引越し 

2006年02月10日(金) 4時59分

つうても、このヤプログのこと。

『ジャンクハンター吉田の新ミミコソBlog』
http://junkyoshida.smart-h.com/blog/

つい先日、こちらへ引越したのだ!

これでもフリーライターとしてのジャーナリズム精神は
人一倍あるつもりなので、いつまでも広告の入った
無料ブログでシコシコと日記を書いていることに疑問を
感じてきたのが理由。それと、引越し先のスマートホス
ティングっつうところは、まだサービスがスタートしたば
かりの若い有料ブログなので「ライブドア」や「ヤプログ」
「ヤフー」「エキサイト」などの熟女のように熟されすぎた
ブログに俺がいる必要ってあんの?って思った。いても
いなくても生産性がないような気がしてきたっつうのが
最大の理由かもしんない。

引き続きmixiでの毒づいた日記は不定期ながらも展開
していくけど、このヤプログは閉鎖はしないが放置プレイ。

あ、しまった!!!!!
『ちん』の続きをまだ書いてなかった!!!!!
他で書いてしまっては日記の整合性がなくなってしまう
ので、気が向いたときにでもこのヤプログで続きを書いて
フィニッシュしまっせ。

ダース・ベイダー登場! 

2005年11月08日(火) 0時12分
『ちん』の続きが気になっている方も多いようだけど小休止。次回まわしとさせて戴きつつ、今日は(日付では昨日か)早朝からお台場の潮風公園へ『マッコイ』と『柳瀬みか』の撮影に行って来た。モデルとしてマーズシックスティーンで取り扱う為に、吉田自身がカメラを持参し、「●フック」好きなジャガー北山(lessという名前でネット界を彷徨っている。●フックされないよう要注意だ!)と4人で、秋葉原の弊社事務所からバイク2台でそれぞれタンデムでお台場まで行く。



「ヘルメットが3つしかないっすよ!」マッコイの一言で、北村・・・ぢゃなかったジャガー北山は「あ、ほんじゃ僕だけ電車で行きますよ」と。そんなこと『吉田ヨットスクール』が許すはずがない! ミリオン出版のヤザ(谷沢崇氏)からL.A.での吉田ツアーでお世話になったお礼にと『ダース・ベイダーのボイスチェンジャー』をもらっていたので、遂に実用される時が来た! ラーイズ! ヘルメット部分を取り外し、紙の手提げ袋の紐だけをヘルメットの内側へガムテープで取り付けた『即席ベイダーヘルメット』(当然、良い子の皆はマネしてこんな玩具のヘルメットでバイクは乗ってはいけません)を北山へ着用させようと閃いた!



マッコイと柳瀬がタンデム、俺とジャガー北山がタンデムのいつものモーホーチーム(お互いノンケを装っているがジャガー北山はバイな匂いがする……)で、『即席ベイダーヘルメット』を被らせ昭和通りから銀座へ入り、佃大橋を経由して東雲、そこから右折して有明コロシアムの前を通ってお台場へ到着。どー考えても俺の後ろにはヤバイ奴が乗っかっているのに交番の前を通ってもオマワリは無視しているのか反応なし。面白いことをやるのに自分を犠牲にする俺は、警察に捕まりたかった。そしてこのヘルメットのことを突っ込んでもらいたかったのだ。どうせノーヘル扱いでの検挙だから反則金はないし。もしかしたらジャガー北山からドス黒いダーク・フォースが出ていたから、オマワリらは何もできなかったのか? それともジャガー北山のイデタチがヤバイ奴だと思い、黙殺するしかなかったのか? 結局、警察に捕まりたいという俺の想いとは裏腹に緊張感もなくお台場へ到着。う〜ん残念。

『ちん』を語ってみる。 その2 

2005年11月05日(土) 1時40分


『ちん』はその後も『吉田ヨットスクール』(別名:第七サティアン)で俺をボスとしたボンクラ集団の輪に入り、必死に付いて来た。「ロケット花火の集中砲火を身体で受けたらどーなるのか?」「電車に乗る際にフランケンシュタインのマスクを被っていても改札を通れるのか?」等など、ジャッカスのおバカな集団が出てくる前に若かりし俺たちは、人を驚かしたり笑わせたりと、バカなことを自らやっていたのだ。しかも、実験台に自らすすんで『ちん』が飛び道具として動き始める行動的な部分は当時から評価していた。

殆ど毎週のように漫画家のピョコタン(当時は投稿マニア)らと集まってバカなことをやって、世間様に迷惑かけていた気がする。ある日、中学生の少年が俺の自宅へ遊びに来た。『ちん』もたまたま遊びに来ていたので終電もなくなったこともあり、狭い俺の部屋で3人でザコ寝をすることに。夜中、トイレに行こうと目が覚めたら・・・ナント!『ちん』がその少年に背中から抱きついて寝ているではないですか!もっと驚愕だったのが『ちん』の手が少年の股間にあてがわれていたこと!

「コイツ・・・カンペキにホモだ!」そー思った俺は、寝静まったこの状況下を観なかったことにして再び寝ることにした。

それから何日か経ち、ひょんなことから府中競馬場近辺に棲む『ちん』のアパートへ数人でクルマで押しかけた。筋トレ器具やら腹筋台などストイックな用具がある中で、当時はギャルゲーと呼ばれていた今で言う「萌え」な美少女ゲームが色々と発見された。つまり俺らは『ちん』の自宅へガサ入れに行ったのだ。


『ちん』はウンコをしに暫くトイレに閉じこもった。この隙にガサ入れを徹底的に行なう俺たち。「一人暮らしの部屋だからどっかにエロ本でも隠されてるだろ?ヤツのズリネタを探せ!」俺の一言で素早く様々な箇所を調査する。最後に残されたのが押入れ。「ここは本丸。間違いなくズリネタが隠されているはずだ!」恐る恐る押入れの襖を開けると・・・俺たちが観ては行けないものが存在していたのだった!

続く。

書いた原稿が幻に・・・。 

2005年11月05日(土) 0時42分
集英社さんの上層部の器の低さにガッカリさせられた。


若生出版の実話系月刊誌『ガチンコ』で「ガチンコ漫画館」なるマンガの書評や作家さんのインタビューを掲載する連載を、カレコレ何年か前からやっているのだが、初めて掲載NGが出た。諸星大二郎先生のとある文庫を書評したんだけど、集英社さんの担当者の方は全然問題なかったのだが、踏ん反り返っている(と思われる)上層部が掲載に待ったをかけてきたのだ! 『ガチンコ』には18歳未満が読んではいけない不適切な写真があるのは事実。恐らくそれが引っ掛かったんだろう。


折角、寝ずに書いた原稿がボツという形ではないにしろ、上層部のひとりの意見で活字にならなくなるというのはショック極まりない。特集記事とかでの取材もんで、とあるところからの圧力で原稿書き終わったのに掲載できなくなったケースは数あれど、こんな形で継続されていた連載頁に穴が空いた経験は初めて。

『ちん』を語ってみる。 その1 

2005年11月04日(金) 3時23分

写真キャプション:吉本J'dプロレスのリングで吉田と『ちん』がバーリトゥードの試合をした画像です。まだこの時『ちん』は現在よりも20kgぐらい少なかったと思った。4、5年ほど前だったからお互い若い。オープンフィンガーグローブ着けての顔面パンチ有りルールだったから容赦なく顔面パンチを浴びせている俺。『ちん』はアッパーの防御を知らないと思ったから突き上げるようなパンチが何度も決まった・・・が倒れない(汗)。スゴイ根性の持ち主。間違ってもこの写真は『グーニーズ』のスロースではありません。

『ちん』とは今から9年前に知り合った。その時はPS『ときめきメモリアル』が大好きだった(今で言うアキバ系オタクと説明したほうが早いのかな?)ゲーム好きの太っちょな青年だった。最初会った時「気持ち悪いヤツだな」って思っていたんだけども、『ときメモ』の片桐さんが好きだとかバーチャルなトークがミョ〜にツボ入ってしまい大笑い。

当時、新大塚のワンルームマンションで一人暮らしをしていた俺のところに、会ったこともないし喋ったこともないのにいきなり押しかけてきた。知人の湯浅智充が俺の電話番号を勝手に教えたらしい。当日夜からワンボックスのクルマで大阪&神戸に数人で集まって出掛ける予定だった俺は支度作業しているところに突然の来客。それが『ちん』であった。『ちん』は「私も関西に連れて行ってください」と哀願してきたので、積極性のあるヤツは好きなので一緒に同行していくことに。

しかし、体育会系で名を馳せた通称『吉田ヨットスクール』。食事の際には刺身のツマのタンポポを食わせるわ、ビールに唐辛子瓶とタバスコ瓶を1本入れた『吉田スペシャルカクテル』を飲ませるわ、海老名サービスエリアでトイレに行っている間に「バイバ〜イ!」と逃げ去ろうとしたら巨体を揺らして全速力で追いつかれてしまったりと、関西ツアーの道中は面白いこと(俺が面白いことをやろうとしただけだが・・・)が満載だった。

続く。

ナント『ちん』はTBSのドラマへの出演が決定した!オーディション合格ナリ! 

2005年11月04日(金) 2時59分
横浜アリーナへ行くために、自宅を出ようかと思ったらステアウェイの渡辺さんから電話が入る。昨夜、『ちん』と一緒にオーディションへ出向いた映像製作会社の方であった。

「ドラマのオーディションの結果なんですが、是非『ちん』さんをキャスティングしたいと思いまして、早速スケジュールの調整をさせて頂ければと思っているのですが・・・」

え!? ドラマの助演で出演が決定!? 『ちん』にとっては初めてのオーディションであり、初めての役者仕事。オーディションが終わった時に『ちん』は「あああ、スゴイ緊張しましたね。オーディションってこんなに緊張すると思いませんでした。セリフも少し噛んじゃったので厳しいですかね?」と恐らくオーディション結果はNGだと思っていた『ちん』。でも俺はプロデューサーが『ちん』の宣材を手に取って見てニヤッと笑ったのを見逃さなかった。そのことを『ちん』に伝えて「なんとなく、このオーディションは受かる気がする。言葉では言い表せない。直感的だけどな」ってポジティブな気持ちにさせ、自信を持たさせて四谷三丁目で別れた。

そしたら・・・合格の連絡が!!!!!
11月23日から10日間の撮影。これから詳細を詰めていくところ。表舞台からは俺自身ドロップアウトした後のマネージャーとしての仕事一発目。イイ仕事させるためにも『ちん』には演技のノウハウを俺が教えて行かねばならない。これでウチの残りのタレント2名(マッコイと柳瀬)にも大変良い刺激になったんじゃないかな?みんなで天下獲るぞっ♪

松枝さん、ありがとうございました!

マッコイの刺激になるかと、井筒監督が『パッチギ!』の舞台挨拶に立った時の模様をアップしとくよ。

ハッスルマニア 

2005年11月04日(金) 2時47分
横浜アリーナに『ハッスルマニア』を観に行ってきた。


住谷さんのプロレスムーブの頑張り具合とマイクパフォーマンスも最高!さすが学生プロレス出身。ヨン様来日で『四月の雪』の記者会見に行ったらナゼか住谷さんを発見。会場で学生プロレス時代の話をしたら「良く観てますね〜。マニアですね〜」とあのコスチュームだと語尾を延ばすのはレイザーラモンHGそのもの。芸人になる前の学生プロレスでリングに上がっている時代から知っている者としては、ここまでブレイクした住谷さんの努力に感心させられた。昨年までは売れない芸人でこの業界から足を洗おうとしていたのに・・・。

安田忠夫以外の選手はみんな頑張っていた。『ハッスル』がここまで面白くなった理由は一体なんだろう?ショッパイ試合の連続でプロレスファンやマニアからは黙殺されていたのに。演出も頑張っているし、ちょっと気になり始めた。

自社のリーサル・ウエポン『ちん』 

2005年11月02日(水) 23時21分

弊社、有限会社クルーズの中でもリーサル・ウェポン扱いされているのが『ちん』である。身長180cm、体重150kg(宣材には140kgと記されていたが今日久々に会ったら10kg増量されていた!)の29歳。茨城県出身。弟は暴走族(今はおとなしくなっているらしいが・・・)、両親はいない『みなしごハッチ』状態。俺と同じく元プロレスラーとの肩書きがあるのだが、バラエティタレントとして売り込もうかと画策していたのではあるも、安田大サーカスのHiroくんと被ってしまう。

ならばと思いついたのが役者への転向!脚本家の松枝佳紀さん(現在発売の『映画秘宝』にてウエダハジメ先生の漫画で登場している)がテレビドラマの脚本もやるとのことで、弊社所属タレントの『松来俊』『柳瀬みか』そして『ちん』の3名の宣材を送ったところ、『ちん』がお気に召されたようで、今日、四谷三丁目まで2人でそのドラマのオーディションへ行ってきたのだ。

松枝さんのことを俺が知ったのは、楳図かずお先生を取材した際に『わたしは真悟』の舞台の話をしてくれて、そこで松枝さんの名前が先生の口から出てきた。さらに金子修介監督の新作映画でも脚本を担当してくれている方との情報も教えてもらった。その作品が『神の左手悪魔の右手』だったというのは、今発売されている『映画秘宝』を観て知ったのだが・・・(笑)。

『ちん』は生まれて初めてのオーディションに心臓バクバク状態。短いセリフ読みがあったのだが、緊張しているせいかセリフが書かれた紙切れを持つ手が震えている。マネージャーとしての俺は耳元で囁きながら色々とアドバイスをするも顔と気持ちが高揚しているのが手に取るように伝わってくる。


セリフを少々噛んだところが痛かった。しかし、プロデューサー陣は『ちん』のキャラクターと存在感には一目置いている気配が感じられたので合格してくれることを祈りたいところだ。ちなみにそのドラマは長瀬智也主演の時代劇的な内容っぽい。置いてあった資料に書かれていた(苦笑)。

15年ぶりの再会に驚き! その3 

2005年11月02日(水) 6時33分


電話では昔と変わらず、早速バカ話に突入。旧中本が店じまいした後に復活したことの情報をお互い伝えたがっていたことなど、ホンット、普通の人から見たらローカル過ぎるネタだらけ。ウチら2人は電話でも再三話していたのだが、とんでもない偶然ってあるんだね、と。だって俺は吉田直樹のプロフィールとかをインターネットで調べようとしただけだったのに、彼のマネージャーが15年間顔を会わせていない昔のバイト先の先輩だったとは・・・。


縁っていうのは時にはスゴイことを引き起こしてくれる。しかも、吉田直樹自身は、まだメジャーというよりもインディーなアーティスト。彼の歌を知り合いのクルマの中でたまたま聴く事ができていなかったら、恐らくここで引き合わされることはなかったんじゃなかろうか?不思議な縁である。

「恩を仇で返したら身をもって償え」とのマフィア&ヤクザチックな任侠的考えを、幼き頃から親父に叩き込まれた俺は、これからお世話になった先輩へエンターテインメント業界に関わっている相互通行部分で何かと協力していくであろう。恩を仇で返すわけにいかないんでね。

15年ぶりの再会に驚き! その2 

2005年11月02日(水) 6時24分
成人式からカレコレ、15年以上もの月日が流れた。
俺はもう間もなく35歳。(Born in 1970.11.5)


吉田直樹というアーティストがいる(現在休業中)。たまたま知り合いのクルマで移動した際に吉田直樹の歌を初めて聴いた。いい声してるなーと思い、早速自宅へ帰ってどんな人物なんだろうと興味を出し、インターネットで検索したらホームページを発見。マネージャーの日記がコンテンツ内にあるのだが・・・『ウキウキ伊藤のいいとも日記』と記されている。直感が働いた!「これってもしや・・・伊藤彰さんではなかろうか?」『伊藤』『いいとも』という2つのキーワードを使う人って間違いなく限られた人物しかいないっ!


その直感を頼りにBBSへ書き込んだら、ウキウキ伊藤氏から直メールが届いた。やはり99%、伊藤彰さんと確信。そしてメールを返信した夜半過ぎ、知らない携帯番号からの着信。出ると「中本!」と懐かしのフレーズが飛び込んできた。こんなアホなことを開口一番言ってくるのは、やはり先輩の伊藤さんしかいなかった(笑)。その中本というのは現在、上板橋、池袋、新宿、目黒にある激辛ラーメン店『蒙古タンメン 中本』のことである。今はチェーン店になって昔と違い味に変動が激しくなったが、俺と伊藤さんが一緒にバイトしていた時は上板橋の
旧店で中本正さん(登山家に近いほど趣味が高じて、高齢にも関わらず、いまだに山登りは欠かせないらしい。息子さんと娘さんと奥さんの4人家族構成・・・余計なお世話か。)が経営していた時代、狂ったように蒙古タンメン定食を平日の昼間に食しに行っていた。そして次の日、ケツの穴から唐辛子がファイヤーダンスしてしまうことの繰り返しで中毒になっていたっけな。なもんで、俺らの間のキーワードは「中本」で通じてしまうボンクラさ。

その3へ続く。
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