慮る

September 06 [Tue], 2011, 14:16
自然災害に見舞われた各地に友がいる。 仙台、盛岡、長野、浦安、高知、那智勝浦、 いずれの友も、今回は、大きな被害に遭うことなく無事 だったことにほっとしている。 恐ろしい体験をしながらも、自然のなせる業と 受け入れ、日々を懸命に生きる姿勢に、 私の非力を詫びるのもおこがましく思えるほど 強く逞しい彼らの存在に感謝するばかりである。 『便りのないのは、良い報せ。』と言われるが、 私には、友との永遠の別れに悔いを残すという 苦い経験がある。 しかも、2度も大切な友を送りそこなっている。 一人は、大学で出会い、部活も遊びも気づくと いつも一緒にいたMちゃん。 「わが道を行く」タイプの私を大人にした姉の ような存在に思えた。 何故かよく叱られたことを思い出す。 女子大の部活で、奔放な振る舞い(彼女曰く)の 私が、先輩たちから呼び出される前に彼女から ダメ出しをされ、彼女のお目付け役所が 功を奏してか、難なく過ごせたのはMちゃんの お蔭だそうだ。 どこか他人事のようになるのは、彼女の庇護の 下にあったことも、周囲の視線も、全く気付かない ほど、私は、幼く独りよがりだったということであろう。 確かに、彼女には、素直に従うことができた。 自衛隊幹部の子どもとして、弟さんとともに小中学校 では、かなり辛い経験(特に社会科の教師によるいじめ) をしていたと聞かされたが、凛とした姿勢からは想像しがたい。 潔癖で、何事も完璧にできるまで諦めない根性を私は尊敬していた。 私たちは、よく二人で旅行に出た。 「行くわよ」 「どこに?」 「中央線で一泊」 「わかった」 両親も「Mちゃんと一緒」と言うと安心していた。 日光、伊豆、箱根、木曽路、清里、金沢、・・・ハワイ、ロンドン・・ ところが、どこに行っても、途中で消えてしまう人だった。 「じゃあ、明日は、一人で帰ってね。」帰路予定の前の晩になると 決まって独り立ちをさせられた。 初めのうちは、何故かわからず、心細くもあり、身勝手な人だと 信頼しきれなかったが、いつの間にか一人旅の虜になっていた。 自立の一歩は、彼女の置き去りから始まったのかもしれない。 いわば、私の育ての親でもある。 恋愛もしたが、結局お見合いで結婚し、長男に続いて第二子を 身ごもったと葉書をくれた彼女に「おめでとうと」と電話をした時 珍しく弱気だった。 体調が悪く、病院に行くが、「検査は、出産後にしましょう」と言われた。 辛いので、家事がおぼつかなくて、長男が不憫だとこぼす彼女に セカンドオピニオンを勧めたり、 「完璧なMちゃんの手抜きは、私の完璧より はるかに完璧だから大いに手を抜くべし。」などと言ったことを思い出すが、 その後、我が家は、また転勤の時期を迎えあれよあれよという間に 半年が過ぎていた。 あら?そういえば、暑中見舞いが来ないなあ・・ 流石のMちゃんも二人目ともなれば子育てで、てんてこ舞いかな? 電話をしても留守が続いた。 11月になって、届いた葉書は、ご主人様から喪中の知らせだったのだ。 第二子を出産と同時に彼女は、天に召されてしまった。 あれからもう22年が過ぎた。 ふと、Mちゃんの顔が思い浮かぶ時は、助けを求める私がいる。 そして、もう一人の友、もう一度会いたいと折に触れて思い出すN先生 その出会いは、可笑しい。 結婚直前、夫と渋谷で何をしていたのか覚えていないが、 夕方になり、早夕飯を食べて帰ろうと入ったとんかつ屋さんでのこと。 暖簾を分けて見渡して見たところ満席だった。 さほど残念とも思わず出ようとした時、一番手前のテーブルにいた 二人の女性が、「どうぞ、相席ですが、ここへ座ってください」 と招き入れた 何故そんなに熱心に誘うのか と思うが早いか、断る間もなく座ると、そのうちのお一人が、 「ああ、良かったわね。じゃあ、私は、これで失礼しますので・・・ よかった、よかった。折角四国から来てるのに、一人残して行くのは 忍びなくて・・・じゃあ、お元気でね。よろしくお願いします。」と そそくさと帰ってしまった あとに残された四国から来た女性は、注文した定食が出てきたところ 恰幅のよい、逞しい体系の、見るからに元気者の中年の女性で 「とんかつはヒレより、ロースの方がアミノ酸の旨味があって美味しいのよ」 と気さくに話し始めた。 今日は、大学の同窓会があって上京し、今夜は、ご長男のアパートへ 一泊するが、ご長男の仕事が終わるまでの時間つぶしに彼女が付き合うと 言ったものの、彼女は主婦だから食事をしないと言い出したので 一人で食べる羽目になった、丁度その時、暖簾の間から覗いた目と目が 合ってしまったというのだ。 某体育女子大卒業、高知市内の中学、高校で保健体育の教師をしていたが 最近は、養護教員として体当たりでこどもたちと過ごしているから、逞しくなった 学生時代は、バレリーナのようだったと大笑いして、愉快な話が延々続いた。 時を忘れ、彼女のお笑い人生話を聞くうち、旧知の友であるかのごとく打ち解け 仕舞には、新婚旅行で高知に立ち寄るとまで約束をしていた。 携帯電話もないころの話 ご主人の宝石商を継ぐため、東京の某宝石店に勤めているご長男の仕事は 何時に終わるのか 一人暮らししているご長男の相談相手になってほしいと彼の仕事が終わるまで 付き合うことになった。 センター街入口のパブに入り、ダンスの話になった時、 「本当は、ジルバを踊れる男性が良かった・・・」 と口にしたら、「ダンス覚えなさい。私が教えるわ」と夫の膝をポンポンと叩いた。 閉店でパブを出て、ハチ公前へ移動すると、上着を脱いだN先生は、ここでダンスの レッスンをしようと踊りだしたのだ。 ステップを真似て踊り出したら、楽しい。 恥ずかしいより、はじけてしまった心が躍りだし、体が自然に動き出した。 秋風に吹かれ、肌寒い気候にもかかわらず、うっすら汗をかく良い運動だった。 流石、体育専門家、教え方が上手い。 すっかりその気になって踊り続け満足感を味わったその時、お待ちかねのご長男登場。 それから、約束通り、新婚旅行の途中で高知に一泊、翌朝は、寝坊して観光地を すっ飛ばし、「ごめん」駅でごめんと頭を下げる記念写真を残すだけになった。 毎年、同窓会や息子さんたちに会うため上京されるたび、連絡をくださっていたが 転勤で会うチャンスが少なくなり、15年が過ぎた夏のある日 PTAや勉強会で出歩いていた毎日の朝、出がけに電話が鳴った いつもなら留守電にしているのに珍しく受話器を取ると大好きな先生の声だった。 「嬉しい、先生。東京にいらして?」と聞くと、「そうじゃないんだけど どうしてるかしらと思って・・ 声が聞けたから、またゆっくり電話するわ」と切れた。 夫にも報告したが、こちらから連絡しなかった。 まさか、あのお声が最後になるなんて思ってもみなかった。 でも、今思えばご闘病の最中だったのだ。 元気印のN先生に頂いたたくさんの温かい心にご恩返しできなかった。 何で、気づかなかったのか。 情けない、心無い私。 慮ることができなかった私が頂いた宝物は友です。
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