新社会人 

2010年04月09日(金) 0時25分
私たちはゆとり世代の1代目であり、年配の方々からはエイリアン扱いを受けている様子です。
特徴としては、「効率を重視する」、「人付き合いが悪い」、「必要無駄を理解できない」、「情報収集力に長けている」
この4つが、私たちを理解するための端的なものとしてよく取り上げられていると思います。

確かに、研究室での自分自身の行動に照らし合わせてみるとそのような傾向が感じられます。
実験作業はできるだけ必要最低限の労力で行いたいと画策しましたし、
研究室の仕組み(学部生に学業をさせず、ドクターの研究の末端作業ばかり押し付ける体制とか、ぐだぐだお喋りするだけで建設的でない会議など)が理解できずいら立ちましたし、
また、何か気になることがあったら様々な手法を使って情報を入手しようとしてきました。

私達の一つ下の代になると、その傾向は顕著。
研究室の研究体制に反感を持ったり、上の方々の非効率極まりない運営や会議に意味を見いだせず、自分の時間を無駄に使われることに対しては私たち以上に嫌悪感を示しますし、
「情報を仕入れる」という目的なしでは、飲み会や集会に参加したりはもちろん、面倒くさい形式ばったメールを返信する作業すらしません。

さて、こんなゆとり世代の特徴は、欧米の特徴とかぶるところがあるようです。
オランダ育ちの知り合いで、「日本のやり方になじめない」と話した人がいます。
その人いわく、「飲み会に行く理由が分からない。なんで就業時間外で友好を深める必要があるのか?友好を深めると、仕事に潤滑さが出て、結果的に効率が良くなるというが、それがわからない」と。

私は、上記に述べた人々の考え方が理解できます。
仕事はスマートにこなしていきたいし、例えばあいさつ回りをさせられたり高いお金を払わされて強制的に参加させられる諸々の飲み会などといった煩わしい人間関係は排除していきたいし、他人と連携しての仕事には色々と困難を感じるからです。
そして、年配の方々は私たちゆとり世代の傾向を、どちらかというと厄介視し、日本の未来を危険に追いやるものととらえているようですが、私たちゆとり世代の考え方に類似した欧米諸国が、これまで特に日本と比べて経済的困難に直面しているわけでもない点を見ると、この「ゆとり世代」スタンスが間違っているわけでもなさそうです。

しかし、この「ゆとり世代」スタンスが、ただ日本の社会にまだ受け入れ態勢が整っていないから問題視されているだけだというのは疑問符のつくところです。
旧体制は旧体制で、60年代の高度成長期を築き上げてきただけの「何か」があるのですから。

そこで、非ゆとり世代とゆとり世代で価値観の合わない一例として、「飲み会強制」と「意味のわからない儀礼作業(?)」を取り上げ、その意義を理解しようと試みたいと思います。

まず、「飲み会強制」について。
高いお金を払い、酔っ払っているのだから理性的・建設的な会話を交わせるわけでもなく、その場で絆が生まれるかと聞かれたら、大学時代のサークル活動に照らし合わせてみると、そうでもない「飲み会」。
息抜きやリフレッシュに、親しい友人とやるならともかく、強制されて渋々参加することにどんな意味があるのか。
飲み会で得られるものは、おいしい料理やお酒ではなく、やはり情報です。
どういった質の情報かというと、例えば普段どんなことを考えているのか?どんな生活、どんな生い立ちをしてきたのか?公の場では言えない、組織に対する個人的感想などですが、これが何に役に立つのか?
これが、うまく使用されると、例えばそこから仕事上自分一人や、様々な制約の入った会議などでは生み出せないインスピレーションが発生する場合もあります。
例えば、職場の人々のプライベートな情報を把握することによって仕事配分などに気を使え、それによって個々の仕事に対するモチベーションが上がる場合があります。
「強制」にすることによって、いわば人間関係の「食わず嫌い」が解消される場合もあるでしょう。
自由参加制にしてしまうと、積極的にコミュニケーションをとる人と、そうでない人の落差ができ、社内での対人関係ストレスができてしまう可能性があります。
mixiやtuitterなどが従来の「飲み会」の、そういった効能を促進しているかもしれませんが、対面と通信手段を介してのそれとはまた違うのかもしれず、この二者は「補強」の関係に当たるのかもしれません。
「飲み会強制」について考えをめぐらせてみましたが、このような意義が見出せました。

次に「意味のわからない儀礼作業(?)」について。
この作業は、ここでは例えば、「出社したら、肩書きの上の人から順に一人ずつ挨拶をして回る」だったり、「女子は飲み会中晩酌に徹する」であったり、「新入社員が全社員のごみ箱を清掃する」であったりといったものをさすことにします。
これらは、「上下関係」とか、「男女区別」などと表現され、近年では世間的にも白い目で見られている風習ですが、新社会人である知り合いたちのmixi日記を見ていると、まだまだどこにでも根強く残っているようです。
なぜ、廃止されないのか?
これが本当になんの効能も生み出さないものであるなら、「自分たちのやらされたことだから」とかいう理由だけでは残らないと思いますし、むしろ、こういった体制を敷いている企業にベンチャー企業が結構な率であるらしい理屈がわかりません。
これらに共通することは、「自分の役割(上司・部下であったり、男女であったり)をしっかりと叩き込む」という意図です。つまり、「秩序を保つ」効能を期待されて導入されている。
確かに風を入れたり、新入者にしか見えないものがあったりする事情もくめますが、入社したばかりで、会社の本質や目標、裏事情などを理解しきれていない社員が上司の意見よりも自論を優先させてしまう状態は、今まで先人達が築き上げてきたものを揺るがすことになります。
男女が地位的に対等になった社会とは言え、肉体的にも精神的にも、男女の間には生物学的にどうしようもない差異があります。
言葉だけで教育しても、人間というものは自分の能力や知識の程を正確に把握しきれなかったり、心の底からはそれを理解できなかったりしてしまうもので、それを強制的に促進させるものが、この「意味のわからない儀礼作業(?)」なのかもしれません。

非ゆとり世代と、私たちゆとり世代は、組織運営の面で価値観をぶつからせていかなければならない運命にあるようですが、それぞれにそれぞれが主張するだけの意義があることがわかりました。
この二つの相反する主義を折半することは難しいでしょうが、どうにかお互いを理解しあい、うまく付き合っていく方法を見つけていければと思いました。
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