ありがとぅ 

April 02 [Wed], 2008, 12:25
2008年03月17日10:10




太陽に

光に

この星の温かさに

ありがとぅ・・・


雨に

川に

キレイな水に

ありがとぅ・・・


大地に

森に

お米や

野菜に

ありがとぅ・・・


祖先に

父に

母に

私の命に

ありがとぅ・・・



感謝すべきものに

気づいたら

大切なモノを 守ることができます



害をもたらすもの 

April 02 [Wed], 2008, 12:24
2008年03月14日15:38




「自分のイライラをどうすればいいのだ」そんな思いを持っている多くの方がいらっしゃると思います。
あなたがイライラするには訳があります。
あなたに害をもたらすイライラの源は、一体あなたのどんな考え方からやってくるのでしょうか? 
あなたを被害者に仕立て上げる、あなた自身の考え方はどれでしょう。

「勝手なことしないでよ」と、人は自分の許可もなく勝手にした他人の行為を咎めます。
「一言ことわればいいのに、無断でやるなんて、ちょっとひどいじゃない」、このときあなたは犠牲者の立場を選択しています。
加害者はことわらなかった相手です。
本当にそうでしょうか。
一言ことわればすむのだったら、ことわりがなくてもすむはずです。
でもあなたの怒りはおさまりません。
一言いってやらないと気がすみません。

300ccの献血が出来たことは喜びであるのに、1gの血を蚊に吸われたときには腹が立ちます。
承諾していることは喜びなのに、無断だと腹が立ちます。
血をぬかれるという行為に意味を与えているのは私達です。
取られたと解釈したときに人は被害者となり、あげたと解釈したときには犠牲者となりません。
あなたの解釈があなたに害を与えます。
献血が喜びである人は、蚊に血を与える事が出来たことも喜びであるはずです。
「そんな事をして蚊が増えたら困るじゃないか」とエゴは主張するかもしれませんが、実際には創造主であるあなたにとって、不必要なモノが大量発生する事はありません。

無礼講という言葉があります。
「今日は無礼講じゃ! 何でも勝手にするが良い」。
いちいち許可はいらないから勝手にしなさいという大変に太っ腹な考えです。
そうするとその日に起こった事は全て許せます。
「俺が認めたのだから良いよ」という事です。
だったら毎日これをやって見ませんか? 
朝起きたら一番に、大きな声で宇宙に向けていって下さい。
「今日は無礼講じゃ!地球の皆のもの勝手にするが良い」と・・・。

通勤電車の中が満員だったとしても「よいよい俺が許したのだ、『おしくらまんじゅう』楽しむがよい」と、いつもと様子が変わります。
人身事故で電車が途中でストップしても「よいよい俺が許したのだ、動き始めるまでここでゆっくり瞑想しよう。またとないチャンスに恵まれた」と喜びだけを体験します。
遅刻して会社に着いたとたん、上司がやってきて「困るじゃないか大切な会議があったのに」と、あなたに言ったとします。
「よいい今日は無礼講じゃ、好きなだけ不満を言えばよい、何でも私が聞いてやろう」ただしこれは自分の心の中でだけ独り言として言って下さい。

こうなると、もはやあなたにイライラはなくなってしまいます。
あなたが許しているのですから、あなたが被害者になることはありません。
「俺はそんな事は聞いてない、そんなこと許した覚えが無い」こう判断した瞬間、あなたはすでに犠牲者です。

もう二度と誰かの犠牲になりたくないのであれば、ことは簡単です。
あなたの宇宙で起こる全てに責任を取ることです。
毎朝、無礼講を言うのも面倒です。
皆さん一緒に言って見ませんか「これからは全て無礼講じゃ、全てを私が許す、宇宙の皆のもの勝手にするが良い、全て私が責任を取ろう」と。
その日からあなたは自分の宇宙の支配者として生き始めます。
ですからあなたの心を傷つけるどんな出来事も消滅してしまいます。

新聞を見たら「九州で震度6の地震」とありました。
私の心はこう言います「地球さんご苦労様、のどが気持ち悪くて咳をしたのですね、私はあなたが咳をすることを許します」と。
テレビのスイッチを入れ、こんなニュースが流れてきたとします「××地区で戦争が勃発、死傷者多数」。
全てを許している創造主であるあなたは「私はあなた方の苦しみを理解します。自分を傷つけ、人を恨むという体験をあなた方が選択した勇気を私は心から受け入れます」と言うことが出来ます。

母から「お父さんが死んだよ」と突然電話がかかってきたとします。「よいよい許そう」というのに抵抗があったら、ちょっとだけ意識的に人間意識に戻ってみましょう。
意識的にというところに気付いていて下さい。
きっと涙があふれ出てくるかもしれません。
どうぞたっぷりとそこにいて下さい。
それもあなたの大切な大切な役割であるからです。
あなたは自分を表現するために「今・ここ」に存在しています。
あなたのそんなかけがえのない感情を大切に表現して下さい。
自分の目からあふれでる涙が、とても清々しいものである事に気付かれるでしょう。
人間の感情の素晴らしさに、感動が押し寄せてくる事でしょう。
全ての体験が、これまでの苦しみのパニック感のそれではなく、別の種類のマイナス感情があった事を発見されるでしょう。
それが気付いているという事なのです。

たっぷりと感情をかみしめ終わったら、また元の創造主に立ち返り
「父よ、お疲れさまでした。私はあなたが人間としての生を終えられることを受け入れます。私は、あなたがやって来た目的を全て無事果たされ、帰還していくことにエールを送ります。長い間、父としての役割を演じて下さったことに感謝を捧げます。不自由な肉体を離れ、自分の本性を取り戻した瞬間にやってくる至高の至福体験を祝福いたします」と言ってみましょう。

「全てを許すといってもこれだけは例外だよ」、というものはありませんか? 
「イヤ、このベンツだけは勝手にされては困る」「当然、命だけは別物だ」と。
無礼講だといっておきながら
「そんなことをして良いわけないじゃないか、それぐらい常識でわかるだろ」とイライラがやってきたとしたら、相手を咎める前に、それが今の自分の限定された意識からなされた判断かもしれないと、一度疑ってみて下さい。
命でさえ例外ではありません。
どうぞ自分こそが創造の源という立場に立ちかえり、勇気を持って、他人ではなく自分の価値観に意識を戻し、自分の思考の限界を探って下さい。
あなたの宇宙で、してはいけないことはないのだという言葉を思い出して下さい。
これには例外はありません。
例外があるとしたら、それこそがあなたの限界です。
自分という責任のとれない未熟な創造主に気付いて下さい。
あなたが責任を取れないところにだけ恐れが潜んでいます。
あなたは自分が責任を放棄したものによって害されます。

「俺は聞いてない」と責任逃避するのは止めましょう。
「承認した覚えはない」というのは止めましょう。
「あいつは間違っている」というのは止めましょう。
「あの情報はおかしい」というのは止めましょう。
何故なら、そこからあなたは被害を受けるのです。

本当はあなたが承諾していない事は決して起こりません。
あなたの宇宙にはあなた一人しか生存していないのですから・・・。
別次元のあなたが承諾しない限り、あなたは蚊にさされることさえありません。
トータルなあなたがOKを出さない限り、あなたには何事も起こらないのです。
ですから事故なんかあり得ません。
全ての出来事は自分自身であるハイヤーセルフが承諾しているのだという立場を選択し続けて下さい。
そんなあなたはもはや決して犠牲者になることはありません。

あなたの出会う全ての人は、自分の招いたお客さんという事になります。
夜遅くに聞こえてきた隣の部屋からのへたなピアノの音も、電車の向かいの席に座った酔っぱらいの酒臭さも、ラーメン屋のテーブルの上をはいまわるゴキブリさんも、例外にしないで下さい。
しつこい新聞の勧誘さえ、自分が招いているという態度を失わないで下さい。

もう一度言います。
私達は自分の知らないところで起きたことに腹を立てます。
「こんな風にされた。そんな事されるいわれはない」と。
受動的態度を選択した時に必ずあなたは傷つきます。
自分を真に愛するとは、決して受動的態度を選択しないことです。
理由は良くわからなくても「これは私の体験したかったことなのだ、私が望んだことなのだ」と、能動的態度で接して下さい。

「先に一言いってくれればよかったのに」
「一言ことわってから持っていけよ」
「黙ってちゃわからんだろ」
「俺は聞いてないぞ」
こんな発言こそがあなた自身を傷つけていることに気付いて下さい。
源は全て自分である。
この超能動的態度をくずさない限り、あなたが被害を受けることはなくなります。

忘れないで下さい、
自分が現実の創造主であることを・・・。

                  −津留晃一メッセージ集より−



恐れ 

April 02 [Wed], 2008, 12:17
2008年02月29日09:21




今のこの三次元地球における現象世界で、
皆様が行動、活動をしているその基本要因は100%恐れにあるようです。
原点として肉体維持のために仕事をします。
源の恐れです。
より快適にと、より良い環境、より良い待遇を得ようと頑張ります。
見下されることを恐れる人は、常に上を目指さなければなりません。
基本環境が整うと、その維持に躍起になります。
せっかく築いた環境を失いたくないからです。
まわりの人達とうまくやっていくために気を使い、より優れようと努力します。
誤解されないよう、悪く思われないよう細心の注意が必要です。
常に気が抜けません。

持たないことを恐れ、持ったらそれを失うことを恐れます。
どんなモノも手に入れたとたん壊れ始めるからです。
あなたのエゴの観点から見れば、決して恐れから逃れることは出来ません。
恐れは、逃避しようとすればするほど、エネルギーを増してあなたを襲ってきます。

恐れの解消法は2種類あります。
ひとつはこれまであなたがチャレンジしてきた古典的やり方、すなわちあなたの外側にある現実に対処するというやり方です。
攻撃して撃退するか、逃げ出すか、そのどちらかですが、そんなやり方では絶対に究極的安心感が得られないことはもうすでにご存じの事でしょう。
そろそろ恐れの根本原因であるあなたの内側の価値観に意識を向け始めるときが来たようです。

人は愛する人を得たいと努力してきました。
愛する人のいない生活に意味を見いだせないのです。
「存在する事の価値」に気付いていない人は、愛されるに値する人間にならなければなりません。
「仲良くしたい」も、「愛されたい」も、基本的には孤立することを恐れているからです。
まわりの人達からの拒絶を極端に恐れ、偉くなりたい、人に褒められたい、認められたいという衝動に対処しているわけです。
愛を分かち合う人が出来たら出来たで、今度は一度得た友人や愛人を、失わないようにと日夜努力が要求されます。

「存在する事の価値」に気付いていない人達は、傷つくことを恐れています。
他人からの拒絶を恐れます。
では、どうして拒絶されることを恐れるのでしょうか? 
拒絶の恐れは、人から嫌われたら生きづらくなる、不利であるという程度のものにすぎないのですが、人は今や拒絶そのものを恐れています。
拒絶されたと判断したとたん、心は猛烈な反撃を開始します。
「存在」が傷つくことなどあり得ないというのに・・・。

でも本当はあなたを拒絶することを目的として、あなたを拒否する人がいるわけではありません。
あなたが拒絶されたと判断したその相手は、単に自分が傷つかないように防衛しているか、すでに傷ついてしまった心を癒そうとして、そのような態度をとっているにすぎないのです。
そんな傷つきやすい人を恐れる必要などないのです。
あなたが常に愛を持って接していれば、どんな人も恐れる必要なんかありません。

人に愛を持てなくなるのは、あなたが傷つくからです。
人は「無条件の愛」という言葉を聞くと、それが素晴らしいことであることを誰でも知っていながら、でも自分には出来ないと言います。
それはこれまでの自分の人生の中で、人に優しく出来なかったときの記憶があるからです。

どんな時、人に優しくできなかったか思い出してみて下さい。
人に意地悪な思いがわいてきたのは決まって自分が傷ついていた時、イライラしていた時であったはずです。
ですから大切なことは、あなたが傷つかないようにすることです。
気分のいいときは、誰でも人に優しくなるものです。
では自分が傷つかないようにするにはどうすればいいのでしょうか。
あなたはこれまで他人の言葉や態度によって傷ついた記憶があるので、自分が傷つくのは他人のせいであると勘違いしていますが、実は他人の態度を契機として、あなたの内面にある否定的価値観が表面意識に上がってくることによって、あなたは傷つきます。
あなたを傷つけ続けているのは、あなたの抱いた否定的価値観です。
他人の態度があなたの手放すべき考え方を教えてくれているわけです。

「このくらいしてくれて当たり前」、「このくらい出来るのが常識」と思っていると、してくれない相手を咎めます。
出来ない相手に苛立ちます。
あなたの「あの人は冷たい」という思いがあなたの心にトゲを刺します。
あなたをイライラさせる張本人は、この「してくれて当たり前」「出来るのが常識」という考え方にあります。
すべきであるといった断定的考え方があなたの心を傷つけます。
どうか勇気を奮って「そんなの当たり前、誰でもそう思っているのだから」という考え方を全て手放して下さい。
あなたの思っているみんなも間違っているかもしれないのですから。

自分ひとりだけ非常識なことをするのを恐れないで下さい。
誰かがやり始める必要があるのです。
これまで使い古されてきた常識という固定的価値観を、白紙に戻すことによってのみ、この社会は変わり始めます。
この社会を変えるのに弁舌を持って他人を動かそうとしても変わりません。
社会はあなたの反映なのですから。
あなたひとりがその意識を変えることによって、あなたの見える宇宙全てが変わってしまいます。
地球を変えるのに、あなたひとりの意識の変容で事足りるのです。
他人の抱いている固定観念を変えようと努力する必要はないのです。

もしもあなたのまわりの誰かが、光り以外の何かに見えているとしたら、それはあなたの中に、何らかのかげりがまだ残っているという証拠にすぎません。
あなたがある人を嫌いだとしたら、その人の欠点を見つけだしている自分に気付いて下さい。
その人の中に見える欠点を、欠点と認識するために使ったあなたのモノサシは何でしょうか。
他人を良くないと判定するための尺度に用いたあなたの価値観を見つけて下さい。

その価値観の対極にある考え方は何ですか。
その対極する価値観を使ってあなたの判断の天秤ばかりがバランスするように持ってきて下さい。
あなたの価値観をニュートラルにするという事です。
あなたの抱いてきた価値観が「どちらでもよい」とニュートラルになると、そのことに対して比較することが出来なくなります。
比較するための尺度がないからです。
比較しなくなったら判断もできません。

このとき、人は初めて判断しない人生を生きられるようになってきます。
比較するな、判断するなと教えられても、モノサシを持っている以上、瞬間的に無意識に条件反射的に判断が起きてしまうものです。
あなたの抱いている全ての、善し悪しの価値観を手放して下さい。
あなたの疑うことのない正しさに対局する価値観をさがし、価値をバランスさせ、ニュートラルにして下さい。

この時、人は比較判断が出来なくなります。
判断しなくなったあなたの心は揺れようがありません。
こうして人は不動心を獲得します。
正しさを握っている限り、社会の現実を見て、心を動かさないではいられません。
正しさを持っている限り、そこに悪を発見するからです。

不動心を得た人は、現実を感情を交えず見ることが出来るようになります。
即ちあるものをあるがままに観るわけです。
全てのものを、全ての人を正観出来るようになります。
見えてくるものの奥にある「存在」が感じられるようになってきます。
「ただ在る事のすばらしさ」がわかるようになってきます。
至福に満たされます。
存在の美しさ、存在する事の素晴らしさを実感します。
決して変わることのない、永遠の巨大な存在を感じられるようになってきます。

「私は今なぜこんなに頭が悪く、力が無く、矛盾だらけのジレンマの社会に生きているのか? 私が神であるはずがない」と考える人は、「だから我々は互いに掛ける迷惑を、最小限に止められるよう我慢しあってひっそりと生きていかなければいけない」という考え方が正論となります。
これまでの考え方です。

この反対に、自分が神である事を疑わずに真理の中心にすえた時、
「ではなぜ、神であるはずの私が矛盾をとく智恵がなく、問題を解決する力がないのか」と、その解答を用意する必要が生じます。
神である我々が、ジレンマ社会にいるとしたら、それを体験してみたくて、ちょっと遊びに来ているのだとしか考えられません。
子どもが恐いジェットコースターにわざわざお金を払って遊びに来るように・・・。

そして全ての現実を創っている自分が創造者であることを受け入れたとき、自分のまわりで起きる全てに責任を取ったとき、もはや永久に被害者にはなり得なくなります。
被害者にならないとは、もはやあなたは永遠に傷つくことがないということです。
もう自分は傷つくことがない、自分は永遠に安全であると想像してみて下さい。
どんなに安らかにくつろげることでしょう。
自分はそのためにこそ、これまであくせく頑張ってきたのだとは思いませんか? 
本当はその感覚が欲しかったのではありませんか?

そうなのです。
自分に起こってくる現実の総てに対して、自分が責任を取ったとき、あなたはその瞬間から永遠にくつろげる豊かで、自由な存在へと変わります。
これは難しいことではありません。
単に「自分の見るもの聴くものは総て自分のハイヤーセルフが、私のために創り出してくれているのだ」という、この一点を受け入れてしまえばそれで終わりです。
それだけであなたは完全なる安全を手にします、完全なる安らぎに浸れます。

どうか恐怖から逃れようと、責任を取ることを回避するのではなく、勇敢に総ての責任を受け入れて下さい。
本当に「総て」にです。
永遠に傷つかない人だけが、永遠に人に優しくできます。
それが無条件の愛の体現者のことです。
すなわち「無条件の愛」を体現するための必須要件が、自分が傷つかないということです。

あなたが永久に傷つかなくなったとき、あなたが永久に被害にあわなくなったとき、それは即ちあなたの世界から完全に加害者が消える瞬間でもあります。
あなたの世界に加害者を出現させていたのは即ちあなた自身だったのです。
あなたが自分を守りたかったからです。
そうさせたのはあなたの恐れなのですが、あなたが「自分を守ろう」と決めたとき、ハイヤーセルフはあなたの希望どおり守らねばならない敵をあなたのために用意して下さいます。

あなたの唯一最大の敵は「自分を守ろう」という思いにありました。
どうか進んで勇気を奮って自分を解放して下さい。
「守る必要なんか一切ないのだ」という一見無謀な考え方を受け入れてみて下さい。
そこからあなたの安心がやってきます。
その時あなたの世界から、あなたを攻撃するものが消えていきます。
天災にもあわなくなります。
事故も起きなくなってきます。
それを創っていたのがあなたの「自分を守る」という理性にあったのですから・・・。

「自分を攻撃していたのは自分の思いであった」
「自分の心を揺さぶっていたのは自分の抱いた価値観にあった」
こんな簡単な理屈を、人はやっと理解できるところまで意が上がってきたようです。

                   ―津留晃一メッセージ集より―



奉仕 

April 02 [Wed], 2008, 12:15
2008年02月25日16:32



自己の本質に目覚めかけた人は、人に何かしてあげる事に大きな悦びを発見します。
「人に優しくしたい」という、人間の根元的欲求があるからです。
できる限り奉仕しようと心に決めると、奉仕されたい人を引き寄せ始めます。
「人のためにつくす事は良い事です」と親から、そして教育者から教えられ、その考え方を自我が握りしめたままになっている人は、もうこれ以上自分には出来ないという限界まで依頼が増え続けます。

やがてあなたに対する他人の依頼が限界を超えてくると、あなたはイライラしはじめます。
イライラした時の人の思考パターンは誰でも一緒です。
その人の「優しくありたい」という気持ちとは裏腹に、「そのくらい自分でやればいいのに」というエゴの思いが脳裏をかすめます。

人に奉仕するという、プラスを追い求め続けている人に現れてくる共通のジレンマです。
優しく依頼に応じられない自分の非力を嘆きます。
自分の意地悪き思いに愕然とさせられます。
こんな落とし穴に落ち込んでもがき苦しんでいる人が、今この時期、たくさんいらっしゃるようです。

ある人は、こんな事ではだめだと更に頑張り、自分を鍛えようと努力し続けますが、いずれにしても限界にぶち当たり、もうどうにもならなくなるまで他人のあなたへの依頼は増え続けてしまうものです。
これは努力によって解決できるものではありません。
自分を責めてみたところで解決するものでもありません。
あなたが頑張れば頑張っただけ相手からの要求もエスカレートしてきます。
あなたと相手はひとつだからです。
あなたが相手につくそうと思えば思っただけ、相手は同じだけあなたに要求を持ちかけるわけです。
創造主としてのあなたがプラスを思えば思っただけその反作用としてマイナスを創りだしているからです。

そこで人は考えます。
おかしい、何かがおかしい。
良い事をしようとしているのに何で俺は苦しいのだろう。
何でお前はそのくらい自分でやらないのだ。
そのうち人は依頼されること自体を重荷に感じるようになってくるわけです。
人に何か頼まれることに恐怖を感じている人がたくさんいます。
苦しくて苦しくて、極限までいった人は考え始めます。
どうしてこんな事になってしまうのかと。
意識が内側を向き始めます。
外にばかり向いていた意識が内側に向き始めるのです。
そこからがあなたの真の成熟の時です。

他人から頼まれごとをしたとき、ビクッとする事はありませんか? 
特に自分には出来そうもないと思っていることを依頼されたとき、どうしようと混乱するのではありませんか? 
あなたは本当は何を恐れているのでしょうか? 
どうして単純に出来ませんと言えないのでしょうか? 
人からの要求にどうしてそんなに敏感に反応するのでしょう。
あなたに対する要求は全てはあなたのハイヤーセルフが、あなたを神へと導くために起こしている現実にすぎません。

「人助けをすることは良い事である」と握りしめている人は、なかなか他人からの依頼を断ることが出来ません。
これも執着です。
「良い」と「悪い」を手放しましょう。
人に奉仕できなくてもいいのです。
それよりももっと大切なことがあります。
神はまずあなたが幸せになることを望まれているのです。

教育により、人は正しさを学びます。
大切な学びの第一歩です。
「して良いこと」と「してはいけない事」を学びます。
こうして健全な意識の第一歩を学びます。
他人からの賞賛というご褒美にエゴはいい子でいることに満足を覚えるからです。
人の意識が外に向かい始めます。

こうして良い子になったエゴは、さらなる賞賛を求め続けます。
他人に奉仕したいという自分の動機をチェックしてみて下さい。
その動機はどこからきていますか? 
そうすることが「良いこと」だと判断した結果、行動しているのではありませんか?

「それが良い事だからそうする」、そんな事は当たり前だと考えるかもしれませんが「良い事だから」と判断しているのは誰でしょう。
判断とはあなたの心が下すもの。
すなわち判断しているのはあなたの自我に他なりません。
すなわち純粋動機ではありません。
純粋動機とは「ただしたいからそうする」といったものです。
すなわちあなたの内なる源からわき上がってくる行動欲求だけが純粋動機と呼ばれます。
純粋欲求に従って行動している人に苦しみはありません。
そこに比較判断がないからです。

もちろん、良い、悪いの判断の結果、行動することが悪いと言っているわけではありません。
まず人は誰でも良いと思ったことから行動を起こしていきます。
社会の健全な常識を身につけ、立派な人と呼ばれるようになっていきます。
しかしどんな人もこれで終わるわけではありません。
この先があるのです。
外へ外へと向かっていた意識が内を向く必要があります。
次には良いことだと握っていた考え方を手放すことになります。

「奉仕する」という考えを持っていなかった子供が、奉仕する事は良い事だと学び、人に奉仕できるように育っていきます。
自分が奉仕家(意識が外側を向いている人)になってくると、次には奉仕できない人を裁きはじめます。
そこに奉仕者の葛藤が生じます。
そして奉仕しても、しなくてもどちらでも良いのだとニュートラルな考え方になることによって、自分は奉仕家であり続けながら、なおかつ奉仕できない人を裁かなくなってくるわけです。
円満な人格者の誕生です。

あなたの思う「人のためにつくしたい」という思いが、つくされたいという人を引きつけます。
どちらでもいいのだと手放すことによってあなたは自由になります。
あなたの考え方が空っぽになったとき、自我にはもうすることがなくなります。
この時、内なる創造の意識がわき上がってくるようになります。
あなたに考え方がないとき、深い深いところの意識があなたの肉体という表面に浮上してくるのです。
それがあなたを行動に駆り立てるようになってきます。
それが純粋動機です。
その時あなたは神のごとき働きを始めることでしょう。
あなたは自分という個体意識を持ったまま、全体意識としての活動家へと変わります。

そんな人が結果を恐れることはありません。
良いと悪いがないからです。
ただ起きてくる結果を楽しめるようになってきます。
どんな結果をも・・・。
良いと思ってしているわけではないから、悪い結果は生じようがないのです。
その方が都合がいいと思って取った行動は、うまくいかなかった時には都合が悪くなるわけですから、どうしても結果にこだわります。
したい事をしている人に、恐れる結果はないのです。

人は特定の価値観を握ります。
まず握るところから始まります。
一つの価値観を受け入れると、その考え方に基づいた体験が始まります。
その中で良い体験による悦びと、悪い体験による苦しみの両方を学びます。
この両極を体験しつくすとその学びが終わるわけです。
人は良い体験ばかりを求めますから、まずプラスの体験をして、苦しみの体験が最後に残るのが常のようですが。
苦しくて苦しくてどうにもならなくなったとき、「もういいや」と意識がニュートラルへとシフトする事によって、その価値観を卒業します。

握って、手放す、握って、手放す・・・、この永遠の繰りかえしが人生です。
手放さないと次のものが握れないからです。
これが宇宙の基本法則です。
握らないものは体験出来ません。
あなたの人生は、あなたが握りしめた価値観によって決まるわけです。
そして我々地球人は、もうずいぶん永い間この繰り返しをやってきました。
永い永い転生を経ながら、永遠とも思える永い間、このゲームを続けてきたようです。
もう三次元世界で味わうべきテーマはやりつくした、そろそろ終わりにしようと考える人達が現れ始めました。
もう握るのはよそう、自我は空っぽにしようと・・・。

それもいいかな、と思う人は自分の欲をチェックしてみて下さい。
自分はどうなりたいと思っているのか、自分が今、手に入れようとしているものはなんなのか? 
しばらくその考えの中にいて下さい。
自分の欲に焦点を合わせ、そのことに良い、悪い、の判断を入れずに、ただしばらくそこにいてみて下さい。
どうぞそのことに時間を割いてみて下さい。
心を落ちつかせ「自分の欲・・・」を感じようとしてみて下さい。
それを単に観察して下さい。

必ずその正体がわかる時が来るでしょう。
「解った」という瞬間が。 
その時あなたはこれまで味わった事のない開放感を体験することでしょう。

楽しみですね。
今、このとき、この時代、これ以上に大切な事はないでしょう。
あなたが割くことの出来る全ての時間をこの事に集中してみて下さい。

「私は何をしたいのかわからない」と多くの人が言います。
将来何をすればいいか、どう行動すればいいかは考えなくて良いのです。
それはあなたが「わかった」と悟った後にやってきます。
あなたがした方がいい事は、自分を観察する事だけです。
自分の「欲」を観察して下さい。
じっくりと、時間をかけて、瞬間瞬間、自分の心を眺めて下さい。
自分が今何によって動かされているのかを。
意識的にか、無意識的にかは別にして、あなたが判断して取る行動には、全てその源に恐れが横たわっています。
その恐れの元を発見して下さい。

観照することによってのみ、その原因がわかります。
これは誰でもわかることです。
これまでわからなかったという理由だけであきらめないで下さい。
果たしてあなたはどれだけの時間をそのことに使ったのでしょうか。
あなたは今、自分が生存することを目的とすることにどれほど莫大な時間を費やしているでしょう。
その10%でかまいませんから毎日毎日自分の「欲」を感じて下さい。
それを眺めて下さい。
決意を持って凝視して下さい。
必ず解るようになってきます。
これは人間の能力には関係ありません。
あなたが呼吸をする能力を持っているのと同じほど簡単なことなのです。
ただあなたが使おうとしなかった能力なのですから。

私に出来ることは全員に出来ることだと伝えられました。
それを受け入れるか否かはあなたの選択です。
そのための無限のサポートがもう始まっています。

それは決心した人にやってきます。

               ―津留晃一メッセージ集より―



>人に奉仕できなくてもいいのです。
>それよりももっと大切なことがあります。
>神はまずあなたが幸せになることを望まれているのです。

ずっと以前から、
私はまず、このことを皆さんに知って欲しかったのです。

いつも口癖のように「自分を愛し、丸ごと可愛がってあげてね」と言っていたのはこの事です。

今、様々な方にお会いします。
環境や人に、ボランティアとして関わる方が増えましたが、
そばで見させていただいている私は皆さんが陥っているワナに気づきました。

数日前から、私の言葉でこの「奉仕」を書きたいと思いました。
しかし、どう書いても似てしまうし、
また津留さんのように上手にまとめるという、自分が納得のいくものにできなかった。

私が私の時間を費やし似たものを書くよりは、
ココにこんな素晴らしいモノを残して下さったのだから、
皆で共有したい、学び気づきたいと思いました。

それが「奉仕ー津留晃一メッセージ集よりー」をココに載せた理由です。

誰が書いた、或いは言った言葉だから、有難いのではありません。
誰それの本だから素晴らしいのでもありません。

誰が言おうが、書こうが、関係ないのです。

重要なのは、
私たちに教えてくれようとしているその中身≠ネんです。

私はいつも、その中身に重点を置いています。
だから、私の言葉で書くよりも、そこにそれ以上に分かりやすく
気づきがもたらされるものであれば、いつでもお借りしてきます。

私と同じ思いであれば、作者も喜んでくださるものと想っています。

執着を棄てる 

April 02 [Wed], 2008, 12:08
2008年02月18日19:10




あらゆる執着をすて、「魂が喜ぶことをする」

そうすると、宇宙(神)が何かの形で必ずそれをサポートしてくれる
苦痛なこと、楽しくないことをやるのは、人間に与えられた使命ではないのです。

最近、或る人に言われたんだけど、
我慢することは、波動或いは霊性を下げることになるのだとか
気をつけなきゃ


今世 与えられた身体を大切にし、
神さまの分け御霊である自己を思い出し、丸裸の自分を存分に楽しみたいと想います
 

「食」を語る朝 

April 02 [Wed], 2008, 11:45
2008年01月29日16:15



今朝、家人が「今度の断食日はいつ?」と聞いてきた。

「トライしたいなら、いつでも付き合うよ〜♪」と返事をした。

「本気だ」と言うことだったので曜日を決めるため 断食後の回復食が重要なんだと説明した、ら・・・

「止めた!今聞いたこと忘れて!!」と首を横に振っていた。

「えっ〜〜〜〜〜〜!」

何が彼の意思を一瞬にして変えたのか?????



断食はさておき。。。

心と身体の健康は、食べ物が大きく影響しています。

今 アメリカで日本食がブームなのは、30年前にアメリカ下院が
世界中で一番健康な食事は、日本の昭和35年〜40年代前半の食事である≠ニ結論し発表したからです。

これが アメリカでの日本食ブームが生まれた原因なんですよ〜。
近年の日本人の食事は・・・狂牛病の疑いある肉やマックetc・・・
どうなっちゃうんでしょうね、日本人。


健康とは、細胞が健康だということです☆

それには 飲み水がとても重要です。
何といっても 身体の70パーセントは水なのですから。
  
細胞を作っている物質は、レスチンでビタミンFと言われる物質です。
これは、必要な物を取り入れて、不必要な物は排出する働きがあり、
豆腐・納豆に多く含まれております。

ビタミン・ミネラルが多く含まれている食べ物は、海草・ヒジキ・海苔などです。

今や肉食中心の日本人には、腸を健康にする発酵食品を食べる事が大事です。

白いもの「精白」は心にも身体にもよくありません。
例えば、塩・砂糖・白米・牛乳などです。

砂糖・菓子・ジュース・インスタントラーメンなどは
血液の血糖値を急激に上昇させ、急激に下降させます。
急激に上昇、急激に下降を繰り返していますと【低血糖症】と言う病気になります。
この病気は日本では余り知られていませんが、糖尿病の予備軍と考えて下さい。
この病気の怖さは、体だではなく、心に大きな影響が出ることなんです。

血液の血糖値が下がると体が糖分を要求します。
食べ物があれば良いのですが、 無い場合は体【肝臓】に蓄えている
グリコーゲンを引きずり出そうと体が反応します。

引きずりだす鍵が【怒り】なのです。
怒りが血糖値を正常にするのです。
この経験を体が覚えていきます。
そうすると、いとも簡単に怒りが出ます。
これは明らかに【心の病気】です。
キレルと言うことですね。

動物性の蛋白質(牛乳)をとり過ぎますと、常にボォーとしています。
集中力が無くなるのです。

怒り・虚脱感を繰り返し身体と心が学習します。
自信が無くなり、自己嫌悪になります。

動物性の蛋白質は、燃えると髪の毛を燃やした時に臭う物質を出します。これが身体に大きな負担をかけます。
 
身体にニキビ・吹き出物が出来るのに脳に出来ないとは言えません。

それが原因で心が病む場合があります。


食べ物が身体を作っていると考えがちですが、食べ物はまずエネルギーとして燃焼します。身体を作るのは残りの食べ物からです。


食事は本当に重要です! 

野菜中心のバランスのとれた食事を心がけて下さいね♪

そうしたなら、断食やダイエットなどする必要が無いのですから。


健康で楽しく 美しく 生かされましょう

個々の幸せが第一です♪ 

April 02 [Wed], 2008, 11:23
2007年12月17日19:35




【世界が全体 幸福にならないうちは、個人の幸福はありえません】と、宮澤賢治がある著書の中で書いてますが。

世界が全体 幸福ってどうすればいいのでしょう。


私が想うには、
何をおいてもまず、自分を幸せにしなければと考えます。

一人の人間が、真に愛と調和に満たされるということ。
それが、宇宙の意識で繋がっている人類全体への多大なる貢献であるということだから。

自分の幸せが第一だなんて言うと、自己中心的だと批判を受けやすいですが、そんなことは決してありません。

だって、自分を幸せに出来るのは自分だけなんですよね〜。

人生に責任を持つと言うのも、誰でもない自分自身でしかありませんし。
その人生を、幸せかどうかと判断するのは他人ではなく、自分自身でしかないのです。

だから・・・

地球上の人類が幸せになるためには、すべての人が自分で自分を幸せにすることなんですよ〜。

もちろんその中では他人と関わりあうこともありますし、助け合うことも大切です。

でも、幸せになるのは自分でしかないのですね♪


自分を幸せにするということは、いつも愛と喜びに満たされていることです。
それを、地上で生きる一人の人間として各々が実践していくことだと想います。


まずココから始めましょう〜

子どもより大切な存在ってあるかしら? 

April 02 [Wed], 2008, 11:00
2007年11月30日17:39




“Children ― is there anything more important than child?”

               −オードリー・ヘップバーン−



髪を後ろで束ね、ブルージーンズに真っ白いシャツを腕まくりした姿からは、誰もかつての大女優だとは想像しえない。

「子どもより大切な存在ってあるかしら?」

そう言って、子どもを抱えている姿が脳裏に焼き付き、
18年経った今でも、わたしは忘れることがない。
女優だった頃より、はるかに美しいと想っています




「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」などで知られる世界的女優、オードリー・ヘップバーン。

彼女が女優引退後の人生を世界中の子ども達のために捧げたことは、あまり知られていない。

子どものころ、
終戦後のヨーロッパでユニセフから支援を受けた経験をもつオードリーは、
1989年、ユニセフ親善大使という任務を「人生の最終章でもらったボーナスのよう」と、喜んで引き受けました。

そして、その後の生涯を通じて、飢えや貧困に苦しむ子ども達の声なき声≠世界中の人々に伝えつづけました。

1992年には、米国でもっとも名誉ある市民栄誉賞「自由勲章」を受賞しましたが、この時すでに重い病におかされていました。

自分に残された時間があとわずかしかないことを知ったオードリーは、それでも自らの命を削るようにして多くの開発途上国を訪れ、子ども達に生きる勇気を与え続けたのです。


『すべての子ども達は、
健康に育ち、教育と保護を受け、そして優しさの中に生きる権利を持っている』


子ども達のため全身全霊を尽くしたオードリーのこの想いは、
子ども達の幸せを願う世界中のすべての人々の心に永遠に受け継がれていくことでしょう



「優しさの中で生かされる社会になってほしいなぁ」

マザーテレサの言霊♪ 

April 02 [Wed], 2008, 10:04
2007年11月06日20:12



親切で慎み深くありなさい

あなたに出会った人がだれでも 前よりももっと気持ちよく
明るくなって帰れるようになさい

親切があなたの表情に まなざしに、ほほえみに
温かく声をかけることばにあらわれるように

子どもにも貧しい人にも 苦しんでいる孤独な人すべてに
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい

世話するだけでなく あなたの心を与えなさい


何もしなくてもいい。
そこに苦しんでいる人がいることを知るだけでいいのです。


あなたがちょっと微笑むだけでいいのです。

新聞を読んであげると、慶ぶ目の不自由な人も、
買い物をしてあげると、慶ぶ重い病気の母親もいるでしょう。


小さいことでいいのです。そこから、愛は始まるのです。


平和は微笑みから始まります。

1日5回あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みかけなさい。

それを平和のためにするのです。


健康な人やお金持ちは、どんなウソでも言えます。

飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手、見つめあう視線に、
ほんとうに言いたいことをこめるのです。


ある人が尋ねました。

「いったいいつ、貧しい人々の貧困はやむのですか?」

私は、あなたと私が分かちはじめたそのときに、と答えました。

より少なく持てば、その分、より多く与えられるのです。

より多く持とうとすれば、より少なく与えることしかできません。


私は、不親切で冷淡でありながら奇跡を行うよりは、
むしろ親切と慈しみのうちに 間違うほうを選びたいと思います。


                 マザー・テレサ


星座のささやき 

April 01 [Tue], 2008, 18:47
2007年06月10日18:32



各星座が地上に舞い降りるとき、こんな言葉をささやきます  −ジャン・スピラー−



  『星座のささやき』

牡羊座 「みんな どけどけ!」

牡牛座 「私のものは どれ?」

双子座 「みんな聞いて!」

蟹 座 「もっと優しくなろうよ」

獅子座 「遊びたい奴 集まれ!」

乙女座 「みんな ちゃんとやろうよ!」

天秤座 「こっちの道でいいのかな?」

蠍 座 「みんな本音で話そうよ」

射手座 「あなたの立場はわかる」

山羊座 「私はもっと偉いのに・・・」

水瓶座 「何か面白いことないかな」

魚 座 「私ここで 何をしているんだっけ?」



楽しい〜


お陰様で、幸せな週末を過ごさせていただきました。
また明日からも、元気に進んでいけそうです♪

「ありがとうございます」
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