すごい人 

September 08 [Sat], 2007, 20:19
シュタイナー教育に関わるようになってよくすごい人に会ったり、すごい人の話を聞く。
先日、ルボルンから車で2時間離れた所にあるシュタイナー学校の先生の逸話を聞いた。
その町にある女性がいた。2人の子供がいた。
その人は自分の子供をどうしてもシュタイナー学校に入れたいと思った。
しかし近くにシュタイナー学校はない。
しかたがないので、仲間を集めて自分で学校を作ることにした。
先生募集の広告を出した。
朝から晩まで面接をしたが、応募してきた人でシュタイナー教育の知識がある人は一人もいなかった。
普通ならここであきらめる。
しかし諦めなかった。
どうしたか?
なんと自分がそこの先生になった。
生徒は11人、一クラス。
1年生から6年生まで、全学年の授業を毎日行った。
授業準備は毎晩夜中の2時までかかったらしい。
一日に6つのメインレッスンの準備をするのは並大抵の大変さではない。
そしてその人はなんと毎週水曜日の夜、2時間かけてシュタイナー教員養成学校のパートタイムに通った。往復4時間の道のり。
人生をシュタイナー教育に捧げるとはこういうことをいう。
私がやっていることなんて、まだまだ本当に甘い。
もっともっとできるはずだ。
その学校は今は非常に大きく成長して、とてもいい学校といわれている。
その人の愛が花開いたのだ。

すべては偶然ではありません 

August 30 [Thu], 2007, 19:02
今「心の扉を開く」(日本教文社)という本を読んでいる。
その中の一文を紹介した。

すべては偶然ではありません。
これまでの人生は苦しかったかもしれません。
多くの試練を経験し、自分が試されることもあったでしょう。
あるいは燃え盛る炉の中へと放り込まれたことさえあったかもしれません。
そのすべてには理由があることに確信を持ってください。
それは、かすは燃焼させてしまい、純粋な黄金だけ、つまり「在りて在るもの」という存在だけを残すためだったのです。

最近偶然など存在しないとよく実感する。
特に苦しいことがあった時に、そのことを後から振り返ってみると、どうしてもその体験が必要だったのだと思うことがよくある。
苦しみが人を磨くのだ。
そう考えると怖いことなど何もない。
どんなことにも勇気を持って立ち向かうことができる。
それが自分を作っていくのだから。

嫉妬 

August 24 [Fri], 2007, 19:36
今日は教育実習だった。
私はどういうわけか、手のかかる子、いわゆる腕白な子に好かれる傾向がある。
そういう子どもが子猫のようにじゃれてくる。
昔からそうだったので、きっとそういうオーラか何かがあるのかもしれない。
今日午前中にある子Aがべったりになった。
午後になると、Aは他で遊んでいたので、私は別の子Bと一緒に穴を掘っていた。
すると突然Aが走ってきて、Bを突き飛ばしシャベルで叩こうとした。炎のような怒りだ。
もちろんいそいで止めに入った。わけがわからなかった。
いったい何事?
そこに担任の先生がきた。
先生いわく「それは嫉妬よ。」
嫉妬?
好かれるのはうれしいが・・・。
強がっている子どもほど愛情に飢えているのかもしれない。
午後のおやつの時間にAの隣に座ってあげたらまた子猫に戻っていた。
子供を見た目や行動だけで判断してはならない。
その子の内面、魂までもきちんと把握してあげなければならない。
それが可能なのがシュタイナー教育だ。
もっともっと学びたい。
もっともっと経験を積んで子供たちを助けてあげたい。
毎日心をこめて幼稚園にいたい。


小さな奇跡 

August 17 [Fri], 2007, 19:45
今日も奇跡を目の当たりにした。
一か月ほど前に、家族3人で近くの八百屋に買い物に行った。
娘(2歳)は乳母車に乗っていたが、行く途中に寝てしまった。
結局そのまま帰ることになった。
家についてみると、娘の靴が一つないことに気がついた。
途中でどこかで脱げてしまったのだ。娘のお気に入りの靴だ。
妻が靴を捜しに行った。見つからない。
私が行く。見つからない。
娘が起きた。靴がなくなったと伝える。
娘は「探しに行く。」という。
3人で探しに行く。見つからない。
娘に「諦めよう。」と伝える。
しかし泣きそうな顔で、「もう一回行く。」という。
3人で行く。見つからない。
くまなく探した。しかし結局見つからなかった。隅々まで探したのに。
あの時の娘のさみしそうな顔は今でも頭に焼き付いている。

そして今日突然、八百屋に買い物い行きたくなった。
何の脈絡もない。ただ何となく行きたい。なぜか3人で行きたいと思った。
何気なく歩いていると、なんとそこに娘の靴が落ちていた!
一か月もたっていたのにほとんど汚れていなかった。
何度もそこを歩いたのに今までなかった。それが急に見つかった。本当に驚いた。

これを奇跡と呼ばないで何と呼ぶのであろう。
あり得ないことが平気で起こることが最近よくある。
奇跡が私の周りにあふれている。
「偶然を装いながら奇跡はいつも近くにある。」
最近高次の力をよく感じる。いつも助けてくれている。
そのやさしさに感謝したい。
ありがとう。

いい人といい先生 

August 10 [Fri], 2007, 19:49
今日教育実習でみた先生は非常にいい人だった。
日本の感覚でいえば「仏さまのような人」西洋人の感覚でいえば「聖者のような人」だ。
とにかくやさしい。人に尽くす。
人のことを悪く言わない。怒らない。
あんなにいい人はなかなかいない。私もあのような人間になりたい。

さて、授業はどうかというと、子供たちのまとまりがない。みんな好き勝手にやりたいことをやっている。モーニングサークルにも加わらない子が多い。
Prep(日本の年長)なので先生は権威としての部分も見せなければならない。
しかし残念なことにそれがなかった。優しすぎるのだ。

はたしていい人といい先生は違うのか?
クラスは乱れていた。目を覆いたくなるような場面もあった。
しかし将来彼らにとって聖者のような人に教わったというのは貴重な財産として残るのだろうか?

シュタイナーは言った。「子供を愛するだけではいい先生にはなれない。
自分が行うことすべてを愛さなければならない。」
教育は本当に奥が深い。
いい人といい先生は同じなのか?違うのか?
いい先生、そしていい人間両方になれるのが理想なのだが。

人智学的 瞑想について 

August 03 [Fri], 2007, 13:26
昨日メディテーションに関するトークに行ってきた。
講師はメルボルンシュタイナー教員養成学校の先生の中でも、
もっとも温和なロバート マーティン先生だった。
瞑想と聞くと、宗教めいていて退いてしまう人もいるが、昨日のトークはまったくそんなところがなかった。方法もいたってシンプルだった。

「ある人について5分間その人のいい面のみ考える。」
ひたすら5分間、1人の人のいい面のみを思い浮かべる。
その際に批判的な感情は一切取り除く。

これがものすごく効果的だ。
なぜか?
人間の心臓というのは感情によって大きく形を変える。
恋をしているとき、胸が苦しくなるのは、本当に心臓が収縮しているからだ。
この瞑想は他人に感謝、畏敬の念を育てる。、
愛に基づいた瞑想だ。
そのため心臓が自由に、そして軽くなる。
そして知らぬ間に自分が愛の人になれるのだ。

今の世の中周りは汚いことであふれている。
そして自分が気付かないうちにそれが当たり前になってしまっている。
一日のうち5分でもきれいな心になると人生が大きく変わってくる。

毎日とにかくやり続けることが大切である。
何も変化が起こらなくてもひたすら続ける。
変わりたければやり続けるしかない。
そのうちに瞑想が自分の生きる中心になってくる。




バイオダイナミック農法トーク 

July 28 [Sat], 2007, 19:49
今日はバイオダイナミック農法に関するトークに行ってきた。
それほど内容があるトークではなかったが、内容を少し紹介したい。

バイオダイナミックで育てた野菜を食べると、私たちはスピリチャルと結びつきやすくなる。
私たちにスピリチャルフォースが入ってくる。
それはバイオダイナミック農法はスピリチャルな力を借りた農法だからだ。
そのため、オーガニックとバイオダイナミック農法は全く別物である。

野菜には本来決まった大きさがある。
本来の姿よりも大きい野菜は、大きい分だけ水である。
だからおいしくない。水っぽい。

大人は牛乳をそのまま飲むよりもチーズやヨーグルトなどを食べるほうがいい。

物質主義(金儲け)で作られた野菜は私たちをどんどん物質主義にさせる。
それによって、私たちの自我が入りづらくなる。

遺伝子組み換えによって、AIDSやその他の新ウイルスが生まれた。

シュタイナーは何を食べるべきで、何を食べないべきか言っていない。
自分が今、何を必要としているか把握しながら、食べ物を選ばなければならない。

正しい食べ物を作る人を守るには、私たちがそれを買ってあげなければならない。
それが最大の援助である。

エンジェル メッセージより 

July 25 [Wed], 2007, 8:28
今「エンジェル メッセージ」という本を読んでいる。
天使がある人に話しかけた言葉をそのまま本にしている。
その中で人生の目的の見つけ方について書いてあった。
「人生の目的に関する質問に対する私たちの答えはいつも同じです。それは愛でしかありません。」
「一瞬一瞬を、ほかの人の目を輝かせ、心を温めるために使ってください。
それを必要としている人にあなたの気持ちを届けてください。」
今よりも多くの収入と自由を手に入れるため、
心の奥底にある望みをあきらめる人がいるかもしれません。
私たちに言わせれば、そんなことは幻想にすぎないのです。
ですからこのような考えが浮かんだら、すぐに忘れるようにしてください。
気まぐれで済むうちはいいのですが、やがてそれがあなたの人生における目的になってしまいかねません。」

私たちがこの世に生まれてきた意味は愛しかない。
愛を実現するために生まれてきたのだ。
どんな職業に就いたっていい。
それによって人々の心を温められればいい。
愛を与えられればいい。
それが生きていく目的だ。

よく言われることだが、お金は来世に持って行けない。
持って行けるのはこの世で育てた魂だけだ。
その魂は永遠に生き続ける。
お金はこの世で死ぬ。
愛は決して死なない。


危機について 

July 19 [Thu], 2007, 12:50
人間生きていくうえで、誰でも危機に直面する。
つらいめ、苦しい思いをしたことがない人はいないはずである。
天使に守られている私たちが、なぜ苦しい思いに会うのか?
それは危機は非常に重要だからである。

幸せで生活が安定しているときには、人間変化を嫌う。
安定を保ちたいために、他の意見、自分の心の声に耳を傾けられない。
たとえ自分の中の声が大声で叫ぼうが、聞き入れることができない。
しかし自分が危機に直面しているときには、自分の本当の心の声が聞きやすくなる。
それは危機の状態が苦しいため、あらゆる助けを求めるからである。
危機の時は自分がオープンになっている状態である。
自分を見直す時である。
その時に自分の本当にしなければいけなかった使命に出会うことが多いのだ。

「危機」という漢字を見てもらいたい。
危機の「危」は危険の危であるが、危機の「機」は機会の機である。
危機は私たちに与えられたチャンスなのである。
危機は私たちを正しい方向に導くためにあるのだ。
危機は神から与えられたプレゼントなのである。

自分の中で輝くもの 

July 17 [Tue], 2007, 11:22
人生は巻貝のようである。
巻貝は長い年月をかけて少しずつ自分の殻を大きくしていく。
周りからいろいろなものを取り入れて大きくする。
しかし本当の貝の正体は真ん中の芯の部分である。
それが持って生れた貝の正体だ。
しかし外からはそれを見ることができない。

人間も同じである。
生まれてきたときに、誰でも、ある使命を持って生まれてきている。
それがその人の芯である。
長い年月がたち、環境から自分が成長するうちに芯が見えなくなり、使命を忘れてしまうのである。
自分が本当は何をすべきなのかわからなくなってしまうのだ。

自分を知るためには自分についた周りの殻を少しずつはがしていかなければならない。
本当の自分は見えなくなってしまっただけで、常に中で光り輝いているのだから。