広告の世界 

December 22 [Sat], 2007, 10:01
ヨシムラさんは、はじめて新幹線の新型車輛N700系にのった。電光掲示板(?)がでかい。新幹線の客室前方の壁には、ニュースと広告を表示する例の文字盤が接着されているわけだが、あれのサイズが大きくなっている。しかも技術の進歩なのかなんなのか、くっきりはっきり見やすい。お陰で、普通に前を向くと、それが否応なしに目に飛び込んでくる。動くものだからどうしても視界の隅で捉えてしまうのだ。これは堪らない。
 ふと気が付けば、我々の視界は広告で満たされている。車内も車窓も街も紙面も、モニタ画面も。わずかなスペースがあれば、広告は忍び込む。アピールと消費の勧誘が我々を取り囲む。
 走りすぎる新幹線の窓の向こうにも、田んぼの真ん中に、ビルの壁面に、広告が待っている。視界の続く限り続くかのように。
 ヨシムラさんの視界が急に暗転した。トンネルだ。そうかトンネルなら… だがそのときヨシムラさんの脳裏をよぎったのは、数年前に東京メトロのどこかの路線で目にした、走行中の地下の壁面に浮かび上がる広告の記憶だった。仕組みはよくしらないが、スライド投影とパラパラ漫画を組み合わせたようなものだったろうか。
 広告の世界。残る安息の領域は、閉ざしたまぶたの内側だけになりつつあるのだろう。

のぞみの静けさって… 

August 10 [Fri], 2007, 11:46
新幹線にけっこう乗る機会があるけれど、のぞみの乗客の静けさはほとんど異様だと思う。ヨシムラさん自身も静かにしている方だが、大半の人が同様のため、話している人が目立つ目立つ。普通の声で話しているだけなのだが… そんな「普通の声」にすら苛立っている自分に驚いて、ヨシムラさんはエントリしてみた次第。そういえば、加藤幹郎が映画館論の新書の最後で、現代観衆の不寛容さについて一言書いていたなぁ。

 

June 15 [Fri], 2007, 23:40
ヨシムラさんは、蛍を見に行った。自転車で15分ぐらい?走ると、比較的著名なポイントがあって、以前から一度行ってみようと思っていたところだった。

街路灯だけが光る小川の片側が歩道、片側が低い山へとつながる斜面となっており、木々が茂る。小さなコンクリートの橋が架かっているあたりに、比較的たくさんの蛍が舞っているところがあった。蛍は、水面の上空よりも、暗く奥深い宵闇を抱えている木々の葉先や、ぽかりと口を開けた空間により多く散っていた。ヨシムラさんが生まれた町には、小さな用水がやはりあったが、汚い郊外の水路だったため、蛍を日常的に目にすることなどなかった。意外に明るいんだな、と素朴に思った。その橋の奥、斜面側に入っていくと、古い皇族の墓跡があることをヨシムラさんは知っていた。すうっと光を引いて消え、また現れる蛍たちを漫然と眺めながら、この光を人の魂魄だと考えたかつての人々の想像は、妥当だとなんとなく肯定できた。ふらふらと尾を引いてさまよう魂魄たちは、とくに何を訴えたいというわけではなさそうだった。ただ、我々はお前たちのすぐ横に我々の世界をもっている、ということは言外に示そうとしているのかもしれない── ヨシムラさんは常になく、そんな異界と、その住人の存在を考えてみたくなった。その低い山裾を流れる小川は、そうした異界との境界としてはとりわけふさわしい場所だった。

藤沢周平「蝉しぐれ」 

May 23 [Wed], 2007, 22:35
 ヨシムラさんは「蝉しぐれ」を読んだ。面白かった。文庫本で460ページを超える長篇だが、二日ぐらいで一気に読んだ。
 読み終わって、ヨシムラさんは考えた。どうして面白いのか。もちろん、美しい自然描写、練達の筋の運び(文四郎に内的固定焦点化された視点が読者に“見えなさ加減”を適度にもたらして飽きさせない)、登場人物たちの清浄さ、抑制され落ち着いた内面、ゆったりした心地よい長いスパンの歴史展開などなど色々あげられる。
 これは藤沢作品の間違いなく魅力である、そして、ここにこそ「一般のオジサン」読者が心惹かれる秘密があろう。ちなみにここでいう「一般のオジサン」とは、必ずしも具体的に30〜60代ぐらいの男性、とかいう風に実体的に規定しているのではない。あとから述べるが、ここでの「オジサン」とは、異性愛で家父長的でノスタルジックで倫理観の強い誠実な人のことである。これに当てはまれば、性別も年齢も関係なく、ヨシムラさんはその人を「一般のオジサン」とここでは呼ぶのである。
 本筋に戻る。関川夏央は『おじさんはなぜ時代小説が好きか』(岩波書店)で、サラリーマンの倫理観との合致ということを言っていたように記憶するが、たぶんそれだけではない。
 ヨシムラさんが、「蝉しぐれ」を読んで気付いたのは、「蝉しぐれ」には「オジサン」が喜ぶ要素がてんこ盛りだということである。それはおおよそ次の3本柱にこの作品の場合要約できる。青春、初恋、誠実さ
である。正確に言えば、青春の記憶、初恋の記憶、自己中心的な誠実さ、であろうか。
 青春の記憶については、それをふり返るノスタルジーの甘美さは理解できるし、まあ害のない心情なので特にヨシムラさんも言うことはない。が、問題はあとの二者である。
 これはたとえば「蝉しぐれ」をせつ(文四郎の妻)の視点から、裏読みしていくと、その問題性ははっきりするだろう。文四郎の誠実さの対象には、せつはほとんど含まれていない(テキストは語らない)。文四郎の抑制のきいた内面に風波を立てるのは、つねに許されざる女たち──ふく、矢田の未亡人──である。文四郎は、決して禁忌を破ることはない。が、一方で妻せつに対する自己のふるまいも、まったく自省することはない。まるで、彼女は自分の身の回りに快適に存在することが前提である「空気」かなにかであるように。
 文四郎が最後にふくと密会する場面。彼はタブーを破っただろうか。いや、作品は周到に、ふくの主である藩主が既に没していることを語る。彼女はたしかに他の男の女だが、男は死に、彼女は出家する直前だ。しかも彼女は、昔と同じように、かわらずずっと初恋の彼のことが好きだった、のである。文四郎が冒した危険は──いや禁忌は、というべきか──限りなく縮減されている。誠実な男、文四郎は、その誠実さをそこねることなく、存分に初恋の甘美さを思い返し、過ぎ去った青春の自画像を眺めなおすだろう。ああ麗しきかな、過ぎさりし時間たちよ。
 「オジサン」はなぜ心地よく感慨に浸れるのか。むろん、一男一女を育て上げ、仕事に駆け回り家を空けることもなんともおもっていない夫を文句も言わず支えた妻の姿が、蝉の鳴きしきるその懐かしい風景から、完全に消し去られているからである。

 そうか、おれ「オジサン」だったから面白かったのか・・・・とは、書き終わってのヨシムラさんの談。

media skin その後 

May 04 [Fri], 2007, 21:07
 さて、media skin を買ったヨシムラさんはその後、どうなったか。気に入って使っているようではある。基本的に、もう見た目で買ったのであるから、見た目が変わらない以上(当たり前だ)、他はとやかくいうつもりはないのである。のであるが、・・・・一言言いたい。ヨシムラさんがこれまで使っていたのはcasioである。casioのソフトは、定評がある。ということは聞いていた。が、ヨシムラさんはそれまでcasioしか使ったことがなかったので、どうよいのか、何がよいのか、分かっていなかった。今回、media skinにして、ヨシムラさんなりのcasioのメリットがはっきりした。スケジュール帳とタスクリストが一番大きい。ヨシムラさんは、普通の?携帯ユーザーと違って、スケジュール帳、タスクリスト、メモ帳をよく使う。だから、上記機能+日本語変換が非常に大事なのである。media skinは京セラ製。京セラは、評判が悪い。動作がもっさり、変換が馬鹿(Wnnを使っている)などなど・・・ 確かに・・・・(T-T)
 でも、今回はいいよ・・・見た目で選んだんだから・・・・。ヨシムラさん、いいのか、それで。

餘部鉄橋 

March 30 [Fri], 2007, 19:04
ヨシムラさんは餘部鉄橋を見てきた。餘部鉄橋というと、餘部駅側から鳥瞰する画が有名だが、あれがすごいのはやはり下から見上げた図ではないか。えらい迫力である。こんな巨大で、美しくはもちろんあるが、威圧感のある建造物が集落の真上に聳え建っている。ヨシムラさんは、実際に目で見てみるまで、橋が架け替えられるのには反対だった。が、これを見て、考えを変えた。集落の人は実は架け替えを望んでいるという。安全のためである。以前、ここから実際に電車が強風で落ちた。その恐怖感は、下から見ないとわからない。観光より、安全でしょ、とヨシムラさんは観光に行って思ったことである。

Media Skin 予約してきた 

March 21 [Wed], 2007, 16:32

 ヨシムラさんは今日、ようやくMedia Skinの予約をしてきた。前々からチェックしていたのだが、ちょっと気になることがあって、モックを確かめてから買うことに決めようと思っていたのである。気になっていたのは、キーの大きさ。多くの人が気になっているようで、事前調査によれば、実際に触ってみた結果、小さすぎて購入は見送ったbloggerもいた。ヨシムラさんはけっこう携帯で文字を打ち込む。メモがわりに使うし、メールも打つし、タスクメモをPCとの間で行ったり来たりもさせる。スケジュール帳もがんがん使う(スケジュール帳に関してはMedia Skinは1000件入るそうで満足)。キーが使い物にならなくては、いかにかっこよくても、さすがに使えん、と最近大人になってきたヨシムラさんは考えたのである。
 結果は、もちろん満足ではないが、なんとか我慢できる、という程度であった。仕事で使うなら我慢するなよ、と思うのだが、まあ好きにさせてあげたい。
 以下、いくつか現物を見ての感想。色は、オレンジを選んだ。実はモニタや広告で見た感じでは、もっとツンツンした色を期待していたのだが、案外おとなしい、やや濁った印象すら受ける。この点は少し、いや大いに不満だった。黒がかっこよかったので、こちらに変えようかとも迷ったのだが、黒は単体でかっこよくても、ヨシムラさんの他の持ち物の間に置くと埋没してしまう感じがあったので、あえて避けた。白は汚れる。
 あと、Media Skinの大きなコンセプトの柱である触感。これも期待したほどではなかったなぁ。もっと直感的にクルものがあるかと期待したのだけれど、それほどではなかった。まあこの辺は個人差もあるだろうけど、やはりなんだかんだいって大量生産品なので、それほどコストはかけられないのだろう。
 ちなみに、ヨシムラさんの前に40人もの人が予約で待っているそうだ。ショップの店員さん曰く、「たぶん大丈夫だと思いますけど、入荷数が限られますので…」だそうだ。そういわれると、なおさら欲しくなるのが、人情。


愛媛県庁舎 

March 04 [Sun], 2007, 15:07
続けて。

「坂の上の雲」記念館 

March 04 [Sun], 2007, 13:50
安藤忠雄の建築。残念ながらまだ開館していなくて入れず。隣りのビルと城山の間に挟まれるように建つ。ピラミッドの逆さにして地中に突き刺したような躯体。相変わらずコンクリートの壁面は美しいがむしろ目立つのはガラスかもしれない。開館して中が見られるようになるのが楽しみ。

揺らぐ近代──日本画と洋画のはざまに 

February 21 [Wed], 2007, 15:58
ヨシムラさんは、『揺らぐ近代』展を見てきた。高橋由一の「花魁図」やら原田直次郎の「騎龍観音」やらといったおなじみの正典的作品がならんでいて満足感のあるラインナップだったが、ヨシムラさんにとっては初めて直接眼にした二世五姓田芳柳「陸軍歩兵大尉松崎直臣」、小林永濯「道真天拝山祈祷の図」、下村観山の「魚籃観音」のあたりが面白かった。
 二世五姓田芳松はたしか明治の早い時期になかなか印象的な自画像を残している人でそれでヨシムラさんの記憶に残っていたのだが、この絵も図版でみるとたいしたことないが、実物はなかなかの迫力で面白いのである。まず、モデルが日清戦争最初の戦死者といわれる松崎直臣なのがカナリ来る。画面上部に賛が散らしてあり、この絵の時代的なコンテクスト──つまり日清戦争期のナショナリズムと国民国家形成かな、大風呂敷でいえば──を明確に語ってくれる。当然、モデルといったってもう亡くなっている軍人だから、この絵は写真をもとに描いたことになる。写実性の一端はその点に負っているのは間違いない。んが、この絵、ヨシムラさんはてっきり油絵だと思っていたが、なんと絹布に膠彩で描かれているらしい。つまり材料的には日本画なのである。よって実物は「額装」でなく、「表装」されている。目の前に立ったヨシムラさんがいわく不可思議な気分になったのもむべなるかな、なのである。しかし、日本画の道具でこの時期に(この時期だから、という話もあるが)こんな風に描いちまうとは・・・五姓田二世、恐るべし。展覧会の趣旨である日本画/洋画の「はざま」にあるだけでなく、写真、戦争報道、英雄顕彰などなど様々な交点に、この松岡直臣像は佇立していることのよなあ、とヨシムラさんは思った次第。
 小林永濯「道真天拝山祈祷の図」、下村観山「魚籃観音」、伊藤快彦「男性座像」についても書こうと思ったが、ヨシムラさん、ちょっと忙しいのでこれぐらいにしておきました。
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