研究 

2006年09月29日(金) 7時32分
研究。
最近は毎日研究か実習か。
そんな毎日。
もうイヤです。

研究は全然進まない。
グループでやっるのに!6人でやってるのに!
進展がありません。
グループでやるとあれだね。
メンバーの性格とかがわかるから、好きになったり嫌いになったり。

ギスギス。

もうやーだ。

模試の勉強もしなくちゃ・・・
また昨日も寝ちゃいました。
勉強の仕方、教えてください。

初めての就活 

2006年09月27日(水) 9時06分
初めての就活というものを先日してきました
病院は実家からさほど遠くない日赤病院です。
かなり緊張しまして・・・なんせ一般試験が漢字らしいじゃないですか。

漢字?無理。ことわざ?無理。

友達に漢字のドリルみたいなん借りて勉強しようにも、私の性格上、勉強なんてできなくて。
試験前日に5,6ページぱらぱらとやってみました。
いやぁ、自分の日本語力のなさには茫然自失。
でも漢字って楽しいね。いつか余裕ができたときにでも勉強してみよう、と思いました。

で、焼け石に水状態で試験に挑み。
なんと!一問だけ昨夜やった漢字があるじゃないですか。万歳
まんせーまんせー
他は全然できなかったけど。消耗の耗がわからず、毛にいろんな部首をつけてみました。
でもしっくり来るものがなかったので消しておきました
というか、受験生が16人いて、なぜか私の列だけ私以外は欠席でした。
目立つ目立つ。すごく寂しい気持ちになりました。

そして次の面接、私はもう心臓破裂寸前でしたよ。
だって募集要項では募集人数が5,60人って書いてあったのに
前日にみたら20人にまで減っていた。
ぎゃふ漢字できないのに
1時間半、自分の順番を待つまでのあの苦しみ。
でも面接はなごやかに進み、なんとか終えました。
最後に、
「近々、内定を送りますね。」
呆気。そんなもんなの?決定??

でもNICU勤務の可能性が大。
ちょっと考えなくちゃね。
てか勉強しなくちゃね

思いやり 

2006年09月21日(木) 9時27分
高校2年目、テニス部の合宿が終わった頃。
私は夏期講習で塾に通っていました。
個人指導のやつ。数学、あまりにもひどいんで。
二次関数ってなにさってくらいひどかったんで。

すっごく日焼けしてたな。身体も好調、体力ばんばん。
でもお父さんはあんまり体調思わしくない。
ずっと布団で寝ていることが多くなっていた。

咳もひどくなって、痰もすごくでていた。
でも頑張っていたよ。会社にも行ってたし。
本当にめっちゃ苦しい時期だったかもしれない。
だって治療が全然効かないってわかった時期だったから。
しかも副腎にまで転移し始めていて。広がって様子。

朝、お父さんがいつも以上に咳をしていた。
会社も休むことになった。
私が洗面所に行くと、そこには血痰があった。
びっくりして、お母さんに血痰のことを言うと、「あらそう」と特に反応がなかったから、私もま、いいやとあんまり考えなかった。
で、塾に行ったんだけど、途中からすっごく気分が悪くなった。
目はかすむし、チカチカするし。
授業を止めてもらって、少し休んでから帰ろうとしたけれど。
塾の隣の駐車場でフラフラしてダウン。歩けなくなった。吐いた。
お母さんに電話して、迎えに来てもらって、病院に行った。
注射を打ってもらって帰宅。
原因は分からずじまいでした。

最近お母さんに、
お父さんの血痰は前々からあって、それを必死で私に隠していたこと。
副腎に転移したことは私には内緒にしていたこと。
お父さんの悪い情報は全部私には伝わらないようにしていたこと。
などなど。私は本当に守られてたんだと知りました。
そしてその間は、お母さんは1人で苦しんでいたんだな。

思いやり。
でもなんとなく、私は気付いていたのかも。
そして気付かないフリをしていたのかも。
そう思うようになってきました。

お父さん 

2006年09月20日(水) 8時00分
お父さんは・・・
 がんの転移を宣告されたとき、1人で受診してました。病院を出て、ふらふらっとカフェに入って、タバコを1本吸って。カフェを出てから、タバコの箱をつぶしてゴミ箱に捨てたそうです。禁煙開始。

闘病中、全くタバコを吸わなかったお父さん。
でもホスピスに入って、シンガポールから友達がお見舞いに来たとき。
ラウンジで友達が吸っていたタバコを、一口だけもらったみたい。
ウキウキと病室に戻ってきて、
舌を出して、
「吸っちゃった」
本当に嬉しそうだった。

どんな状態に陥っても、
その人が本当に楽しくて、嬉しいことができるということ。
こんなにも影響を与えるんだなと、
最近しみじみ思うようになりました。

きっかけ 

2006年09月18日(月) 15時00分
私がもともと看護師を目指した理由は、お父さんの死。
お父さんは腎臓がんでした。
1年くらい、わき腹が痛い痛いって騒いでいて、病院に行った頃にはもう手遅れ。
最初は手遅れだとは思われてなかったんだけどね。手術すれば治るって。そう思ってました。

でも現実は甘くない。
手術した後、数ヶ月で肺に転移していることわかり。
その後はトントンと、気持ちが追いつかないほどテンポ良く進んでいきました。

手術はできないので、まず放射線。これは効果がなかったそうです。
化学療法。これも効果なく。
お父さんは民間療法やら宗教やら。本当にたくさんの救いを求めてました。
私はというと、末っ子だということで、詳しいことは知らされず。
お父さんはいつか治るのだと楽観的に日々を過ごしてました。

亡くなる前日まで、本当にお父さんの病気は治るのだと信じてた。
お父さんは、苦しいのに毎日会社に通勤してた。
家族のために、窓際というつらい立場を続けてくれた。

亡くなる一ヶ月前、ホスピスへの入院が決まりました。
その頃、私はホスピスがどいういう場であるかも知らなかった。
父さんは治って戻ってくると、しつこく考えていた。
入院前日、お父さんが私の手をとって自分のお腹に持っていった。
そこには、大きな大きなしこり。硬い、しっかりしたしこり。
私は怖くて、手を振り払ってしまった。

「ホスピスの入院って平均2,3ヶ月なんだってー」

お父さんと、家で交わした最後の会話。
おどけたように、言ったお父さん。
あまりにも無知だった自分。

「へー、でもお父さんはすぐ帰ってこれるよ。」

後悔。

思い立ち 

2006年09月18日(月) 14時24分
BLOG!
まさか自分がBLOGに手を出すとは思いもしませんでした。
日々ボーっと過ぎていくことに嫌気がさして、ちょっと奮起してみます。

助産師を目指す自分の今までの振り返りと、これからどう成長していけるか。
つらつらと書いてみたいな、と思います。
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