親の心配ごと

September 01 [Sun], 2013, 10:44
親とは私の親ではなく、学生の親である。
先日、7人の保護者と面談する機会があった。

相談事の内容で一番多かったのは、大学で取得できる資格や就職に関する相談、続いて学校生活や生活に関する相談であった。

2012年3月に実施されたベネッセ教育研究所の調査(大学生の保護者に関する調査)でも、「生活リズム」「健康状態」「卒業後すぐに就職できるかどうか」が大学生活の心配事の上位にランクインしている。

そもそも、親が子にかける心配ごとは数に限りがないことを前提で考えると、調査自体が調査者によって恣意的になされることは免れないが、実際に保護者と話をした私としては大まかに現状を反映しているのだろうと思う。
やはり、子の生活や身の安全、将来を気にかけるのは親のしごとである。

このような親の心配ごとに対して、教師としてどのように関わりを持っていいだろうか。

私は、大学は最後の教育機関であると考えている。
そして、大学教師としての仕事は、日本社会を支える「おとな」を社会に送り出すことである。
私の考える「おとな」とは、国民の三大義務である教育と勤労と納税の義務を果たす人である。
国民の三大義務は中学生のときに知識として学ぶが、それが私たちの先輩達が築いてきたかけがえのない知恵として社会の形成に貢献していると実感する機会はほとんどない。
大学は学生が社会に出る前にそのような機会を経験する場であると考える。

だから、保護者と大学教師の間には、「お願いします」「任せてください」以上の関係はないと思う。
親としてはいろいろな心配ごとを持ちながらも、自分の子供と任せた大学や先生を信頼して見守る。
教師としては、学生の成長する力を信頼し、その力を育む場を用意する。

どれだけ就職率が良くて、どれだけ資格が取れるのかが大学の評価ではなく、
どれだけ保護者が「任せてよかった」と感じるか、学生が「行ってよかった」と感じるかが大学の評価であろう。

今回の面談では、親の心配ごとに対して教師が余計な口を挟まないことが大切だと感じた。
軽々しく就職率や資格といった見せかけの数字をもって保護者が安心すると考えないこと。
大学の役割の認識についてお互いに確認し合うこと。
面談した教師がまともな「おとな」であるということを理解してもらうことで大学の信頼を向上させること。

いち教師として忘れてはならないことである。

身体と頭と気を使え!

March 06 [Wed], 2013, 18:05
現在、本学の陸上競技部トラックチーム(短距離・障害・中長距離ブロック)は強化期間中である。
本来であればどこか合宿に行きたいところだが、九州はこの時期、比較的暖かいこと、それから学生にかかる経済的負担を考慮し、大学施設を使用しての3部練を行うことにしている。

時間のある春休みを利用して、贅沢に競技に打ち込む時間を堪能してほしい。
そして、そのような空間を共有する時間をなるべくなら長くもちたい。
思い出づくりではなく、どれだけ自分自身と向きあう時間を作れるか、
他人と向き合う時間を作れるか、これが競技力向上へのきっかけになる。

ちょうど昨年の今頃、母校の合宿にOBとして参加させてもらった。
そのとき学生時代お世話になったコーチの言葉が印象的で、僕も学生にときどき言っている。


身体と頭と気を使え。


競技者として、そして部に所属する組織人として意識することである。
トレーニングは身体を鍛えるだけではない。
自分の身体を深く知るためには、知識を身につける必要がある。
また、チームメイトが気持ちよくトレーニングできるために、個人がどのような態度・行動をとれるのかを考えること。
チームメイトが気持ちよくトレーニングして競技力を伸ばすことほど、自分に取って有益なことはない。
身近に強い選手がいることは、「あいつがあのくらいなら、おれはこのくらい」と具体的な目標設定が可能である。これが複数人数でトレーニングすることの最大のメリットである。

逆に、意識しようがしまいが、個人が周りのチームメイトが気持ちよくトレーニングできない環境をつくる努力をすると、結果的に自分の競技力が低下する。

質の高いトレーニングが実施されうる環境を保つために、日々グランドに出てメンテナンスすることは、コーチ業の根幹である。
そういった意味では、技術指導は枝葉的であろう。


じいちゃんの教えと学びの本質

January 18 [Fri], 2013, 10:01
じいちゃんは、僕が大学院1年生の夏(2006年)に他界したが、今でも思い出す、じいちゃんの言葉がある。

「きょうへい君、勉強でわからんことがあったら、先生にちゃんと聞かんといかんばい」

小学生の頃、僕はスイミングクラブに通っていた。
そのスイミングクラブのバスが迎えにくる場所が、ちょうど羽犬塚のじいちゃんちの前だった。
スイミングクラブがある日は、小学校から家に家に帰ると、じいちゃんが軽トラで家まで迎えにきてくれる。
(じいちゃんは酒とプロパンガスの商売をしていて、よくビール瓶やらガスボンベなどを軽トラにのせて配達していた。)
その軽トラの中で、毎回のように言われた。ああ、またか。

「うん、じいちゃん、ちゃんと聞いとるよ」

授業中発表することや、質問することに恥ずかしさを感じることのなかった僕は、その頃この言葉を重く受け止めることもなかった。


しかし、最近その重要性がとてもわかる。
僕は内田樹氏のブログ(内田樹の研究室)を好んで読んでいるが、その中に「学ぶ力」というエントリーがある。
大切なことは、もうこの中に書かれているのだが、ここでも紹介する。

--以下、ブログより引用
「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。
 第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。
 第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。
 第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。
 この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。
--引用おわり。

実は2011年9月のエントリーで、その時もリアルタイムに読んでいた。
しかし、なるほど、そうだな。としか思わなかった。
そのときはじいちゃんの言葉とリンクされなかった。
でも、今はリンクする。

なぜか。

それは、教育現場に関わるいち社会人になったからであろう。
2012年4月から、僕は九州共立大学の教員になった。
どうやったら、学生の本気を引き出すことができるだろうか。
学ぶ意欲を発動させるスイッチを押すことができるだろうか。
そのことを考え続けた1年だったと思う。
この1年が2つの言葉を結びつける媒体となったのではないだろうか。

今朝、物事に対する自分自身の姿勢について、どうありたいか、を2013年になったこともあり改めて考えていた。
幼少の頃から振り返って、どのような人から、どのような状況で、どのような言葉を言われたか。
それが、どのように自分自身の骨身にとけ込んで、行動するようになったのか。
繰り返され、無意識のうちに身体にとけ込んだ言葉はどのようなものだったのか。

それを考えているときに、じいちゃんの言葉が蘇ってきた。
じいちゃん、あなたは、僕に学ぶことの本質を、どういう姿勢で取り組むべきかを、繰り返し説いてくれていたのですね。
ありがとうございます。
僕もあなたのような人になりたい。
学ぶことがどういうことか、を、きちんと後継できる人に。

これまで以上に、誠実に。

December 31 [Mon], 2012, 20:08
大学の研究室で2012年を振り返る。

今年は20代最後にして、人生のターニング・ポイントというべき1年だった。

ひとつめは、自分自身にとって、とても大切な場所を失ったこと。
これについては、まだ整理できていないところでもあるんだけど、ちょっとずつ、前向きにすすんでいけばいいと思う。

ふたつめは、情熱を思いきりぶつけられる仕事に出会えたこと。
カッ!となってやっている充実感がある。
いつダメになってしまうか分からない状況にハラハラしながら、綱渡りのような日々を過ごしている。

この道で勝負する。

そう思える場所に立てていることを幸せに思う。


みっつめは、メンターとよべる人に出会えたこと。
この難しい局面を、どう乗り切っていくのか。
道標として、険しい道の歩き方を示してくれる。
この9ヶ月、多くのことを学ばせてもらった。
まだまだ学びたい。

いつか占い師に言われた。
「あなたはやりたいことをできる力がある」
できなかったこともたくさんあったけど、マクロな視点でみるとそうなっている気がする。


でも満足してはいない。

本当にやりたいことを成し遂げるには、もっと一日、一日を誠実に過ごさなければならない。
日々お世話にっている人、学生、友人、家族そして自分自身に対して、これまで以上に。


2013年を振り返ったとき、そう思える一年にしたい。



帰国して約4ヶ月経った今、活動を振り返ってみたらダークな感じになった件。

October 20 [Wed], 2010, 22:42
僕がインドネシア青年スポーツ省から期待された活動成果は、国を代表するような選手を育成することでした。
インドネシアの全国大会で選手が何個メダルを取れるかがその評価基準であったと思います。従ってそれによれば、僕がこの2年間で残した成果は、ほとんど0に近いものとなります。
きっと、僕をスポーツ校に配属した青年スポーツ省の役人さんはがっかりして、期待外れなコーチだったと思ったに違いありません。

いや、僕自身、そのように思っている節があります。

俺、結果残せなかったなぁ。

国際協力の中では、僕の活動は異文化コミュニケーションという分野に分けられていました。
つまり、自分がインドネシア人とスポーツを通じて交流することで日本とインドネシアの親交を深めることができるという、日イ交流自体が最大の目的となっているプロジェクトというような形で僕の活動は捉えられていました。
そこには、先に書いたような成果は求められていませんでした。

選手の競技結果はどうであれ、選手やコーチたちと共に活動してきたこと自体が評価されることなんだよ、と。


実はこのギャップに苦しんだ2年間でもありました。
青年スポーツ省が期待することとJICAが期待することのギャップ。

運良く指導している選手がオリンピックにでも出場すれば、このギャップに悩むこともなかったでしょう。しかし、そんなことは滅多におこることではない。隊員がオリンピックや世界選手権に選手を引率したという類の話を聞くと、すごいなぁと思う反面、羨ましさや嫉妬心を感じずにはいられませんでした。やはり、体育教師ではなくコーチとして派遣されたのだから、結果、(つまり指導している選手が全国大会でメダルを取るということ)を残さなければいけないという想いは、最後までありました。

だけど、できなかった。

国際協力の観点において、2年間の活動が評価されていようがいまいが、これはこれとして受け止め、自分の指導軌跡を振り返り反省しなければなりません。でないと、自分自身の指導力が向上しない。自己研鑽をしなければ、コーチとしての価値は一つも高まりません。

「いればいい」

という言葉が、そこからの逃げにならないか常に自問自答してきました。

今のところ、はっきりとした答えはみつかっていません。
しかし、実は期待されていることをギャップとして捉えていたところにそもそも問題があり、実はどの視点で自分自身の活動を捉えるかが重要だったのではないか、と思ったりしています。

従って「成果は残せた」というのも答えであり、「成果を残せなかった」というのも答え。

2年間、先に書いたギャップに苦しんだのは、最初に自分の活動を捉えることに失敗していたからではないかというのが、今、思うところであります。

(うわー、きついなぁ、この結論。。)

帰国のお知らせ

May 01 [Sat], 2010, 18:02
もう5月になってしまいました。
僕の協力隊としての活動もあと1ヶ月程。

実は結構前にわかっていたことですが、本日、帰国のお知らせをしたいと思います。

6月21日(月)ジャカルタ発、6月22日(火)成田着。

そのあと帰国報告会などが東京であるので、1週間くらい関東圏にいる予定です。
できたらつくばにも遊びに行きたいと思っています。

あぁ、鳳凰の豚身肉キャベツ味噌炒とかジャンプ読みながら食べたい。

はい、みんなに会えるのを楽しみにして残された時間を大切に使っていきたいと思います




インドネシア代表の貫禄

April 27 [Tue], 2010, 23:27

はい、ということでですね、先日試合に出てきました。

Jawa Timur Open(ジャワ・ティムール・オープン)と呼ばれるこの大会は、インドネシア陸上競技連盟(以下、陸連)と東ジャワ州陸連によって毎年4月に東ジャワ州シドアルジョという町で開催されています。
その名のとおり、どの年代の選手にも開かれた大会で、インドネシア国内からたくさんの選手が集まってきます。
(今年は600人程度の参加者がいたとのこと)

ジュニア、シニアにかかわらず一緒に競い合うことのできる試合なので、僕の指導している中学生や高校生にとっては数少ない非常にモチベーションの高まる試合でもあります。なので、毎年、往復14時間、3泊6日という強行スケジュールの遠征を行います(2泊は電車の中)。昨年は何もわからずただついていった(ただのお荷物になってしまった)遠征でしたが、今回はきちんと選手引率をするつもりでした。が、なんと自分も出ることになりました。

自分の走っている姿を選手やコーチに見てもらい、選手のモチベーション向上やコーチたちとのコミュニケーションがよりスムーズになれば・・・というのは表向きで、本音は

「インドネシア人しか出てない試合にいきなり日本人が出たら面白そうじゃね?」

と思ったからです。

さて結果は、予選2分03秒20、1時間後に準決勝1分59秒36、次の日決勝1分56秒44、で2位。
久しぶりにラスト200mで撃沈する感覚を味わうことができました。
昨年の優勝タイムが1分58秒くらいだったので、ひょっとしたら優勝しちゃうかも、優勝して賞金でたらどうしよう、生徒のために使おうか・・・とか考えたのですが、ラスト200mでおいていかれ、3位の選手にも一度抜かれ、なんとか抜きかえし生徒の前では一応面目を保ったのでした。
(いや、保ってないよ、というつっこみは受け付けません)

以下は正式結果。

Men's 800m Finals - Results- Sunday 04/18/10
1 Abd. Haris/ PAAD/ 1:53.45
2 Yamaguci K/ PPLP DKI JAKARTA/ 1:56.44
3 Kaharuddin/ PAAD/ 1:56.58
4 Sugeng Sutrisno/ PASI JAWA TENGAH/ 2:00.20
5 Paskalis Nardi/ PASI JAYA/ 2:01.66
6 I WayanSuwarsana/ KAB. BULELENG/ 2:01.89
7 Firmansyah/ KOTA MALANG/ 2:03.50
(参考までに800mのインドネシア記録は1分49秒93)

1位の選手は、聞くところによるとインドネシア代表だそう(写真左)。

自己記録は1分53秒台と聞きました。(なので、今回は自己記録だったのかな?)
一緒に走ってみたところ、彼の走りにはタイムでは表せない貫禄を感じました。
(お前も日本人の代表として貫禄見せろよ、という批判は受け付けません)

2年間たっても負け癖が抜けないYamaguci.Kとは大違いですね。


とは言いつつも、


2年ぶりのユニフォームとスパイク。

召集所での緊張感。


スタンドの応援(生徒と同僚が応援してくれました)。

そして、ラスト200mのヘタれた感覚。

最後のは思い出したくなかったですが、久々に試合を楽しむことができました。
本当はJICAの人に試合でちゃだめって言われてたんですけどね。(勝ってお金もらっちゃだめだから)
でも、今回はお金をもらうこともなかったし(いや2番だったからとかではなく、賞金自体なかったという補足をしておきます)、生徒や同僚も喜んでくれたし、今後の活動にプラスになることでしょう。
ちなみに地元のインターネットニュースに載ってしまったことを同僚に教えてもらいました。
(だが、記事内容は僕のことではない。)

はい。生徒のこと全然書いてないですね

僕の直接指導している選手は女子の中長距離選手ですが、1500mに出場し、一人は自己ベスト更新。もう一人は自己記録は出ませんでしたが、ここ最近で最もよい記録を出すことができました。
今度は5月5日から8日にかけてインドネシア・ジュニア・ユース選手権があります。
それに向けてよいステップが踏めた試合となりました。
当然僕は出場できませんが、今度こそしっかりサポートしてきたいと思います

モナスの塔 = Tugu MONAS

July 25 [Sat], 2009, 18:08

ジャカルタのシンボルともいえる塔。
朝の6時04分。堂々とその姿を現しました。

そして、手前に写っているのは僕のいる競技部の生徒たち。

この日(2009年6月21日)、この塔がある広場をスタート・ゴールとした
Enjoy Jakarta 10K(=エンジョイ・ジャカルタ・10Kマラソン)が開催されました。

毎年、首都ジャカルタで開かれるこの大会。
なんと今年は35,000人もの参加者がいたそうです。
これは東京マラソン2009(2009年3月22日)に匹敵する参加人数。
(ちなみにつくばマラソンは約14,000人)
でも、そんなにいたかなー?つくばマラソンより少ないよなー...という印象でした。

スタート地点はこんな感じ↓


参加者は見ての通り緑色のTシャツにゼッケンを付けて走ります。
普段は車でいっぱい(毎日渋滞当たり前)のジャカルタ市内を

『緑でいっぱいにしよう!』

という環境保護啓発も兼ねているようです。

さてさて、生徒が参加するというので観戦のつもりで来た僕ですが、

生徒:「ヤマ(僕の愛称)も走れよー。ヤマなら1位になれるよー。」
僕:「いや〜、最近練習してないしな〜。」

生徒:「入賞したら賞金もらえるんだよ。」
僕:「いや〜、協力隊はお金貰ったら駄目なんだよね〜」

というやりとりの後、

結局「ジョギングだからね」と言って出場することにしました。

当然エントリーしていなかったので、当日参加しなかった“マンダル”君の名前を借りました。
ちなみに“マンダル”君は誰だか知りません。
なぜか僕の生徒が彼のTシャツとゼッケン持っていました。

朝6時30分にスタート。

僕じゃあ、ありません。

彼はケニア人。
そうです。この大会、海外からの招待選手も走ってるんです。
彼らは『国際エリートクラス』で競い合います。
ケニア以外にも、イギリス、オーストラリア、台湾、マレーシア、シンガポールなどさまざまな国から参加していました。

そして、なんと日本からも選手が!!
日清食品の丸山敬三選手とセカンドウィンドの尾崎朱美選手
ジャカルタの姉妹都市である東京の代表として来たそうです。

「こんなところで日本人の選手に出会えるなんて!」

興奮した僕は一緒に写真まで撮ってしまいました。
でも、おそらく彼らのほうがもっと驚いていたことでしょう・・・。

この『国際エリートクラス』で優勝した場合、
賞金Rp220,000,000(=約209万円/2009年7月現在)を受け取ることができます。

上写真の選手が今年のチャンピオン。優勝タイムは29分47秒。
ケニアの John Cheruiyot Korir (ジョン・チェルイヨット・コリル)選手
(10000mの自己記録は26:52.87)。
ちょっとした陸上マニアなら知ってるかもしれませんね。
僕は気づきませんでしたが。

他にも、何名かケニア選手が出場していました。

「彼らはこうやって賞金レースを渡り歩いて生活しているんだよ。」
という東京から選手を引率されてこられた方の言葉が印象的でした。



↓遅れること7分。

“マンダル”君(僕)です。はい。

ジョギングとかいいながら、結構しんどそうですね。
「体が軽くて最初から飛ばしすぎちゃったよー」(“マンダル”君談)

“マンダル”君は『一般クラス』。
でもちゃんと賞金(1位〜10位まで)がでるんですよ。
優勝は20万円くらいだった気がします。10位は5000円くらい。

「賞金とってしまったらどうしよう」
「生徒のために使おうか」

とかいろいろ考えていたのですが、結果12位(36分36秒)。
いろんな意味で残念でした。。。



  
  ←僕の指導する選手も走りました。
  
  彼女は『ジュニア女子クラス』。なんとか優勝してました。
  ジュニアでも賞金はもちろんあります。
  約3万円貰っていました。
  
  インドネシアで3万円は、公務員の月給とほぼ同じ。
  
  しっかり稼いでますね・・・。
  
  後日、晩御飯をいつも指導してくれるお礼にとおごってくれました。

  (立場が逆転した感もあります。)





なんだかんだ言ってしっかり走った日曜日でした。
ちゃんとトレーニングしようっと


Enjoy Jakarta 10K 結果
 

小学生の全国大会

July 12 [Sun], 2009, 21:03

Olimpiade Olahraga Sisiwa Nasional
(=全国小学生スポーツオリンピック)

略して

O2SN(オー・ツー・エス・エヌ)

陸上競技、水泳、体操競技、バトミントン、セパタクロー、卓球、シラット(インドネシア版空手みたいなもの)、サッカー、バスケットボール・・・etc。
いろんな競技種目が一度に開催されます。

オリンピックみたいな感じです。

6月15日から19日まで、僕の任地であるジャカルタ州のラグナン運動公園内で開催されていました。



ちょうど去年、僕がここに赴任したときも(2008年8月)、何やらにぎやかな感じで盛り上がっていました。

毎年、6月から8月くらい(期間に幅があるのはインドネシア流?)にやってるそうで、その約1ヶ月前から各州で州大会や県大会が開かれ、スポーツ得意な小学生たちが選ばれるわけです。

ここラグナンで指導をしているコーチたちも、将来の新入生をスカウトしようと目を光らせています。



そんな小学生の全国大会ですが、大会期間中はお祭り状態。
普段はさびしい(写真左)ここラグナン運動公園も、露店が立ち並び、楽しい感じ(写真右)です。




スポーツ用品やら、(道具忘れた人のために)




果物やら、(運動してお腹すいた人のために)






おしゃれな洋服だって売ってます。(子どもの応援にきたママのために?)




もう何でもありですが、
この辺にインドネシアの

Tidak apa-apa(気にしない)精神を感じます。


肝心の大会の様子ですが、写真撮るの忘れてました


まだまだ学校の体育教育が不十分なインドネシアですが、このように意外とスポーツ大会は盛んに行われています。

でも大会ばっかりじゃなくて、もっと小学校の体育の授業を充実できたらいいのになーとも思います。

道具がない、運動場がない、授業中先生がいない・・・。

僕の活動は選手の競技力向上がメインですが、その競技力向上には、土台となる体力(特に敏捷性や巧緻性といった小学生のときに身につくもの)が重要なファクターとなります。

選手を指導していて、基本的な運動ができてないなーという印象を受けることはしょっちゅうです。

こういったスポーツ大会と同時に、学校での体育教育の充実も図ることができれば、インドネシア競技スポーツレベル全体の底上げにつながるのかなと思いました。


そんなことを考えつつも、子供の活き活きとしたプレーは日本もインドネシアも同じだなと、
そう思った一日でした

武士道

April 11 [Sat], 2009, 19:12
インドネシアには親日家の方が多いです。

NHK連続テレビ小説「おしん」(1983〜1984)は現在インドネシア放送中。
よく「おしん」のことを聞かれますが、当時1歳の僕には記憶がありません。
あなたたちのほうがよく知ってるよーと答えています。

また、日本のマンガはここインドネシアではかなり人気があります。
「ドラゴンボール」「スラムダンク」「ボボボーボ・ボーボボ」「鉄拳チンミ」「ドラえもん」etc...

僕の人格形成の一端を担ったマンガの登場人物たちが、インドネシア語をペラペラ使いこなしているのをみると妙な気分になります。

その中でも、特にインドネシア人の子供たちに絶大な人気を誇るのが、今も週間少年ジャンプ(1999-)で連載中の「NARUTO-ナルト-」です。
アニメも映画もTシャツだってあります。

おまえは本当にナルトか?

と問いたくなるようなグッズたちにも出会います。

日本が地球のどこにあるかわからないけれども、忍者のことは詳しかったりする。
いつか、日本に行きたいと思っている子供に(大人にも)たくさん出会いました。

僕が「お色気の術」とか使えたらいいんですけどね。
手裏剣はこうやって投げるんだ。と説明するのが精一杯でした。

きっとこのバスの運転手も日本の何かに影響されたのでしょう。
武士道ならぬバス道をきわめてほしいものです。
(しかし、どうか安全運転でお願いします・・・)


(2000ルピア(約19円)で乗れる大型市内バス。バスごとにいろんな装飾がされていて飽きないです。)
P R
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