2月7日 3・4限目 

2007年02月12日(月) 14時24分

夏目漱石【それから】


◆第一章について

1、赤のイメージ
2、代助のセクシュアリティについて
3、代助と門野の関係


◆赤のイメージについて
・八重の椿
・血の管
・血潮
・血
・男が女を切っている絵


赤のイメージの反復
赤は「それから」のイメージの貴重となる色。
今後も何度も表れるので、そのことに読者に注意を促そうとした。
特に結末では世界全体が赤となる。



☆仕舞には世の中が真っ赤になった。
そうして代助を頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。
代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗ってゆこうとした。

↓電車にのってゆこうとした

「それから」は物語の結末感が非常に薄い作品である。
しかし、結末部分で代助の世界を真っ赤にしたことで、イメージという点では冒頭と結末の「赤」というイメージに物語が挟まれた形となり、ある種の完結感が生まれる。


◆代助のセクシュアリティ


椿の弁と蕊に絡まって漂うほど濃く出た。
白い敷布の上に置く。



☆性交をイメージさせる際どい表現

代助本人が意識をして花と性交しているはずがない。
代助の性的欲望が特異なものであるということが、ここで象徴されているのではないか?

代助のセクシュアリティの特異性として、ナルシズム的な傾向が挙げられる。



女が御白粉をつける手つき
代助が女性的な存在として造形されている。
代助は女性ジェンダー化した存在ではないのか。
男は上、女はしたというポジション→長井家での位置との関わりが考えられる。



ナルシズム
自分の思い通りにならない現実やや他者との出会いにより、
自己を全知全能とする自己像が打ち破られる。
しかし、そうした全能感が完全に消えるというわけではない。
私達人間はつねに、理想の自己像と現実の自己像とのギャップに苦しまなければならない。





代助と社会との関わり
代助が社会に出て働こうとしなかったのは、
自己の全能感を打ち破られたくないという気持ちが心のどこかにあったからではないか?
成長したら全能感が打ち破られる=理想と現実のギャップ

2月7日 1・2限目 

2007年02月12日(月) 14時03分

【舞姫】

人のたどらせたる道をただ一筋にたどりしのみ。

自分が開拓した道を歩いてきたわけではない。
母・生きた辞書にしようとした
上官・意のままに使うことのできる機会を作ろうとした


◆かつての鴎外
幼い頃から年長者の教えを守って、
学問の道をたどったときも、仕官の道を歩んできたときも、
どれも勇気があって精進してきたわけではない。
継続努力の勉強の力と見えたのも、すべて自分を欺き。人までも欺いたのであり、
ただ人がたぢらせた道を一筋にたどっただけなのだ。


わが本性=弱い自分

自分が前途有望な人物であることを疑わず、
いかなる困難にも耐えられる石の持ち主だと深く信じていた。




付き合いがなかったのは遊び方がわからなかったから。
ゆえにこんな僕を嘲るのは理解できるが、何故ねたむのか?


(此処で鴎外との誤差が生じる。





◆踊り子
当時の社会最低下位

国費で留学させたのに、そんな身分の踊り子と付きあうのは許せない=日本政府

新聞を見て、鴎外の母親自殺



2月2日法政大学/事前授業  

2007年02月02日(金) 22時51分


今昔物語・芋粥芥川龍之介・芋粥を比較する



レゾンデール(存在理由
それほどの存在理由にまでなっていた芋粥
けれどもそれを至極簡単に食べていいものだろうか


惨めになる五位

障害を乗り越えてこそ食べたい


芋粥に対して
妻を寝取られた代償
社会的な地位
人間としての存在価値を求めていたと考えられる



5〜6年前という言葉がキーワードになる
高官になって芋粥をたらふく食べたい。
高官と言わず芋粥を食べたい。
妻を寝取られたのが5〜6年前となる。社会に自分の位置をもちえない。



1、一斉の不正を不正と感じないほど、臆病な人間だった
五位の人間像・全てを諦めそれを受け入れる



五位そのものに人間性を感じ取る無位
利仁がこの物語でどう描かれているか


五位の気持ちの変化=風景描写
心情風景(eの手前


目標にしていたものが目の前にある、一体どういう気持ちか。
簡単に手に入っていいのか。
五位にとっての芋粥の意味、食食として存在するわけではない。



むく犬=五位
むく犬に自分を重ねるから同情する
力こそないが純粋


だがしかし善意や優しさは権力者の前では無意味になるものである。



2、芋粥に飽きたいという欲望を、唯一人大事に守っていた幸福な彼であった。


存在理由があった頃の自分を懐かしく思う。
理想はかなっていない。

芋粥は象徴である。




人はレゾンデートルがないと生きていけない。
たとえそれが他人にとってバカげたものであっても内面的価値がある。
それをわからない利仁を下等のように思う。

1月31日 1.2時限目 

2007年01月31日(水) 10時47分

森鴎外【舞姫】

段落1、2


◆昔の小説
役割として区別された個性
始終主人公の性格が変わらない


◆森鴎外
浪漫主義
近代リアリズム

リアルな人間は一瞬一瞬心が変わる
そんな不確かなものなど日記に書き記せない
しかし日記が白紙なのにはまた別の理由がある



ドイツで勉強したものを日本に持ち帰り、近代的にさせるために留学してきた。
外からの誘惑を断ち切る。


◆ドイツ
学問は純粋に独立した領域
何かを極めるために存在する

◆日本
実益のための学問
鴎外は好きで留学しているわけではない
出世のために留学してきた
ここで自分が学問に勘違いをしていたことに気付く。
【〜ななるためのもの】というのは存在しない



主体や自己が自分にはない

幼い頃から人に誉められるのが好きで勉強をしてきた。
それゆえに言われるがままの機械的人間なんだというけとに気付く。
自分にはなにもない。


主体性を持っているドイツ
・自由に行動する
・自由に主張する
・自由に学ぶ


日本には存在しなかった。

自由な大学の風潮に感化
それまでの自分になかったものがベルリンに存在する。
昨日までの自分は
【私であって私でない】
本当の自分ではないということに、三年間ベルリンにいる間に表にあらわれてきた⇒自我
 

*** 

2007年01月31日(水) 0時00分

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