高所恐怖症のトラウマ。 

2005年11月26日(土) 1時42分
いつものように兄から殴られ叩かれ虐められて怒鳴られていた夕方、
アタシはベランダへ逃げた。
怒鳴りながら追いかけてくるその姿は兄も父も同じ恐怖をアタシに与えた。

このままここから柵を越えて飛び降りて死んでしまおうか・・・そう思った。
「死ねもしないクセに!出来るんだったら死ねばいい」と兄から言われた。

確かに。
死んでやる!!とばかり騒いでる人は本当には死なないとアタシも思う。
やる人は心で硬く決心して口にはださずに決行するものだろう。

アタシはまるで鉄棒で前周りをするかのように柵に掛けた手に力をこめた。
アタシの身体は宙に浮いた。
その次の瞬間、、、9階から下の地面が見えた。
あーうちのしたには駐車場の横の植え込みなんだなーと思った。
真下を見た事はそれまで無かったので知らなかったのだ。
こういう瞬間の景色は不思議なことにスローモーションに見えるのだ。

アタシは、ふわりと空と地面に吸い込まれそうになってバランスを崩した。
その瞬間走ってきた兄に、洋服と腕を思いっきり引っ張られていた。
アタシは、しこたまベランダの床に身体を打ち付けて倒れていた。
本当に死のうとしていたのに
助かった瞬間に恐怖は襲ってくるものだと感じた。
体中が痛いし震えと涙が止まらなかった。

さすがの兄もビビっていたようだ。
目の前で死なれたら非難ごうごうで余計に叱られるだろう。
助けなかったら怒られると思ったに違いない。
アタシを思って兄は助けたのだ、とは・・・アタシは感じていなかった。

イジメ(2) 

2005年11月26日(土) 1時09分
母が居なくなってからも兄からのイジメは変わりなく続いていた。
だが父が怒っても止めに入ってくれる母はもう居ないし、
兄からのイジメの仲裁に入ってくれる母ももう居ないので
なるべく騒ぎを起こしたくなかった。
アタシはいつのまにか父の逆鱗に触れないように気を使うようになっていた。
兄が父から怒られる事すら、避けたかった。
それは単に翌日アタシへの兄からのイジメが酷くなる事を示していたのだ。

いつだったか、兄が怒られる時に庇った事があった。
アタシとしては、これ以上兄が怒られて叩かれたりしたら翌日のアタシへのイジメが一層酷いモノになるので止めて欲しい気持ちからだった。
しかし妹であるアタシが「もぉお兄ちゃんを怒らないで!」と飛び出て庇った事は兄にとって余計な事でしかなかった。
父からは、「お前は妹に庇われてどうするんだ!?」と更に怒られてしまったし
兄は自分が頼んだわけでもないのに良い子ぶって余計なマネをしやがって!と苛つかせた結果になってしまった。

もぉこれ以上は耐えられない。
こんな毎日は嫌だ。
アタシなんか生まれてこなければ良かったんだって兄も言ってた。
確かにそうなのかもしれない。
母は兄ばかりを可愛がっていたし
アタシが居るせいで兄弟喧嘩も起こるわけだし
兄弟喧嘩に苛ついて怒り出す父も
アタシさえ居なかったらその原因が無るように思えた。

アタシは小学2年生にして『遺書』を書いた。
アタシが死んだ事で家族は平和に暮らせるのかな?と、考えたらそうは思えなかったけど
いつもアタシを虐めてる兄に対してのあてつけで死にたいと思ったのだ。

家事とイジメ。 

2005年11月26日(土) 0時56分
料理なんて全然出来ない下手な父の食事にだって文句なんて無かった。
一生懸命作ってくれた。
最初はこれがチャーハンか?!とビックリするような代物だったり
ほっかほか弁当だったりしたが次第に食べ物のカタチになっていった(苦笑)
お仕事で疲れてるのに小学校で必要な物を準備したりしてくれた。
沢山頑張って育ててくれていた。
それが解っていて、文句なんて無かったのに寂しくなる時があった。
アタシは度々夜中に怖い夢を見るようになった。
枕を抱えて、怖い夢を見た・・・と泣きながら父の布団へもぐりこんだ。
いやな顔ひとつせずに腕枕をして寝かしつけてくれた。
普段はとても優しい父なのだ。

母が居ないのだからと家事を分担した。
そういう事になっていたが、いつの間にか実際にやらされていたのは
殆どがアタシ一人の仕事になっていた。
掃除機をかけておく事、そしてお米を研ぐ事。これが兄の仕事で
アタシは洗濯物と風呂が係りだった。
なのにお米を研げと言われて、どうすればいいのか解らなくて
米の研ぎ方を聞いたら、「そんなことも自分で考えらんないのか?このバカ!」と怒鳴られ叩かれやっと教えてもらい泣きながら米を研いだ。
アタシは今でもお米を研ぐのが嫌いだ。
今でも米を研ぐと悲しい気持ちになって嫌なのだ。

掃除機をかける事も同じ。
アタシは掃除機をちゃんとかけているつもりだった。
でもちゃんと出来ていなかったら父から怒られるのは掃除機かけ担当の兄だからこそ自分でやら無くても文句の付け方はすごかった。
「四角い部屋を丸く掃除してどうすんだよ!もっと手前もかけろ!!」
と怒鳴られたが、小学校一年生のアタシには『手前』がなんなのかすら解らなかった。
その『手前』を教わるのに、また一苦労と痛い思いを伴うのだ。
まるで戦時中のどこかの新人教育部隊のように即座にビンタされた。
睨むと「何だその目は!!」と余計に叩かれた事もあった。

卒園そして入学。 

2005年11月26日(土) 0時25分
母が出て行った日の事は覚えていない。
もしかしたら寝ているうちに出て行ったのかもしれない。
その記憶がアタシには無いから良く解らない。

母を追い出した父を責める事は怖くて出来なかった。
父は、兄とアタシの二人ともを引き取って育ててくれた。

母が居なくなった年、アタシは年長さんだったので
保育園へは父が送り迎えをしてくれていた。
寂しくないようにしていてくれたんだと思う。
いつも沢山お話をしながら、一緒に登園をした。
父の自転車のサドルに座らせてもらってハンドルを父が握って押して歩いてくれた事を今でも覚えている。
いつも時間に追われていた母の自転車の後部席から見る背中と違って、
手を繋いで話をしながら登園出来る事は、アタシにとって単純に嬉しかった。
卒園式にも、小学校の入学式にも、父が仕事を休んだり
抜けたりして出席してくれた。

皆はお母さんと手をつなぎ「入学式」とかかれた看板のある校門の前で順番に写真を撮っていた。
家族で入学式に来ていた子も居た。
アタシもその「入学式」と掛かれているたて看板の前で、友人の母にカメラを渡して頼み、
父との記念写真を撮ってもらった事を今でも良く覚えている。
あたしの記憶の中の父は確か濃い茶色のスーツだったと思う。
髭が生えていたのか、色の入ったメガネのせいか?少し強面の人に見えていたので浮いていたかもしれない(苦笑)
普段はスーツを着る仕事ではないのでオメカシした父と一緒なのは嬉しかった。

だけど周囲のお友達の姿をみていると
アタシには父だけなのが少し悲しかった。
それでも、仕事の都合をつけて式へ出席してくれているんだという事が
幼いアタシにも解っていたので文句なんて無かった。
ただ、寂しかっただけだ。

兄からのイジメ(1) 

2005年11月26日(土) 0時04分
両親が居ないその時間、(この場合には父の帰るまでの時間)
アタシは兄と二人きりだ。
父から受けた摂関のウサを晴らすかのように兄はアタシをイジメた。
気に入らなければ殴ればいいのだ。
アタシが泣き叫んでうるさければ兄は即座にカウントを始めた。
10、9,8,7,6,5,4・・・
アタシは兄の苛ついた眼差しと振りかざしてスタンバイされた右手を見て恐怖を感じつつも、一度殴られているんだから一度も二度も同じ事だ!と反抗心の入混ざった気持ちになり泣きやんでなるもんかっ!と更に大きな声で泣き叫んで見せた。

アタシに出来る唯一の反抗はそんなささやかな物だったのだ。

もう夕方だから、もう少ししたら仕事から母が帰ってくる!と泣き続けた日も有った。
泣き過ぎて頭痛がしていた。声も枯れて、発熱までした。
それでも、ただの兄弟喧嘩に思えたのだろう。
兄からのイジメを止める事は出来なかった。
しかも、その事実がバレて兄が怒られた日の翌日には、アタシはその件について更に虐められた。
親へいいつけたら翌日のアタシが痛い目にあうのだ。
もし学校でイジメられる事があったなら、虐められた子は苦しくても相談できないと言うこのようなループにハマるんだろうと思う。
アタシの場合、それが学校ではなくて家庭内であっただけだ。
その当時は本当に怖かった。
そして痛くて、とても辛かった。
イジメの無い時の兄は面倒見が良くて優しかったので心底嫌いになれなかった。
アタシは仕返しをして襖に兄の手を挟んでやった。
でも痛がる兄をかわいそうで申し訳なくて見ていられなかった。
自分がいつも痛い目にあわされているのに、だ。
アタシには仕返しは向かないと悟った。

兄はよくアタシにこんな言葉を投げつけた。

『お前さえ生まれてこなかったら良かったのに!
 そしたらこんな事にはならなかったんだ!!』

あたしが生まれるまでの四年間両親からの愛情を独り占めしてきたのに、アタシが生まれた事で勝手にいつのまにか『おにいちゃんだから!』と言われ我慢を強いられ兄も兄なりに寂しかったり辛かったりしていたのだろう。

両親の離婚。 

2005年11月25日(金) 0時57分
  ある日の朝、母が鏡台の前に座り化粧をしていた。
 アタシはたしかTVで「ポンキッキ」を見ていた。
 いつもこれが終わる時間までに家を出なければならない筈だったので
 アタシは母に時間を知らせる為に声をかけた。

 「おかーさん!もぉおわっちゃうよ!いそがないとおくれちゃうよ?」

 そう声を掛けたアタシに、母はなんと泣きながら呟いた。

 「お母さんね、、、この家を、出て行く事になったの。
 お父さんとね、リコンすることになったの。
 だから、もぉ、mieとは、一緒にね、暮らせなくなっちゃうの。」

 そう言って泣く母を見てもアタシには良く解らなかった。
 実際、母親が泣いている姿を見たのはその時が初めてだったし
 アタシに対して、そんな話をしてくれたことも素振りすら無かったからだ。
 そして、今聞いた話が自分にはどう関係してくるのか?が、その時は
 良く解らなかった。

 だから、アタシは保育園で先生に聞いてみた。
 「先生?うちのお母さんがね、お父さんとリコンする事になったから、
 一緒にはもぉ暮らせなくなっちゃうんだってー・・・」
 誰かに言えば事実は変わるかもしれないと思っていたのかもしれない。


 兄がひ弱だった事もあり、
 (もしかしたらイジメられていたのかもしれないし、イジメられない対策で
 習わされたのかもしれないが私には今でも良く解らないままだ。)
 剣道を習わされるようになった。
 たしか兄が小学校三年になった年だ。
 近所の警察署で剣道を教えていたので、そこへ通えと言われていた。
 本人には全く剣道を習いたい気持ちもなく、痛いしただ苦痛だったらしい。
 
 アタシは剣道を習いたかった。
 強くなりたかった。
 いつも父が怒ると折檻されていたので、その父を逆に成敗したかったのだ。
 だから、武道や合気道やらを習いたかった。
 でも女だからという理由で習わせてはもらえなかった。

家族。 

2005年11月25日(金) 0時30分
 アタシは家族が大好きで大切だった。
 
 アタシの父は、怒り出すとその勢いが止まらない人だった。
 まるで『星一徹』のごとく、お膳をひっくり返すような事を実際にやっていた。
 手をあげられた事も日常茶飯事だった。
 怒鳴られる事も怖かったが、話を聞く素振りで、目の前に仁王立ちになり
 上から下まで睨みつけられるのが恐怖だった。
 いつその手が、ビンタが飛んでくるのか怯えていたアタシには
 思った事も上手く言葉にする事が出来ずにただ無くばかりで
 そんな状態では余計に父をイラつかせるばかりだった。

 父が怒る原因はさまざまで、兄弟喧嘩もその大きな要因だったように思った。
 そして、母が不在だとその父の機嫌はさらに悪化していった。
 母は、保育園の父母会の打ち上げのようなものに参加する時、
 アタシをいっしょに連れ居てってくれた事があった。
 確か、同じクラスの子の家が1階でスナックをやっていたのでそこへ行ったのだ。
 アタシは数人の友人達と一緒にずっと遊べて楽しかったし退屈もしなかった。
 
 帰宅する時間は遅くなっていたと思う。
 帰り際にその家のお母さんがねこまんまのような鰹節ご飯のオニギリを
 一個もたせてくれたのを、そしてそのオニギリがとても美味しかった事を
 アタシは今でも鮮明に覚えている。

 帰宅後は、眠かったので即座に寝てしまいたかった。
 母もほろ酔いだったろう。
 でも、帰宅した母子を待ち受けていたのは、激怒した父の姿だった。
 母は、怒鳴られて、殴られていた。
 「こんな時間まで子供をつれまわしやがって!」と怒鳴っていた声が怖かった。
 アタシまで殴られるのではないか?と恐怖に怯えながら布団に包まっていた。
 それでも怒鳴り声も、殴られる音も母の謝る声もすすり泣く声も聞こえてきて
 アタシは泣きながら眠りについた。

生い立ちとしてまず。 

2005年11月25日(金) 0時18分
 生まれた頃は裕福ではなかった。
 両親は共に働いていたし、アタシは保育園へ預けられていた。

 いつもお迎えが遅かった。
 たまに最後の二人になってもお迎えが来ないとき、
 先にお友達のママがお迎えに来て、一人取り残される気持ちは
 ものすごい寂しかった。
 寂しさを紛らわせて一緒に遊んでいた友達が先に笑顔でママに呼ばれて
 帰っていく後ろ姿を眺めているのは、とても寂しい。

 先生が、「mieちゃんのお母さん遅いねぇ〜」と声を掛けてくれる。
 アタシが帰らないと先生も仕事が終わらないし面倒を見ていなければならず
 仕事がはかどらない=迷惑を掛けている、、、そんな気分になる言葉で
 アタシはその言葉が嫌いになった。

 このままアタシのお迎えは来ないんじゃないだろうか・・・
 
 そんな不安感に襲われる事もしばしば有った。
 だからお迎えに来てくれた母を見た瞬間は、とても嬉しかった。
 本当は泣きながら飛びつきたかった。
 だけど、母は仕事で疲れきった顔をしていた。。
 これから買い物をして自宅へ帰宅してからも、アタシの話を聞く時間などは
 殆ど無かった。
 夕飯の支度に追われていたからだ。

 アタシには4つ年上の兄が居る。
 だが、アタシの記憶の中で兄の存在が思い出として存在するようになったのは
 小学生になってからみたいだ。
 アルバムを開けば、幼いアタシと笑顔の兄で仲良く写っている写真も有るのに、
 保育園時代の思い出に兄との思い出はあまりにも少なかったらしい。

 当時の父は自宅から程近い工場で働いていたようだ。
 当時のアタシにはそんなことを知る由も無かった。
 ただ、カメラをいじっていたり、自分で現像もしていた趣味があったり、
 山登りをしていた話などは、アルバムと共に見せてもらって知っていた。
 タクシーの運転手をしていた時期も有ったらしい。
 その後は、父の兄弟の工場で一緒に働くようになっていったのだが、
 それはいつの事だったのかアタシは知らない。

再発。 

2005年11月25日(金) 0時13分


 あたらしいアタシになって戻って来た。

 誰にも見られてなくていい。
 だからひっそり、自分の事を見詰めてみたい。

 鬱と闘うアタシの今をつづっていくツモリ。
2005年11月
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