主主義と良い統治 D弱者保護 Eアフリカの特別なニーズ
F国連の強化 などを国際社会の課題として掲げています。、
21世紀の国連の役割に関する明確な方向性を提示しました。


それぞれの課題は相互関連性があり、総括的に取り組む必要があります。またそれぞれの課題は@国家 A国際機関 BNGO C企業、
全てのアクターに影響するため、相互の協力とパートナーシップが求められます。

公正で持続可能な世界のため、近年国際社会の新たな政策論として注目され、実際の国際協力の指針となってきたのが「グローバル・ガバナンス」です。

グローバル・ガバナンスは、地球社会の統治・管理運営・自治の意で、
利益調整的・協力的プロセスで個人と企業、公と私が共通の問題に取り組む方法です。


私は、「国際社会」はグローバル化によって、
政府や国際機関、NGOや企業、メディアのみならず、
私たち個人個人の生活空間である市民社会と、
いまや別次元ではなくなったと思います。

地球社会の自治の一員として、グローバルガバナンスに参加し、
「より平和で繁栄した公正な世界」を実現することは、
国際社会の住人である私たち個人個人の責務であると思います。


マイケル・エドワーズは「倫理に関する議論は、世の中を変えようとする
政治的な支持基盤と結びつかない限り効果はない。」と著書で述べています。

支持基盤とはすなわち、民主政治の主体である私たち個人個人だと思います。
「より平和で繁栄した公正な世界」は、その意義や公益的な価値に、
私たちみながコミットして初めて実現できると思います。
私はここに、一市民としてコミットします。


私はこれまでも、現地駐在員志望と言ってはきたのですが、
活動フィールドにこだわりはありません。
ただ、課題に取り組むにしても、一度は問題が起こっている現場に行き、
どんなニーズがあるか、自分の目で見てこなくては、
それに応えるためどういったスキルを自分として身につけ、
提供してゆけるか見えてこないと思っています。
何か発言するにも、まず現場を知ってからという思いが強いため、
一度途上国現地に行くのに、入口はボランティアでも何でもいいと思っています。

また、政府機関、国際機関、NGO、企業、メディア、研究機関etc
どのアクターに所属するかということにもこだわりはなく、
一生の職業として国際社会の課題に携わることを最終目標に、
各機関が求める人材の要件に合致するよう、自分のスキルを磨き、
該当した際に、そこに所属したいと思っています。
時流をみながら、求められるスキルが何であるかアンテナを張り、
長いスパンで取り組んでいきたいと思います。
 
   
Posted at 18:21 / よい世界をつくる / この記事のURL
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私の仕事について / 2007年04月01日(日)
私の職場はお役所、いわゆる本庁です。

所属部署では、「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」の支給業務にたずさわっています。この制度は、大戦で公務等のため国に殉じた軍属の方々に、国として改めて弔慰の意を表し、10年を節目と捉えその遺族に「特別弔慰金」を支給するものです。

もともと私は、敗戦をとおして日本が抱えた課題について、いろいろ読書したり関心が強かったのですが、配属されるまでこの制度は知りませんでした。余談ですが、私たち若い世代も日本人として、大戦の意義や敗戦後の日本について、靖国、右寄り、左翼etcといわず、一度ちゃんと勉強するほうがよいと思います。



先日霞ヶ関からお2人来賓、厚労省の監査が入りました。監査は5年に1度。前回の監査時にうちの部署にいた職員の人数0名。5年のあいだに全員入れ替わっているなんて!お役所の部署移動の流動性がここまでとは・・・まだ転職してから日の浅い私は、カルチャーショックを受けました。一市民としてはと恐いです。役所に問い合わせるときは、プロの職員はいないと覚悟しておいたほうがいいかも(^^;;

ちなみに時々住民の相談者が来られるくらいで、ほとんど来賓がない実情。接客はみなさん苦手のご様子。前職の法律事務所での経験がけっこう今日は役に立ちました、慣れておくものですね。今日のように、その場で自分の果たすべき役割がクリアに視えて、スムーズに立ち回れて仕事が片付くと気持ちがいいです(^^)

そうそう、霞ヶ関の庁内で専売(?)されているクッキーを食べました。味の感想!明らかにヨックモックでした!
 
   
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国際NGO / 2007年04月01日(日)
日本では、市民団体が必ずしも市民社会で
受け容れられていない現実があると思います。
ちなみに私の祖母は戦争世代ですが、
私がNGOを志望することに実は反対です。

国際NGOの活動が、反体制的な運動や
宗教的思想のからむ集団活動とどう違うのかとか、
チャリティーは結局お布施なのではないかとか。
祖母の口添えとしては、どうせ関わるなら、
ちゃんとした政府組織を目指したら、と。


けれど、こういう意識は多かれ少なかれ、
まだ日本人のなかにあるのが現実かな、と思います。
メディアが扱えば耳も傾けるし、理解は示すけれど、
人ごとなら賛成できても、いざ自分や身内が関わるとなると、
消極的になってしまう。
やはり根本的な意識改革が必要だなと実感します。


理念を貫いて実績をあげるためには、
社会的信頼を高め、適正な評価を受けることが必要ですが、
法制度の整備、活動や組織、会計のアカウンタビリティー、
メディアによって認知度が高められることだけでは、
結局、日本人の国民生にかんがみると、
浸透率は不十分かなと思います。

政府や企業とのパートナーシップをアピールして、
すでに認知され社会的に信頼されているアクターに
引っ張り上げてもらうことかなと。



国際NGOとはパターンが違うのですが、
拉致問題の家族会。
北朝鮮による拉致が、実際起こった事件なのか、
分らない段階から始まって、メディアが扱うようになって。
決め手は、耳を傾ける市民が増えると同時に、
日本政府がとり上げたことだと思います。
実際の事件であり、国として拉致問題解決にあたらねばならない、
となったから、日本国民の意思も統一されたと思います。

国際NGOの活動についても、
市民の意識と政府の意向、両方揃う必要があるな、
そう思うこのごろです。


ところで、開発分野で実績を上げるアクターとして、
企業について、今度ふれてみたいと思います。

開発プロジェクト遂行で実績を上げるには、
大手企業くらいの組織力が結局必要なのかも。
日本は日本型の開発協力を行っていくことになるでしょうし、
その牽引役として、企業は期待の星ではと(^^)
 
   
Posted at 18:05 / よい世界をつくる / この記事のURL
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国際機関で働くためマスター / 2007年01月31日(水)
空席広告にユネスコ職員のP-1/P-2レベルでの募集が。
P-1/2:学士号で2〜3年の職務経験があること、
とユネスコジャパンの募集要項にもあるし、
物は試しに応募だけしてみて度胸つけよう、
とユネスコ本部のサイトをチェック。
まずは応募要件から、と読んでみると、
・Advanced university degree in International relations
and/or Public International Law.
・At least 2 years proffesional work experience with
post-conflic/disaster assistance,preferably
in the context of the UN system.
国連での職務経験が必要みたいです、残念。

そして結局大学院で修士(マスター)をとることが原則なんですね。
社会人のための進学について、最近こつこつ調べてたのですが。

職場が福岡ですし、第一には九大。もちろん難関。
そもそもの目的はマスターをとること。
国際機関内で昇進を目指してるわけではないので、
名門の大学院でなければ任用されないのが現実
というのでない限り、受験の労力は最小限にしたいところ。
(もしそういう学閥の現実がありましたら助言くださいませ・・・)
むしろTOEFLとか英語力向上にエネルギーをまわしたい。
極端な話、英語圏の大学院に留学しちゃうほうが
合理的かもなんて思っちゃうくらい。

もっと現実的な方法論として行き着くのは、やはり通信。
工学とか福祉コースは色々みつかるけれど法がないです。
法学部卒だし、学士と同じ分野の修士をとるのが応募要件に
なっている場合もみかけるのでひっかかりますが。

放送大学の院は結構いいかもと思っています。
「通信は指導や管理、叱咤・激励が希薄で
モチベーションが維持できない」とよく言われますが、
資格専門学校ならハイテンションに受験勉強しないと
いけないけれど、たんたんと単位を取得するには通信で十分。
学校生活は学部時代に満喫したし。
大学でも、俗に「単位とれやすい」一般科目より
教科書以外の使える参考書を併用して自分なりに勉強した
専門科目のほうが、単位評価よかったし。
通信講義受けつつ専門書や参考書で自分で好きに勉強、
とう贅沢な取り組みができるから、私には向いてるかも。
放送大学は講師陣も多大学から、
講座もバラエティに富んでて、興味のあるものが色々(^^)

ちなみに法科大学院ではマスターがとれないわけですが。
残念な制度ですよね。実は探せばとれる院もあるかも?とか、
淡い期待で検索してみたものの、有益な情報がヒットしません。

現地駐在をしたいのは、いま自分の中で固まってきた、
具体的な企画プロデュースのために経験が必要だと思うからです。
具体的な企画は、以前の日記にも書いたように、
いじめにあっている子どもたちを世界に連れ出すことです。
「生きれる場所はどこにでもある。たとえ学校の同級生と
やっていけなくても、別の場所でさまざまな生き方をしている人々の
誰かとやっていければよい」って身をもって学んでもらうことです。
私が親なら、やはりそれなりの国際機関で働いていた
経験のある企画者に子どもを預けたいと思いますし、
世界のどんな環境や、どんな人々のもとへ
子どもたちを連れていくのがよいかは、
私自身がまず経験してきてよく考える必要があると思うからです。
 
   
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ハッピー / 2007年01月30日(火)
貧困など社会問題に取り組みたい気持ちの根底にあるのは、
実は私の場合わりと個人的なことだったりします。

叔母をうつで失くし、その看病疲れで大好きな叔父を
失くしたのは高校3年のとき。
私は両親にも恵まれ、学校生活満喫してて、
悩みなんて進路と大学受験くらい、
自分のことだけ当たり前に考えてる平凡な学生でした。
幸せすぎて、身近な人の苦しみがそんなに大きかったなんて
思いもしませんでした。
人の力になることほど難しいことはないと、
自分の無力さを思い知らされました。

残された家族・周囲の人たちに溝と心の傷が残り、
私も現実的に家族の一員として負うべきものが重くなって、
自分のことだけ気楽に考えていられなくなり、
価値観も大きく変わりました。
このときの「気づけなかった、助けられなかった」悔しさが、
「誰かの助けになりたい、誰かをハッピーにしたい」
生き方の原動力になりました。
悲しみを乗り越えて、自分の方向性に自信を持てたから、
やっとこうして語れるようになりました(^^)

理系が得意な秀才だったら医者になりたかった。
弁護士の下で働けば社会的に苦しんでいる人を救う助けに
なれると思って、法律事務所に勤めました。
自分が弁護士になるにはかなり時間がかかりそうで。
世界の果てに行けば、無力な私でも即戦力の
助っ人になれるかも、なんて思うようになりました。
それもまた甘い考えだったと最近反省(^_^;)
どんな方法論をとるにしても道のりは長いけれど諦めません(^^)

それにしても自分ひとりの力は小さくて、無力。
貧困やいじめに苦しんでいる人の一体何人を
ほんとに助けられるのだろう、
家族や身近な人ひとりハッピーにできないでいるのに・・・。
日頃は身軽に悩天気な笑顔でいるようにしてます。
ダークな感情は周囲に悪い余波を及ぼしそうでこわいので、
消えてしまうまで努力して自分の中に閉じ込めるようにしてます。

もっと自然に人をハッピーにできたらいいのですが・・・。
気持ちの押し売りになってるかも、と迷うことしばしば。

恋愛も毎度そんな感じで。
「信頼して!味方よ!ハッピーにする自信ある!」って
心から言うのですが、親切によい恋人を演じるように
付き合ってはくれても、あるとき心を開いてもらってないことに
気づいて、私がいなくてもいいんだなと悲しくなります。
見返りがほしいわけでも、気持ちを押しつけて
追いつめたいのでもないから、引いてしまうことしばしば。

誰かの助けになる仕事のうえでも、
人に心を開かせる才能がないって致命傷。
世界の果てにいる、わらをも掴む思いの人々くらいは
頼ってくれるといいのですが(^_^;)

美輪さんが昨日番組で、「内観日記は心に留めて、
メッセージ日記を公開するといい」と話されていて、
私もまさにそういう主義なのですが、今日は宣言日記。
ちゃんと人をハッピーにする生き方をまっとうできるよう、
宣言して自分に追い込みです(^_^)v

「誰かに本当に心を開いてもらいたいなら、
その人のことをより深く理解すること」
「表面的に問題を捕らえることの危惧を感じたりします」
と、ある方からコメントをいただきました。
本当に苦しんでいる方々の気持ちというのは、
当事者ではない私なんかには計り知れないと。

その人の価値観で、その人の幸せを、理解するとは
どういうことなのか。
簡単に誰かの助けになりたいとか、心を開いてほしいとか、
案外自分でも役に立てることだってあるはずなんて思うことは、
表面的に理解できたような気持ちに到れたらいいな、
といっているようなもので、実は危険なのかもしれないと、
冷静に悩んでしまいました。

くり返して、積み重ねて、彼らの幸せのあり方や
笑顔の意味を知ろうと努力することをとおして、
こちらのほうが勉強をさせてもらえるだけかもしれません。
かも、というより、きっとその通りだという気さえします。
きっと誰かと知り合えること、その生き方にふれられること、
そのものが身にあまる光栄。
誰かを完全に理解できる、本当に幸せにできるなんて
傲慢なことはさすがに思えずにいたけれど、
誰かの生き方にふれさせてもらえたときに、
恥じることない生き方をしている自分で居ること、
まずはそこから!できる限りのことやってみたいと思います!
 
   
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ゲノム研究の生命倫理 3 / 2007年01月14日(日)
3 ゲノム時代の人間観

個人の自己決定権を他者に迷惑をかけない限り許す(他者危害の原則)アメリカ型の自由主義的な生命倫理に対して、ヨーロッパ特にフランスでは、「ヒトの生命、身体にかかわる事柄はすべて個人の自由と自己決定にゆだねるのではなく、・・・人権の公共面を重視し・・・社会が守るべき人権の中身を・・・体系的に立法化」とする共同体主義的生命倫理を採ります。

いずれもすべての人間が人権主体であるという上記の近代社会の人間観を基礎にしていますが、自然を消費・破壊し、遺伝子操作という神の手をもった人類の21世紀は、それに加え「生態系の一員としての人間」という人間観を新たなる倫理的視点として持つべき時代にきています。この新たな人間観は先に述べた国連の1997年の「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」に象徴されます。

新たな差別の歴史を作らないためにも、個人個人のゲノム情報の総体を「生態系の一員としての人間」全体の遺産とする倫理感覚が重要になると考えます。
 
   
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