自分の与えた影響が永遠に続く事を願う。 

February 07 [Tue], 2006, 4:40
 は良い状態に永遠を求める傾向があるようです。ある人は愛に永遠を求めるかも知れないし、ある人は自分の功績が永遠に人びとの心に残る事を願うかも知れません。対人に関しては尚更の様です。
 鈴木義幸 著の「コーチングが人を活かす」という本にはこんな事が書いてありました。「子どもを育てることからはじまって、人の育成に従事する者なら誰しも、自分の与えた言葉の影響が永久に続くことを願う」と。
 人は物の様に長い間変わらないわけではなく、環境に伴って時と共に変化します。自分の与えた影響が永遠に続く事を願う…でも実はそうじゃない。仲の良かった友達の性格が変わっていたり、初めはやる気のあった生徒が宿題をやって来なくなったり。そんな時は自分と共有できるものが、その人から無くなったようで少し寂しい気持ちになります。
 でも僕は、変化の多い人間との関係だからこそ、非現実的な「永遠」というものが叶うかも知れないと思っていますし、そこに賭けてみたいと思います。

「どうしよう」はどうにもならない。 

February 06 [Mon], 2006, 2:59
 ンチはいつも最悪のタイミングでやってきます。僕も自分の予期せぬ様な出来事に、何度も襲われましたが、その時焦って「どうしよう」と考えている間は何をやっても駄目でした。逆に更なるピンチを招いてしまう事も多かった気がします。
 そんな時は、当事者とは違う自分が居て、冷静に解決策を考えられるぐらいでなくてはいけません。焦って考えても、その時はどうにもならないかも知れません。ピンチに見舞われ焦っている自分を落ち着ける良い方法としては、一度「まぁ、何とかなるだろう。」とか「どうにでもなってくれ。」といった楽観的な考え方を持つ事でしょう。その後で解決策を考えれば良いわけです。
 慣れてくれば、事件の対応に追われる自分を「これから自分はどうなっていくんだろう。」とか「いつもの様な退屈な生活ではない。」と半ば他人事の様に楽しめるかも知れません。ピンチを乗り越えた自分を想像して、前向きに考える…ピンチを楽しめるようになれば上級者です。

お年寄りを亡くす事は、図書館が燃えることと同じだ。 

February 05 [Sun], 2006, 1:00
 近お年寄りを大切にしない人が増えていますね。また、それを注意する人も減っているように思います。電車などでお年寄りに席を譲るのは当然の事です。
 荷物で二人分席を取っている人には「二人分の乗車料を払っているのか」聞きたくなります。携帯電源OFF車両でメールをしている人は、もう乗って欲しくないと思います。自らの少しの利益の為に、人に害を与える理由が良く分からないですね。
 戦後真っ只中を引っ張ってきたお年寄りの歴史の上に、僕らは生活しています。普段それを感じる事は少ないと思いますが、僕は朝起きてから夜寝るまでの間、彼らなくして今の生活があったでしょうか?朝、人の作った道の上を人の作った車で走り、人の作った学校で人の作った学問を勉強し、人の作った環境で暮らしています。
 僕らがもっと普段を満足に暮らす為には、最先端のハイテクノロジーだけではなく、彼らの辞書が必要なのかも知れません。

「マジ」という事。 

February 04 [Sat], 2006, 4:07
 活は何を隠そう、スキー競技をやっている。スキーはウィンタースポーツ。あなたがスキー部と聞いてまず最初に浮ぶ疑問は「夏の間は何をやっているのか?」ということであろう。僕も一応は大学の名前を背負った体育会部員である、他大学はどうか知らないが、オフはほとんど無く、冬の為に春から夏、秋と合宿を挟んで、一年を通して練習する。
 また、スキーはお金のかかるスポーツである。僕の場合、板は一本10万円を超え、ブーツは約8万円、他にも色々必要な道具をそろえると雪上に立つ前に30万円ほどかかった。道具は確かにピンきりなのだが、四年も使い込む事と、値段と耐久度の関係を考えると、僕の道具代も基準の一つにはなるだろう。部員の中にはオフシーズン中に道具代や宿泊費をバイトで稼ぐ、いわゆる苦学生(1日の中で「学業」「部活」「バイト」をこなす…これを僕は三重苦と呼んでいる)も多い。そう、全てはスキーシーズンの為に。
 これほど僕らがこだわるスキーとはもちろん、一般の遊びのスキーではなく、100分の1秒を競う「レース」であり、バランスを崩して転倒し、靭帯断裂などの怪我をする選手も多い。靭帯断裂に収まらず、下半身不随、時には死亡する選手もおり、ワールドカップ選手もその例外ではない。一般に「スキー部と山岳部は死亡率が高い。」と言われている(山岳部の場合は雪崩による遭難や高所からの転落が多い)。僕らが「本気」なのは分かって頂けただろうか。
 あなたは何故僕らがそれほどまでに「本気」なのか理解に苦しむだろう、しかし僕はあなたが理解出来ない事を良く分かる。所詮僕らが三重苦を味わってそのレースに出て、その結果をどういう気持ちで味わったかなど、まるで理解出来る筈が無い。レースに出ているその瞬間は決して死に急いでいる訳ではなく、輝ける自分の舞台で゛まさしく「イマ」を生きている゛そんな瞬間なのである。

前向きな予定 

February 03 [Fri], 2006, 1:14
 は大学2回生。学業、部活、バイトに追われる日々である。
将来の夢は今のところ「飛行機の設計士」、自分の設計した飛行機の初フライトに親を乗せてやるのが夢だ。だけど今はさして目標も無く悶々と暮らしている。
 「目標」、これは「夢」があって始めて成り立ち、非現実的な順に類義語を挙げると「夢」「希望」「目標」となりやがて「予定」となるだろう。「夢」→「希望」→「目標」→「予定」の過程の中、「予定」に違和感を感じられる方も多いだろう。…何が違うか?
要はそこに自分の前向きな意思があるかどうかになってくるのではないだろうか。
 多くの人(僕もその例外ではない)が「予定」と口にする時、実際の自分の行動を意識する事が多い。しかし「夢」や「希望」は特に、まだ自らの空想の世界にあり、その全貌をはっきりと捕らえきれておらず、気づいた(実際に自分が行動する)時には断念せざるを得なくなったりする「夢」も多いだろう。
決めた「目標」や「予定」は時間と共に迫り、直面し、結果いかんに関わらず過ぎていく。しかし「夢」や「希望」はいつまでも空想の中である。
 最近、よくノートなどに自分の「夢」を書くようになった。叶いもしない夢、聞いた事ある様な夢、叶いそうな夢、なんでも思いつくままに書いている。
何かしら明日、いや次の瞬間の行動に、そんな「夢」につながる意味があれば、毎日はもう少し幸せに生きて行けるのかも知れない。
 しかし前記の通り、僕は自分の「夢」に依存した「予定」なんか立てれない人間。予定を立ててから「夢」にこじつけたり…だけど、そんな普段の「今」と「夢」とのバランスをとってイマを生きている。
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