ここんとこ不の感情ばっか描いてますが、これでも割と前向きです。
屁理屈なのは相変わらずですが。。
おばあちゃんの介護の件は、法律的にも私の役目だと言われて、今度こそ受け入れるしかないって思った。
おばあちゃん(当人)→娘(母親)→孫(私)の方式。(私が嫁いでることや、兄弟はとりあえず置いといて)
親戚はおばあちゃんの事明らかに嫌ってるし、私の叔父は私が子供の頃に蒸発したし、みーんな音信不通。
母方も父方も駄目駄目一族。
ついでに私も駄目駄目だ。
でもそれを変えられるのも私たちの世代かも、てかしたいとか思う。
いつからこの連鎖が始まったのか知らないけど、私たちの下の世代にはこんな思いさせたくない。
姪たちを見てると本気で思う。
嫁いだ先ではわからないけど、少なくともこっち側では最小限、一般レベルにとどめたい。
だから少しでも変わるかもしれないなら、やるしかない。
おばあちゃんはグループホームの中でもはっきり言って面倒な利用者。
それでも退去されないのが奇跡的かもしれない。
でもそれは奇跡でもなんでもなくて、一生懸命やってくれてる人たちがいるから。
私の無理や我慢は、感情面ばかり。
行動が伴ってないのに、苦しむなんて大それたことしちゃいけなかったって改めて思った。
駄目な祖母、駄目な親を持ってる時点で、逃げないで受け入れなくてはいけないと言われた。
一見理不尽でしかないけど、きっとそのほうが楽に生きれる。
今がつらくても、最後はたぶん。
きっと年をとってからか、死ぬときにわかることだ。
面会にもなるべく出向く。
頻繁な通院にも付き添う。
家族会にも参加する。
その他の金銭含めた管理や手続きもやる。
なだめて、さとして、叱ることもしていかなきゃいけない。
グループホームに居れるように、駄目なら自立できるように。
おばあちゃんが死ぬまでずっと。
死んだら、また動く。
きっと弟達は協力はしてくれないだろうけど。
妹には悪いけど少しだけ私と気持ちを共有してもらいたい。
同じ立場で知っててもらえる人を一人はほしい。
最低でも5年は固い。
もしかしたらもっと。
ホームの人は短いと言うけれど、私には更に重く長く感じるのが現実。
5年たてば私は30過ぎてて、自分の人生を始めるには遅くないと思うようにする。
今はその準備期間だって思っていけばいい。
その頃にはきっと新しい問題があるだろうけど、またそう思って進めばいい。
そう思うことでしか、きっと自分を納得させることはできないと思う。
旦那にそれらをすべて理解しろとは到底言えないし、言いたくない。
そんな柔軟さ、持ってほしくない。
こんな私に嫌気さしきれないのなら、だひとつ、見守るという我慢だけはしてもらわなければいけない。
それをしてもらうためには、私も感情をむき出しにするのは我慢しなければいけないと思う。
冷静さを忘れたら、この戦いを終わらせる事は出来ないから。
物事の終息なんて、きっと自分以外の人間が決めるんだと思う。
それまで戦い続けなければいけない。
自分で終われたら、きっと誰も必死にもならないし、一生懸命なんて言葉存在しない。
自分で死んではいけないのも、これと似てる気がする。
だからもう終わりだよって言ってもらえるまで、がんばらなきゃいけない。