忘れないうちに、記しておこうと思います。
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2011年3月9日、三十路を迎えた日の朝。
「地震、地震が来るよー。7時35分。緊急地震速報。地震が来るー」
変な夢を見て、旦那さんにこんなことを言いながら7時過ぎ目が覚める。
支度をしながら7時35分になって、旦那さんは「来ないよ」と笑いながら
出かけていった。
そしたら、その日の昼に宮城県北部で震度5弱。
ちょっと驚いたけど、不謹慎ながら「遠くで起こったこと」くらいにしか
思ってなかった。
誕生日のお祝い、今月いっぱいで退職予定の職場での送別会etc....
色んな形でたくさんの人に新たな門出を祝ってもらう日が続いた。

そんな平穏な日常が、数日後こんなことになるなんて。
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3月11日午後2時46分。
自宅で仕事をしていた。
今借りてる一軒家は、目の前の道路をトラックが走っても結構揺れる。
でもこの時ばかりは、「あ、地震」と確信する揺れ。
つけてたテレビ『ミヤネ屋』は、都議会内での石原都知事の出馬表明を
中継した後、都庁から中山レポーターが報告してる最中。
「少し場内揺れてますね。(震度)3から4くらいでしょうか?」
こんな状態でCMに突入した。
私の家は揺れがだんだん大きくなっていき、天井からぶら下がった照明が
振り子のようにグルングルン回る。
CM明けは、もっと衝撃。
日テレのスタジオ照明が揺れる中、豊田アナの恐怖を押し殺すような緊迫した声。
「今、東京は大きく揺れています。危険な状態です!」
うちではワインやティファールのポットが落下。
テレビにはお台場の火災がいち早く映されていた。
怖いくらい静かな携帯電話を握り、メールを問い合わせてみると、3件。
兄から私と妹に「大丈夫?」の一斉メール。
香川にいる母から「海外ゼクシィ買いました」と呑気なメール。。
妹から、私と兄、それに母も加えた一斉メールで「生きてます」の返信。
私も「家で仕事してて物が落ちてきたけど、生きてる」と一斉返信した。
呑気な母もさすがに東京の異変に気づいてくれたか?
電話は既に繋がらない状態で、メールも問い合わせしないと届かない。
災害掲示板に自分の状況を書き込んだ。
『ミヤネ屋』はいつの間にか特番に変わっていて、
津波が街に向かって押し寄せていく様子をリアルタイムで見た。
でも、最近よくテレビで見る近くの高台から撮ったような衝撃的な映像でなく、
ヘリから中継したもので、やっぱりまだ「遠くで起こってるもの」という感じ。
私の仕事の試合はテレビ中継がなくて、頼りにしていたインターネットの
リアルタイム速報も更新されない。
さすがに中断か?とファンのツイッターをのぞくと、試合の打ち切りの事実が
グラウンドに降りたファンの写真とともに伝えられていた。
その時の写真は見当たらないけど、サンスポさんからの流用。
グラウンドに座り込む選手たち
避難する選手たち
ついにはファンにもグラウンド開放(避難)
その間も余震は続く。
テレビから緊急地震速報が何度も鳴り響き、不安が少しずつ大きくなる。
ダイニングテーブルの下に毛布と飲み物を持ち込んで仕事を続けるけど
身が入るわけがない。
テレビから目が離せない。
ソフトバンク同士のやり取りは意外とスムーズで家族のメールは届いた。
兄は早い段階で運よくタクシーつかまえて帰宅。
妹も夕方頃に退社命令が出て、一時は兄の家に泊まらせてもらうかもと
言ってたのに、やっぱり自宅に帰りたくなったのか、電車復旧待ちで
長い間渋谷で足止めを食らっている様子だった。
兄、妹、母はスカイプで連絡を取り合っていた。
一方、旦那さんは20時過ぎに「会社から歩いて帰る」と連絡があったけど、
私にはドコモからのメールがほとんど届かない。
たまに繋がる電話で、災害掲示板の利用をお願いして、どこにいるか
情報を仕入れる。
丸の内から飯田橋まで歩いて、電車で都庁前駅にたどり着いたものの、
人が多すぎて乗れないから中野坂上まで歩き、再び電車に乗ったらしい。
家に着いたのは24時過ぎ。
生きて帰ってきてくれて本当によかったと心底思った。
東京郊外在住の妹はまだ家に着いてもない。
その後の連絡で1時過ぎに帰宅していた。
情報がほしくて、ミヤネ屋から丸2日間、テレビを消さずに布団に入った。
緊急地震速報が鳴るたび、体が緊張する。
「恐怖」という言葉を、身を持って味わった。
仕事も中止になり、会社からは「出来る限りの自宅作業を」と命じられる。
仕事柄、土日関係なし、平日も昼から深夜までという会社員とはズレた生活を
送っていた私が、付き合ってから初めてじゃないかと思うくらい、旦那さんと
長い時間一緒に過ごせた。
でも、時間はたくさんあるのに、何も手につかない。
近くのスーパーもドラッグストアも大混雑。
地震初日の夕方帰宅した兄が「コンビニにカロリーメートが一個もない」と言って
たけど、時間の経過とともに、お店からパンもインスタント食品も消えていく。
今はトイレットペーパーやティッシュ、おむつや生理用品も棚に全くない状態。
一応、色んなところで目にする「地震発生時マニュアル」を元に色々準備したけど
それでも足りないんじゃないかと不安になる。
土日が終わり、今朝旦那さんを送るときは、「ちゃんと帰ってきてね」という言葉が
自然と出た。
その後、私も仕事に出かけるとき、このまま帰って来れないんじゃないかという
気持ちになり、携帯の簡易充電とか携帯食とか手荷物を何回も確認した。
これが現実。
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ほんと異常事態です。
私の知ってる東北在住の人たちはだいたい連絡が繋がり、無事でした。
無事と言っても、「命はあるけど、家はなくなった」という人も何人か。
15日はなんだか胸騒ぎがするから、家で作業します。
一人でも多くの命が助かることを、
原発もこれ以上被害が拡大しないことを、祈るばかり。
命がけで原発の作業に臨んでいる方、そしてその家族を思うと胸が痛いです。
私の家は計画停電には入らない地区だけど、出来る限りの節電を約束します。
どうか皆さんも「遠くで起こってること」じゃなく、いつ起こってもおかしくない事態
に備えて、準備と自分にできることを実行してください。
まだまだ予断許さない状況なので、どうぞお気をつけて!

いただいたお花は地震でも落ちてこず!玄関に飾ってます。
(さすがに今は床に下ろしてますが)