タイタニック 秘話
2012年05月16日(水) 19時50分
最近イタリアの各町の映画館では3Dとなったタイタニックがイタリアにしては珍しい結構長いロードショーをしている。
そうなんですよ。イタリアって上映期間が結構短い。
客足が今イチなんてなると、ひどいときは2週間もしたら、もう上映していないことも多々ある。
今週はちょっと用事があるから、来週・・・・なーんて思っていて見逃した映画は星の数ほど。
さて、そんなタイタニックブームを受けてなのか、ここ数週間、イタリア国営放送RA11で毎週日曜日の夜にタイタニック号誕生までのテレビドラマが放映されている。
ペースが結構ゆっくりなのでつまらなくって全然見てませんが、どうやらイタリア人技師がかかわっていたようなお話。
イタリア人技師? やだーだから機械の故障とか、火災事故になってたんじゃないの??????なーんて思われる方もいると思いますが、イタリア人エンジニアってついこの前までは世界でもかなり優秀だったんでございますよ。
広島や長崎に落とされた核爆弾の誕生の影にもイタリア人エンジニアたちがいましたしね・・・・。
ところで今日はそのお話ではなく、通っている歴史コースの中で今勉強している時代19世紀末の時代背景の説明として教授が話し始めたことに、タイタニックに触れたものがありました。
こんな小さなドラマは歴史の中で埋もれていってしまうのだろうと思い、私のブログなんて小さな場所だけど、書き留めて置こうと思う。
19世紀末は大不況が始まった頃である。
イタリアは当時、イタリア統一で結構お金がかかっちゃっていたので、国の経済を立て直さなきゃねーという時期でこの不況をもろに浴びちゃったりする。
しかもこの不況はまず工業都市が集中していた北イタリアを直撃したんざんすよ。
南イタリアの方が貧しいと思うでしょ? ところがどっこい、この当時、農業は問題なかったので食べるものに困ることはなかったんでございます。
で北イタリアの人たちが新天地を求めて移住が始まる訳です。
新天地はイギリスや北アメリカ、南アメリカ。さらに当時まだ誰も手をつけてないぞーと一気にイタリア人の中でアフリカへの情熱もわいちゃった時期でございました。
この流れでタイタニックの下級船室には多くのイタリアからの移住者も居たそうです。
レオナルド ディ カプリオが扮する主人公たちが正装で食事をしたあの上級客室のレストランは実は!!!!! 一足早くギリスに移住して上手く事業を大きくしたイタリア人家族によって経営されたレストランだったんです。
ってえことは・・・・イタリアンレストランだったのかな??????
総勢で30人を超えていたシェフとホール係のほとんどはイタリア人だったそうです。
彼らは一人も生還できませんでした。
映画でも皆さん記憶にあると思いますが、避難は上級客員の女性と子供から。
下級船員や乗務員は避救命ボートに乗る優先順位の枠外で、避難することができなかったそうです。
労働契約の際、非常時にも職場を離れることは論外であったそうです。
19世紀の後半から世界的に労働者運動が広がり始めた時代。
ちゃんとした生活、健康を維持する権利が叫ばれたその裏側には今の時代ではありえないくらい労働条件は悪かったのでしょうね。
タイタニック号のことは100年経った今も人々の関心を集めますが、彼らのように歴史の狭間に消えて行ってしまう人たちも多いと思います。
ひょんなことから知ったタイタニック号の悲劇のひとかけら。
忘れないためにここに書き留めておきます。

ワン・ポチっと応援よろしくね
- MIKAの歴史お散歩 |
- URL |
- Comment [0]













